青白い月光にやけに紅が映えて見えた。
彼の着物を、
顔を、
染める紅がやけに鮮やかに‥‥
着物の柄というにはあまりに無秩序で、美しくない赤。
鼻につくにおいが神経を逆なでする。
それよりも彼女の気に障ったのは‥‥血の池の中に倒れている男の姿だった。
既に事切れている男の顔には見覚えがあった。
殿内義雄――
鵜殿より浪士組の取締役を命ぜられた男の変わり果てた姿である。
彼は殺されていた。
間違いなく‥‥今目の前にいる、彼の手によって‥‥
「‥‥やあ、。一足遅かったね。」
沖田はにこりといつもとなんら変わらない笑みを浮かべてみせる。
彼は言った。
「殿内は僕が殺しちゃったよ。」
残念だったねと言う彼は、子供のように無邪気だった。
――この後に起こるだろう『なにか』にも気付かずに――
無邪気に笑った。
「すいません。
私の落ち度です。」
重々しい空気を纏う室内には近藤、土方、山南の姿がある。
は彼らの前で畳に額がつくほどに平伏し、謝罪の言葉を口にした。
「私が‥‥総司から目を離したせいで、こんなことに‥‥」
「いや、悪いのはじゃないだろう。」
落ち込んだ顔ではあったが、近藤は優しくに声を掛ける。
隣でそうですよと穏やかに山南が続けた。
「君にあれこれと仕事を頼んでいたのは我々です。
沖田君が殿内を斬ったのは君だけのせいじゃありません。」
だから、顔を上げてください、と言われてもは顔を上げなかった。
ただじっと畳を睨み付けるようにして見たまま、唇を噛んでいた。
そんな態度に近藤と山南は顔を見合わせ、その横で難しい顔で腕組みしていた土方が舌打ちと共にやや乱暴に畳を踏みつけながら彼女の頭をがしと掴む。
「てめえのせいじゃねえって言ってんだろうが。
いいから、顔上げろ。」
ぐしゃぐしゃと髪の毛を掻き回すその手は‥‥撫でているつもりなのだろう。
見る見るうちに髪が乱れていくのに気付き、それくらいで、と山南に窘められて彼は手を引いた。
「おまえがすぐに見つけてくれたお陰で騒ぎにならずに済んだんだ。」
それに、と彼は腕を組み直しそっぽを向きながらぽつりと呟く。
「総司に怪我がなかったんだ‥‥それだけで十分だろ。」
殿内に反撃をされていたら、いや、それだけじゃなく不逞浪士と遭遇でもしてしまったら、
彼は怪我を負っていたかも知れない。
最悪、死んでいたかも知れない。
あそこに横たわっていたのは殿内ではなく、沖田だったかも知れない。
私闘は厳禁――という隊規違反には変わりないのだけど、それでもその前に彼が死ななかっただけましと言えるだろう。
有り難い事に芹沢は沖田に腹を詰めろとは言わなかった。
『不穏分子を一つ潰したのだから隊規違反にはならないだろう』と笑っただけで。
しかし、その例外を一つ作った事により彼らが作った局中法度というのは脆い存在になり、同時に芹沢にまた大きな借りを作ったことにもなる。
忌々しい事だ。
「‥‥それで、これからどうしますか?」
山南が難しい顔で訊ねる。
どうする‥‥というのは恐らく『彼の処遇』についてなのだろう。
は漸く顔を上げた。
唇を引き結び、土方の言葉を待っている。
表情こそは無表情に近しいが‥‥瞳は切望するようなそれを浮かべていた。
『殺さないで』
は訴えていた。
それは彼とて同じ事だ。
弟のような存在である沖田を、死なせたいわけがない。
だけど、そう簡単に彼を許してはいけないのだ。
沖田は‥‥規律を破ったのだから。
彼は分かっているだろうか?
