最初は、そりゃ、そいつのことをそんな風に思った事なんて無かった。
だってそいつは、オレよりも強くて。
オレの身長だって超しちまって。
オレを年下扱いして馬鹿にして。
女なのに、女らしさの欠片も無くて。
意地の悪い余裕の笑みを向けられる度に、絶対にオレはこんな可愛げのねえ女はごめんだって思ってた。
やっぱり好きになるなら守り甲斐のある、可愛い子がいいと思った。
そう、千鶴みたいに、さ。
本当に千鶴はそいつと違って女の子らしかった。
守ってあげたいと思うような女の子だった。
好きになるならそういう女の子が、良い。
そう思ってたのに。
気がつくとオレは自分が一番違うと思った女に惹かれていた。
オレよりも強くて、背がちょっとだけ高くて、
女らしくおなくて、可愛げのない、女に。
『へーちゃん』
とかって年上のオレを馬鹿にしたように呼ぶそいつを、さ。
藤堂さん、とまではいかないけどさ、せめて千鶴みたいに呼べねえのかな?
「平助君?」
そうそう、それそれ。
平助君って‥‥千鶴みたいに。
「もう、朝だよ?」
千鶴みたいに優しく揺すってオレを起こしたりとか。
「ほら、起きて。平助君。」
オレの耳に、届くその声は千鶴の声よりも少し低く、よく通った声。
え?
と瞼を押し上げて顔をそちらに向けるとやけに明るい光の中に飛び込んでくる金色。
そして、
深い琥珀。
それがオレを見下ろして、
「朝ご飯が出来ましたよ?」
優しい声音とは裏腹、口元がにんまりと引き上がった。
「へいすけくん。」
琥珀色には意地の悪い色が浮かんでいた。
「悪趣味だぞ!!人の寝言を盗み聞きするなんて!!」
「あれは不可抗力。
早く起きてこない平助が悪い。」
「だ、だからって何もあんなっ‥‥」
「あんな?」
言いかけた言葉をちろ、と意地の悪い琥珀色に見つめられて遮られた。
どこか色っぽさを感じるその瞳に怯むと、はにこりとその瞳を細めて笑って、
「お気に召しませんでした?
平助君ってやつ。」
「っ」
「それとも千鶴ちゃんじゃないと駄目、とか?」
「ばっ!?」
出したかった言葉は音にならず、ただ勢いよく空気がオレの口から漏れて、ついでに変な所に入って噎せる。
げほげほと噎せ返っているとは箸を止めて、だいじょうぶ?なんて、妙な声音で訊ねてきた。
「急いで食べたら身体に毒だよ、平助君。」
千鶴の真似のつもりなんだろう。
くそ、オレのせいだって分かってても、なんかむかつく。
オレが言いたかったのは千鶴がどうこう、じゃねえのに。
「平助。ほら。」
なおも咳き込んでいると、は声音を戻して水を差しだした。
困ったような苦笑。
でも浮かぶその瞳には労るような色があった。
オレは噎せたせいで浮かんだ涙を誤魔化すように瞑って、水を一気に流し込んだ。
そこで漸く、オレの呼吸は楽になる。
「‥‥死ぬかと思った。」
「え?喉に詰まって死ぬとか、笑えないんだけど。」
新選組元八番組組長が?とか茶化されて、オレは睨んだ。
睨まれてもどこ吹く風‥‥って感じだな。
まあ、新選組にいた頃だってあの土方さんに睨まれても怒鳴られても怯んだ様子はなかったし。
を怯ませられる相手なんてこの世にいねえんじゃねえのかな、と思う。
少しくらい怖がったりすればいいのに‥‥そうすれば少しくらい可愛げあると思うんだけど。
でも、が怖がる姿とか想像できねえな。
何かに怯えて、オレに縋るとか‥‥それはそれで怖え‥‥なんか、そのまま首でも締められそう。
「平助。」
じっとの方を見ながらそんな事を考えていると唐突に声を掛けられた。
