、昨夜はご苦労だったな」
「それは山崎さんに言ってあげてください。今回の功労賞は彼ですから」
「そうか、で、片付いたのか?」
「はい。無事に処理してきました」
「そうか、後始末をさせちまって悪かったな。……ところで、なんでてめえはのこのことこんな所に来てやがるんだ?」
 爽やかな朝には似つかわしくない顰めっ面で睨み付けてくる土方に、は何の事かと首を傾げて見せた。

 騒動から一夜が明けた翌朝。
 昨日とはうって変わって、清々しい晴天だ。
 気持ちの良い朝だというのに、廊下をぞろぞろと殺気立った幹部連中が歩いていたら気になるのが当然。しかも局長に副長に総長、おまけに一番組組長が揃っているとくれば何かがあるに違いない。休めと言われても気になって眠る気になれるわけがないじゃないか。
「てめえは夜通し走り回ってたんだろう」
 昨夜の騒ぎの後、死体処理だなんだと走り回っていたと山崎が戻ってきたのは一刻程前の事だ。折角の休みに叩き起こされ駆り出されたのだから、今日はゆっくり休んでいろと言ったのに。
「いやあ、だって、気になりますし」
「……遊びじゃねえんだぞ」
「遊びじゃないから余計に気になるんじゃないですか」
 睨み付けるとしれっとそう返されてしまった。
 土方は苦虫を噛みつぶしたような顔で唸り、やがて溜息を吐いて諦めた。彼女には言うだけ無駄だ、というのは何度も経験して分かっている。
 好きにしろと言いたげに背を向ければ後ろをついてきた。
「尋問ですか?」
 丁度後ろを歩いていた山南と目があったので、こっそりと訊ねてみる。彼はにこりと柔和な笑みを浮かべた。
「尋問とは人聞きが悪い。話を聞きに行くだけですよ」
「……山南さん、その完璧な笑顔が怖いです」
「山南さんの言うとおりだよ、
 その後ろを歩いていた沖田の言葉が口を開いた。
「さっき広間に集まって話を聞こうとしたんだけど、あんまり詳しい話が聞けなかったんだよ」
 だからもう一度聞きに行くだけ、と彼は言う。は眉根を寄せた。何故話が聞けなかったのかが理解出来なかったからだ。
「その人、口が堅いどっかの間者とかだったの?」
「それは、絶対にないだろうね」
 の言葉に沖田は目を丸くして、それから可笑しげに肩を揺らして笑った。
「絶対? そう見せかけて、とかじゃなく?」
「うん。ない」
「なんで?」
「だってほんのちょっと突いただけで、全部ぼろを出しちゃうような素直な子だもん」
 絶対に無理だ。あの子には。
 沖田はきっぱりと言い切った。
 どういう事かと首を捻ると、山南が先程の広間での出来事を教えてくれた。
 何も見ていないと主張した尻から、その主張が嘘だったと自らが暴露してしまったらしい。それも沖田の嘘によって、だ。しかもそれは沖田らの名誉の為に真実を言ったというのに、それが故に嘘を見破られ危機的状況に陥れられるなど、あまりに不憫である。
「……性悪」
 話を聞くとは半眼になる。くすくすと笑いながら後ろに続く男に吐き吐ければ、彼はあははとまた可笑しそうに笑った。
「まあ総司が性悪なのは置いておくとして、それでなんで改めて話を聞く必要があるんですか?」
「そいつは、他の連中が余計な事ばっかり言いやがるからだ」
 次の問に答えたのは土方である。
 誰が、と言うのは敢えて聞かないでおこう。それに何となく、聞かずとも誰の事だか分かる。
「それで、これ以上余計な事を聞かせたら処分しなくちゃいけなくなるからって、一君が部屋に戻しちゃったんだよ」
 斬っちゃった方が楽だと思うけれど、という物騒な沖田の言葉は聞き流し、はふむと一つ頷く。
 それで、もう一度聞きに行くという事か。成る程分かった。
「なぁに、ちゃんと話をしてくれるさ」
 先頭を歩いていた近藤が肩越しに振り返る。大丈夫さと暢気に笑ってみせる彼に、はそうですねと笑顔で返した。
 笑顔を向けながら胸の中でだけ零す。
 もし、新選組に害なすようならば斬れば良いだけの事。
 すいと琥珀が一瞬冷たい色を帯び、また、元のそれへと戻った。
「大人しくしてるとは思えないけどね」
 沖田がこそりと呟いた。
 子供が悪戯でも思いついたみたいな顔だ。
 は歩調を緩め、彼へと合わせるとこっそりと訊ねる。
「逃げそうなタマ?」
「ううん」
 確信を込めて言うからそう訊ねたのに、沖田はあっさりと首を振った。
 それじゃ先程の言葉はなんだとが眉を寄せれば、

