「千鶴ちゃんが、鬼?」

戻るなり、土方から言われた言葉に、は眉を寄せた。

千という人間が訊ねてきて、突然そんな事を言っていった。

と彼女が聞かされたのは翌々日の夜の事。

例によって忙しく走り回っていたとは、二日ぶりに顔を合わせる。

 

蝋燭の炎に照らされたは怪訝そうな顔をしていた。

 

「ああ、なんでも‥‥血筋のいい鬼なんだとよ。」

「‥‥へぇ‥‥」

は気のない返事をした。

「なんだ、驚かねえのか?」

その反応に土方が訊ねる。

「いや、驚かないっていうか‥‥信じられないっつーか‥‥」

だって、相手は千鶴だ。

彼女が鬼と言われてもぴんとこない。

どこからどう見ても普通の女の子‥‥まあ、若干ずれている所があるかもしれないが、普通の女の子だ。

それが、鬼。

鬼と言われてもが想像するのは昔話で聞いた‥‥妖怪の類‥‥一番に思い浮かぶのは餓鬼だった。

食欲旺盛で、腹がぼっこりと出ている。

醜い容姿のそれを思い浮かべて、はなんだか違うと頭を振った。

 

鬼‥‥

 

「土方さんが、とか言うなら納得するんですけど。」

決して醜いという意味合いではない。

が、鬼と言われたら非道な妖怪という印象があるのだ。

「そりゃどういう意味だ?」

「だって、鬼の副長ですし‥‥」

 

取り合うのも馬鹿馬鹿しい、という風に土方はため息を一つして、先に進む。

 

「まあ、あいつが鬼かそうじゃねえかってのは置いておくとして、狙われる理由ってのは分かった。」

「‥‥血が濃い鬼同士でくっつく‥‥ねぇ。」

良い血を残したいという気持ちは分かる。

稀なる存在であれば、特にそう思うのかも知れない。

とはいえ‥‥

 

「好きでもない男のガキは産みたくないわなぁ。」

 

しみじみとは呟いた。

 

血が目当て‥‥なんて、勝手な言い分だ。

まるで相手の事などどうでもいいというそれはあんまりだと思う。

昔からそうだけど‥‥

何故女というのはこういうとき不利なのだろう。

男の都合で振り回され、血筋がいいからと、結婚させられ、おまけに孕ませられる。

こちらの都合などお構いなしだ。

 

それにしても、

「鬼ってそんなに強いんですか?」

どうにも千姫がそこまで言うのが気になって、は問いかけた。

池田屋で沖田がうち負かされた‥‥という話を聞いているので、大した相手だとは思う。

しかし、彼女は一度たりとも手合わせをした事がなかった。

禁門の変でも鬼は現れたけれど、刃を打ち合わせたのは土方、原田だけだ。

その時伝令に走り回っていたが顔を見たのは二条城が初めてだった。

確かに、ただ者ではないのは分かる。

でも‥‥直接手を合わせた事がないとどうにも掴めない。

 

「‥‥さあな。」

問いかけに土方はふいっとそっぽを向いた。

彼は何度か風間と手を合わせている。

さほど長い時間ではないし、決着もつかなかったというが‥‥少なからず、実力のほどは知っているだろう。

 

「鬼は特別な力を持ってるらしい‥‥」

「特別な‥‥」

どんな?

がひょいと首を捻る。

「俺が知るか。

千姫って女がそう言ったんだよ。」

「‥‥なるほどねぇ‥‥」

 

特別な力。

は空を見つめる。

 

「空を飛ぶとか?」

 

視界を蛾が横切った為、言葉が出た。

土方は呆れた、という風に彼女を見る。

視線に気付いて、はあははと笑った。

特別な力‥‥と言われても皆目見当もつかない。

同じ鬼というのならば、千鶴もそうなのだろうか?

 

そういえば、とは思い出した。

「千鶴ちゃんが今日変だったのはそのせい?」

と問いかける。

 

「変?」

土方は眉を寄せた。

「そうなんですよ‥‥」

なんていうかな。

はちょっと首を捻って、

「余所余所しいっていうか‥‥避けられてるっていうか‥‥」

そう答えた。

 

ここに来る前に千鶴とばったり出会った。

事情を知らないは、いつものように声を掛けたのだけど‥‥千鶴は少しばかり緊張した面もちだった。

いつもと違った。

態度が固いというか、なんというか。

目だってろくにも合わせてくれなくて、理由を聞こうとしたら逃げられた。

何があったのかと思ったが、このせいだろうか?