思わず「なんだよ」って声が上擦ったのは、オレの考えている事を読まれたかと思ったからだ。
いくらでもそんな事出来るはずねえのに。
案の定、は怪訝そうな顔でオレを見ただけで、
「今晩、何食べたい?」
危惧している事と全く別の事を聞いてきた。
「からかったお詫びに好きなものを作ってあげるから。」
手早く椀を重ねながら言うに、オレはええとと考え込む。
「じゃあ、鯖の煮付け。」
昨夜貰ったのがあったなと思い出して言うと、はとびきり嬉しそうに笑った。
そういえば魚の煮付けはの大好物だと思い出した。
「分かった。腕に寄りを掛けて作る。」
は言って、くるっと背を向けてしまった。
あんまり広くない家だから、ここから勝手場がよく見える。
いそいそと茶碗を洗って、今から晩飯の用意をするそいつの後ろ姿が見えた。
は相変わらずオレを毎日からかってくる。
柔らかい日差しには相変わらず眠たくなる。
苦しいとは思わないのは、変若水の効力が薄まっているお陰なんだろう。
毎日、賑やかな朝が始まって、一日が終わる。
その中で、ふと、オレはなんでだろうと思った。
が、
ここに、
オレの傍にいるのは、なんでだろうって。
だって、には‥‥もっと大事な物があるはずなのに。
どうしてオレの傍になんかいてくれるんだろう‥‥って。
の一番大事なものは、近藤さんだった。
行き倒れていたを拾って、名前をくれて、愛情も注いでくれた人だから、って前に総司に聞いた。
次に大事なのは土方さんだって。
あの人は、近藤さんを守るために一番必要な事を教えてくれる人だから。
次が総司。最初に出来た友達だから。
次が左之さんと新八っつぁん。可愛がってくれた兄貴だから。
多分オレはその次か、次の次くらい。
上から考えれば割と下の方だ。
にとってのオレは‥‥多分弟分みたいなもんだと思う。言っとくけど、オレの方が年上だ。
でも、はなんでかオレを年下扱いする。あいつから一本が取れないからなのか‥‥そいつは悔しいけど、今でも
に敵う気がしない。副長の懐刀というのは伊達じゃない。
だからさ、なんでオレについてきたのか分からないんだよな。
確かに近藤さんが死んじゃって、の戦う理由ってのは無くなったのかもしれない。
でも、次に大事な土方さんとか総司とか、一君とかが残って戦ってたのに、
どうしてあいつは前線を退いたんだろう?
どうして戦うのを辞めたんだろう。
大事なものを放り投げてまで、オレについてきてくれたんだろう?
オレには、それが分からなかった。
味噌が無いから、買いに行ってくるというに、一人じゃ重たいだろうからとオレも付き合うことにした。
昼間だったからは大丈夫?と訊ねてきたけど、オレは平気だと答えた。
あの時と違って、少しずつ羅刹の血は薄れてきている。
昼間に歩いても苦しくはない。ただ、ちょっと眠いだけ。
それならば折角だからと味噌だけじゃなく、他に必要なものをあれこれと買うことになった。
あり合わせじゃなくて、久しぶりに食べたいものを作るとは意気込んで言う。
「じゃあ、オレも手伝う。」
「え?平助が?」
出来るの?と言いたげなに、オレは今回ばかりはいつもの仕返しだと切り返す。
「オレ、よりも野菜を切るのは上手いぜ?」
「‥‥誇れるのはそこだけかい?へーちゃん。」
仕返しのつもりが哀れみの目で見られて、ついでに頭をぽんぽんと撫でられた。
「だから!ガキ扱いすんなっ!!」
「ははは!それは平助が可愛いのがいけない!」
「か、可愛くねえよ!!
男に可愛いとか言うな!
