「新八っつぁん!大変だって!!」

  穏やかな陽気をうち破るのは、藤堂の慌ただしい足音だった。

  「なんだ?
  そんな血相変えて。」

  通りで不逞浪士とでもばったり会ったか?
  と永倉が茶化すと、藤堂は息を弾ませながらそれどころじゃないってと必死の様子で訴える。

  「昨夜、千鶴が言ってたバレンタインっての覚えてるよな!?」
  「ん?ああ。」
  あれだろ?
  と彼は昨夜彼女から聞いた話を思い出して口を開く。

  「女の子が男に日頃の感謝の意味を込めてチョコレートを送るって言う‥‥」

  良かった覚えていたらしい。
  藤堂は安心しつつ、そうそれ、と首を縦に振った。
  今日は二月の十三日。
  バレンタインデーは明日、十四日だと千鶴が言っていたとも思い出す。
  今日から作っておいておくのだと‥‥

  「なんだなんだ、千鶴ちゃんもう出来たのか?」
  それなら早速味見を‥‥と永倉がぺろりと舌なめずりをしながら歩き出そうとし、
  「だ!駄目だって!」
  慌てて藤堂が阻んだ。
  これまた必死である。
  「なんだ?千鶴ちゃんの手作り菓子を独り占めしようって寸法か?」
  そうはいかねえぞと力任せに廊下を進もうとすると、藤堂はそうじゃないと必死の形相で声を上げ、

  「今、勝手場にいるのはなんだよ!!」

  彼女が今、勝手場で料理をしているのだと。
  そう言った瞬間、

  「‥‥‥え‥‥」

  永倉の表情が凍り付いた。

  説明をしよう。
  はたぐいまれなる強さと、聡明さと美しさを持つ完全無欠の副長助勤である。
  しかし、性格の問題なのか細かい作業が大の苦手で、料理をしたら具材よりも手を切る方が大の得意‥‥という不器用っ
  ぷりであった。
  それ故に料理を手伝う事はあっても自ら進んで調理する事はなかった彼女が以前、いつもお世話になっている皆に喜んで
  貰おうと料理をしたのが事の発端である。
  彼女はあろうことか、煮物に入れる芋をとても一口に入らない大きさで適当に切り――これは切ったというのか?という
  くらいの大きさだったと彼らは語る――皆に出して見せたのだ。
  それを永倉と藤堂がぼろっかすに言ったためはへそを曲げてしまい、千鶴には長々と説教をされ、挙げ句文句を言う
  なら食べなくていい、と沖田と斎藤におかずどころか膳を全てかっさらわれ、土方には暫く外出禁止というやや納得で
  きない命令をされた、という苦い記憶だけが残っている。
  見た目で判断して悪いが‥‥おかげで、すっかり二人は『は料理下手』という印象が植え付けられてしまった。
  実際、味付けは食べた皆から太鼓判を押されるほどだというのに、哀れである。


  「そ‥‥それは‥‥」
  永倉は顔を顰めて唸り始める。
  なるほど、藤堂が慌てて駆け込んできた理由が分かる気がした。
  「ど、どどど、どうする?」
  「ど、どうするったって‥‥そ、そりゃ‥‥」
  そりゃと二人はお互いの顔を見て、考え込んだ。
  いっぱいいっぱいになっていた為に聞こえなかったのだろう。
  微かに近付いてきた足音に。

  やがて、永倉が名案を思いついた、とばかりに大声を張り上げた。

  「そ、そういえば、俺は甘いものが大の苦手だった!!」

  そうだ思い出したぞ、と思い切り無理矢理こじつけたような言い訳を口にする彼に、藤堂がずるいと彼を非難した。

  「そ、それじゃオレだって甘いもの得意じゃねえし!!」
  「何言ってるんだ、平助!
  おまえは俺の分まで食って、でっかくならなきゃなんねーだろ!」
  「甘いもの食っても別にでかくなんねーし!!」
  つーか、と藤堂が怒鳴り声を上げる。

  「逆にのチョコレートを食ったら縮みそうだっつーの!」
  「へ、平助!おまえなんて失礼な事を言うんだ!
  が聞いたら悲しむぞ!」
  「じゃあ、新八っつぁんが食えばいいじゃん!」

  更に二人の声は大きくなっていった。

  「何言ってんだ!あんなの食ったら絶対魘される!」
  「オレだってそうだよ!絶対身体に悪いって!」
  「いやいや、もしかしたら若いおまえにゃ丁度いい刺激に‥‥」
  「新八っつぁんこそ、多少頭に刺激与えた方がいいんじゃねーの?」
  「なにをーーーー!!」
  「なんだよっ!!」


  「――そうだったんだ?」


  やけにのんびりとした声が二人の耳に届く。
  のんびりと平和そうな声なのに何故か、ぞくりと、寒々しいほどの凍てついた空気がいつの間にかあたりに立ちこめていて、

  「も‥‥」
  「しかして‥‥」

  二人の顔が一瞬にして青ざめる。
  そうして背後に感じる人の気配を振り返ろうと二人は首を巡らせるが、どうしたことか、ぎぎぎ‥‥と嫌な音がして上手
  く動かない。
  振り返るのが怖かった。
  いや、でも振り返らないでやり過ごす方がもっと怖い。

  「‥‥‥」
  「‥‥‥」

  普通よりもずっと時間を掛けて、漸く二人が振り返れば、そこにはやはりにこにこと笑顔のままのその人が立っていた。

  「‥‥‥‥」
  「い、いつからそこに‥‥」

  問いかけには答えない。

  ただにこにこと笑顔を浮かべたままだった。

  二人は今にも泣きそうな顔のまま、あの、だの、ええと、だの引きつった声で、何か言いたそうにしていたが、
  やがて、そうかぁ、とが零した一言に、びくりと二人は飛び上がって、口を噤む。

  「二人とも、甘いものが苦手なんですね。」

  そうですか、わかりました、気付きませんですいません。

  その一言に、ほとんど最初から聞かれていたのだと二人は悟った。
  そして、
  今日こそ血の雨が降るかも知れないと。

  だがは腰の久遠を引き抜く事も、駆け寄って首の骨を折ったりなどということもせず、くるっと背を向けてただこう
  言い放った。

  「そのこと、千鶴ちゃんにも伝えておきますね。」


  若干一名については斬りつけられるよりも痛い仕打ちだ――


ハッピーバレンタイン



新八と平助がチョコにありつけたかどうか‥‥は謎。