「何をしでかすか分からない子、だよ」

 猫みたいに笑って、彼はそう答えるのだ。


 なるほど。
 襖を開けるや否や、近藤とぶつかって後ろに転がったその人の姿を見て、は納得した。
「あ、いたた……」
 はじき飛ばされた小さな身体は見事にころりと畳の上を転がる。鞠のようだな、などとぼんやりと思った。
 どうにかこうにか不自由な身体を起こすのは、まだ子供のように見える。否、あれはまだ子供だろう。
 しかし、
「なるほど――」
「でしょ?」
 呟きに勝ち誇ったような顔で沖田が言う。
「確かに」
 は先程の彼の言葉を思い出し、こくりと頷いた。
 確かに、何をしでかすか分からない子……だった。

 まさか人斬り新選組に捕まって、しかも両手を拘束されて逃げ出そうとする人間がいるなどとは思わない。しかもこんな子供がだ。
 普通は怖くて動けないだろう。泣き喚いて端っこで縮まっているのが普通だ。だってあんな強面に囲まれた後だぞ。若干一名なんぞは殺人鬼かって顔をしているんだぞ。うっかり逃げ出した所を見つかったりなんかしたら殺されそうじゃないか。因みに殺人鬼というのは彼女の上司の事で。
「なんか言ったか?」
「いえ別に」
 何故か心の中で呟いたはずなのに土方にぎろりと睨まれ、はふるふると頭を振る。
 とにかく、目の前の子供はそんな中で脱走を試みたらしい。
 すごいと感心するよりも呆れてしまう。そんな簡単に逃げられると本気で思っていたのだろうか。逃げたらどうなるかも分からなかったのだろうか。分かっていたとしたら大したものだ。分かっていないとしたら本気で哀れだ。
「大胆な方ですね。まさか我々から逃げられると思っていたのですか?」
 山南の冷たい声に千鶴はびくっと俯いたままで肩を震わせた。
 顔を上げてはいけないと思っているのだろう。自分がしてはならない事をしてしまったという自覚がある証拠だ。
 華奢な肩がふるふると震えている。怖いだろうなとは思った。なんせ、新選組一番怖い人が満面の笑顔なのだから。
 そんな彼女に追い打ちを掛けるように、土方が低く告げた。
「逃げれば斬る。……昨夜、俺は確かにそう言ったはずだが?」
「……」
 反論の余地はない。確かに、彼にそう言われた。そもそもこちらには拒否権を与えられなかったが、それを千鶴は破ったのだ。
 小さな脱走者は俯いたままだった。まるで、諦めて項垂れているようにも見える。
 あーあ、とつまらなそうな声が隣から上がった。沖田だった。
「残念だけど、殺しちゃうしかないかな。約束を破る子の言葉なんて信用できないからね」
 さらりと彼の唇から零れる「殺す」という物騒な台詞。
 子供の肩がびくんっと一度大きく震えた。
 可哀想にとは他人事のように思う。あんな事を言われたらきっとあの子供は恐怖のあまりに泣き出してしまうに違いない。
 そして自分の愚かさを今更のように気付いて、呪って、それから理不尽だと嘆いて、喚いて――

「っ!!」

 次の瞬間、子供は勢いよく顔を上げた。
 その顔は恐怖に歪んでも、涙に濡れてもいなかった。
 ただ、その人は、
 こちらを睨み付けてきた。
 負けて堪るかと言わんばかりな強い眼差しで、真っ直ぐ。

「――え――」

 声が、漏れた。
 の唇から零れたのは驚きの声だった。
 真っ直ぐにこちらを見上げる大きな瞳。
 怒りの色さえ込めて睨み付けてくる、栗色の瞳。
 汚れを知らない、純粋無垢な美しい瞳。

 ――見覚えがあった。

 その真っ直ぐすぎる素直な瞳を、彼女は知っている気がした。
 でも、
 何時、何処で?

