今日も一日が無事に終わった。

  はやれやれと自分の肩を自分の手で解しながら、さてそろそろ寝るかなと布団を敷こうと押入の方へと歩いていって‥‥

  「‥‥」

  その手を止めた。

  そうして即座に身体を反転させると腰へと手を伸ばす。
  一瞬、
  風の流れが変わったのを肌で感じたのだ。

  多分、他の人間であれば気づきもしない変化。
  でも、彼女は気付いた。

  ほぅ、
  と感心したような声が聞こえる。

  「流石は鬼の姫‥‥といったところか。」

  続いて聞こえたねっとりと絡みつくような男の声に、は隠しもせずに「うげ」と呻く。
  その声には覚えがあった。
  というか、誰にも気取られず、彼女の部屋までたどり着ける者はそうそういない。
  そして、気配に聡いにさせ、部屋の入り口にやってくるまで気付かせない人間など‥‥いない。

  「鬼‥‥だもんな。」

  人ではなく、鬼だもんなとからかうように言えば、まるで応えるように襖が開いた。

  そこに立っているのたのは、神々しい金を纏いし‥‥鬼。
  西の鬼の頭領‥‥風間千景、その人である。
  にやりと細められた赤い目にはやれやれと言った風に肩を落とした。

  「‥‥出来たら今日は平和な一日であってほしかったんだけどなぁ‥‥」

  よりにもよって一番の厄介事が向こうからやってくるとは。
  しかも隣室の沖田が留守の時に、だ。
  彼がいたら彼にあしらってもらおうと思ったのに‥‥面倒くさいから。

  「‥‥満を持して‥‥登場してやったぞ。」
  「誰も待ってない。」

  どこか恍惚とした表情で言う彼にはひらひらと手を振る。
  待ってないし、今すぐ退散願いたいところだ。
  と言っても相手は聞いてはいないようだが。
  くそ、相変わらず俺様な男である。

  「私今から寝る所なんだけど‥‥用件は手短にお願いできる?」

  相手が抜刀しない所を見ると今日は戦いに来たわけではないようだ。
  重たい溜息を吐きつつ、とりあえず刀の鞘から手を離して、なに?と聞くと彼はさも当然とばかりに口を開いた。

  「今日は、三月の十四日だろう?」
  「そうだよ。だから何?」
  「ホワイトデーというものだろう?」
  ホワイトデー。
  ああそういえばそんなものだった気がする。
  義理堅くも、色んな人がお返しをくれたんだっけかと思い出しながらそれでと続けると、風間はふんと鼻を鳴らして胸を反らした。

  「この俺からも、一つ贈り物をくれてやる。」

  「‥‥‥」

  は無言で男を見た。
  眉間には鬼の副長ばりの深い皺が刻んでいる。

  こいつ、頭をどうした?

  とでも言いたげな顔であった。

  「‥‥どうした?喜べ。」

  しかし、そんな彼女には気付かず、風間は得意げに笑っている。

  ええと‥‥

  は眉間を揉みつつ、ちょっと人の話を聞けと風間に言った。

  「ホワイトデーってのがどんな日か知ってるよな?」
  「無論だ。
  貴様‥‥この俺を馬鹿にしているのか?」
  の問いに風間は少しだけ不満げに顔を歪めて、
  「二月十四日、バレンタインの礼をする日だろう?」
  と答える。

  そうだ。
  その通り。
  間違ってなどいない。
  しかしだ、

  「‥‥バレンタインのお礼って事は、おまえはバレンタインに貰ったから返すって事だよな?」
  「その通りだ。
  貴様の方こそ新選組などと一緒にいたせいで随分と物わかりが悪く‥‥」
  「うっさい黙って聞け。」
  ばっさりと斬り捨てられ、風間は不満げに眉根を寄せた。
  それを華麗に無視すると、いいか?とは言った。

