机の上にちょこんと、控えめに乗っていたものがあった。
それが何か‥‥なんて言うのは中身を見なくても分かる。
ふわり、と甘い香りがしたから。
それに、それを誰が贈ったのか‥‥というのも。
「‥‥ち、千鶴ちゃんの‥‥」
赤の紐で可愛らしく飾られる贈り物を前に、は思わず溜息を零した。
彼女が作って、彼に贈ったものである。
『日頃、お世話になっている皆さんに‥‥』
千鶴が嬉しそうにそんな事を言っていたのを思い出した。
多分、その一つが彼の元に来たのだろう。
そこに‥‥深い意味はないのかも知れない。
だが、
「深い意味がない彼女のよりも、本命のがこれってどうだろ‥‥」
くしゃ、と手の中でぐしゃぐしゃになった包みを見て、もう一度溜息が漏れた。
ああ、もう、何度溜息を吐いても足りない。
不器用だ、自分。
「‥‥きっと、千鶴ちゃんのは中も綺麗なんだろうなぁ。」
ちゃんと丸や四角だったりして、美味しそうなんだろうな。
それにひきかえ自分のは丸とも四角とも言えないどころか、美味しそうにも見えない。
‥‥呪われそうだ。
「‥‥」
はちらちらと、彼女のものと、自分のものとを交互に見比べ‥‥
やがて、
「やめよ。」
今までで一番深い溜息を吐くと、その包みを懐にしまい込んだ。
「‥‥じゃあ、少しは四国屋の連中も大人しくなった‥‥って事だな。」
「はい。」
はこくりと頷く。
「山崎さんの報告だと、吾妻屋の方に移った可能性が高いらしいです。
私も、吾妻屋の店の者が四国屋を頻繁に出入りしてるのを見ていますし。」
「なるほど‥‥な。」
報告を聞き、ふむ、と土方は一つ頷くと、
「じゃあ、明日から山崎に四国屋に行ってもらって、おまえは吾妻屋を監視しろ。」
と短く命令を下す。
分かりましたと答えると、会話が途切れた。
彼に報告すべき事がなくなったからだ。
まるで見計らったようにふわ、と冷たい夜風が吹き込んできて、はちらりと障子の向こうを見る。
もう、随分と夜も更けてしまったらしい。
「それじゃ、私部屋に戻りますね。」
用が済んだ今、長居は無用。
忙しい副長を早く休ませてあげないといけない。
は腰を静かに上げた。
が、
「ちょっと待て。」
土方はまだ用があるのだと彼女を止める。
「なんです?」
上げ掛けた腰を戻せば、彼はこほんと、一つ咳払いをして‥‥
「‥‥出せ。」
突然そんな事を言って、手を差し出した。
――出せ?
は眉間に皺を刻む。
何を言われたのかさっぱり分からない。
そんな様子に、ち、と土方は舌打ちすると、
「おまえだって用意したんだろ。」
ちら、と机の上にこれみよがしに置いてある包みを見遣って、
「チョコレートってのをよ。」
と呟く。
はぎょっとした。
その瞬間、それを隠している懐に手を当ててしまったのは、多分無意識だ。
「‥‥やっぱり用意してたんだな?」
「え、いや、ちがっ」
これは違うとは慌てて首を振った。
そうすると男は、
「なに?俺には用意してねえってのか?」
と不機嫌な顔になってしまった。
自分には用意せずに他の人間にだけ用意したというのか‥‥
それは正直面白くないどころか、ものすごく腹が立つ。
貰った他の男達に八つ当たりをしてやりたいくらいに。
「や、そ、そうじゃないけど、そうじゃないんです!」
自分でも焦っているのが分かった。
全く意味が分からない言葉を口にしている。
「土方さんに用意したけど‥‥」
「けど?」
「わ、渡せないんです!」
はぎゅっと着物の上から包みを握りしめ、全く答えになってない答えを口にした。
それじゃ男は納得できない。
話を聞いてから楽しみにしていたというのに。
「ったく、何わけの分からねえ事を言ってんだよ。」
いいから出せ、と彼は身を乗り出す。
渡せないとは首を振った。
「いいじゃないですか!千鶴ちゃんのもらったでしょ?」
それで十分じゃないかと言われ、んなわけがないと土方は顔を顰めた。
「千鶴のとおまえのとじゃ全然違うだろうが。」
そうだ、全然違う。
くれる相手が違えば全然違う。
そういう意味で男は言ったが、には残念ながら伝わらない。
全然違う。
自分のは美味しそうじゃない。
彼女のと違って。
「駄目!絶対あげません!」
は意地になり、べぇっと舌を出すとその場から逃げ出そうとした。
逃がすかと男は手を伸ばして、女を引きたおす。
瞬間、ぽろっと胸元から包みがこぼれ落ち、は慌ててそれに手を伸ばした。
「そいつを寄越せ。」
「いーやー!」
贈り物を贈る‥‥というより強奪だ。
は嫌だと首を振るけれど、所詮は女と男の力の差というのは歴然で。
「っ!」
奪われるのは時間の問題。
そう悟った瞬間、は手の中で包みを開き、その異形の物体を、
「あ!!」
ぽい、と自分の口に放り込んだ。
がりと、思い切り歯を立ててかみ砕いてやった。
甘い‥‥
良かった、一応味だけはちゃんとしていたらしい。
「て、てめぇ‥‥」
顔を引きつらせ、土方は呻く。
「ざんえんえひはっ‥‥」
口に物をほおばったまま「残念でした」とはやけくそ気味に答えた。
悔しげに男は空になった包み紙を睨み、それからすぐにまだ口の中でそれをかみ砕いている彼女に気づいて、
「‥‥」
名案が思いついた‥‥とばかりににやりと口の端を上げる。
「まだ、残ってる。」
ふわりと甘い香りがまだ、残っている。
どこに?
