赤が散る。

空に。

大地に。

赤が散る。

 

焼けこげたにおいがする。

 

誰かの叫び声がする。

 

それをどこか遠くに感じながら、は走った。

 

べとべとと手がぬるついて気持ちが悪い。

それに、ひどく刀が重い。

見れば己の右手に刀がある。

しかも、何故かそれは布でぐるぐると巻き付けられていた。

 

まるで、己を戒めるように。

 

その布は白だったのだろうか。

もう、赤で染められて元の色は分からない。

着物は血で染められている。

それも元の色が分からなかった。

 

森の中で影が動く。

それを認めると、はまた走った。

口から漏れるのはひどく細い呼吸。

 

「ひっ!?」

 

鎧で武装した侍だった。

刀を振り上げる間さえ与えず、

 

「っ!?」

 

両断した。

 

みし、と骨が軋んだ。

力任せに鎧ごとぶった斬ったせいか、それとも、何人も殺したせいか。

 

腕の感覚がない。

 

山の中には死体がごろごろと転がっている。

血の道が、続いていた。

 

もう動く人はいない。

 

は当て所無く歩いた。

 

ずるずると重たい刀を引きずる。

自分の後を、血と、それから大地を抉る跡が続いた。

 

空にはぽっかりと月。

見上げて、は綺麗だと思った。

どうしてこんな綺麗な日に‥‥と。

どこか遠くで自分の声が聞こえた。

泣きそうな声だ、と思った。

 

何故こんな目に。

何故こんな事に。

 

ぐるぐると回る答えの出ない問いかけ。

 

虚ろな目では歩き続けた。

 

ちり。

とどこからか火の粉が降ってくる。

赤い花びらのようだった。

 

悲鳴が、耳の奥から聞こえる。

幼い子供の泣き声が。

聞こえる。

 

「ごめん‥‥」

 

掠れた声は、あどけなく幼い。

 

一体誰に謝ればいいのか‥‥はもう分からなかった。

 

がさりと、

また音が聞こえた。

茂みが揺れる。

 

そっとは振り返った。

頬には一筋濡れた跡。

闇の向こうにある兵士の姿を見つけると、反射的にその瞳はまた、冷たい色を湛えた。

 

――殺してやる――

 

赤い感情が再びわき起こる。

目の前が真っ赤に染まる。

怒りが。

悲しみが。

世界を塗りつぶしていく。

 

「おまえはっ――!?」

 

兵士の一人が声を上げた。

続いて上がるのは、風を切る音と、

 

「ぎゃああ!」

 

絶叫。

また、

赤が空に舞う。

 

赤い世界の中、は倒れ込む男と目があった。

 

「おま‥‥えは‥‥」

 

色を失いゆく兵士の目が真っ直ぐに自分を見つめていた。

 

おまえは。

もう、音にならないのに、彼は唇を動かした。

 

 

――

 

――

 

 

濁った瞳に映るのは、金色の瞳と‥‥白銀の髪を持つ、子供の姿。

 

 

あれは、誰だろう?

あれは‥‥

一体、

 

誰?

 

 

 

「っ!?」

ほとんど飛び起きるように、は薄闇の中に身を起こした。

ぜぇはぁと荒い息が口から零れている。

そんな呼吸を自分がするのだと初めて知った。

熱く、

荒い呼吸。

 

「‥‥ゆ‥‥め‥‥」

 

冷や汗が頬を伝う。

それは細い首を流れ、やがては乱れた胸元へと零れる。

 

頭が痛い。

がんがんと頭を何かで叩かれている、そんな感じだ。

は顔を顰めた。

 

夢。

夢だ。

今のは夢。

 

そう夢なのだ。

 

見下ろした自分の手は染まっていない。

あたりには死体など転がってもいない。

 

あれは夢。

自分の知らない夢。

あんな場面知らない。

知っているはずもない。

ただの夢。

夢なのだ。

 

夢だと決まっている‥‥

 

「夢‥‥だ‥‥」

 

の口からこぼれ落ちるのは震えた声だった。

夢のはずだった。

なのに、

 

自分はその光景を知っている。

何も覚えていないはずなのに。

己の手が知っている。

夢の中で人を斬った感触。

あの、

苦しくなるような感情を、

自分は知っている。

 

