「結局俺は、あの人を見捨てて来たんじゃねえか!」

 もし、あの人の苦しみを取り除いてあげる事が出来るのならば。
 もし、あの人の痛みを癒してあげることが出来るのならば。

 私は――



 襖を開いた瞬間にむわりとそれは溢れ出してきた。まるで部屋の中に押し込められていたそれが耐えきれなくなって出口を求めて飛び出してきたみたいな。
 ぱちんと外気に触れて弾けたにおいに私は思わずと顰め面になる。甘ったるい独特なにおいは……酒のそれだ。部屋中に撒き散らしたみたいに部屋の中に充満していた。多分どれほどに酒が好きな人でも嫌になって出てきてしまうだろう。それほどに強烈な酒のにおいがした。
 その中、闇の中で一人手酌で酒を飲んでいる男の姿がある。月のない夜だというのに灯りも灯さず暗闇の中、人目でも憚るみたいに酒を飲み続けている男の姿。
「土方さん」
 呼びかけに彼は応えない。私が来た事は分かっているだろう。その肩が微かに震えたから。でも返事はない。視線も上げない。ただ黙々と盃に酒を注いでは煽る。それの繰り返し。
 畳の上には何本もの徳利が転がっていた。お猪口三杯で酔ってしまう彼にはひっくり返る程の酒量だ。でも、彼はまるで酔っている素振りは見えない。そればかりか彼の口の中に放り込まれる酒は水ではないかと思う程、彼は平静としている。
 それが逆に……私にはまずい状況のようにも思えた。
「飲み過ぎですよ」
 大きく襖を開き、篭もってしまった甘ったるいにおいを追い出す。
 冷たい夜風に酒のにおいを吹き飛ばしてもらいながら、転がる徳利を一本、また一本と拾い上げた。
「こんなに沢山、どこからくすねてきたんですか?」
「……」
 問いかけても勿論返事はなかった。ただ無反応ではなく彼が不機嫌になりつつあるのを感じる。彼の周りの空気がぴりりと張り詰めていくから。
 放っておけという事なんだろう。でも、生憎とそういうわけにはいかない。このまま放っておいたらそれこそ、酒の飲み過ぎで死んでしまいそうだから。
「飲み過ぎです」
 私は言って、彼の手元から酒を奪った。
 すると漸くその唇から、
「うるせぇ」
 と反応があった。
「何をしようと、俺の勝手だ」
 不機嫌に言ったかと思えば、私の手からふんだくるように徳利を奪う。そうしてまた自分の盃に注いだけれど、その徳利に残った酒ももうそれほどなかったらしい。ちょろっと盃に酒が滴っただけで彼はちっと舌打ちをすると「酒だ」と言って私に徳利を突き返してきた。
 これはつまりお代わりを持ってこいと言う事なんだろうけど、これ以上は駄目だ。
「身体に毒です」
 言って徳利を受け取り、更に盃を奪えば剣呑な視線がこちらへと向けられる。
 まるで手負いの獣みたいな警戒心の剥き出しの瞳。近付けばその喉笛を掻ききってやるぞとでも言いたげだけれど、そんなもの、私には通用しない。
「俺の命令が聞けねえってのか」
「酔っぱらいの命令なんぞ聞けません」