自分の行動で、大切な彼らを‥‥苦しめていることに。
「なに、しにきたの?」
刺々しい声が聞こえる。
は丸まった背中をじっと見ながらやはり機嫌が悪いな、と心の中で呟いた。
沖田は部屋にいろと言われたのに部屋にいなかった。
彼は壬生寺の一角でうずくまっていた。
こちらに背を向け、まるで子供が親に見つかって叱られないように隠れるかのように、大きな図体を小さく丸めていた。
「僕を‥‥叱りに来たの?」
不機嫌さを隠す気はさらさらないようである。
「それなら土方さんから嫌って言うほどお説教をされたから、今はやめてくれない?」
いささか八つ当たりとも思える不機嫌ぶりにはため息を零した。
「別に‥‥叱りに来たわけじゃない。」
「じゃあ‥‥僕を見張りに?」
はっと、吐き捨てるように彼は笑った。
「安心しなよ。もう勝手に抜け出さない。」
「‥‥部屋から抜け出してこんな所にいるのに?」
「、僕の揚げ足を取りに来たの?」
彼が纏う空気が一弾と張り詰める。
それこそ今にも傍らに置いてある真剣を抜きそうなほど、殺気立った。
ひょいと、は肩を竦めて口を噤んだ。
黙って、ただその後ろ姿を見つめる。
沖田もしばらく、黙ったまま地面を見つめていた。
「‥‥ねえ、。」
暫く、じっと、風のうなり声だけを聞いていた沖田は小さく言葉を零した。
その声はひどく弱々しかった。
「僕は、どうなるのかな?」
声には、怯えにも似た色を滲ませている。
いや、彼は怯えていた。
人を殺した恐怖によって‥‥ではない。
いや、もしかしたらそれも少しはあるのかもしれない。
彼は初めて人を殺めた。どれほど強靱な精神の持ち主であっても、最初の一度は‥‥やはりこたえるというものだ。
でもそれよりももっと、彼には恐ろしいものがあった。
「僕は‥‥近藤さんの傍に、いられないのかな?」
彼は、それを恐れていた。
勝手に隊士を殺した事により、彼から疎まれ、嫌われ、遠ざけられるのではないかということ。
そんな彼が‥‥は哀れで悲しかった。
人を殺めたという罪よりも、彼から嫌われることを恐れるというのだ。
彼にとって人の命よりも近藤からどう思われるかというのが重いというのだ。
明らかに‥‥沖田の中では何かが狂っている。
それを感じた。
それは人を殺す前からなのか、殺した後だからなのか分からない。
ただ、彼はどこか、人とずれて歪んでしまっているところがあるのだ。
それが‥‥ひどく、哀しかった。
とて人の事は言えないのかもしれないけれど。
「‥‥総司。」
は静かに一歩を踏み出す。
沖田はもう彼女を威嚇したりなどしなかった。
まるで彼女が近づいている事にさえ気付かないかというように、無防備だった。
真後ろまで迫る。
それでも沖田は動かない。
ただ、身体を微かに震わせていた。
彼は怯えていた。怯えていた。
まるで、親に叱られるのを恐れる子供のように‥‥
「大丈夫だよ。」
はその身体を抱きしめてやる。
あやすように、優しく背中を抱くと大きな背中は一層小刻みに震えだした。
「近藤さんは‥‥お前を疎んだりしないよ。」
「でもっ、僕はっ」
「大丈夫。」
もう一度強く、言い聞かせるように口にして、泣いている子供を落ち着かせるようにとんとん、と背中を叩く。
沖田は一瞬だけ強く震え、その手を自分よりも小さな背中に伸ばして、強く抱きしめてきた。
まるで、そのまま骨を砕いてしまいそうなほどの強さだった。
は嫌がらなかった。
ただ、その背中を抱いて、大丈夫、とまじないのように何度も唱えた。
彼の震えが止まるまでずっと。大丈夫と言い続けた。
なにが、だいじょうぶなんだろう?
その背中を抱きしめながら、はぼんやりと思った。
彼の心はきっと、どこかでおかしくなってきている。
彼自身も気付かないほど、歪んで、壊れてしまっているかもしれない。
そんな彼の一体どこが、大丈夫なんだろう?
はぼんやりと、何も知らずに平和そうに空に浮かんでいる月を見上げて‥‥そんな事を思った。
ずれた歯車 まわるまわる
リクエスト『殿内を殺した後の沖田と』
どう絡めようかと思ってたんですが、ゲームをし
ながら沖田はどっか少しずつずれてっちゃったん
だろうな、と思って、こういう作品が出来上がり
ました。
彼は純粋なんですよ。でも、純粋だからこそ‥‥
彼の中で人を殺めて壊れた部分っていうものがあ
ったと思う。
それは近藤の為に嘘をつき続けると決めて泣いた
あの姿から感じ取った事かもしれない。
そしてその壊れだした彼をはどうすればいいの
かと悩むんですよ。
でも結局何も出来ず、それなら彼の思うままにさ
せてあげるべきだ、とね。
そして彼女も‥‥どっか壊れてる人間なんです。
そんな感じで書かせていただきました♪
リクエストありがとうございました!
2011.4.9 三剣 蛍
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