「考えてみればイケメンばっかり」
 ぽつりとが呟いた言葉に、沖田が「いけめん?」と首を傾げる。
 聞き慣れない言葉だった。それもそのはず、幕末のこの世界にそんな言葉はない。異国の言葉かと彼が聞いてきたが、それも違う。誰ぞが勝手に作り出した造語だ。そう教えれば彼らは驚くだろう。新たな言葉を作り出す事が出来るなんて凄いと。因みに女子高生が編み出した言葉が多いのだと言えば、自分を見る目も少し変わるのだろうか?
 それも面倒そうなので説明は省いておく。とりあえず「格好いい男の人のことだ」と教えれば、沖田は小首を捻ったまま意地悪く笑った。
「僕も『いけめん』?」
 日本語らしい『イケメン』の発音に少し笑いながらそうだと頷いた。頷くと彼はそうかとどこか満足そうに何度も頷いていた。
 中身はどうかと聞かれれば即答は避けるが……とりあえず沖田はイケメンだとは思っている。いや、此処にいる新選組幹部連中は皆イケメンだ。色男と名高い土方や原田は言わずもがな、斎藤もなかなかのイケメンである。藤堂だって少し幼い感じはするけれどそうだ。あの永倉とて筋肉馬鹿ではあるが、顔は良い。どちらかというと男臭い感じだが、ワイルド好きには堪らないだろう。
 そんなイケメンとお知り合いになる機会なんぞそうそうない。しかも一つ屋根の下……一緒に暮らしているのだ。現代であれば恋の一つや二つしてもおかしくはないだろう。それでもそんな気持ちにならないのは時代が時代なせいだろうか。人斬り集団新選組に恋なんぞ、恐ろしすぎて出来やしない。夜遅くに誰かがやって来てドキドキハプニング等といったドラマや漫画でありがちなイベントなんぞ起こりようもないのだ。違うドキドキならば毎日のように体験はしているが。

「しっかし、一つもドキドキイベントが無いって言うのも……なんかねえ」

 紅一点とは言わないが、野郎の中に女の子は二人。
 もっとドキドキな展開が合っていいだろうにと――

 そう呟いたその夜、まさかそんなハプニングが自分の身に降り掛かるとは思ってもいなかった。


 は着替え一式を手に、ぷらぷらと廊下を一人歩いていた。
 この時代に時計はないので正確な時間は分からないが、恐らく10時頃だろう。現代人のにとっては相当早い時間だが、既にほとんどの部屋の灯りは消えていた。この時代の朝は早いのだ。起きているのはほんの数名と言った所だろう。
 その中が何処へ向かっているのかと言えば……風呂場だ。
 男と偽って生活をしている彼女にとって、入浴は一番気をつけなければいけないもの。早い時間に入れば平隊士が間違って入ってくる事もあると言うので、寝静まった遅い時間にこっそりと湯浴みをしているのだ。無論千鶴も同じである。
 いつもならば一緒に風呂に入るのだが、今日は風邪気味らしく入浴は控えようというので一人だ。少し寂しい気もするがと思いつつも廊下を進み、やがて静まりかえった建屋の前までやってきた。
 カララと引き戸を静かに開ける。薄暗い室内には人の姿は、ない。風呂場の灯りは落ちて、月明かりが格子窓から差し込んでいるだけだ。
 左右を確認し、やはり誰もいない事を確かめると隙間から滑り込んだ。
 籠を拝借するといつものように風呂場の入口近くで着物を脱ぎ始める。これはいつ何時誰かが来ても着物を着られるように、という事で入口の近くに着替えを置くようにしているのだ。
 手早く着物を脱ぎ捨てて裸になると手拭いを一枚手に、いざ――
 カラ、と引き戸を開けようとした瞬間、何故か自動で戸が開いた。
 自動ドアなどではない。この時代に電気などは存在しないのだ。だから開くのは何かの力が加わったからで、勿論そんなもの自然現象で開くわけが無くて、何らかの力を加えたのは『誰か』というわけで……