 睨め付けながら低く呻く彼に、私はぴしゃりと言ってのけた。
 私が従うのは酔っぱらいじゃない。新選組副長の土方歳三だ。だから、聞かない。ううん、聞きたくなんかない。
 そんな私の反応がお気に召さなかったらしく酔っぱらいの副長殿は一層眉間の皺を濃くして私を睨み付けてきた。私は構わずにそれよりもと部屋の隅に置かれた水差しに手を伸ばす。水差しのそばに手付かずの握り飯があった。とても大きな握り飯だったから、多分島田さんだ。ずっと部屋に閉じこもりっきりだから心配して持ってきてくれたんだろう。
 その気遣いに、今の土方さんは気付く事は出来ない。無理もない事だけど。
「はい、お水」
 少し酒を薄めた方が良いと湯呑みに水を入れて差し出せば、ぱしりとその手を振り払われた。
 酒に酔っているせいか加減が出来なかったらしい。痛いくらいの力に私の手から湯呑みは離れ、水を撒き散らしながら畳の上をころころと湯呑みは転がっていった。
「そんなもんいらねえ。酒を持ってこい」
 土方さんは謝りもせず、視線も寄越さずになおも酒を要求してくる。私はそんな彼の横顔を見ながら緩く頭を振った。
「これ以上は、駄目です。本当に死んじゃう」
 そんなの絶対に嫌だと私が言えば、彼ははっと嫌な笑みで笑い飛ばした。
「新選組の鬼副長が酒に溺れて死んだ……なんてとんだ笑い種だもんなあ?」
「そういうことじゃないんです」
 面子とかそういう事じゃなく、私は本気で彼の身体を心配して。
「良いんだよ、俺なんかどうなったって」
 言いかける私の言葉を彼は投げやりな言葉で遮った。
「俺なんて、酒に溺れて死んじまっても良いんだよ」
 もう――と遠くを見つめて彼は呟く。
 その横顔に見えたのは……深い悲しみだ。
 だから私にはしゃんとしろだなんて言えない。弱音を吐くななんて言えるわけもない。彼らしくもないなんて。
 ただ、私はその痛みを見ない振りをしてやる事しか出来ない。そんな自分は……なんて役立たずなんだろう。こんなにも悲しんでいる人に言葉を掛けてやる事も出来ないなんて。ただ、彼の身を案じる事しか出来ないなんて。
 なんて、役立たず。
「とにかく、お酒はもう駄目です」
「……」
 静かに言った私を彼はちらっと見上げた。
 その瞳に苛立ちの色が伺えたが、これも見なかった事にする。だって彼が求めている事を私はしてやる事が出来ない。
 だから見ない振りをして立ち上がり黙って部屋を出ていこうとした。
 その時不意に背後でゆらりと気配が動き、
「土方さ――っ!?」
 次の瞬間、がたんと激しい音を立てて私の身体は畳の上に叩き付けられていた。
 背中を些か強く打ち付けたせいで、呼吸が一時、止まる。
 でもそれよりも私の上に覆い被さるものが、私の思考を一時、止めた。
「土方、さん……?」
 戸惑ったような声で呼べば、私の上にのし掛かったその人はにやりと口元に残酷なものを浮かべて笑った。

