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「なん‥‥だったんだ?」
「俺に聞くなよ。」
永倉の呟きに、原田が答える。
状況が飲み込めない一同は、顔を見合わせたり首を捻ったりと繰り返した。
何故元に戻ったのか。
いくら考えても答えは出ない。
「‥‥」
は答えを求めるように土方を見た。
勿論、彼とて答えを持っているわけではない。
ただ緩く首を振ると、
「とにかく‥‥後始末が先だ。」
と言った。
彼の言葉に、彼らは「あ」と改めて今の状況を思い出す。
見回せばひどい有様だ。
部屋の真ん中には隊士の死体。
辺りには血。
「ひっでぇ、有様だな。」
「もうこの畳は無理だぜ。」
「この襖もだな。」
部屋の有様を見てそれぞれが零した。
「この部屋は使えねえな。」
てきぱきとそれぞれに指示を出し、土方が振り返る。
「千鶴。
今日は俺の部屋を使え。」
そう彼女に告げた。
千鶴は目を丸くしている。
「え、でも‥‥」
「この部屋じゃ寝れねえだろうが。」
「でも私も手伝います。」
そう言うと土方は呆れた顔をした。
「阿呆か。
怪我人は部屋でゆっくりしてろ。
――」
「はいきた。」
呼ばれては千鶴の手を引く。
「千鶴ちゃん、行こう?」
「あ‥‥はい。」
促され、千鶴は後ろを振り返りつつも歩き出した。
申し訳ないとは思ったが、今自分がその場にいても出来る事はないのだろう。
大人しく千鶴は部屋へと引っ込む事にした。
と、そこへ、
「何があったの?」
沖田が顔を出した。
「沖田さん!」
「おいおい、寝てなくていいのか?」
「これだけうるさかったら眠れないよ。」
それより、
と沖田は目を細めて千鶴の肩口を見る。
「‥‥誰にやられたの?」
ひや。
と背筋が寒くなるような殺気を滲ませて彼は問いかけた。
それが笑みのままだから尚更怖い。
千鶴が悪いわけではないのに、その気迫に千鶴は身体を震わせた。
怯える彼女の代わりに答えたのはだった。
「もう死んでる。
羅刹隊の一人だよ。」
「‥‥羅刹‥‥」
沖田は一度口の中で繰り返した。
そう、と一人呟いて、
「で、どうするわけ?彼女。」
と訊ねた。
「うん、まあ部屋は使えないから土方さんが自分の部屋を使えって‥‥」
「土方さんが?」
沖田は眉根を寄せて、嫌そうな顔になった。
え。なにかまずいだろうか。
千鶴はひょいと首を捻るが、は何か察したようでくすくすと笑っている。
そんな二人を千鶴は交互に見やって、また首を捻る。
「‥‥千鶴ちゃん。」
「はい。」
「僕の部屋に来ない?」
「‥‥は?」
にこりと、笑みを向けられて千鶴は呆けた声を上げた。
僕の部屋に来ない‥‥って‥‥
「そ、そ、そんな事出来ませんよ!」
「ええ、どうして?」
「だ、だって沖田さんは具合が悪くて‥‥」
そう言うと彼はにこにこと笑顔で、
「今日は平気だよ。
調子がいい。」
なんて言ってのける。
そんなはずはない。
昼間血を吐いたのを見ているのだから。
「で、でも。」
「それともなに?土方さんの部屋の方がいいって言うの?」
「そ、そんな事言ってません!」
「それじゃあいいじゃない。」
「良くありませんよ!」
「あー、はいはい。」
放っておいたらしばらく続きそうな二人を止めるべく、はぱしはしと手を叩いた。
呆れの表情を浮かべている。
「千鶴ちゃん、今日は私の部屋で寝るといいよ。」
「え!?でも、それじゃさんが‥‥」
そう言えば彼女は緩く首を振った。
「大丈夫。
この後仕事あるし‥‥どのみち、戻るのは朝だから。」
「で、でも‥‥」
「それに。」
ちら。
と視線を上げる。
沖田とばちりと視線が合った。
「隣は、総司の部屋だ。
何かあったら駆け込むといいよ。
これでいいんだろ?」
と言われて沖田はひょいと肩を竦めた。
「それでいいよ。」
あっさりと引き下がった彼に、千鶴は「え?」とまた声を上げた。
土方の部屋は駄目で。
の部屋はいい。
どういうことだろう?