「……っ……」
 何故か驚きの表情でこちらを見ている人がいる。それは知らない人だ。先程広間にはいなかった人。
 その人も仲間なのだろうか。彼らと同じように自分を殺すと言うのだろうか。
 千鶴は半ば八つ当たりめいた怒りを覚えても睨み付けると、すぐに言葉を発した沖田の方へと視線を移した。
 こちらも驚いたように目を丸くしている。キッと今一度睨み付けると千鶴はやけっぱちに声を荒げた。
「煮るなり焼くなり、好きにすればいいじゃないですか!!」
 更に翡翠が大きく丸くなる。
 心底驚いたという表情だ。
 彼は多分、泣き喚いて駄々をこねるとでも思ったのだろう。
 泣いて駄々をこねて生きながらえるならばそうしようと思う。でもきっと泣いたところで、命乞いをした所で、彼らは許してはくれないのだろう。昨夜人を簡単に斬ったように、自分の事も斬り捨ててしまうのだろう。
 ならば誰が乞うてやるものか。泣いてやるものか。
 千鶴は思う。
 そんな惨めな思いをして生きながらえるならば、いっそ潔く死んだ方がマシだ。
 栗色の瞳はそうはっきりと物語っていた。
 自棄っぱちな千鶴の啖呵に誰もが呆気に取られて立ち尽くしている。誰もが無言で目の前の子供をただ見つめている。
「っぷ、あは……」
 唐突に、沖田が笑い出した。
 はっと笑い声に一同は我に返り、可笑しそうに笑っている彼へと視線を向ける。彼は腹を抱えて爆笑していた。
「……」
 まさか爆笑されるとは思わない千鶴は、ぽかんと呆けた顔になっている。その様子では自分が笑われているというのにも気付いていないだろう。
「総司、笑いすぎ」
 確かに予想外な反応だったが、些か沖田は笑いすぎだ。
 なかなか笑いが収まりそうにないのでがその丸まった背中をごんと拳で突くと、彼はけほっと噎せ返りながら漸く笑いを落ち着かせた。
「君、面白いね」
 そういえば昨日から彼女には笑わされてばかりだ、と沖田は思った。
 無論千鶴の方は笑わせる気など皆無なので、呆気に取られたその表情を心外そうに歪める。
 また笑ってしまいそうだが、今度は無言で悪友に殴られそうなので止めておこう。
「ごめんね、ちょっと苛め過ぎちゃったかな?」
 こほんと咳払いをすると口元に笑みを残し、ほんの少し、その張った肩の力を抜かせて上げようと優しげな色を浮かべて見せた。
「もう少し肩の力抜いてよ。取って食ったりはしないからさ」
「……」
 その優しい彼の様子に、千鶴が更に警戒心を剥き出しにしたというのは言うまでもない。
「本当だって。……でも本当、君変わってるね」
 あなたには言われたくない。
 千鶴は思ったが当然口には出来ない。口に出せば「斬る」「殺す」と簡単に言う彼に斬り殺されかねないと思ったからだ。
 ただ不審な眼差しを向け続けると、彼はにこりと笑みを深くしてこう告げた。
「てっきり泣いて助けてって言うと思ってたのに」
 誰が泣くものかと、千鶴は双眸を細める。それで睨み付けているつもりなのだろうか。まるで怖くない。逆に微笑ましくて口元が軽く緩んだ。
「僕、君みたいに潔い女の子、初めて見たよ」
「えっ?」
 細められた双眸が大きく見開かれた。
 それは酷く驚いた表情だ。
「沖田さん、気づいてたんですか?」
 何を驚く事があるのだろう。
 彼女が女である事は此処にいるほとんどが気付いていたのに。……気付かないのは、
「なっ!? 総司はこの少年が女子だというのか!?」
 やはり近藤だった。
 土方はにやりと意地の悪い笑みを浮かべて見せた。
「気づいてる奴は気づいてたみたいだな。……近藤さんはまずわかってねぇと思ってたが」
 きっと疑いもしなかったのだろう。千鶴が男の形をしていたから。
 在るがままを素直に受け止めるのが近藤という男だ。
 そういえば、の事も暫く女だと気付かなかったのだったか。土方は思いだして笑いそうになった。あの時もこんな風に驚いていたんだと。
 よく観察しなくてもすぐ分かった。
 千鶴の身体の線は男のそれとは違う。仕草だってそうだ。だいいち男はそんな風に行儀良く歩いたり座ったりするものか。
 彼女の場合はただ男の形をしているだけで、男を演じるつもりはないのだろう。であれば看破するのは容易い。見事に男に化けている彼女と比べると笑えてくるくらいに、千鶴は女そのものだった。
「……さ、お兄さんたちに話してごらん?」
 すっと沖田は千鶴の前に膝を着き、目線を合わせる。昨夜と同じで近すぎる男との距離に千鶴は僅かに身を引いた。
 彼は追いかけず、子供に言い聞かせるような声音で言った。
「女の子が男装してまで夜の京を歩いていた理由」
「……」
 千鶴は窺うように彼を見て、やがて、こくりと素直に頷く。今度こそ、話せば分かるかもしれないと思えた。
 頷いた少女に沖田は満足げな笑みを向け、うん、と一つ頷くとその小さな頭をわしゃっと撫でて立ち上がる。
 優しい、とは言い難い乱暴な手だったが、それは大きくて暖かい手だった。人斬りとは思えない手をしていた。

