「俺さー‥‥に嫌われてんのかなぁ‥‥」
  ぼそっと聞こえた言葉に、は足を止めた。
  僅かに開かれた襖から光が漏れている。
  光と共に聞こえた声は永倉のもので‥‥その声は落ち込んだものだった。

  私の話?

  は足を止め、盗み聞きは良くないと思いながら声に聞き耳を立てた。
  二人が彼女に気付かなかったのは仕方のない事だ。
  いつものくせで、気配を消して歩いていたから。

  「なんだそれ‥‥」
  いきなりどうした?と苦笑混じりに聞くのは原田だった。
  酒を飲んでいるのか、いつもよりちょっと呂律があやしい。
  「だってさー」
  永倉は情けない声でぶつぶつと続ける。
  「俺がなんか面白い話をしてもにこりともしてくれねーし‥‥」
  「いや、は誰に対してもああだろ?」
  誰に対してもにこりともしない。
  多分、ここにいる全員が彼女の笑顔を見た事がないはずだ。
  自分だけが特別‥‥というわけではないのだが、永倉は止まらない。
  「それに、土産とか渡しても無言になっちまうしさ」
  「そりゃおまえの趣味が悪いからだ」
  なんだか分からない木彫りの置物やら、珍しい干物やらを買ってこられてもにどうしろというのか。
  きっと彼女なりに何か言葉を返さなければと思う結果が無言になるのだ。
  むしろ一生懸命言葉を探す彼女の身にもなってやれと原田は思う。

  「絶対俺‥‥嫌われてんだぁ‥‥」

  うう、と情けなく泣きそうな声を上げてどさりと転がる音が聞こえる。
  多分畳の上に寝転がったのだろう。

  そんな事はねぇと思うんだがな‥‥という原田の声も、僅かに寂しそうで‥‥

  「‥‥」

  はきゅと、己の着物の胸元を握りしめた。

  そんな事ない――

  心の中で激しく声を上げても、
  でも、
  彼らの目に映っている自分はきっと、そうなのだ。

  がどう言葉にしても、彼らには伝わらない。
  伝える術を彼女は持たない。
  もどかしさに唇を噛みしめ、その時、

  悔しさというものをは知った。



  「おまえがか?」
  「お、噂通り綺麗な顔してるな」
  原田と永倉がこの屯所にやってきたのはほぼ同時期だった。
  近藤と意気投合し、食客としてこの道場に世話になるとトントン拍子に決まり‥‥気がつくと彼らは客間に寝泊まり
  することになった。
  どちらもかなりの剣の使い手で‥‥
  どちらも、地位や名誉に執着をしない男だった。
  こと永倉に関してはそれなりに地位のある人間だったらしいが、それを全て捨てて脱藩してきたのだという。
  純粋なる――強さを求めて。

  はそんな二人と初めて会ったときも、にこりともしなかった。
  ただ、控えめに頭を下げ、
  「宜しくお願いします」
  と言っただけだ。
  かわいげのない子供と映ったに違いない。
  しかし‥‥彼らは気を悪くした風もなく、笑って頭を撫でてくれた。

  「おう、
  庭掃除なんて偉いな!」

  そんな彼らは、何故か分からないがによくしてくれた。
  ことある毎に声を掛けてくれて、面白みも欠片もないのに辛抱強く話をしてくれた。
  外に出れば土産を買ってきて、一緒に食おうと誘ってくれたりもする。

  げらげらと豪快に笑う二人に、土方や沖田は「煩いなぁ」と顔を歪める事もあったが、は嫌いではない。
  二人の笑い声は楽しそうで‥‥聞いているだけでこちらも楽しくなってくる。
  ただ、
  それは顔には出ていないらしい。
  いつもむっつりとして座っているように見えているらしかった。