「こんな夜更けに男の部屋に来て、ただで帰して貰えるとは思ってねえよなあ」

 ぶちり、
 と嫌な音を立てて私の洋服の胸元が引きちぎられ、釦が美しい軌跡を描いて飛んでいく。
 それはただの事故ではないというのが、更に力を込めて布を引き裂かれた事で知る事が出来た。
 彼は、
 私を抱こうとしている。
 否、

「こんな酔っぱらいの所に来たのが運の尽きだ」

 彼は、私に乱暴をしようとしているのだ。
 私を犯そうとしているのだ。
 男の欲で、暴力で、私を踏みにじろうと。
 そんなの全然……彼らしくない。らしくないけれど、

「恨むんなら、てめえの自覚の無さを恨め」

 そう言って笑う彼の瞳の奥に微かに見えたものに気付けば……私は、もう。


 激痛が下肢から脳天までを突き抜ける。
 身体の中から文字通り引き裂かれるようなそんな感覚。実際、彼を受け入れた所は皮膚が切れてしまった。碌に慣らしもせずに無理矢理挿入したんだから当然だ。生娘ではないのせよ男を受け入れるのは何年ぶりなのだからすんなりと受け入れられるわけもない。
 それが分かっているはずなのに……彼は無理矢理腰を押し進めた。私の皮膚が裂けていくのも、構わずに。
 ふわりと血のにおいがした。酒のにおいよりもより甘ったるく感じるにおい。羅刹である土方さんはそのにおいに紫紺を一瞬眇めただけだった。すぐに、口元には引き攣ったような笑みが浮かんだ。
「はっ、悪いな。無理矢理やっちまったから、切れちまったみてえだ」
「んっ、くっ」
「でもお陰で、少し滑りが良くなった」
 とんでもない言葉を吐きながら彼は腰を前後に揺すりだす。
 いくら鬼でもすぐに傷口は塞がっても完全に癒えるには暫し掛かる。だからすぐに乱暴に動かれればまた開くのだ。分かっているのに土方さんは乱暴に腰を突き上げて、私の中を蹂躙した。傷口は塞がってはまた開いて私に痛みをもたらす。いっそ治らない方が良いのではないだろうか。
 とにかく、痛かった。
 でも、私は歯を食いしばって耐える。痛いなんて言わないし、涙も見せない。ただ歯を食いしばって、拳を握りしめるだけ。
 そんな私を土方さんは笑いながら揶揄した。
「なんだ。おまえ、全然感じねえのか?」
 つまんねえな、なんて吐き捨てぐんと奥を突き上げてくる。
 さほど濡れてもいないし解れてもいないのに奥まで強引にねじ込まれるのなんて、無理だ。激痛に瞼の裏が明滅した。
「っ」
 思わず私は身体を仰け反らせ、息を詰める。喉の奥から痛みを誤魔化そうと悲鳴がせり上がってきた。口から吐き出してしまえば幾分か楽になれたんだろう。けれど、
「――ぐっ!」
 私は喉元まで出てきた悲鳴を、己が手の甲に噛みついて封じ込めてやった。
 それはそれで、酷い激痛だ。中も外も、痛くて堪らない。口の中に鉄の味が広がった。それでも構わずに噛みついた。
「声くらい、あげろ」
 必死に手の甲に齧り付く私の頭上でち、と舌打ちが一つ。苛立ったような声を漏らして、土方さんの動きが更に乱暴になる。
 でも離さない。声は上げない。泣かない。
 ただ歯を立てて、唇を噛んで、手のひらに爪を立てて、堪えるだけ。
「つまんねえんだよ!」
 土方さんは声を荒げ、私の中を掻き回す。ぐちゃぐちゃと乱暴に。
 声を上げろ、そうして自分を楽しませろなんて言うけれど、その実彼が全然楽しんでいないのに私は気付いている。だって先程から中に穿たれた彼の様子に変化はないんだもの。それは中の具合の善し悪しが原因かもしれないけど、私は多分違うと思っている。
 彼は……求めていないのだ。快楽なんぞ。
「意地張らずに、声を上げろ!」
 私を怒鳴りつけ、更に大きく彼は揺する。ぎじりと嫌な音を私の身体が立てた。その瞬間にきつく締め上げれば恐らく、穿った彼にも同じだけの痛みをもたらした事だろう。そうすれば彼は苦しそうに呻きながら昂揚した声を上げるのだ。
 そう、彼が求めているのは痛み。
「叫べ。泣き叫んで助けを求めろよ」
「っ」
「そうすりゃ、誰かが助けてくれるかもしれねえぞ」
「っんんっ!」
 土方さんは私を大きく揺すりながら乾いた笑いを漏らした。
 暗く、歪んだ笑い声を。
「そうすりゃ……俺は局中法度違反で切腹だ」

 彼が求めているのは痛みではない。
 罰だ――

 大切な人を、
 近藤さんを見捨てた。
 それに対する……罰。

「叫べよ……叫べ!」
 彼は、欲していた。
 裁かれる事を。
 自らが犯した大罪を、誰かが咎めてくれるのを。
 だからこんな愚かな事をしでかしたのだ。
 そうすれば……私が彼を詰るとでも思ったから。