  「私、おまえにあげたつもりはないんだけど。」

  バレンタインのチョコレートは皆、新選組の皆と千鶴にあげた。
  お世話になった人に‥‥ということで。
  無論その中に風間が入っているわけではない。
  否、
  入っているわけ「が」ない。

  彼には迷惑を掛けられてはいるが、世話を焼いて貰った覚えはない。
  おまけに、
  彼に対しては好意どころか敵意を抱いている。
  そんな相手に義理でも誰があげるものか。

  とこうは言うのだが‥‥

  ふ、と鬼は笑った。
  そうして、

  「照れているのか?可愛い所もあるようだな。」

  今までの言葉を全く聞いていないどころか、若干妄想の域に入っている発言を口にする。

  誰が照れるか。

  はどっと疲れた気がした。
  駄目だ、まったく話が通じない。
  鬼というのは人と思考回路が違うのだろうか?

  面と向かって「好きじゃない」と言われているというのにこの男は聞いていない。
  とりあえず自分の都合のいい言葉しか聞こえないらしい。
  なんとも都合のいい耳だ。
  羨ましすぎて涙が出てくる。

  「はーもういいよ。
  とにかくバレンタインに何もあげてないからお返しなんていらないし。」
  「遠慮はするな。」
  「してないっつーの。
  ってかどう見ても手ぶらに見えるんだけどそもそもおまえは何を贈ろうって言うわけ?」

  腰に手を当てて訊ねれば彼はそれは当然とばかりに口を開いた。

  「この、俺をくれてやろう。」

  「誰がいるか――!!」

  すこーんと、手に持っていた包みを振りかぶって‥‥投げる。
  生憎と風間の頭には当たらなかったが、彼を不機嫌にさせるには十分だったらしい。

  「貴様、この俺を贈ってやろうと言っているんだぞ。
  泣いて喜ぶのが当然というものだろう?」
  「つか、誰がおまえなんかもらって喜ぶか!
  むしろそれ嫌がらせだろ!」
  「‥‥貴様‥‥この俺を愚弄するか!」
  「愚弄してんのはおまえだ!」

  は叫んで指さした。

  「とりあえず、それくれてやるから、とっとと帰れ!!」

  「‥‥なに?」

  それ、と指さされたのは彼女が今し方放り投げた何かだ。
  なんだと掌を開けばくしゃくしゃに包んである包みが一つ、その中にあった。
  包みの中には小さな塊がいくつか入っているらしい。

  「言っとくけど。」

  怪訝そうな顔をする風間には言い放った。

  「見た目は保証しないからな。」

  普通そこは「味は」じゃないのか。
  見た目を保証しないってなんだ‥‥
  っていうか‥‥

  「もしや‥‥」

  風間が小さく呟く。
  ふわり、と甘い香りがした。

  「‥‥義理だからな。」

  は言った。

  世話にもなっていないし、迷惑を掛けられている。
  それに敵意もある相手だが‥‥
  それでも、

  「‥‥嫌いじゃ、ないしね。」

  好きではないけど、嫌いじゃない。

  まあ、そういう事だと苦笑で告げれば驚きに見開かれていた風間の目がすいっと細められた。
  いつものように感じの悪い笑みではなく、それは純粋に嬉しそうな笑顔だった。

  なんだ、そういう顔をすると可愛いじゃないか‥‥

  は内心で呟いた。

  が、そう思ったのはつかの間、

  「おまえの気持ちはよく分かった。」

  ふふふと風間は笑いながら呟く。
  その包みをそっと、大事そうに懐に仕舞うと、優雅な所作で手を広げて見せた。

  「贈り物に見合う礼は‥‥やはりこれだろう?」

  なんだよ‥‥

  嫌な予感が、した。

  鬼はさも誇らしげに胸を張って、こう、言う。

  「光栄に思え。
  この俺が、惜しみない情愛を贈ってやろう。」

  「帰れ!!」


ラッキーホワイトデー?



実はこの先のおまけもある(笑)