「あれ?は?」

  寝ぼけ眼を擦りながら藤堂が集まっていない唯一の幹部の名を口にする。
  普段は誰よりも早く広間に集まって、寝ぼけ眼の藤堂らを「おはよう」と苦笑で迎えてくれるというのに‥‥

  「もしかして、まだ戻ってきてねえのか?」

  心配そうに顔を顰める原田に、否、と答えたのは斎藤だった。

  「明け方には戻っていたはずだ。」

  夜の巡察だった彼が戻ってきた時、丁度戻ってきた彼女と鉢合わせをした、と彼は言う。

  「それから新たに仕事を言いつけられてなければ、眠ってるんだろうね。」

  沖田は言いながら、ちらりと彼女を夜遅くまで走り回らせていた張本人を見遣る。

  「何も言いつけてねえよ。
  部屋で寝とけって言っておいた。」

  その視線を鬱陶しげに受け流して土方は溜息交じりに答えた。

  寝ておけ‥‥とは言ったが、果たして彼女が素直に従ったか‥‥というのは甚だ疑問である。

  「では、誰かが起こしに行った方がいいかもしれませんね。」

  でなければ彼女の料理はあの二人に奪われかねない、と山南がにっこりと笑って進言する。
  因みに「あの二人」というのは藤堂と永倉である。
  早速主のいない膳から何を拝借しようか考えているようだ。

  「それじゃあ、俺がを起こしてこよう。」

  朗らかに笑い、近藤が腰を上げかけた。
  それを、

  「近藤さん‥‥いいですよ。」

  遮ったのは沖田だった。

  「僕が起こしてきます。」

  彼女を起こすのは慣れっこだと、沖田は笑った。



  の部屋は沖田の隣にある。
  声さえ聞こえないが、彼女が部屋の中にいるのは気配で分かる。
  とん、の桟を外から軽く叩き、
  「?起きてる?」
  と声を掛けてみた。
  返事は‥‥ない。
  これは想定済だ。
  「入るからね。」
  と一言断りを入れて、襖を静かに開く。
  殺風景な部屋の中央、布団の中に小さな山が出来ているのが見えた。
  彼女にしては珍しく、着物を脱ぎ散らかしていた。
  「‥‥?」
  もう一度声を掛けてみる。
  やはり、返事はなかった。
  沖田は溜息を一つ吐き、遠慮なく部屋へと一歩踏み込んだ。

  そうして布団の傍までやってくると、どっかと腰を下ろして彼女の顔を覗き込んだ。

  「―」

  飴色の髪の毛がぐしゃぐしゃに乱れて顔がどこにあるのか分からない。

  「‥‥んっ」

  その髪をそっと梳き上げ、顔を発掘すると漸くが寝ぼけた声を上げた。

  「‥‥ぁ、そ、ぅじ?」

  髪の隙間からの琥珀色の瞳が覗いた。
  寝起きのせいか、その琥珀にはいつもの凛とした強さはない。
  なんだか無防備であどけない印象さえ与えるそれは‥‥年相応に見える。

  「おはよう、朝だよ。」
  「‥‥あー、そっかぁ‥‥」

  朝か、と寝ぼけた声では言う。
  それから眉根を寄せて、難しい顔をしてから、

  「‥‥あと、もう少しだけ寝てちゃ‥‥だめぇ‥‥?」

  などとどこか甘えたような声で聞かれた。

  なるほど、今日は本当に疲れているらしい。
  どれだけ遅くに戻ってきても、寝る時間が例え短くても、決められた時間には必ず起きて、皆と食事をとっていた。
  皆同じ状況だというのに自分だけが甘えるわけにはいかない、という彼女なりのけじめなのだろう。
  実際は皆同じではなく、明らかには働き過ぎである。
  だから少しくらい気を抜いた所で誰も咎めたりなどしない。

  「‥‥ほんと、少しで良いから。」

  本当に、頑固というか‥‥自分に厳しい人である。

  沖田はそっと目元を緩めて、の髪を優しく梳き始めた。
  柔らかく頭皮を撫でられ、心地よさにどうにか追いやろうとしている睡魔が無理矢理にでも深い眠りに引きずり込もうと
  してくる。

  「そーじ‥‥それ、やめろ‥‥」
  「どうして?気持ちいいんじゃないの?」
  「いいから‥‥やめろ‥‥」

  力無く伸びた手が彼の手に届く‥‥前に、もう片方の手に絡め取られた。

  そうしてきゅっと大きな手に包み込まれて、更に心地よさと安心感でとろんと瞼が落ちてきた。

  「だめ‥‥眠く‥‥なる‥‥」
  「いいよ‥‥」

  これが別の人物ならば‥‥
  「甘えないでよ」
  と沖田は冷たく突き放した所だろう。
  もしくは寝坊しまくって、鬼の副長に怒られればいいと思ったかも知れない。
  でも、相手がならば別だ。

  「眠って。」
  沖田は声を潜めて、まるで囁くように告げる。
  耳に心地良いその音に脳髄までが麻痺してしまいそうだ。
  だめ、とはもう一度言った。
  だけど、沖田は聞く耳を持たず、頭を優しくなで続ける。

  「も‥‥総司‥‥あっちいって‥‥」

  それならば、この心地よい手を離してしまおうとはごろんと寝返りを打とうとした。
  しようとしたけれど、身体は思ったよりも疲れていたらしく、指先一つ動かすので精一杯だ。

  「‥‥なんで?僕がここにいたら眠れない?」
  「そぉいうんじゃ‥‥なく‥‥」
  はあーもーとよく分からない声を上げる。
  本気で睡魔に負けそうだった。

  「‥‥しらない、ぞ‥‥」
  食いっぱぐれても、と彼女は呻くようにどうにか言葉を紡ぐ。
  今頃藤堂や永倉が、と沖田の朝飯を狙っているに違いない。
  自分のは自分が起きれなかったせいだけど、それに付き合って彼まで食いっぱぐれてしまっては大変だ。

  だから‥‥もう戻れと言うのに。

  「いいよ‥‥」

  沖田はいつもよりもずっと優しい声で言う。

  朝飯を食いっぱぐれたって構わない。
  もし、鬼の副長に叱られるというのならば一緒に叱られてあげてもいい。

  甘えるならば甘えてくれていい。
  もっといっぱい。
  自分が甘えた分、彼女も甘えてくれればいい。

  「後でちゃぁんとご飯は調達してくるから。」
  勿論、彼女の分も。

  ――だから、もう何も気にしないで――

  「今は、おやすみ。」

  僕に、甘えて――

  そう言って、殊更優しく髪を撫でられた。

  もうそれが限界で‥‥

  「甘やかすなよ‥‥ばぁか‥‥」

  この状況には不似合いなかわいげのない言葉と、それとは逆に甘えるようにはきゅと重ねた大きな手を一度強く握り、

  「でも、ありがと‥‥」

  すう、と穏やかな寝息を漏らすのだった。



優しい手



二人はいいこんな感じでお互いに許し合うといい。