男は部屋にやってくるなり、突然頭を下げた。

  「すまなかった!」

  勢いよく下げられた頭が畳みすれすれまで垂らされている。
  そしてそれにふわふわと白が追いついてきた。

  「‥‥もしかして‥‥あの夜のこと?」

  引きつったようなの言葉に、彼は黙した。
  それが、
  答え――



  彼は酒を飲むと記憶を失う質であった。
  とはいっても酒には滅法強いため、そうそうそんな失態を犯すことはない。
  また常と同じような言動を取るので大抵の人は気付かないが、翌日話を聞いてみるとすっかりと酒を飲んだ後のことを忘
  れているということが何度かあった。
  そんな彼があの夜のことを言い出したのは‥‥仲間に問いただしたからだ。
  彼女の明らかにおかしい態度に、あの夜何かあったのではないかと。

  覚えていた者はなんとも複雑な顔をして、揃って口ごもる。

  最終的にその口を割ったのは沖田だった。

  あの夜――酔っぱらった皆でを辱めたのだ――と。

  それを聞いた瞬間、男はざぁっと血の気が一気に引いていったのを覚えている。
  言葉でなんとなく‥‥彼は曖昧に残っていた記憶の断片がばちりと一つの形になったのだ。
  微細覚えているわけではない。
  ただ、
  自分が彼女に何をしたのか‥‥というのを朧気に思い出した。

  そうするといてもたってもいられなくなって、

  「すまなかった!!」

  彼はここへ来た。

  とにかく、謝りたかった。
  酔っていた自分を、激しく呪った。
  記憶を無くした事も‥‥それよりなにより、彼女を、傷つけたことを。

  「い‥‥いやもう、済んだ事だし。」

  改めて謝られるとどう返したらいいものか迷う。
  あの夜のことは本当に腹が立つし、恥ずかしかったが‥‥もう済んでしまった事だ。
  今更、何を言っても無駄なのである。

  「一が悪いと思ってくれるならそれでいいよ。」

  それより、二度とあんなことを繰り返さない方が‥‥にとっては重要なのだ。

  とこう言うに、斎藤はそれでは気が済まぬと言う風に頭を振った。
  そうして顔を上げると真っ直ぐに彼女を見て、

  「腹を詰める。」

  と言い出す。

  それは冗談ではなかった。
  座したまま徐に刀を腰から外し、着物から両腕を抜いて脱ぎさると襦袢の袷を大きく開いた。
  そうして、

  「‥‥介錯を‥‥」

  脇差しを抜いて己の腹に突き立てようとする。

  「ちょっと待ったぁああ!」

  は絶叫し、慌てて男の手を取った。

  「こ、こんな事くらいで腹を詰めるな!」
  「こんな事とはなんだ!
  無理矢理女を手込めにするなど士道に背いたも同然だ!」
  「そりゃそうだけど‥‥でも、まず落ち着けっての!」
  「止めてくれるな
  俺には腹を詰める義務がある‥‥」

  ぐっと強く男が腕を引くとその切っ先が白い腹に触れた。
  ぎゃあとの口から悲鳴が上がり、

  「私は惚れた男に抱かれて嬉しいと思ったんだからそれでいいだろうが!!」

  「‥‥‥は‥‥?」

  次いでの口から飛び出した言葉に、その手がぴたりと止まった。

  斎藤はらしくもなく目をまん丸く見開いて彼女を見ている。
  彼の暴走が止まった事をほっとしたのもつかの間、

  「‥‥‥あ‥‥」

  は自分の失言に気付いて、間抜けな声を上げた。

  ――惚れた男に抱かれて嬉しいと思った――

  それって‥‥

  「‥‥‥」

  口を手で覆い視線を逸らすにまさか、と斎藤は口を開く。

  「あの中におまえの惚れた男がいたというのか?」
  「‥‥‥‥‥」

  は半眼で男を睨んだ。

  斎藤は先ほどよりも一層険しい顔で、俺はなんてことをとぶつぶつ呟いている。

  彼女が好いた男の前で、自分は無理矢理犯したというのだろうか。
  その時の彼女の絶望はいかばかりだったろう?
  これはもうやはり腹を詰めて詫びなければならない。

  「ちょっと待て、一。」
  「止めるな、俺には義務が‥‥」
  「だから待て、落ち着いて話を聞け。」

  はーっと盛大な溜息を吐かれ、べちんっとその頬を叩かれる。
  叩かれたのではなく両手で頬を挟まれたのだ。

  そして、視線をがっちりと合わされ、固定される。

  「いいか?
  あの夜、私は確かに酔っ払いにいいようにされた。」
  それは心に多少なりとも傷を残したのは確かだ。
  「でもな、
  私はちゃんと惚れた男にも抱いて貰えた。それは嬉しかったんだ。」
  「‥‥‥‥だから‥‥俺は腹を詰めると‥‥」
  その責任を取ると言っているのだという言葉を、聞け、と言う言葉で遮られた。

  「‥‥‥‥‥私が惚れた男ってのは‥‥おまえだよ。」

  告白にびくんっとその肩が震える。
  いつもの冷静な彼らしくなく、見開かれた瞳がなんだか幼く感じた。
  可愛い‥‥と言うと彼はやはり男だから怒るだろうか。

  はくすっと笑いを漏らして、そういうこと、と告げた。

  「だから、おまえが気に病む必要はないってこと。」
  分かったなと言う問いかけに、彼はこくこくと言葉もなく頷いた。
  本当に分かっているのか微妙に不安な所だが‥‥とりあえず刃を収めてくれたので分かってくれていると思う。

  「さて、これで万事解決ってことで‥‥」

  それじゃ、まあ仕事でも再会するかなと言って手を引く。
  すると、今度は、

  「おわ!?」

  彼に腕を引かれた。
  意外にも強い力で。

  どさりと力ずくで引き寄せられた身体は斎藤の膝の上に乗っかる形となる。
  布越しに触れる女の熱と、柔らかさに、頭がぼうっとした。

  「は‥‥一?」

  驚きの表情でこちらを見下ろす彼女を、斎藤はじっと見つめた。

  「その‥‥あまり覚えていなくて‥‥だな‥‥」
  「‥‥な、なに‥‥?」

  躊躇いがちに見上げられ、はどきりとした。
  冷めた青に、熱が灯っていた。

  彼女は自分を好きだと言ってくれた。
  それは‥‥斎藤とて、
  同じ事。

  「もう一度‥‥いいだろうか?」

  熱く、求めるような眼差しに‥‥彼の想いを知る。

  彼が、自分を‥‥同じように好いているのだと。

  言葉ではなく、その眼差しで、告げられる。

  ――駄目――

  などと言えるわけがなかった。

  そんな必死に求められて、駄目だなんて言えるわけが。

  だからは苦笑を漏らして、言った。

  「‥‥今度は‥‥ちゃんと覚えてよ。」

  甘えるように、
  初めての口づけを交わした。


  
酔っ払いのその後斎藤編



  その後の話。
  一君は真っ青な顔で謝りに行くにきまってる。