訝しげに首を捻れば、ぐいとこれまた強引に身体を反転させられ、
「‥‥ここ‥‥だ。」
ちょい、と親指で女の柔らかな唇をなぞられ、その意図に彼女が気づくよりも先に、
「んっ!?」
強引に、己の唇で塞いだ。
ふわりと甘ったるい香りが鼻孔を擽った。
呆気に取られていたせいで、開いていた唇からするりと何かが滑り込んでくる。
まずいと思った時には滑り込んだ勝手な舌が、の口の中を動き始めていた。
「っん、んんーー!!」
離して、と彼の胸を押すけれど、びくともしない。
それならば噛みついてやろうとしたら、先手を打つかのように強く舌を吸われ、
「ぅっん!」
脳髄まで痺れが走り、力が抜けた。
その隙に、更に、男は奥に舌をねじ込んでくる。
そうして彼女の口の中に残っている『チョコレート』の欠片を舌で転がし、互いの舌の温度で溶かしながらゆっくりと嚥下する。
こくんと男がチョコレートごと唾液を飲み込む音が何度も聞こえた。
なんだか‥‥すごく‥‥いやらしい食べ方だ。
「ん‥‥ぁ‥‥ぅ‥‥」
ちゅくと同じ味がする舌先が絡む。
何度も嫌というほど吸われ、あるいは緩く歯で噛まれ、
完璧にの口の中からチョコレートが消えるまで丹念に嬲られた。
「ん‥‥ん‥‥」
合わせた唇が、噛まれてもいないのにびりりと痛む。
でも‥‥嫌ではなくて、そればかりか気づいたら自分でも求めるように彼の舌に自分のを絡ませて更に深く口づけを強請っていた。
やがて、
「‥‥は‥‥ぁ‥‥」
思考も、感覚も全てがとろけてしまった頃になり、土方は漸く唇を離してくれた。
チョコレートで少し粘つく唾液が喉の奥で引っかかる。
彼は濡れた女の瞳を満足げに覗き込みながら、
「美味い。」
と言って、笑う。
「甘くて‥‥美味い。」
「‥‥わたし、は‥‥くるし‥‥」
けほ、と小さく咳き込みながら咎めるように睨むと、土方はくつくつと喉の奥で笑いを漏らし、
「おまえが、素直に渡してりゃこんな事にはならなかったんだよ。」
自分が悪いと言われてなんとも釈然としないものを感じる。
「んな顔するな。」
ちぅ、と宥めるように額に口づけを一つ落とし、こつんと互いの額を合わせた。
「‥‥ひじかた、さん?」
「俺は、おまえが作ったものを馬鹿にしたりしねえよ。」
優しく髪を梳きながら彼は言う。
「おまえが一生懸命作ったもんを馬鹿にしたりしねえし、受け取らないはずもねえ。」
「‥‥」
「だから、不安になる必要なんかねえ。」
と彼はもう一度唇を合わせてふわりと残った甘さを噛みしめた。
そうして、しっかりと濡れた琥珀を見つめ返す。
「ってことで、来年も期待してる。」
細められた瞳の奥には、別の期待が込められていて、
「‥‥善処します‥‥」
は気付かないように、そっと視線を逸らすのだった。
ハッピーバレンタイン
一応本命(長さ的に)
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