「は……」

 その人の口から間抜けな声が漏れた。
 普段は釣り上がった切れ長の目が、これでもかと開かれ、間抜けにも口も大きく開かれている。呆気に取られているという顔だった。そんな無防備な顔は珍しい。そうは思った。貴重な物を見た。
 貴重と言えば、いつもきちっと結い上げている髪を下ろしているのも珍しい。しっかりと隙無く着込んでいる着物だって脱いでいるのもだ。
(あ……土方さんって意外と筋肉あるんだ)
 なかなか良い身体をしてるじゃないか。そんな感想まで述べる事が出来たのは決して彼女に余裕があったからではない。その逆頭は動揺のあまりにショートしていたからで、その止まった回路は徐々に正常な機能を取り戻そうと冷静になろうとするわけで、そうして我に返れば、の口からはそれまで止めていた衝撃の全てが爆発するわけで、
「ぎゃっ……んーっ!?」
 口を開いた次の瞬間、がばっと大きな手に塞がれていた。
 塞いだのは勿論、目の前にいるその男である。彼は必死の形相をしていた。
「ば、馬鹿野郎! でけえ声出すんじゃねえよ! 誰かが来たらどうするんだ!」
「んー! んんんんーっ!!」
 小声で諫める彼だが、それは返って逆効果だ。
 ただでさえパニック状態だというのに口を押さえられ、しかも逃がすまいと抱きしめられてはますます混乱してしまう。湯で濡れた肌がぺったりと触れる感触が更に何かを煽り立て、は必死に抗った。夢中で手を振り回して暴れると彼は鬼のような形相になる。殺される……一瞬脳裏を過ぎり青ざめた。
「いてっ! てめっ、引っ掻くんじゃねえよ!」
「んーっ! んーっ!!」
「こら、暴れるなって言ってんだろうが!」
「ふぐぐっぐぐーっ!」
 離してくれと力一杯腕を突っ張って抵抗する。その肩に引っ掻き傷をつけてしまったがはそれどころではない。とにかく一刻も早くこの場から逃げ出したいという気持ちでいっぱいいっぱいだった。
 その時、ふと、今まで以上に強い力で引き寄せられ、
「シッ!」
 耳元で鋭く低い声で告げられる。
 瞬間、ぎくんっと身体が震え、は硬直した。
 あまりに強い声に怯えたのではない。
 その声が、あまりに近すぎたせいだ。
「動くんじゃねえ」
 低い声が、まるで脳髄でも撫でるかのように直接耳に注がれる。
 彼女には硬直するしか術がなかった。だって、その声があまりに近く、強く聞こえるのだから。
 とその時、外から声が掛かった。
「誰かいるのか?」
 近藤の声だった。
 は更にどきりとする。ともすれば飛び上がりそうだった。
 だって風呂場で、裸で、彼と抱き合っているのだ。こんな所を見つかれば何を思われるのか……考えたくもない。
 無意識に彼に縋るようにその腕にぎゅっとしがみついていた。見つかりませんようにと祈りながら。
「近藤さん。俺だ」
「なんだ、トシか」
 返答に外からほっとしたような声が返ってくる。
 こんな時間に物音がしたから何かと思って様子を見に来たようだ。
「悪かったな。ちっと桶を落としちまっただけなんだ。気にしないでくれ」
 土方はまるでそれが事実かのようにつらつらと澱みのない言葉を返す。よくもまあそんな嘘を並べられるものだと感心すればよいのか、呆れれば良いのか。
「もう少しゆっくり浸かってから出るからよ。近藤さんは先に休んでてくれ」
「そうか……それじゃあ先に休ませて貰う事にするよ」
 それで納得したらしい近藤は「おやすみ」と声を掛けて、足音が遠ざかって、やがて消えた。
 それまで二人はじっと微動だにせず完全に足音が消えた所で、ふっと力が抜けた。
「ったく……冷や冷やしたぜ」
 ふ、と呟き土方の力が少し緩む。が、完全には離れないし口の方は手も離さない。
 口を塞いだままぐいと強引に上を向かされる。髪を下ろしたいつもと違う様子にどきりと鼓動が跳ねた。
「手は離してやるが、いいか、声は上げるなよ。駆けつけてきた連中に肌なんぞ見られたくはねえだろう?」
「……」
 はこくこくと頷いた。
 本当だなと念を押すと、ゆっくりと手が離れていく。はぁ、とは大きく息を吐いて、吸った。
「……ったく、確認して中に入れってんだよ」
「す、すいませんでした。この時間なら誰もいないかと思って……」
 の言葉に確かにと土方も同意を心の中で示す。彼とて誰もいないと思ったから風呂に入っていたのだ。ゆっくりと一人考え事がしたかったから。だから灯りも点けず、月明かりだけを頼りに湯浴みをしていたわけだが、それが返ってこんな事態を引き起こしてしまうとは。
 多少自分にも非があると思えばそれ以上強くは言えず、ただ溜息を零して彼は手を離すと彼女の横を通り過ぎた。
 どうやら外に出ていくつもりのようだ。
「先、入れ」
「え、で、でもっ」
「俺は後からで良い」
 でも、と顔を上げて悲鳴を上げそうになる。彼は腰に手拭いを巻いただけの無防備な恰好をしていたのだ。しかも濡れて肌に張り付いているせいで、男の尻の形なんぞがしっかりと浮き出て……慌てては視線を落とす。顔は真っ赤でまたパニックになりそうだった。だけどパニックになっている場合じゃない。
「で、でもそのままじゃ風邪を」
 さっき触れた彼の身体はまだ冷たかったのだ。
 恐らく掛け湯をしていざ入ろうとしていた所だったのだろう。そんな中途半端な状態で上がってしまっては風邪を引くに決まっている。自分のせいで風邪を引いたなんて事になったら申し訳なさすぎて顔向けも出来ない。それなら自分の方が後から入った方が良いというもの。
「良いっつてんだろ。大体こんな事で風邪ひくような柔な作り――」
 言葉が不自然に途切れた。
 と思ったら、

