店の外に飛び出した時には時計の針は23時を越えていた。
  都内つっても都心部から離れているから、終電なんてとっくに終わってて‥‥俺たちは歩いて帰る事になった。
  多分、
  電車が走ってる時間でも俺はきっと、こうして歩いたんだろう。
  だってその方が長くいられるから。
  長く、
  そいつと手を繋いでいられるから。

  「‥‥」

  俺もも、ただひたすら黙って歩き続けていた。
  引っ張られるような形になるがどうしているのか分からない。
  俯いているのか、それとも、俺を見ているのか。
  俺は俯いていた。
  足下のアスファルトをじっと見つめながら、静かな通りを黙って歩いた。
  の酔いはもう覚めているらしい。
  足取りも、しっかりとしていた。

  ふいに、

  「ごめんなさい。」

  が音を紡ぐ。
  謝られて俺は立ち止まった。
  謝られる理由が見つからなかった。

  「‥‥」
  振り返るとは思った通り、俯いていて、
  「‥‥ごめんなさい。」
  振り返った気配を感じたんだろう。
  はもう一度、ごめんなさいと紡いだ。
  「なんで‥‥謝るんだ?」
  俺は思わず苦笑を漏らす。
  「おまえは何も悪い事なんてしてねえのに。」
  むしろ、謝るべきはこっちの方だってのに。
  そう告げるとはふるっと首を振った。
  「だって、今日、迷惑、かけたから。」
  「‥‥小野寺のこと?」
  「うん。」
  こくっと小さく頷く。
  乱れた飴色がふわりと揺れた。
  彼女の顔が見たくて、手を伸ばしたい衝動に駆られる。
  でも、俺はそれを手を握りしめる事で堪えて、ひとつ、溜息を落とした。
  「俺は‥‥迷惑を掛けられたなんて思っちゃいねえ。」
  「でも。」
  「むしろ、おまえを助けられて良かったと思ってる。」
  「‥‥‥」
  彼女の言い分を遮るように言葉を続けた。
  瞬間、その細い肩が微かに揺れる。
  相変わらず俯いているから‥‥その表情は分からないけどきっと、悔しそうな顔をしてるんだと思う。
  そう、俺が言う事での罪はなくなった。俺は本当にに罪があるなんて思っちゃいねえけど、そいつは、そうして
  俺一人に罪をなすりつける事が悔しくて堪らないんだろう。
  俺はそれでいいと思う。
  全部俺のせいにして、全てを俺にぶつけてくれた方が、いいと思った。

  「‥‥俺の方こそ。」
  じゃりと地面を踏みしめて振り返る。
  身体をしっかりとへと向けて、ちゃんと彼女と向かい合うと、俺は一月も待たせた言葉を口にした。
  「悪かった。」
  「‥‥‥」
  の肩がもう一度、ぴくりと跳ねた。
  見る見るうちに彼女を纏う空気が張りつめていく。
  でも、手を振りほどかなかったから、俺は続けた。
  「あの日、俺はおまえの気持ちも確かめずに自分勝手に抱いた。」
  自分勝手に、気持ちを押しつけた。
  「ちゃんと‥‥理由も説明せずに、俺はただ、逃げるみてえに近藤先生に後を押しつけた。」
  自分だけ満足して、
  ただ俺は失う事を恐れて逃げた。
  俺の勝手な気持ちを、そいつに押しつけて、今の今まで逃げ続けた。
  「‥‥本当に、悪かった。」
  ごめん、と頭を下げる。
  あの日の事を取り返す事は出来ねえ。
  無かった事には出来ねえ。
  謝った所でが俺に傷を付けられた事は変わらねえ。
  でも、どうしても俺は謝りたかった。
  許されたいと思ったわけじゃねえ。でも、ちゃんと謝って向き合いたかった。
  自分の犯した罪に、自分の気持ちに、それから、の気持ちに。