「い、やだッ」
 ぎりと拳を強く握りしめた。
 込み上げる悲鳴を必死に奥歯を噛んで堪えながら、私は自分の意志を示す。
「なに……?」
 土方さんは私の言葉が聞こえなかったのか、一度ぴたりと動きを止めた。私は荒い呼吸を何度か繰り返し、今一度拳を握り直してきっぱりと言ってやった。
「私は、絶対、声を、上げない」
「……っ」
 不満げに舌打ちをするのが聞こえたけれど、私は構わない。構わず言葉を続ける。
「何があっても、堪えてみせます」
「てめぇ」
 低く呻いたかと思えば突然動きが再開されれ、危うく悲鳴が上がりそうになった。慌てて手の甲を噛みしめ、私はその隙間で絶対にと必死に言葉を紡いだ。
「私は、声をっ、上げないっ」
「うるせえ! いいから声を上げろ!」
 じりと痛みで私の中の何かが振り切れそうになる。涙が溢れた。堪えようとしたけれどそれは頬を伝い落ち、私は彼に気付かれまいと身体を捩って畳に擦り付けてやる。
 そうして畳を睨み付けながら必死に声を押し殺せば背後でどうしてと何度も声が聞こえた。
「どうして、責めねえんだよっ」
 勝手な人だ。
 責められるは自分なのに、責めない私を詰るだなんて。
「こんな酷え事をされてるってのに、どうしてっ」
 酷い事をしているのは確かに彼の方。でも何故か、私の方が酷い事をしている気分になるのは……彼の声があまりに悲痛だからだろう。
 まるで今にも泣き出しそうな声だった。
 その声から深い悲しみと、強い痛みを感じた。
「なんで、俺を詰らねえんだ!」
 彼は歯を食いしばりながら言った。
「俺はおまえから、大事な人を……奪った」
 いつの間にか論点はすり替わっている。ううん、最初から、そこにあった。彼の痛みの悲しみの原因は、それだ。
 近藤さんを見捨ててしまった事への罪悪感。
 自分への怒り、或いは失望。
 責めない私にも怒りを抱いている事だろう。それ以上に、彼は私に負い目を感じているかもしれない。
 私の父を奪ってしまったのだから。
 でもね、土方さん。私にだって責任はあるんだよ。
 あの時私は近藤さんよりもあなたを取った。その私にだって責任が。
 勿論、あそこで諦めた近藤さんにだって。重荷を全部土方さんに押しつけてしまった彼にだって。
 だから彼にだけ罪を背負わせるわけにはいかない。
 だってみんなが悪くて、同時に誰も悪くないのだから。
 それでも……彼は自分が悪いと言うのだろう。自分だけが背負えば良いと言うのだろう。それが自分の役割だと。
 そんなの、誰も望んでなんかいないのに。

「っ」
 揺さぶり続けても声を上げない私に痺れを切らしたのか、土方さんは私の肩に強く歯を立ててきた。
 がり、と私にだって聞こえる音を立て、肌を彼の歯が引き裂く。
 また違う激痛が走る。見開いた瞳から涙がまた溢れた。大きな吐息の塊が出そうになって必死で唇を噛みしめる。恐らく唇も噛みきった事だろう。嫌な味がまた口の中に広がった。
「詰れよ」
 肩口に噛みついたまま彼は言う。
「俺を、詰れ」
 更に歯を立て、私の皮膚を引き裂こうとしながら彼は叫んだ。
「酷い奴だと、詰れ!!」
 まるで、悲鳴のような声だった。
「見下げ果てたと俺を罵れ!!」
 痛々しくさえ感じる声だった。
「俺なんか、」
 彼程痛みを、悲しみを抱えている人はいない。傷ついた人はいない。それでもなお彼は痛みを欲していた。
 罰を。

「もう、見捨てちまえよ!!」

 その癖に何故だろう?
 私には許しを乞うているようにも聞こえる。
 誰かに許して欲しがっているように。
 痛みを、悲しみを、誰かに癒して欲しがっているように。
 私にはそう聞こえるんだ。
 だから、
 だから私は、