千鶴にはさっぱり分からない。
首を捻って考え込む彼女に、はまた笑った。
「‥‥って事で、総司。
千鶴ちゃんの事頼む。」
「うん、任せて。」
おいで。
と沖田が手招きする。
招かれるままに千鶴は沖田の傍へと進んだ。
今まで嫌がらせの数々をされている、というのにどうしてこうも無防備に近付いてくるのやら。
そう思いながら、迷わず近付いてくれる彼女に笑みがこぼれた。
「本当に大丈夫なの?」
「あ、はい。」
「部屋に戻ったら手当てしてあげよっか?」
「い、いえ!大丈夫です!」
「遠慮しなくていいよ?」
「本当に大丈夫です!」
わたわたと慌てる声が聞こえた。
まあ、沖田も怪我人相手に変な事はしないだろうが‥‥
「くれぐれも、変な事すんなよ?」
一応、そう最後に釘を刺すと、彼はくすくすと笑った。
「何してんだ、。」
あまりに早く戻ってきた彼女に気付いて、土方は眉を跳ね上げた。
彼女に限ってまさかほっぽりだしてきた‥‥などと言う事はないだろうが‥‥
「そこで総司に会いました。」
「総司?あいつまだ起きてたのか?」
「そりゃこんだけやかましかったら寝れないでしょう?」
「‥‥で?」
先を促されては苦笑を漏らす。
「土方さんの部屋は嫌だってごねるから、私の部屋を千鶴ちゃんに提供しときました。」
「ガキか、あいつは。」
別に土方が一緒に寝るというわけじゃないのに、何を気にする事があるのやら。
「まあ、複雑な男心ってやつなんじゃないですか?」
「そんなもんかねぇ‥‥」
「あいつは自分の物‥‥っていうのに対しての執着が人と違いますからね。」
「千鶴はあいつのものかよ。」
「完璧に総司のお気に入りだと思いますけど。」
「‥‥‥」
よいしょ。
とは畳をひっくり返す。
「ま、私の部屋だと隣総司だし‥‥もし万が一何かあってもあいつが対処してくれるでしょ?」
「確かにな。」
そう呟いて、はた、と土方は手を止める。
「、おまえ今夜は非番だったよな?」
そうだ。
今日一日は非番だ。
だから近藤と共に外に出したのだ。
「‥‥はい、非番ですよ?」
よいしょ。
と畳をひっぺがしながら答える。
「、そいつは重いからこっちにしろよ。」
その畳を持ち上げようとしたら、原田に止められた。
男の形をしてはいるものの、は女‥‥腕力はさほどない。
それを気遣って、代わりに布団とか、そういうのを片付けてくれと言われて、はその好意に甘えておく。
「じゃあ、おまえはどこで寝るつもりだ?」
踏み荒らされた布団を片付けながらはひょいと首を捻った。
「そうだなぁ。」
と一人ごちて。
「あ、平助ー
今日おまえのとこ行っていいー?」
夜通し飲み倒さない?と視界に捉えた藤堂を誘う。
ごつ。
「あいた!」
予想通りの言葉に、土方は問答無用でその頭を殴った。
「ちょ、土方さん乱暴ー」
「なんでそこで平助と飲み倒すんだ馬鹿、部屋に帰って休め。」
叱られて、じゃあ、とは口を開く。
「平助ー
今日一緒に寝ない?」
「ええぇえ!?」
彼女の言葉に藤堂は慌てて、畳を取り落とした。
ごす!!
その音と重なるのは、拳骨が頭に落ちた音だ。
「いったー!!」
今度のは手加減されなかった。
正直痛かったので、は涙目で拳を落とした土方を睨み付けた。
「だって、私の部屋布団一式しかないですもん。
まさか、千鶴ちゃんから奪えってんですか?」
と、涙目で睨まれ、土方は呆れた顔で言い返す。
「誰が言うか、阿呆。
そういう事を言ってんじゃねえよ。」
「じゃあ、どういうことですか。」
「千鶴の代わりに、おまえが俺の部屋を使えばいいだろうが。」
「え?」
言葉には目をまん丸くする。
「土方さんの‥‥部屋‥‥」
と復唱し、何故かええと、と口ごもる彼女に土方は半眼で睨む。
「まさか、おまえまで総司みてえな事言い出すんじゃねえだろうな。」
俺の部屋がそんなに不服か。
そう言われては首を振った。
「や。違います。」
別に不服とかそういうんじゃない。
「じゃあなんだ。」
「‥‥土方さんの部屋で、寝るんですよね?」
「ああ、だから文句が‥‥」
「変な本とか隠さなくて大丈夫ですか?」
「とっとと部屋に戻れ!」
怒鳴り声で、部屋から追い出された。
土方の部屋にはもう何度も来ている。
朝も昼も夜も。
何度も。
前の屯所でも、今の所でも。
数え切れないくらい来ているし、たぶん、が一番出入りするのも彼の部屋だろう。
ただ。
部屋の主がいない状態で入るのは、初めてかもしれない。
「‥‥」
は整頓された部屋を見回した。
机の上には書きかけの書類。
束になったそれらを見て、くしゃっと顔を歪めた。
「また仕事してたんだ。」
全く。
呟いて、そっと膝を落とす。
細やかな流れるような字がそこに書かれている。
あの凶悪な面からは考えられないほど、繊細な字だ。
「人に休めって言っておきながら、一人だけ仕事ですか、副長は。」
呟いて、それから視線を書物から離した。
そういえば寝ていろと言われたっけ?