つか、おまえは可愛くねえよな!!」
「え?やっぱり平助君とか呼んだ方がいい?」
「だから、それ忘れろ!!」
はあははと高らかに笑った。
楽しそうだ。
くそ、やっぱりこいつに「平助君」なんてごめんだ。
どう聞いてもからかわれているようにしか聞こえねえ。
「あ、待って平助。」
裾をちょいと引っ張られ、オレは一歩踏み出して止まった。
何かと思って振り返るとは店先に並べられた野菜を見ている。
大きな蕪やら色の綺麗な人参やらを見て、どれにしようかなぁ、なんて呟きながら吟味しているみたいだ。
「平助。味噌汁に入れるの大根と芋どっちがいい?」
「芋の方が腹が膨れるからそっちのがいい。」
「味より量か‥‥」
呟きにオレは慌てた。
いや、確かに、量食える方がいいんだけど、別にの味が嫌とかそう言うんじゃなく‥‥
ただ腹一杯食えた方がいいかなぁと思っただけで。
「、おまえの作る料理は美味いからな?」
慌ててそう言ったけど、は「うんありがとう」とか素っ気ない返事をしただけだ。
多分、オレの言葉なんて耳に入っちゃいないだと思う。
じっと山盛りの芋を見ながらしみじみと呟いた。
「確かに量食える方がいいよな。
でも、出来たら煮付けと一緒に大根も炊きたいし‥‥」
「‥‥」
「しかし、芋も捨てがたい。」
じゃあ両方買えば良いじゃん。
内心で突っ込んで、オレははぁと肩を落とした。
その溜息をかき消すように、隣にやってきた女の人が「これください」と言って山芋を買っていく。
えらく肉付きの良い山芋を二本ほど籠に入れて貰うと、それは彼女には重たかったらしい。
あ、と小さく呻いてよろける。
危ない。
と思って思わず咄嗟に手を出そうとすると、後からやってきたらしい男が支えた。
大丈夫か、とかなんとか言いながらその腕に抱き留められて、女の人はふわりと笑った。
見つめ合う視線から感じるのは、二人がいい仲なんだって事。
気遣うように荷物を受け取って、それじゃあ行こうかと手を伸ばせば、それに当たり前のように彼女は指を絡める。
しっかりと握って二人で顔を見合わせて、幸せそうに笑って。
オレは二人の背中を黙って見送った。
それから、
「‥‥」
振り返る。
「じゃあ、芋と大根と、おまけに蓮根お願い。」
漸く決めたらしいの声に、あいよ、とおっちゃんが景気よく返事をする。
あの二人みたいに並んで歩くオレと、。
でも、オレたちは、周りからは仲のいい友達、とかそんな風に見られてるんだろうな。
兄弟って言うには似てない。
だけど、さっき見た二人みたいにいい仲、とは思ってもらえない。
何故ならそいつは未だに男の格好をしていたからだ。
今でこそ刀を差してはいないけれど懐剣を忍ばせていて、男みたいに髪も高いところで括って、男物の着物を着ている。
化粧の一つもしなければ簪も差さず、
喋る口調だって男みたいで、
お世辞にも『女らしい』とは言えない。
そして何かがあると、はオレよりも先に走っていく。
オレを庇って前に出るんだ。
まあ‥‥オレがより強くないのは確かだけど‥‥なんか、それは男として釈然としないものがある。
もしかしたら。
とオレは思った。
が女の格好をしないのは、オレのせいじゃないのかな‥‥って。
オレが、もっと、よりも強かったらは女の格好に。
いや、女に戻るのかなって。
――他の女の子みたいに、
「‥‥」
視線を他へと向けると綺麗な着物に身を包んだ女の人や、
優しい顔で子供と手を繋ぐ母親や、
好きな男と嬉しそうに並んで歩く女の人みたいに、
なれるんじゃねえのかなって。
そう思ったら、の「女」としての可能性を潰してるのはオレなんじゃねえのかな?
