15
星が瞬く夜空を、沖田はぼんやりと見つめていた。
何を思っているのだろうか。
何を見つめているのだろうか。
その背中を、千鶴はぼんやりと見つめていた。
「そんなところにいないで、こっちにくれば?」
それに気づいたらしい、彼は苦笑で千鶴を呼んだ。
言葉に一瞬、千鶴は躊躇う。
理由は‥‥彼が人でなくなったから、などではない。
罪悪感故、だ。
しかし、千鶴は唇を噛みしめると、一歩を踏み出した。
進められるままに彼の隣に腰を下ろす。
月明かりに照らされた横顔は、青白く見える。
「身体の具合はどうですか?」
千鶴は問いかけた。
言葉に沖田は空から視線を千鶴へと向けて、
「それは胸の病の事?
それとも、羅刹になった身体の具合?」
と、意地悪く目を細めて笑う。
千鶴は返答に迷った。
困ったように視線を泳がせた彼女に、
「ごめん。困らせるつもりはなかったんだ。」
沖田は謝ってくれた。
それから、そうだなぁと首を捻る。
「昼間に起きるのは少し辛いけど、体調自体は日ごとに回復しているみたいだよ。」
と明るく笑う。
千鶴は黙って彼を見つめていた。
「養生してれば、またこれまで通り剣も振るえるようになるって。」
その言葉は、まるで自分に言い聞かせるように聞こえた。
「でも、もう冬なんですから‥‥夜に空なんか見つめてたら身体に障りますよ。」
吹き付ける風の冷たさは冬を感じさせる。
いくら調子が良くなったと言われても、少し前まで寝込んでいたのだ。
心配でそう言うけれど、沖田はこれくらいどうってこないよと笑うだけ。
他愛のない話は、何故かすぐに途切れてしまう。
冷たい風が、吹き付けるのを感じていた。
「ねえ。」
不意に沈黙を破るように、沖田は声を掛けた。
「は、はい!」
慌てて返事をすれば、沖田はこちらを見つめて、
「僕が自分で選んだことだから、君が気にすることないんじゃない?」
呆れたような、どこか暖かい笑みを浮かべて、彼は言った。
その笑みに気を取られて、一瞬千鶴は言葉を逃してしまった。
「な、なんですか?」
問い返すと、沖田は更に呆れたという表情を浮かべた。
「気にしてるんでしょ?
僕があれを飲んだこと。」
「えっ、いや、あの‥‥」
千鶴は慌てる。
「どうせ隠せないんだから、隠そうとする必要はないよ。」
誤魔化そうとしたけれど、沖田に先に言われてしまい、千鶴は沈黙する。
「気に病むことは無いんだ。
僕が決めた事で、僕は悔やんでいないんだから。」
あっさりと受け入れた彼は、言葉通りに全く後悔していないという笑みを浮かべている。
千鶴はあれこれ言葉を探したけれど、どれも言葉になりそうになくて、諦めて口をつぐんだ。
沈黙がまた落ちた。
その間に、沖田は笑みを消して、真剣な表情でまっすぐに千鶴を見て口を開いた。
「君はもう、僕に関わらない方がいいと思うな。」
と。
突然の言葉に千鶴は一瞬何を言われたのか分からなかった。
しかし、
「いやです。」
反射的に出たのは、拒否の言葉。
真剣な瞳を受け止めて、千鶴はしかと言葉を返した。
「‥‥僕の聞き間違いかな?」
返答に彼はくしゃと顔を歪める。
「いやだ、って言ったんです。」
もう一度はっきりと、千鶴は答える。
きっぱりとした拒否に、沖田は一つため息混じりに呟いた。
「まったく‥‥病人の頼みを真っ向から拒否するなんてひどいなぁ。」
「なっ、都合のいいときだけ急に病人ぶるなんて狡いですよ!」
千鶴は慌てて反論した。
「でも、病人って言うのは本当だよ。」
いや、そうじゃない。
沖田は肯定しながら首を振った。
そして、
「僕は、死人なんだ。」
彼は告げた。
「僕はもう生きてないんだよ?」
その言葉は、千鶴の胸を深く、貫くようだった。
胸をえぐられ、呻くように言葉を返す。
「そ、んなこと‥‥だって、沖田さんはこうして、ちゃんと動いて、話してるじゃないですか。」
生きている。
ちゃんと生きてここにいる。
千鶴は確かめるみたいに、そばにある彼の手に触れる。
冷たいけど、ちゃんと温もりはあった。
「でも‥‥こんなの人間じゃない。」
しかし、緩く、沖田は首を振った。
握られた手は、そのままに。
「そんな、ことっ‥‥」