 

声にならないそれで兵士は告げた。

 

自分を‥‥

 

自分を、

 

 

『あなたも我らと同じ――

 

 

――――だと。

 

 

 

慶応三年、十一月。

西本願寺より、不動堂村へと屯所を移してから数ヶ月が過ぎた頃。

すっかり風が冷たくなり、季節は冬へと移り変わる。

季節と一緒に移り変わる事があった。

明治天皇が即位し、

大政奉還がなされた。

大政奉還。

つまり、幕府が朝廷へと政権を返す事となったのだ。

それは幕府を潰すことなく朝廷と一本化させるという、土佐藩の坂本龍馬の案だった。

 

大政奉還。

それを実現させた数ヶ月後、

大きな事件が起こった。

 

坂本龍馬が近江屋にて、暗殺されたのだ。

 

 

彼は倒幕派、佐幕派から恨みを買っている。

殺されたというのは納得できるし、誰より下手人として疑われているのが新選組だというのも分かった。

しかし、大政奉還がなされた後、新選組は坂本龍馬に一切手を出すな――と言われていた。

だが世間の目は違った。

疑いの目を彼らに向けている。

犯行現場に新選組の鞘が落ちていた‥‥というのだ。

 

しかもその鞘の持ち主が、

 

「左之さん?」

 

十番組組長、原田左之助のものだというのだ。

 

言葉に原田は思いきり面食らった顔になった。

何より驚いているのは当人のようだ。

それもそのはず。

「馬鹿言え。問題の俺の鞘はここにあるんだぜ!?」

ポンと己の鞘を叩いて言う。

話にもならない‥‥と言いたげな彼に、井上は「誰もあんたを疑っちゃいないよ」と苦笑を零した。

「言いがかりも良いところだね。」

沖田はひょいと肩をすくめる。

あまりにお粗末なやり口で、怒りを通り越して呆れしか出てこない。

どこの誰がそんな事をしてのけたのか。

 

「まあ、俺たちが知らない以上新選組が手を下したわけねえよ。」

永倉の言葉に違いないと誰もが頷いた。

ただ一人、沖田は別の事を言ったけれど。

「山南さんが勝手に動いたんだとしたら、別ですけどね。」

言葉にその場は静まりかえる。

 

羅刹隊を束ねる山南。

最近の彼は、おかしかった。

彼らは昼の活動が不可能な為に夜の巡察となる。

しかし、不逞の輩を取り締まる‥‥というにはやり過ぎの一面があった。

斬られた浪士は、たいてい原型をとどめていない。

死体をもてあそぶ‥‥血に狂った羅刹隊のようだ、と誰もが一瞬思った。

 

「‥‥」

 

千鶴も時折廊下ですれ違う彼の目を思い出して身震いをする。

彼女を見る目は、ひどく飢えた色を湛えていたのだ。

 

「俺らで気をつけるしかねえよ。

それより、坂本龍馬の事だ‥‥」

永倉が重たい空気を打ち払うように話題を変える。

「その件についてだが‥‥」

それに応えるように別の声が上がった。

襖が開く。

振り返れば、近藤と土方の姿、そしてその後ろには、

「斎藤!?」

見知った顔がもう一つあった。

御陵衛士として隊を離れたはずの彼に、千鶴は目を見開き、目をこする。

原田や永倉も驚きの表情で見つめている。

「おや、斎藤君じゃないか、久しぶりだねぇ。

御陵時のほうはどうしたんだい?」

その中、井上がいつも通りに話しかけた。

「そ、そうじゃなくて井上さん!