「――っ」

 手を伸ばして、私の肩に噛みついてくるその頭をしかと抱きしめた。
 指先に黒髪が絡みつく。それを優しく梳きながら、私は痛みで半ば朦朧としつつも静かに唇を開いた。
「出来るわけ、ないじゃない」
「……な、に」
 土方さんは困惑の声を上げている。それは私の言葉にか、それとも私の言動にかそれは分からない。
 驚いて、それからすぐに私に抱きしめられている事に気付いて彼は腕の中で藻掻いた。私から離れるつもりだ。でも、私はさせない。離すものかと強く抱きしめてやる。そのあまりに爪を立ててしまったけれど、これくらいは大目に見て欲しい。
 私はしっかりと抱きしめ、離さないという意志をしかと示して、また言葉を続けた。
「あなたを責められるわけがないじゃない」
 彼が例えば罪人だったとしても。
 私の大切な人を奪った酷い人だったとしても。
 私に彼を責める事なんて出来ない。
 私も同罪であるから。だけどそれ以上に、
「こんなに傷ついている人を、これ以上責める事なんて、できっこない」
 彼はもう充分という程にその罪の重みを知った。己の罪を悔いた。苦しんだ。もう充分だという程に。
 多分、私以上に。
 それなのに、どうして責める事が出来る?
 酷い人だと詰る事が出来る? 罪人だと罵る事が。贖罪を求める事が。
 出来るわけがない。
 もう充分すぎるほど、彼は苦しんだのだから。
「……もう、良いんですよ」
 だからもう許してあげて欲しい。
 自分の事を。もう責めないであげて欲しい。
「もう、良いの」
 拘束を少し緩め、慈しむように黒髪を撫でる。
 嫌がるかと思えば彼は払いのけたりはせず、それどころか力を抜いて私の上にどさりと倒れ込んできた。身を預けるというよりは放り出すという体だけど、ずっと張り詰め通しだった彼の身体から力が抜けたのは確かだ。
「……てめえは、大馬鹿野郎だ」
 土方さんは私の胸元に顔を埋めたまま、ぼそりと小さく呟く。不満げというよりは拗ねたみたいな声で、私は思わず笑ってしまった。
「そうかもしれないですね」
「かも、じゃねえ」
 大馬鹿野郎だ、と土方さんはきっぱり断言する。
 こんな酷い事をしておいて更に人を詰るとか、どっちが馬鹿野郎なんだろう?
 まあそれでも、私にぶつける事でほんの少しでもいいから彼の気持ちが楽になったならばそれで良いかな、なんて思う私はやっぱり馬鹿野郎かもしれない。
「ったく」
 暫く私の胸元に顔を埋めていた土方さんはそう吐いて、ゆっくりと顔を上げた。
「てめえは大馬鹿野郎で、頑固者で、意地っ張りで」
 決まり悪いのかそっぽを向いたままで私を詰る。人に詰れと言った癖に随分と好き放題言ってくれるものだ。
「お節介で、どうしようもねえお人好しで――どうしようもね馬鹿だ」
「馬鹿って、何度言うんですか」
「俺の気が済むまでだ」
 それっていつまで。
 訊ねるよりも先に、ずるりと臓腑を引きずり出される感覚にぎくりと身体が強張る。
 またあの痛みがと奥歯を噛みしめたけれど、
「ふ、ぁっ」
 私を襲ったのは痛みとはほど遠い――快楽。
 びりりと脳天まで走った痺れと、すぐにやってくるのは耐え難い甘い疼きだ。
 まるで身体が溶けてしまったみたいに力が奪われ、噛みしめたはずの唇から甘ったるい女の声が上がってしまった。
 土方さんは引いた腰を再び突き入れる。瞬間、また強い快楽に身体が仰け反った。同じ行為を繰り返しているはずなのに、今度のは先程のはまるで違う。あんなに痛いのは耐えられたのに、甘ったるい快楽に私は耐えられそうにない。
「ぁっ、やだ…はっ、あ、ぁあッ」
「漸く、声を上げたな」
 はしたない声を上げる私を見下ろしながら土方さんはにやりと意地悪く笑う。
 笑いながらまた奥の方を突き上げてきて、私は耐えられなくなって悲鳴みたいな声を上げて縋り付いた。
「や、やめっ…やだ、なんでっ…ッン」
「中途半端に止められねえだろうが」
「だって、そんな…ぁ、やだッ」
「今更止めろなんて無理だぞ。こんななっちまってんのに」
 茶化すような口振りで言い、腰をぐんと突き上げてくる。