 

「ああ‥‥」

思い当たる節があって、土方は顔を顰めた。

千鶴がに余所余所しかったのは‥‥あれだ。

 

二人が抱き合ってる姿を見たから――

 

千鶴が沖田に少なからず特別な感情を抱いている、というのは知っていた。

仲間ではなく、男として見ているという事。

 

そんな彼女が、あんな光景を見たのだ。

 

好いた男が、自分ではない他の女を抱きしめている瞬間を。

 

複雑な心中だろう。

例え、の事を姉のように慕っていても‥‥

彼女も女。

しかも、沖田と誰より仲が良いと思われる女なのだ。

 

千鶴がどうこういう立場ではない。

それは分かっていても‥‥顔は合わせづらいだろう。

 

 

「‥‥」

無言で土方は彼女を見つめていた。

常となんら変わらぬの様子。

多分‥‥自分たちのそんな状態を見られている、とは気付いていないのだろう。

 

互いに背を抱く彼らは‥‥

恋仲としか言えない雰囲気だった。

 

面と向かって「違う」と言われた彼でさえ、勘ぐってしまうほど――

 

本当に、違うのだろうか?

 

‥‥」

このあいだ――

と土方は口を開いた。

瞬間、彼女から発せられる気が、変わった。

「‥‥まあ、特別な力があるにせよないにせよ。」

落とした視線を、そうっと上げる。

彼女の口元には笑みが浮かんでいた。

「‥‥?」

なんだ?

と土方が怪訝そうに眉を寄せれば、

 

ちり、

 

肌を、突き刺すような空気。

それが走る。

 

は楽しげに笑って立ち上がった。

 

「聞きたい事は、直接聞く方が、いいよねぇ?」

 

心底楽しげに呟く瞳に、凶暴な色が浮かぶ。

告げるが早いか、

 

!」

 

彼女は衣を翻して廊下へと飛び出した。

 

 

気配は。

三つ。

庭に一つ。

裏手に一つ。

そして‥‥

 

屋内に、一つ。

 

自分が向かうのは、一つ――

 

 

 

なんて浅はかだったのだろう。

千鶴は逞しい腕に捕らえられて唇を噛んだ。

 

倒れている島田を見て、悲しげに顔を歪める。

ぴくりともしない彼にもしかして死んでしまったのではないか‥‥と不安がよぎった。

なんて、浅はかな。

自分が出ていくと言わなければ彼を巻き込む事などなかったのに。

自分が出ていくと言わなければ‥‥その腕に捕らえられずに済んだのに。

 

「動くな。」

耳元で囁くような低い声。

男の腕に抱きしめられるのなんて初めてだけど、そんな優しいものじゃない。

腕は、それこそ骨が折れてしまいそうなくらいの力で掴まれている。

無理矢理奪うみたいなそれ。

「つ、ぁっ‥‥」

痛みで声が漏れる。

 

「暴れても無駄だ。

おまえが怪我をするだけだ。」

という気遣いにも似た言葉は、だけど束縛する力の強さと相反している。

 

自分に気遣いなど微塵もない。

千鶴という存在など愛してもいない。

ただ、子を産む為だけの道具。

力づくで奪おうというのだ。

 

千鶴から。

 

「いや‥‥は、離してっ!」

痛みに、恐怖に声が震える。

 

「こんなところにいてなんになる?

所詮人間に裏切られるのが関の山だ。」

風間は耳元でささやくように言った。

「まがい物の鬼を見ただろう?

あんなものを生み出す奴らに手を貸して‥‥何になる?」

「わ、私はっ‥‥」

千鶴とて、あれがいいことだとは思ってはいない。

だけど、あの薬を生み出したのはほかの誰でもない父親なのだ。

それならば‥‥自分は他人事とは言えないのではないか‥‥

そうも思った。

だけど同時に部外者である自分が何を言える立場でもない、とも。

 

ぐ、と唇をかみしめ痛みを堪える。

不意に面白そうに笑っていた風間から、殺気が膨らんだ。

ちりと肌を刺すそれに身体を震わせる。

 

「きたか‥‥」

 

すいと目を細めて見やれば、分厚い雲が晴れた。

闇の中でもきらめく白刃を湛えて、彼は言い放った。

 