「‥‥平助?」
躊躇うような声が掛けられる。
はっと我に返って振り返ると、買い終えたらしいがオレを見ていて、
「‥‥買い物、終わったけど。どうかした?」
と心配そうに訊ねられた。
オレは慌てて首を振る。
「なんでも‥‥」
答えた声が一瞬、震えた。
腹の奥でぐるっと嫌なものが渦巻いて、オレは無理矢理それを飲み込むようにして息を飲むと、なんでもねえよと笑った。
「‥‥なら‥‥いいんだけど‥‥」
そんなオレを見て、は何かに気付いたのかもしれない。
ただ、困ったように笑って、
「帰ろうか。」
と言った。
オレに何が出来るかなって思った。
が大事な物を放り出してまで、オレを守ろうとしてくれるというんなら。
オレはそれに対して何が出来るかなって。
近藤さんの代わりも土方さんの代わりにもなれない。
勿論、総司や左之さん、新八っつぁんや一君の代わりだって。
オレが出来る事なんて本当に限られていて‥‥それに羅刹になったオレには、出来る時間だって限られてる。
それでも何か出来たらいいと思った。
思いついたのは、せめて、
戦場から離れた今しか出来ない事だった。
だからオレはその日、
に初めて女物の着物をあげた――
最初は驚いていたは、
「いいから受け取ってくれ」
っていうオレの精一杯の照れ隠しの言葉に、戸惑いながら受け取ってくれた。
鮮やかな紅には白い花弁の染め抜き。
の肌は白いからきっと似合うだろうと思って決めたその色は、年頃の娘にしちゃ、ちょっとだけ艶やかかもしれない。
でも多分、
いや、きっと、似合う。
オレは確信していた。
「もらってくれるか?」
じっと着物を見つめるにもう一度問いかけると、そいつはオレを見て、一つ、確かに頷いた。
「ありがとう。」
心底嬉しそうな声に聞こえるのに、
にこりと笑うの眉が、微かに下がった気がして、オレは不思議で堪らなかった。
思えば、
オレはの事については分からないことだらけなんだと、今更のように気付いた。
翌朝。
鳥の囀りで目が覚める。
あれ?なんだかおかしいなと、ぼんやりと障子越しに感じる柔らかな光に違和感を覚えていると、そう言えばそいつが起
こしに来ないのに気付いた。
いつもは、オレをあれやこれやという手段で起こすっていうのに。
それも、オレが驚くような方法で。
例えば冷たい水で冷やした手拭いを首元や、足の裏に当てたり、とか、突然枕を抜いたり、とか。
昨日の朝なんかは別の意味で驚いた。おかげでオレはいつも飛び上がって目を覚ます事になって。
でも、今朝はない。
おかしい‥‥
「っ」
オレはなんとなく嫌な予感がして、布団をけっ飛ばして起きるとばたばたと勝手場まで走った。
「!!」
閉まった戸をがらっと一気に開けるとそこに、
「あっ」
紅の着物を着た、その人がいた。
「‥‥?」
一瞬、オレはそいつが誰か分からなくなったような気がして、声を掛けると、くるりと振り返ったそいつは、オレを見て
にこりと笑った。
「おはよう。」
オレが良く知ってる、琥珀を優しく細めて。
飴色の髪も頭の上じゃなくて肩口で纏めて、なんとなくいつもよりも柔らかい印象を覚える。
オレはなんだか、突然女になっちまったそいつにどきどきしちまって、視線を泳がせた。
「それ‥‥着てくれたんだ?」
嬉しさ半分、戸惑い半分でオレは告げる。
紅の着物は、やっぱり思ってた通り、に良く似合ってた。
赤から覗く首や手足がより一層、白さを強調させて‥‥本当には白いんだなと今更のように思う。
照れて視線を合わせられずにいると、は言った。
「ご飯、出来てるよ。」
それは格好と同じ、柔らかい口調だった。
ふわり、とかそんな表現が似合う、口調だった。
多分、女の子はそうやって喋るんだと思う。
でも、
「‥‥え‥‥」
それはの喋り方じゃなかった。
オレは驚いてもう一度そいつを見た。
飴色の柔らかい髪も、綺麗に澄んだ琥珀の瞳も。
のものだった。
でも、
「どうかした?」
小首を捻る動作にオレは違和感を覚える。
は、そんな風にオレに聞き返したりしない。
「もしかして、寝ぼけてるの?」
くすくすと手を口元に当てて笑いを忍ばせる。
はそんな風には、笑わない。
嫌なものを全部吹き飛ばすように、気持ちよさそうに笑う。
「‥‥おまえ‥‥」
「ほら、早くご飯食べちゃおうよ。」
「‥‥なんで‥‥」
なんで?と問いかけたオレに、は目をそっと大きく開いて、なに?と訊ねてきた。
「平助君?」
今更のように思い出した。
今、目の前にいるそいつは‥‥千鶴に似ていた。
いや、実際は千鶴とは全然姿形が似ていないんだけど‥‥
そいつは、千鶴だった。
千鶴を‥‥演じていた。
「‥‥ちがう‥‥」
オレが望んだ事はそんな事じゃねえ。
オレが望んだ事は‥‥に千鶴の真似をさせることじゃなくて。
に、
もっと、
自由になってほしくて。
「‥‥‥ごめん。」
悔しくて哀しくて、俯いて唇を噛むオレに、は声音を戻して、謝った。
は俯いたまま、ごめんともう一度謝って、言った。
「私じゃやっぱり、千鶴ちゃんの代わりにはなれない。」
オレは、そんな事望んでねぇよ。

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