 その瞬間、私は今更のように気付いた。中に埋められたそれが熱く、固くなっている事に。ほんの少し前までそんなじゃなかったのに、なんでそんなに大きくなっちゃってるのか……私には信じられない。
「う、そ、なんで」
 呆然と目を見開いていると彼は双眸をついと細めて私を真っ直ぐに見据えてこう言った。
「折角、人が逃げる機会を与えてやったってのに逃げる所か、その気にさせやがって」
「え……え……ひゃ、ぁっ」
 ゆると彼が動きを開始し、私の奥を捉えたままぐずぐずと奥を揺すり上げてくる。
 甘ったるい悲鳴が唇から滑り落ちた。
「こうなったら最後まで付き合ってもらうからな」
 何が最後を指すのか私にはさっぱり分からないし私は問い質すだけの理性もない。土方さんが私の奥を執拗に責めてきたから。
「や、だめっ…そこ、だめ、ぇっ」
「さっきはいやだもやめろも言わなかった癖に、なんで、今更嫌がるんだよ」
 なんて笑いを含んだ声で言いながら固いもので奥を突き続ける。
 何度も何度も、角度や触れ方を変えて私の様子を確かめながら。
 それが酷く私を苦しめる。痛みではなく快楽の方が苦しいだなんて知らなかった。気持ちいい事のはずなのに。いや、気持ちが良い事は確かなのだけど、こうどうしようもない疼きと痺れでどうにかなってしまいそうで、苦しいのだ。
「や、ひじっ……も、許してぇっ」
 強すぎる快楽に私の口から勝手に許しを請う言葉が漏れれば、彼が頭上で笑いながら意地悪く「どんな悪戯をしやがった?」なんて聞いてくるから人が悪い。私だって何を言っているのか分からないけれど、とにかく今すぐに許して欲しくて仕方がない。この焦燥感に留めを刺して欲しくて堪らない。
「おねが、私…もっ」
「最後まで、って言ったはずだぞ」
「でも、ひっ――!」
 奥をずっと突いていたかと思うと今度は突然腰を引かれて、入口ぎりぎりまで後退したかと思えば激しい動きでまた私の中を出入りし始める。
 お腹の底にずっと溜まっていた疼きが途端、膣内全部に広がったみたいに疼きだして、私は堪らずに悲鳴を上げた。
「あんま、声、上げんじゃねえ。見つかったら腹詰めさせられるだろ」
 さっきと言ってる事が違うじゃないか。
 睨み付ければ口元が緩み、また大きく動かれてお腹の底から声がせり上がりそうになる。それを必死に奥歯を噛みしめてかみ殺したというのに、土方さんは人の弱い所を責めてきた。
「ふ、ぁっン!」
 動きに合わせて濡れた音が響き始める。それは血なんかじゃない。私の身体の奥から漏れ出たもの。それが、彼の性器が私の中を出入りする度に音を立てているのだ。なんといやらしい音だろう。でもそれを奏でているのは私。
「やっ」
 認めたくないと顔を背け、必死に拳を握りしめる。
 でもそうすれば奥まで深く差し込まれて、ぴったりと繋がった場所を合わせながら小刻みに動かれてしまって、その度に響く粘ついた音が更に私に現実を突きつけてきた。くつくつと聞こえるのは私の一番奥と彼のが擦れ合っている音なのだと。
「や、だっ…は、ぁっ」
 背けた首筋に熱い吐息が掛かり、そのまま首筋を辿って耳朶まで熱い舌で舐め上げられて力が抜ける。
「ふぁ……耳、やッ」
 固い歯で柔らかな耳朶を甘噛みされてしまうともう駄目だった。どこにも力が入らなくて、拒む事も出来ない。
 それを見計らっていたのか今まで一切触れなかった裂かれた服の隙間から手を差し込まれ、胸を揉みしだかれてか細い悲鳴が弾けた。
 勿論、中を責め立てるのは止まらない。
 耳を甚振られてふにゃふにゃに溶けてしまうのに、奥や胸を弄られると身体の中がきゅんと締まってくる。一体私の身体はどうなっているんだろう。
「だ、めっ…ひじかっ」
 分かるのは私の限界が近いという事。
 何かが身体の奥から溢れそうで、耐えられないという事。
 それをどうすればいいのかなんてまだ経験の浅い私には分からない。ただ、涙混じりに限界を訴えれば彼は私の耳元でふっと笑って、余裕のない声で「俺も」と同意を示した。
 次の瞬間、強く突き上げる衝撃にぶちりと私の何かが振り切れたのが分かった。
 引き攣ったような悲鳴が勝手に口から迸り、私は意識を手放したのだった。