寝る気にはなれないけど、とりあえず布団だけは出しておいた方がいいだろうか‥‥
まあ、寝ていないとあの鬼副長にまた叱られかねないし‥‥
「まずは、布団を敷くか。」
一人ごちて立ち上がると、押し入れへと近づく。
押し入れの中には布団が一式。
後は、葛籠が並んでいる。
「よいしょ。」
手を伸ばして、布団を引っ張り出す。
部屋の真ん中にそれをどさっと下ろして、広げた。
「こんな感じ?」
枕に掛け布団。
きちんと並べて、その前に正座した。
しかし‥‥
眠気はやってこない。
「‥‥うーん。」
は唸った。
やっぱり眠れそうにない。
このまま布団の中に潜り込んだところで、ただごろごろと無駄に転がるだけだ。
何かいい方法はないだろうか。
「‥‥家捜しするか。」
ここに沖田がいたなら、喜んで賛同してくれただろう。
しかし、
それを鬼の副長に見つかったら、拳骨を落とされるだけじゃ済まないだろうな。
先ほどの拳骨も十分痛かったのだ。
「そんな変なものなんて置いてないくせに‥‥?」
きょろ。
あたりを見回して、
「お。」
整頓された部屋には似つかわしくない、脱ぎ捨てられた着物が机の側に落ちている。
どうやら着替えの最中か、もしくはその前後に斎藤がやってきたらしい。
それでの話を聞いて、すっ飛んできた、そういう所だろうか。
「そんな急いで来ることないのに。」
苦笑を浮かべては着物に手を伸ばした。
皺が寄ってしまっているそれを広げて、畳み直そうとして、
ふわ、
「あ。」
は声を上げる。
ふわり。
と香ったのは、土方のにおいだ。
彼がいつもまとっているにおい。
梅香のにおい。
深みのある、落ち着いた香り。
「男の人なのに‥‥洒落た人。」
時折、女の‥‥白粉のにおいをさせてくることもある。
そのにおいは、あまり好きではないが、土方が好んで付けている梅香のにおいは好きだと思った。
そっとは顔を寄せた。
「いいにおい。」
はそっと呟いた。
そのにおいは。
優しいにおいだと思った。
「何がしてえんだこいつは。」
襖を開けるなり、飛び込んできた光景に土方は顔を顰めた。
はころんと横になって眠っていた。
言いつけ通りに。
しかし、眠っているのは布団の横。
きちんと敷いた布団の横で、
何故か土方の着物を抱き込んだまま眠っている。
猫のように丸まって、だ。
しかも、
「‥‥締まりのねぇ面しやがって。」
口元に笑みを浮かべた、締まりのない‥‥でも、なんだか幸せそうな顔をして眠っていた。
悪態はついたものの、彼は顔を歪めて笑う。
極力足音を立てないように部屋の中に進むと、そっと、の側に膝をついた。
まさかこのまま頃がしておくわけにもいかない。
そ。
と頭の下と、そして膝裏に手を差し込む。
ゆっくりこちら側に転がして、抱き上げた。
「――」
その身体は、思ったよりも軽く、小さい。
一瞬目を見張った。
腕の中にある、小さな身体を。
それから、
ああ。
と彼は小さなため息を漏らした。
「こいつは‥‥女だったな。」
そう。
何でもない顔で隣をついてくるから、時折忘れそうになるけれど‥‥
は女だ。
自分よりも腕力がなくて、小さくて、本当は、弱い。
女。
そう、
先ほど触れた彼女の頬のように。
触れるどこもが柔らかくて、なめらかで、小さくて、細くて‥‥
自分とは違う生き物なのだと事実を突きつける。
――は‥‥
女なのだと――
そっと。
土方は目を細めた。
そして、
自分は――
「トシ、ちょっといいか?」
唐突に外から声をかけられた。
土方はすぐに目を開く。
「近藤さんか?」
「ああ‥‥悪いが‥‥広間に来てもらえるか?」
近藤の声は固い。
何かあったらしいのはすぐ分かった。
きっと伊東絡みだ。
土方は小さく嘆息して、掛け布団をめくるとをことさらゆっくりと下ろした。
「ん。」
は小さく呻いて身じろいだだけで、起きる気配はなかった。
それに安堵のため息を漏らした。
「トシ。」
さ。
と襖を開けると、近藤がすまないなと声を漏らした。
それから、
「ん?か?」
彼の後ろに見えた彼女の姿に気づく。
「いろいろあって‥‥俺の部屋を使わせることにした。」
「へえ。」
近藤は何故か、にんまりと満足げに笑う。
彼の考えている事など手に取るように分かった。
否定の言葉は口にせず、ただ一瞥して、
「早く行かないとまずいんじゃねえのか?」
促した。
「ああ、そうだった。」
近藤は思い出したというふうにくるりと背を向けた。
その後ろに土方も続く。
ふと、
己の手を見下ろした。
今はもう、何も持っていない手。
なのに、
腕の中には。
まだ温もりが残っているような気がして、
「‥‥」
土方はそれを逃がさないように、もう一度掌を閉じた。

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