 っくし。

 小さなくしゃみを一つ。
「……」
 土方だった。
 今のはくしゃみじゃないぞと言い掛ければもう一つだめ押しにくしゃみが飛び出る。
「ほら、やっぱり」
「……うるせえ」
 小さくぼそりと返ってくる反論には力がない。
 は苦笑で、それじゃあ私がと出口に向かえば何故かその行く手を阻まれてしまった。
「女に我慢させて暢気に風呂にはんざ入れるかってんだ」
 なんとも格好いい言葉ではあるのだが、その語尾が決まらない内にくしゃみに掻き消されてはどうしようもない。
「気遣ってくれるのは有り難いですけど、このままじゃ本当に土方さん風邪ひいちゃいますってば」
「だからってはいそうですかってわけにはいかねえだろうが」
「別に私が良いって言ってるんですから、良いじゃないですか」
「良くねえんだよ。俺の気が収まらねえ」
「収まるも何も」
 こんな所でこんな恰好で言い合いしていたら本当に風邪を引いてしまう。
 の言葉も、先程の土方同様に不自然に途切れ、

「ふっくしゅっ」

 可愛らしいくしゃみが一つ。
 静かな浴室に響いて……消えた。

 それで結局どうなったのかというと――


「ひ、土方さん、絶対目を開けないでくださいよ」
「分かってる。何も見えねえよ」
「本当ですか!? 薄目とか開けてませんよね!?」
「開けてねえよ。てめえ俺がそんなこっそり薄目を開けて見るような助平な男だとでも思ってやがるのか?」
「思ってないけど、心配なの!」
 は言いながら身体を手早く洗っている。背中越しにちらちらと何度も確かめているのは、湯船に浸かるその人の姿だ。彼、土方は目を瞑って湯に浸かっていた。
 何がどうしてそうなったのか「二人で風呂に入る」という折衷案で落ち着いてしまったのである。まあ偏に二人が頑固すぎたのがいけないのだろう。双方が相手に先に風呂に入れと言って聞かず、二人してくしゃみを連発する程身体が冷えてしまっていたので仕方のない事。
 まあ常識で考えたら異常な事この上ないのは確かなのだが。
(……これがドキドキな展開か!?)
 ごしごしと身体を手拭いで擦りながらは思った。
 あれほどにイケメン揃いの中で暮らしながら色気もくそもない日々が続いていたが、これがもしやそのハプニングというやつだろうか。ゲームで言えばここで恋愛フラグが立つというものだ。
 しかもその相手が……
「……」
 ちらと後ろを見れば目を瞑ったままの男の姿が視界に入る。
 文句のつけようのないイケメンである。色町のお姉さん方にも大層人気の新選組一番の色男。
 立つのか、この男相手に。恋愛フラグが立つのか。
(まさか、今まで厳しくされていたのも、恋愛フラグが立つ為の布石!? これがツンデレってやつ!? ここからデレるの!? どうやってデレるの!? っていうか、土方さんとラブラブなんてそんなの想像出来ないんですけど!!)
 一人勝手に頭の中で盛り上がっていると、疲れたような声でこんな一言が投げつけられた。