  「‥‥原田君だけが、悪いわけじゃない。」

  そんな俺には小さな声で告げる。
  え?と顔を上げると、は俺を見ていたらしく、ばちりと目が合った。
  苦しそうな顔をしていて、でも目が合うとふいっと逸らされた。
  は横を向いたまま、私だって、と続けた。
  「私だって、君を拒まなかった。」
  「‥‥」
  「嫌だったなら嫌だって拒めば良かったのに、私は流された。
  どっちが悪いかって言われたら私の方が悪いと思う。」
  はそこまで言って、何かを誤魔化すみたいにふっと笑った。
  「確かに、そりゃ、驚いたけどね。」
  「‥‥」
  「でも、二人とも結局悪いって事なら、お互い様って事でいいんじゃないかな、と思うんだ。」
  とそう言って今度こちらを向いた彼女は、なんだか貼り付けたみたいな笑みを浮かべていた。
  笑顔の仮面でも貼り付けてます、みてえな無理な笑顔で‥‥俺はじくっと胸が痛んだ。
  そんな顔で俺に向かい合わなきゃならねえほど、そいつを傷つけたのかと思うと今すぐ死んでやりたい気分だった。
  んなことしたってそいつの気が済むわけじゃねえのに。

  「っ」

  俺は奥歯を噛みしめる。
  拳を握りしめて、己の軽率さを呪った。
  好きで好きで堪らねえ相手だったのに。
  俺はなんて馬鹿な事をしたんだろうかと、自分を呪った。

  はそんな俺を見上げて、困ったような顔で笑って、

  「だから、私は大丈夫だからさ。
  もう、気にしなくて良いよ?」
  と言う。
  大丈夫だなんて顔してねえくせに、そいつは言って笑ってくれる。
  いっそ、詰ってくれりゃいいのに。
  ひどいとか、最低とか、消えろとか、
  罵倒してくれれば良かったのに。
  全部てめえの中に押し込んで、そんな無理な顔して笑うくらいなら‥‥ぶつけてくれりゃいいのに。

  「‥‥」
  俺は答えずに頭を振るしかできなかった。
  出来ねえと、そんなこと出来ねえと意思表示をするしかなかった。
  そうすることでを困らせる事は分かっていた。でも、俺だけ知らんぷりをするわけにはいかなかった。
  そいつがこんなに傷ついてるのに、俺一人許されるわけにはいかなかった。

  でも、とはますます困ったような顔をして、それからすぐに明るい笑みを浮かべた。
  暗い空気を吹き飛ばすように、わざとらしく声の調子を上げる。
  「ほんとにもう良いってば。
  っていうか、私なんかに構ってる暇ないでしょ?」
  そしてこの話は終わり、とばかりに歩き出す。
  でも、俺は止まったまま、その手を強く引いた。
  は振り返らずに、だからぁとおどけたように告げる。
  「私なんかに構ってたら本命の子、逃げちゃうでしょー?」
  この手を離したらそれこそ俺の恋が終わる。
  本命はおまえだと叫びたかった。
  だけど、まったく俺を意識もしていないような声に、喉の奥で言葉が張り付いたかのように出てこない。
  嫌な音が漏れただけだった。
  情けねえ、ほんとうに情けねえよと俺は自分を罵った。
  が罵ってくれない分、自分で。

  「‥‥ほんと‥‥原田君。もういいから。」

  手を離さない俺に、の声が少し低くなる。
  怒りを押し殺すような声に、完璧に嫌われたと思ったけれど、手を離す事は出来なかった。
  はそんな俺に、小さく息を飲んで、こう、叫んだ。

  「私のせいで君の恋を終わらせたくないからっ!!」

  悲痛ささえ感じるその声に、
  俺は腹の底から叫んだ。
  喉の奥に張り付いていた声は、押し出されるように唇から吐き出された。

  「この手を離したら全て終わっちまうんだよ!!」

  静かな夜空に、声が抜けて、消えた。