「屯所に討ち入ってくるとは大した度胸だな。

だが‥‥これ以上好き勝手はさせない。」

「土方さん!」

千鶴は彼の名を呼ぶ。

その隣には原田もいた。

手には槍を携えている。

「おい、てめぇ!離しがやれ!」

「原田さん!」

二人の後にも、山崎をはじめとして何人かの隊士が続いている。

大勢の隊士に囲まれても、風間はさして顔色を変えなかった。

それどころか、ふんっと鼻を鳴らしてつまらなさそうに周りを見ている。

注意深く土方は風間に視線を向けながら、集まった中に彼女の姿がないことを確認して、心の中で一つ、舌打ちをした。

どうやらは別の鬼の元に向かったらしい。

 

「無茶をしてなけりゃいいんだが‥‥」

 

ぼそ。

と一人ごちた言葉に気づいた人間はいない。

 

「貴様らにはこいつの価値はわかるまい。」

風間はぐいと千鶴を抱く手に力を入れる。

「ぁう!」

痛みに顔を歪めた彼女に、原田が怒りの形相で睨み付けた。

「この女は相応しい者に利用されてこそ、真価を発揮するのだ。」

まるで物扱いのそれに、怒りの形相のまま原田は口を開く。

「そんなに嫁にしたかったら、堂々と口説くんだな。

格好悪ぃぜ、てめぇのやり方はよ。」

ざ‥‥と彼らは注意深く間合いを詰める。

周りを囲まれても、千鶴はその腕に捕らわれたままだった。

 

「言っておくが、そいつは人質にはならねえぞ。」

「もとよりそんなつもりはない。

貴様らごとき、障害物にすらならん。」

土方の言葉に、風間は笑って答える。

徐々に緊張感が高まる。

間合いが緩やかに詰められていく。

腕の中で千鶴は逡巡し‥‥

 

「‥‥っ!」

 

逃れるべく腕の中でもがく。

手にも足にも力を入れてふりほどこうとしたけれど‥‥風間は顔色一つ変えず、また腕もびくともしなかった。

 

「無駄だ。

同じ鬼同士なら男の方が女より力は強い。」

「くっぅ‥‥」

千鶴は彼を睨み付ける。

それでも諦めずに力を込めた。

風間はそれを遮るようにまた、力を入れて彼女の束縛をきつくする。

「うぁっ!」

みし。

と背骨がきしむ音が聞こえた気がした。

意識が朦朧とする。

もうだめだ‥‥

そう諦めかけたとき、

 

「新選組局長、近藤勇である!

参る!!」

勇ましい声と共に、近藤が駆けつけてきた。

「行きがけの駄賃に新選組局長の首でも持って帰るか。」

くくくと楽しげに笑いながら風間は刀を抜いた。

「待っていろ、今助ける!」

近藤が突進してきた。

大上段から刀を振り下ろす。

その太刀筋は彼の性格のように豪快で、力強い一撃だった。

風間はそれを受け流し、

もう一太刀が続く。

 

鋼と鋼が打ち合う音、火花が散る。

 

さらにもう一撃。

それを風間は刀で受け止めた。

 

「これほどできるとはな‥‥

さすが新選組の局長、といったところか。」

風間の口元には笑みが浮かんでいる。

しかし、千鶴を抱えたままでは防戦一方となるばかりで‥‥

「彼女を返してもらおうか!」

強い一撃がまた続いた。

がしんっと重たい音を立てて刃がかち合う。

「くっ!」

はじめて風間からうめき声が漏れた。

二歩、三歩と押され、やがて邪魔になったのか、

どんっと千鶴は放り出された。

「きゃ!?」

放り出されて地面に膝をつく。

「大丈夫か!?

さあ、立つんだ!」

その傍では激しい攻防が繰り広げられている。

即座に山崎が手を貸して千鶴を立たせた。

 

ぎぃん!!

甲高い音が背後から聞こえ、二人は同時に振り返った。

「くぅ!!」

千鶴という枷がなくなった風間が近藤を圧していた。

「どうした?そろそろ息が上がってきたようだな。」

「ぬぅ‥‥まだまだっ!」

圧されつつも近藤は歯を食いしばって柄を強く握りしめた。

 

「局長!?

今行きます!」

 

それを見た山崎が目を見開いてきびすを返そうとした。

「わ、私もお手伝いします!」

千鶴は進言したが、

「駄目だ!君は戦力にならない。

奥の部屋に下がっているんだ!」

鋭い声で一方的に言われ、そのまま手を掴まれたまま引っ張られる。

「な、何を‥‥!?」

屯所の奥へと駆け込む。

そうして、手近な襖を開けると、千鶴を問答無用で放り込んだ。