「なに‥‥してんですか‥‥?」
勝手場に入った瞬間、飛び込んできた光景には驚きのあまり乾いた声を漏らした。
隣を歩いていた千鶴においては驚きのあまりに言葉さえ出ないらしい。
まるで恐ろしい物にでも出くわしたような反応に男は忌々しげに顔を顰めてみせる。
「なんだよ、ここに俺がいちゃまずいのかよ。」
いや、まずくはない。
彼がどんな所にいようが‥‥彼の勝手‥‥ではあるのだが‥‥
「‥‥ひ、土方さんが‥‥料理?」
している事に問題がある。
何故ならば彼は副長で‥‥実質新選組を指揮しているのは彼で‥‥
そんな男が勝手場で、料理をしている‥‥なんて。
「恐ろしい!
‥‥間違えた!恐れ多い!!」
「てめえ、今わざと間違えただろ!!」
の言葉に土方は不満げに声を上げる。
いや、これは軽い冗談だ。
不機嫌になりそのままぽいっと放り投げてしまいそうな彼をは宥めるように笑った。
「いやだって‥‥土方さんが料理、なんてすっごい久しぶりじゃないですか。」
試衛館にいたころは珍しくもなかったけれど、新選組の副長となってからはまったくといっていいほど彼が勝手場に立っ
たことはなかった。
仕方ないだろうと彼は顔を顰めて言う。
「俺以外の奴は全員出払ってんだ。」
そう、彼以外の幹部は祭の警護に駆り出されていた。
因みに土方は一人で留守番‥‥である。
仕事が山のように残っていたからだ。
食いっぱぐれた冷え切った朝ご飯を夕方にぱくついて、それで男は腹が膨れたのだが‥‥
屯所にはと千鶴が残っていたのである。
そして彼女らは土方に用事を言いつけられてあちこちお使いに出掛けていた。
帰ってきたらもう夕飯の時間で‥‥急いで勝手場に戻ってみればこの状況だったのである。
「私たちのために、ですか?」
千鶴の驚いたような声に土方はふいっとそっぽを向く。
「違う、俺が食いてえから作った‥‥」
それだけだ‥‥という素直じゃない言葉には小さく笑みを漏らした。
「じゃあ、私もお手伝いしますよ。」
言って荷物を下ろすとすたすたと土方の隣へとやってくる。
煮立った鍋の中を覗き込むと自分よりもずっと丁寧に切られた具材が踊っていた。
「お味噌は入れました?」
「いや、今から。」
男は言うと味噌を手に取る。
その前にが待ってと声を掛けた。
「お味噌、ちょっと少な目でお願いします。」
「ああ?なんで‥‥」
土方は怪訝そうに眉を寄せた。
「お味噌の予備、買ってないんですよ。」
「まだこんなに残ってるじゃねえか。」
どっさりと残っているそれを指させばは首を振った。
「そのお味噌暫く入荷しないって言われたんです。」
数日前。
大捕物があった。
薩長に手を貸している連中を一掃したのだが、その中に、味噌を買い付けている店に荷を卸す連中がいたのだとは
言った。
そのお陰で仕入れが困難になり、味噌も暫く入荷しない‥‥とそう言われたのだと。
「味噌が入荷するまで味噌汁なし‥‥とか、味噌の入ってない味噌汁‥‥なんて事になったら困るでしょ?」
だから今の内からけちけちしておかないと‥‥と言われては土方も逆らうわけにはいかない。
「仕方ねぇな。」
彼は小さく呟いて、味噌を少な目に取ると汁の中に滑り込ませた。
「因みにお塩もですからね。」
「分かってるよ‥‥」
早く仕入れが再開するよう、こちらも何か手を打たなければなるまいなと土方は内心で呟いた。
広間に二つだけ膳が並ぶ。
いつもは大人数で賑やか‥‥いや、うるさく食べている毎日だが‥‥こうしてみると部屋がすごく広かったのだなと実感
する。
今日はおかずを取られる心配は無さそうだと千鶴は内心で安堵の溜息を漏らし、ちょっぴり寂しさを感じながら合掌した。
「いただきます。」
揃って口にし、それぞれが箸を持っておかずを口に放り込む。
結局、自分が食べから作ったと言った癖に‥‥男はお茶だけを啜っている。