「君の目にはどう映っているかわからないけれど‥‥そのことは薬を飲んだ僕が一番よく分かってる。」
「‥‥」
千鶴は閉口した。
「‥‥咳も、しなくなったんだ。
傷や病が治るっているのは本当らしいね。」
少し前の、寝込んでいた自分を思うと、ありがたい事だった。
「その代償かな。昼間に動こうとするとね、すごく辛いんだ‥‥」
日の光の元では、羅刹は動けない。
「昼間に動けないんじゃ、君の父親探しだって手伝えない。」
沖田は告げて、目を細めた。
少しだけ悲しげに、
「だから‥‥
僕はもう、君の役には立たないよね?」
そう告げる。
どくんと、
千鶴は胸が震えたのが分かった。
悔しくて唇を噛みしめた。
「もう死んだ奴のそばにいたって――」
「私は、沖田さんが私の役に立つからそばにいたいわけじゃありません!」
千鶴の口から漏れたのは、思ったよりも大きな声。
その言葉に、彼は一瞬目を丸くした。
千鶴は自分の身体が震えているのに気づいた。
悔しかった。
自分が、彼の傍にいる理由。
それは父親探しに役立つから‥‥そんな理由じゃない。
そんな理由で傍にいるのだと思われていたのだと思うと、腹が立った。
違う。
そんな理由じゃない。
自分が傍にいたいのは、もっと純粋に、
彼の傍にいたいから。
彼が好きだから。
「‥‥‥」
千鶴はその想いを封じるように、目を一度閉じる。
その想い故に、彼は巻き込まれたのだ。
それを思うと、言葉には出来ない。
してはいけない。
彼は、
何とも思っていないのだから。
千鶴はそれを押し込めると、唇を開いた。
「沖田さんの身体は、少し変わってしまったかもしれないけど、中身は何も変わってません。」
相変わらず、意地悪だったり優しかったりする彼のまま。
「私の目の前にいる沖田さんは、いつもと同じ、沖田さんです。」
自分が知っている、彼の姿のまま。
「生きてたって、たとえ死んでいたって、人間じゃなくたって‥‥
沖田さんは沖田さんです!」
そうなのだ。
例え、本人が違うと言っても。
羅刹になってもならなくても、彼女にとっては関係がない。
自分の目の前にいるのは、
沖田総司という人。
千鶴の言葉に、そうか、と沖田は呟いた。
「僕は僕‥‥なのか。」
その声は、何故かひどく安堵した色を浮かべていた。
それに、
「もう人間じゃなくなっていたとしてもそんなこと‥‥」
と千鶴は唇を噛みしめる。
「私だって、人間じゃないかもしれないのに。」
鬼。
彼らは言う。
外見は全然変わらないのに、だけど、身のうちに流れる血が明らかに違う。
自分は鬼。
人と違う。
傷を受けても、見る見る内に塞がるそれを見たら‥‥彼はどう思うだろう?
「そういえば、そうだったね。」
今更思い出した、という風に彼は呟く。
少しだけ彼の表情は柔らかくなる。
「君が人間だとか、鬼だとか‥‥そんな事考えたことなかった。」
「私だって、同じなんですよ。」
千鶴はきっぱりと答えた。
「沖田さんが死人かどうか、人間かもう人間でないのかなんて、そんな事関係ないんです。」
そう言って、
「沖田さんは、沖田さんなんだから。」
千鶴は笑った。
その笑顔は鮮やかで‥‥眩しいと沖田は思った。
迷いのない、千鶴らしいそれ。
「やれやれ‥‥そこまで言うなら、好きにすれば?」
「ええ、好きにしますとも。」
呆れたという口調の彼に、千鶴は胸を張った。
彼女を見て、沖田はくすくすとなんだか楽しげに笑っていた。
例え彼の傍にいるのが罪だとしても、己のせいで彼が羅刹になったという事実があったとしても‥‥
「私は、沖田さんの傍にいます。」
手を離したら‥‥そこで途切れる。
それが分かっていた。
沖田にとって、千鶴の存在はあってもなくても同じ。
大して意味はない。
だけど、
例え罪だとしても、彼を傷つけるとしても、苦しめるとしても。
自分は傍にいると決めた。
傍にいたいと思った。
彼を支えたいと。
いや、
ただ、
離れたくない、と。
自分の我が儘故に、彼の傍にいたいと思った。
彼が自分を、見ていなかったとしても。
それでも。
離れたくなかった。
それほどに、
――彼が好きなのだと千鶴は知った。

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