交流禁止のはずの御陵衛士の人がいるなんて、土方さんが許すわけ‥‥」

千鶴が慌てて言うと、不機嫌そうな顔で土方は言い放った。

「あー、ごちゃごちゃうるせえな。

許すもなにも、本日付けで斎藤は新選組に復帰すんだよ。」

その言葉に、千鶴はぽかんと口を開けた。

 

斎藤が、新選組に復帰。

 

「‥‥い、いやちょっと待った土方さん。」

誰もがその言葉を一瞬理解できずにいると、原田がまだ納得しきってない顔で口を開いた。

「俺たち的にはうれしい便りだけどよ。

それじゃ御陵衛士っつーか、伊東派の立場は?」

その疑問に答えたのは斎藤本人だ。

「まずそこから訂正を。

俺は元々、伊東派ではない。」

その言葉を受け継いで近藤が口を開いた。

「斎藤君はな、トシの命を受けて、間者として伊東派に混じっていたんだよ。」

「あ‥‥なるほど。」

ようやく、千鶴は納得したという風な顔になる。

 

「敵をだますには味方から‥‥ってことか。」

 

原田が苦い顔をした。

伊東派になったつもりで、内部を探っていたと、そういう事らしい。

 

「なんだ斎藤君。僕に内緒でそんな楽しいことしてたんだね。」

くすくすと楽しげに笑うのは沖田だ。

最初から驚いた風では無かった彼は、もしかしたら気づいていたのかもしれない。

それから、

何も言わないも。

副長助勤なのだから、知らないはずもないだろう。

驚きの顔から、ようやく安堵の表情へと戻っていく永倉や原田。

千鶴はただまた一緒にいられるというのが嬉しかった。

ほっと息を吐いた彼女に、斎藤は首を振った。

安心するのはまだ早い。

そう言うように。

 

「この半年、俺は御陵衛士として活動していたが、伊東たちは新選組に対して明らかな敵対行動をとろうとしている。」

斎藤の言葉に、空気がまた張り詰めた。

伊東は幕府を失墜させるために、羅刹隊の存在を公表しようとしていると。

人道的とは言えない羅刹隊の存在が明るみに出れば、幕府の権威は地に落ちる。

そして同時にそれに関わっていた新選組は、罪に問われることとなる。

そのために、伊東が薩摩と手を組んだ。

そんな話も上がっているらしい。

 

「そして、より差し迫った問題がもう一つ。」

それだけではない、と斎藤は淡々と告げた。

 

「伊東派は新選組局長暗殺計画を練っている。」

 

「局長‥‥こ、近藤さんを!?」

千鶴は驚いて彼を見た。

近藤は難しい表情のまま押し黙っている。

 

「御陵衛士はすでに新選組潰しに動き始めている。

‥‥坂本龍馬が暗殺された件は聞いたか?」

土方が口を開くと、

「なんでも、俺がやったとかいう話だよな?」

原田が顔を顰めて答えた。

「その噂を流したのは、御陵衛士の連中だ。」

彼が言うには、紀州藩三浦休太郎が新選組に依頼して原田に殺させた‥‥というものらしい。

当人は知らない事だが、狙われない可能性はない。

土方は続けた。

「三浦の警護は斎藤に頼むことになる。」

「わきまえています。

ほとぼりが冷めるまで、俺はここにいない方がいいしょう。」

斎藤はこくりと頷いた。

 

さて。

前振りはここまでだ。

と言うように土方の言葉が途切れた。

 

ぴりり。

と先ほどよりも張り詰めた空気があたりに満ちる。

 

「伊東甲子太郎‥‥」

 

彼の口から低い声が漏れた。

それは少なからず、彼が怒りの感情を湛えているのだと知らしめる。

「羅刹隊を公にするだけでなく、近藤さんの命まで狙ってるときた。」

しかしあくまで口調は淡々としている。

「残念なことだが‥‥」

瞳に冷徹な色を湛えて、彼はこともなげに言い放った。

 

「伊東さんには死んでもらうしかないな。」

 

言葉に、近藤が苦い顔で頷いた。

「やむを得まい‥‥」

 

それですべてが決まった。

副長の指示を、局長が許した。

つまりは‥‥新選組の総力をかけて伊東を殺すと言うことを。

 

「まず、伊東を近藤さんの別宅に呼び出す。」

それが決まると土方は細かな指示を出し始めた。

伊東を殺す手順。

御陵衛士を潰す手はず。

 

ずきん――

と痛みが走り、は顔を顰めた。

助勤である彼女もそれは聞いておかなければいけない事だったのに、

ずきん。

と頭が痛む度に、意識が霧散した。

 

ずきずきと、頭が痛む。

調子が悪い。

ここ最近眠れない日々が続いたせいだろうか。

変な夢を見るせいで、よく、眠れていないせい?