「てめえみてえな餓鬼に興味なんぞねえってんだよ」
「……」
 はぎゅっと手拭いを握りしめながら固く誓う。
 例え恋愛フラグが立とうとも、ぼっきりとへし折ってやろう、と。

 程なくして身体を洗い終えると、はそろそろと風呂の傍までやって来て声を掛けた。
「は、入りますよ」
「ああ」
 男はやはり目を瞑ったままで応える。
 軽く身体をもう一度流すと、はよいしょと縁に足を掛けた。
 と、その時ゆらりと揺れる水面に肌色が歪んで見える。湯の色が透明なのだから当然の事。この時代で入浴剤なんぞを入れるといった事は滅多にないのだ。なものでは湯の中を覗き込んだ時に、見てしまった。男の下半身とやらを……
「っ!?」
 思わず動揺してしまったのは男を知らぬ初な少女なので仕方がない。
 瞬間、ずるりと足が滑り、あ、と声を上げた時には湯船に向かって思いっきりダイブ……
「うおあっ!?」
 ばっしゃーんとけたたましい音を立てては湯の中に飛び込んでしまった。
 しかも背中から。
 ごちんと浴槽の底に後頭部を打ち付け、ついでに思いっきりお湯を飲んで、鼻からも吸い上げてしまう。
 がぼ、と空気の塊を吐き、はさほど深くもない風呂の中で溺れそうになった。水深が人の腿までも無いというのに、だ。
 ようは身体を起こせば良いだけの事だが、パニックに陥っている彼女にはどれが正しいのか分からない。寧ろ水深数十メートルという深い風呂にでも入ってしまった錯覚に陥り、必死で藻掻いた。
 その時強い力がぐいと引っ張り上げて、
「大丈夫か!?」
 ざばっと身体が湯船から上げられた瞬間、は思いきり息を吸い込んだ。
 げほと思い切り噎せる。涙が出てきて、暫く咳が止まらない。鼻の奥がつーんとして、顔を顰めて鼻を押さえていると、もう一度大丈夫かと気遣わしげな声が掛けられた。
「なんで風呂で溺れるんだよ」
「す、すいませっ……足、滑って、」
「まったく、世話の焼ける」
 浮かんだ涙を拭い、すいませんと顔を向ければ歪んだ視界の中で少し呆れたような困ったような顔でこちらを見る土方の姿が映り込む。
「足を滑らせるなんざ、餓鬼じゃ――」
 あるまいし。
 また小馬鹿にしたように笑われるのだろうかと思えば、そのまま彼は突然、ぴたりとその表情のまま凍り付いて、

「……」

 その視線が、

「……」

 自分の視線と噛み合わなくて、

「……」

 漸く、気付く。

「――!?」

 先程まで身体を隠していた手拭いは、ぷかぷかと水面を暢気に揺れていた。



「お、おい土方さん……」
「馬鹿! 何も言うな、新八!!」
「……」
「平助もまじまじと見るんじゃねえ! 斎藤みてえに目を反らせっ!」
「俺は何も見ていない。俺は何も見ていない」
「斎藤、お前はお前で現実逃避してんじゃねえよ!」
「あはははは!! 土方さん、見事な平手の痕ですね。誰にやられたんですか?」
「総司、てめえは黙ってろ!!」