 翌朝。目が覚めたときにあの馬鹿は何処にもいなかった。
 夢かと思ったが、違う。鮮明に身体に残っているあいつの温もりや柔らかさは、夢のはずがない。現実だ。
 俺は酒に酔って、いや、酔った振りをしてあいつに酷い事をした。それが真実だ。
 情けなくて涙も出ねえ。
 身体を起こせば畳には転々と赤い跡。昨夜俺が無理矢理押し入った時の跡だ。
 痛かっただろうな。
 それなのに恨み言の一つも言わねえで、しかも人の事慰めやがって。あいつは本当の馬鹿だ。
 だが何より腹が立つのが自分自身だ。あいつに慰められて立ち直って、次の瞬間にはあいつの身体に夢中になって気を失うまで抱いた。いや……気を失った後もか。俺は欲に溺れてあいつを何度も何度も。
 思い出して俺は情けなさに溜息を吐く。
「挙げ句、詫びの一つもさせねえで逃げるかよ……」
 本当は俺を罵倒したいはずだ。酷い事をしたと詰ってやりたいはず。昨夜の事だけじゃねえ。近藤さんの事だって。あいつは辛かったに違いない。悲しかったに違いない。でも、俺を責めなかった。
『こんなに傷ついている人を、これ以上責める事なんて、できっこない』
 俺は十分に傷ついた、苦しんだ。だからもうこれ以上は良いんだとあの馬鹿は言った。
 てめえだって苦しいくせに、悲しいくせに。
 あいつは……俺を許した。
 こんな愚かな事をしでかした俺を、全部、受け止めやがった。
「とんでもねえ馬鹿だ」
 俺は笑う。
 あいつはとんでもない馬鹿だと。
 そして、あいつは、
「とんでもなく……いい女だよ」
 男の罪を黙って受け止められる、好い女。
 俺が惚れるのは必然だったんだろうなと今なら分かる。
 俺みてえなろくでなしを受け入れられるのは、あの女くらいだと。
「ったく、しょうがねえよなぁ」
 苦笑を漏らしたその時、遠くから重たそうな足音が遠慮がちに聞こえてきた。あれは島田だろうな。俺の様子を見に来たって所か。
 心配性のあいつの事だ。朝飯でも持ってきたんだろう。
 俺は重たい腰を上げて、乱れた着物を正す。
 何日も部屋に閉じこもったままじゃあ、あいつも、他の連中も心配するだろう。あの、お節介だって。
 すっと襖を開けると今まで感じた事がないくらいに陽射しが明るく感じられた。
 それはずっと閉じこもっていたからか、羅刹になったせいか。それとも……ほんの少しでも俺が抱えていた闇が晴れたせいか。そう言う事にしておこう。そうすりゃあの馬鹿も喜ぶだろう。
 腐るのは今日で終いだ。
 悔やんだ所でもう取り返せねえ。
 それよりも俺にはやるべき事がある。やらなきゃならない事が。

 そいつらを片付ける前に、
 まずは大馬鹿野郎の顔を見に行く事にしようか。

 さて、どんな顔をするのか……今から楽しみだ。



  罪と罰


  近藤さんが投降した後のお話です。
  きっと一人で傷付いて、落ち込んで、でも
  何も言わない周りに怒ってたり、更に辛い
  思いをしていたりするんだろうけれど、
  それを辛いと言えずに当たり散らして自分
  をまた傷つけるんだろうなと。
  そんな事を色々考えながら書いた作品です。
  まあなんていうか、土方さん格好悪いと(苦笑)
  そしてそんな格好悪い所も好きですけどね。