 

「おに‥‥」

 

突きつけられた言葉を思い出して、そっと呟く。

口にすればするほど、何か、自分でも分からない何かが身体をはい上がっていく気がして‥‥

「‥‥」

は唇を噛みしめた。

 

時折見る、夢があった。

変な夢。

以前も見ていた気がするけれど、最近は頻繁にあの夢を見た。

山の中を駆け回る夢。

人を斬る夢。

 

夢は以前から見ていた。

だけど、

天霧の言葉を聞いてから、

その夢は段々鮮明になってくるようになった。

 

においが。

感触が。

音が。

 

夢の中で鮮やかになった。

 

まるで現実に起きたもののように。

 

鮮やかになる。

 

夢の終わりはいつも同じだ。

 

顔も分からない男を斬る。

だけど、鮮明に覚えている。

彼の口から零れる音。

 

『鬼』

 

その言葉は、まるで自分を苛むように頭の中に回り続けた。

 

鬼。

ちがう。

鬼。

ちがう。

 

私は‥‥

 

 

「おい。」

と呼ばれる。

「!?」

唐突に現実に引き戻され、弾かれたように顔を上げた。

土方だった。

気づけば話はまとまったらしく、なにやらそれぞれが動き始めている。

随分と長い間ぼうっとしていたらしい。

近藤はいつの間にか部屋からいなくなっていた。

 

「すいません、話を‥‥聞いてませんでした‥‥」

は謝った。

なんですか?

と訊ねると、土方は難しい顔でこちらを見ている。

「おまえ、大丈夫か?

顔色が随分と悪いみてえだが‥‥」

案じるような声に、ははっとして顔を引き締める。

それから苦笑を浮かべて首を振った。

「平気です。」

大丈夫。

自分に言い聞かすみたいに言って、話を戻そうとする。

しかし、土方はそれを許さなかった。

「どう見ても平気そうに見えねえよ。

無理してるだろうが。」

と言われて、は視線をすいっと逸らした。

「大丈夫です。」

今度の声は、突っ慳貪なそれで、土方は逆に双眸を開く。

しかし、言葉とは裏腹にその顔色は平気とは思えない。

「悪い事は言わねえ、疲れてるんならおまえは休んでおけ。」

別に俺たちだけでも出来る仕事だ。

と彼は言った。

 

それは本当に珍しいことだった。

 

――が突っ慳貪になるのも。

――土方が何度もしつこく言うのも。

 

彼女が青い顔で「平気」というのは何度も見てきた。

その度に仕方ないと苦笑で見ない振りをしてきたが‥‥今は違う。

の様子も‥‥その反応も。

何かがおかしい。

直感的に土方は思った。

 

しかしそう言われてもはやはり固い声で、

「大丈夫です。」

と答える。

、何意地になってんだ。

おまえらしくもねえ。」

ため息混じりに土方が言った。

 

おまえらしくもない。

 

その言葉に、ぶつりとの中で何かが切れた。

 

「私の何が分かるっていうんですか!?」

 

の口から鋭い声が上がった。

 

それに驚いたのは土方だけではない。

その場にいた全員が驚いてこちらを見ていた。

 

が声を荒げる瞬間など‥‥誰も見た事がなかった。

 

それは自身も知らなかった。

そんな鋭い、大きな声が出るだなんて。

 

「っ‥‥」

 

喉が震えた。

言葉が出てこなかった。

爆発してしまいそうな感情を押し殺して、は拳を握りしめる。

自分でもどうしたらいいのか分からない感情が胸の中に渦巻いている。

それを無理矢理押さえ込んで、彼女は震える声を漏らした。

 

「放って、おいてください‥‥

あなたには、関係‥‥ない。」

 

関係ない。

本気で、彼を拒絶する態度。

 

は土方を見ようとはしなかった。

ただ、畳を睨み付けている。

土方はそんなをじっと見つめていた。

いつもの通り不機嫌そうなそれで‥‥見つめて、

 

「ああそうかよ。」

 

ふいっとそっぽを向いた。

 

「勝手にしろ。」

 

いつもより固い声は、突き放すようにそう言った。

 

その声に、

ちくりと、

胸が痛んだ。