「立てる?」
 今一度皆を集めて話を聞こうと言う事で纏まり、彼らはやれやれと溜息混じりに部屋を出ていく。
 千鶴は助かったのかと未だ信じられずぼんやりと焦点の合わない目で空を見詰めてへたり込んだままだ。
 まだ腰を抜かしているのかと思っては手を出した。
 手を出して、ああそうかと思い出す。彼女は後ろ手に縛られたままだったと。ごめんねと謝りながら背後に回り、白く細い手首を戒めていた縄を解いてやる。随分ときつく結ばれていたようで彼女の手首には痛々しい縄の後が残っていた。沖田が結んだのだろう。
 溜息を零し、は改めて前へと回るともう一度手を差し出した。
「立てる?」
 今一度声を掛けると驚きに丸くなった瞳でまじまじと見つめられた。
 大きな目だ。子供みたいな、純粋な瞳。
 顔立ちは、そう、まだ幼い。女と言うよりは女の子だ。
 愛らしい顔をしている。
 人に好かれる顔立ちだなと思う。
 が、やはり知らない顔だ。
 会った事はないと思う。
 でも、と真っ直ぐにこちらを見上げる瞳を見て思う。
「君。どこかで……会ったことないかな?」
 は知っている気がした。
 その瞳を。
 記憶の何処かで見た気がした。
 思い出せないけれど、知っているような気がした。

 その問いかけに少女は目をまん丸くして、
「いえ……」
 それから怪訝そうな面もちで頭を振る。
「そっか」
 は苦笑を浮かべる。
 そうだよなと内心で呟いた。
 知らない顔なのだから、会っているはずがないのだ。
「あの……」
「うん、ごめん、気にしないで」
 おずおずと手を差し出しながらこちらを窺ってくる千鶴に緩く頭を振ってみせる。
 なんでもない、気のせいだと言って立ち上がらせると、少女はありがとうございますと戸惑いがちに礼の言葉を口にしてその手を離した。

 そうだ、知るはずがない。
 知らない子だ。知るはずがない。

 それなのに、何故だろう。

 彼女の温もりが離れるのが。
 ひどく、寂しいと思うのは――



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