きっと出会ったときから決まっていた。
あの美しい瞳を見たときから。
自分は、彼女に、恋をすると。
その迷いのない瞳が自分を映したときから、
恋をすると決まっていた。
その瞳が輝けば、こちらまで嬉しくなった。
その瞳が翳れば、守ってあげたいと思った。
その瞳が、
自分だけを映せばいいのにと、男は何度も思った。
――囚われたのは自分の方。
きっと出会ったときから決まっていた。
彼女に恋をすると。
それに、気付かないふりをした。
気付かないふりをし続けて‥‥いつの間にか、
取り返しのつかない所まで、嵌っていた。
好きだなんて言葉であらわせないほど、
その人に落ちていた。
そう、
――臆病になるほどに――

1
「っ」
声もなくが走った。
走り抜け様に、刃を引き抜き、白銀が一瞬煌めく。
次の瞬間、
「ぁっ!!」
血しぶきが上がり、次いで断末魔。
絶叫、というよりも驚愕に近い声が男の最期の声となり、どさりと大地に倒れ伏す。
その時には彼女は別の敵へと走っていた。
ガゥン!!
と銃声が轟く。
向けられた銃口が火を噴くその様を、じっと見据えながら、しかし、恐れもせずに走り、
「っぎゃ――がっ!?」
腕がごとりと落ち、すぐに、男の首も落ちた。
闇の中で飴色のそれが舞う。
まるで風に吹かれてくるくると花びらが舞うように。
どこか楽しげに。
血に汚れた世界で、彼女は舞い続ける。
夜の森の中、自軍とは別に動いている影があるとが見つけた。
その統率の取れた動きに、新政府軍だと気付いた。
正確には分からないが、数にして五十。
森の中で攻撃をしかけられては堪らない。
「‥‥じゃあ、先手を打ちます。」
彼女はそう言うとこちらの返答も聞かずに闇の中へと走った。
ほどなくして、
「撃て、撃てぇええ!!」
怒声と、銃声が上がった。
「すごい‥‥」
と誰かが零した。
彼女の強さはすごいという言葉だけでは片付けられない。
男のように力はないけれど、その分、早さと柔軟さ、そして急所を違わずに狙う的確さにおいては申し分なかった。
昔、沖田と本気でやりあった事があった。
天然理心流きっての使い手‥‥と言われているが、彼でもを負かす事は出来なかった。
勝敗はつかなかったが、彼の早さを持ってしても、を捕らえる事が出来なかったのである。
赤と黒で彩られた世界の中で、
柔らかな飴色が踊る。
飴色は月光を浴びて、きらきらと輝いていた。
とても、
綺麗だと――思った。
人を殺めているというのに、
とても綺麗だと。
ガゥン!!
銃声が響き、大木を抉った。
感心したように棒立ちになっていた隊士達はそれで慌てて我に返る。
「気を抜いてる場合じゃねえぞ!」
次が来る、と土方は言うと誰よりも早く走った。
銃を手にした敵兵の姿は捉えている。
「――くそっ」
奇襲を掛けられたせいだろう。
新政府軍の足並みは乱れていた。
焦ったような声を上げて銃を再度構えるその手は震えている。
男が引き金を引く前に、
「ぎゃっ!?」
土方の一刀が両断した。
「新選組の土方だ!!」
「鬼の土方だ!!」
好き勝手に敵兵達は彼を呼び、局長を討ちとらんがためこぞって銃を構えた。
土方は瞳をすいと細めながらすぐに方向を変えて、声を上げた敵兵を斬り伏せる。
その間にいくつもの銃口が向けられた。
男はすいと目を細めて、『その血』に呼びかけた。
ざわりと背筋から何かが駆け上がり、神経が冴え渡っていく。
しかし、
――ガウゥン!!
銃が火を噴いた瞬間、土方は目の前に青が躍り出たのが分かった。
「っ」
「!!」
弾丸は女の肩へと命中した。
血が空に飛び散った。
その瞬間、男の中の餓えた化け物が紅に魅入った。
続けざまにもう一発が、女の腹部に。
その反動で華奢な身体が一瞬、傾ぐ。
次の瞬間、化け物から意識を奪い取ってその手を差し出した。
受け止めようとした。
「っ!」
それをダン、と地面を強く踏みしめて、は耐える。
そうしてすぐに、
「――」
無言で走った。
「な‥‥!?」
驚きの声を上げる敵兵はその音が断末魔となる。
鮮やかに喉を切り裂かれ、ごとりと倒れる頃にはもう一人の胸を深々と貫いていた。
衣が‥‥やけに重たそうに空を舞っていた。
彼女は黒い衣を身に纏っている。
その黒が‥‥べっとりと濡れていた。
汗ではない。
それは‥‥血だろう。
返り血か、
それとも、
彼女自身のものか。
「っ!」
土方は名を呼び、彼女の傍へと駆け寄った。
何を考えているんだこの馬鹿野郎!
人を庇って銃弾の前に飛び出す奴があるか!
と男が何かを口にするよりも前に、
「使わないで。」
琥珀の瞳がしっかりとこちらを見つめて、
「その力は使わないで――」
彼女は言った。
その強さに男は言葉を飲み込んだ。
彼が今、使おうとした力。
――羅刹のそれは使わないでと彼女は言った。
例えばそれが必要な力だとしても。
ここで切り抜けるためには必要なのだとしても。
出来ることならば使わないで欲しかった。
その脳裏に浮かぶのは、砂のように消えた‥‥仲間の姿。
骨も何も遺さず、
消えていった彼らの姿である。
そんな姿を見たくなかった。
彼に、消えて欲しくなかった。
彼に、
死んで欲しくなかった。
だからは言った。
「私が、戦う。」
彼の代わりに自分が戦う。
彼が力を使わなくていいように、
身体中の血が騒いでいる。
傷を癒すために皮膚の下を駆けめぐり、すぅっと傷口を塞いでいくのが分かった。
きっとこの身体がそうなのは。
自分が鬼なのは。
彼のためだ――
すぐに傷が癒えるのも、並はずれた戦闘力を持っているのも‥‥
彼のため。
「私が‥‥」
盾になり、剣になろう。
それが‥‥残された自分に出来る精一杯――
その瞳には、迷いがなかった。
彼女は、死を厭わない。
恐れない。
今までだって、これからだって、
彼女は死ぬことを躊躇ったりはしないのだろう。
必要であれば迷わず、
命を差し出し、その身を犠牲にするのだろう。
だけど‥‥
彼は恐れた。
「っ‥‥」
銃声が轟いた。
悲鳴が上がった。
そんな時に目の前に彼女がいないことが、酷く‥‥不安で、堪らなかった。

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