素直じゃないなぁとは内心で呟いた。
「美味しいです!」
ぱくりと一口食べた千鶴がそう言った。
「ああそうかよ‥‥」
それに土方は苦笑で良かったなとおざなりに答える。
勿論世辞などではなかった。
煮込み具合といい、塩加減と言い、絶妙である。
「土方さんってすごくお料理が上手なんですね!」
流石です、ときらきらと輝いた眼差しで見つめられ、なんとも男は不思議な顔をしてみせる。
照れているとか‥‥そういうのではない。
心底、理解できないと言うようなそれで‥‥
「あんまり料理しない人が料理すると、感動の分、美味しさも上乗せされますよね。」
隣でにっこりと、これまたかわいげのない事をが言ってのけた。
その言葉に男は面食らった様子で、
「ああ、そういうもんかもしれねぇな‥‥」
と苦笑を漏らすのだった。
そうじゃない。
本当に美味しいのだ。
千鶴は再度口を開こうとして、
「千鶴ちゃん。」
小声で呼ばれて遮られる。
だ。
彼女は味噌汁の碗で口元を隠しながらこう言った。
「‥‥あの人‥‥味付けが壊滅的だから。」
「え?」
千鶴は驚きに小さな声を漏らす。
味付けが壊滅的?
それは下手くそってことだろうか。
でも‥‥
「‥‥」
千鶴は手元へと視線を落とす。
皿に盛られたおひたしも、味噌汁も、煮付けも‥‥こんなに美味しいのに?
はふっと小さく笑った。
「ほんとは‥‥ね。」
内緒だよと言いたげに囁く彼女の言葉に、先ほどの彼女の行動を思い出した。
そういえば、
味付けは‥‥彼女に導かれていたのではなかっただろうか。
塩と味噌が足りなくなるから少なく使え、とこう言われて。
予備ならまだあるし、店の主人がそんな事を言っていたなんて‥‥一言も聞いていないのに。
ああそうか。
そういうことか。
千鶴は妙に納得した様子で頷いた。
静かに食事をする彼女と、それから茶を啜る土方とを見ながら、そういうことかと。
飲み込んだ味噌汁の味は‥‥の味だった。
「ねえさん。」
後片づけは自分達でしますね、とは言って空になった膳を片付ける。
不思議そうな顔をしている彼を置いて、慌てて千鶴もその後を追った。
「土方さんの味付けって‥‥」
「まずいよ。」
先ほどからずっと浮かんでいた疑問をぶつければきっぱりと言われて、千鶴は面食らう。
普段沖田の大ざっぱな塩加減に嫌な顔一つせず「料理は作ってもらうだけで十分」といつも言っている彼女が、
「まずい」
と斬り捨てるのである。
「総司のよりも酷いよ。」
は苦笑で教えてくれた。
沖田のよりもひどい‥‥それはどんなものだ。
土方の舌はかなり正確な方である。
味付けに関してはどちらかというと厳しい。
だとしたら自分でまずいと思いつつ作っているということか?
「‥‥料理に関しては加減が分かんないんでしょ、きっと。」
多すぎたり、少なすぎたりと真ん中がないのだと彼女は言う。
「‥‥な、なるほど。」
千鶴は呻くように頷いた。
意外である。
彼のような完璧な男が‥‥実は料理下手、なんて。
具材は綺麗に切れていたのに。
「もし――」
ふと勝手場に入る前に千鶴はもう一つ、浮かんだ疑問をぶつけてみた。
「もし、私たちが戻る前に食事が出来上がっていたら‥‥どうされるおつもりでしたか?」
自分達が戻る前に、
彼が料理を完成させていたらどうしたか‥‥と彼女は聞いてきた。
は愚問だなと口の端をつり上げて、
「食べるよ。」
と答えた。
苦笑を浮かべて、だけど、その目だけは誰よりも優しいそれで‥‥
「どんなにまずくても‥‥私だけは食べる。」
当たり前じゃないかと告げる言葉に、彼への愛を感じた。
優しい味
さりげなくフォローを入れる。
それが土方さんとの関係。
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