  そして、永倉には「自分は嫌われている」と誤解までされる始末だ。

  そんな事はない。

  変わった土産だって嬉しかった。
  貰った物は全て、葛籠の中に大事に仕舞ってある。
  壊れても、だ。

  いつも嬉しいし、楽しいし、勿論彼らの事は嫌いではない。
  好きだ。
  大好きだ。

  でも‥‥

  「伝わってない」

  はぼそりと呟いた。

  多分永倉だけじゃなく、原田にも。

  自分の‥‥好きという気持ちは伝わっていない。

  自分はそんなに感情表現が下手なのだろうか?
  いや、同じ年の子供と比べたら確かに下手なんだろうな‥‥
  下手、というか、なんというか。


  茜色に染まる通りを一人はぷらぷらと歩きながら、そんな事を考えていた。

  不意に、

  「父ちゃん!」
  ばたばたと横を通り過ぎる子供の姿がある。
  背丈は‥‥よりも少し高く、少しばかり恰幅のいい子供だった。
  なんとはなしに視線で追いかけると、少し先に父親らしき男の姿がある。
  ひょろ長いやせ形の男は、野良仕事の後なのか‥‥あちこち泥だらけだった。
  過ぎ去り様の子供の顔は輝いて‥‥嬉しそうだった。
  あれが大好きな人に向ける顔か、と他人事のように見守り、

  ――ばふっ!!

  と痩せた男は子供に勢いよく抱きつかれ、身体がよろめいた。

  あ、倒れる。

  は予想したが、

  「っ」

  父親は踏ん張り、大きな体を受け止めた。
  受け止め、これまた優しげな、慈愛に満ちた顔で子供を見つめるのだ。

  「宋太、どうした?
  ばあさまの所にいたんじゃなかったのか?」
  父親は子供の頭を撫でながら訊ねる。
  子供はすりすりと甘えるように数回頭をその着物に寄せた。
  泥が着物につくのも構わず、強くその身体を抱きしめると、
  「だって、父ちゃんに会いたかった」
  と答える。
  「はははっ、今朝も会っただろうに」
  まさか久々の親子対面かとも思ったが、そうではないらしい。
  「だって‥‥」
  とむくれる子供に、父親は皺のある顔を歪めて笑う。
  「宋太は、ばあさまよりも父ちゃんの方がいいのか?」
  問いかけに子供は勿論と言わんばかりに頷き、
  蕩けそうな笑顔で、
  「父ちゃんのが好きだ」
  そう言った。

  その言葉と表情で‥‥子供がどれほど、父親を好きなのか‥‥無知なでも分かった――



  ばたばたばたばた。
  慌ただしい足音が聞こえる。
  「なんだぁ?」
  と稽古を終えた原田が顔を上げれば、
  ばたばたばた、
  騒々しい足音をさせながらがこちらへと走ってくるのが見えた。
  しかも何故か怖いくらいに真剣な顔で、だ。

  「お、?」

  どうしたと原田が声を掛ける。
  それよりも前に、

  ――が走った。

  走って、その大きな身体めがけて‥‥

  「っ!」

  「うぉっ!?」

  原田は声を上げた。
  ばふ、と思い切り腹に体当たりをかまされたからだ。
  とはいえ、相手はしっかりとした体躯の持ち主。
  先ほどが見た父親のようによろめくこともなく、ただ僅かに後ろに傾いだだけで触れた筋肉が固くなって、
  止まる。
  濡れた着物が顔に着いた。
  男の汗のにおいがした。
  それでも構わず、

  「‥‥?」

  はその身体に手を回して、抱きついた。

  因みにから抱きついたのはこれが初めてだ。

  これは一体‥‥どうしたことだろう?

  「な、なんかあったのか?」

  原田は声を掛ける。
  呼びかけには応えず、は頭の中でぐるぐると回る言葉を整理する。
  ここに来るまでに色々と考えていた。
  それよりも衝動的に走ってしまって、衝動的に抱きついた。

  言いたい事があった。

  「‥‥」

  ずっと前から言いたい事があった。
  伝わらなくて、もどかしかった事。

  はその顔を見上げて‥‥
  こみ上げる感情をそのまま、音にした。

  「‥‥です‥‥」

  「え?」

  最初の音が聞こえなくて聞き返す。
  暖かい、優しい気持ちが身体の奥から溢れて、は知らず、目元が綻ぶのが分かった。

  「さのさんが‥‥すき」

  ふわりと、少し照れたような顔で。

  ――この気持ちが伝わりますように――

  初めての笑顔を見せた。


  届けこの想い




  この後、新八も同じように言われて感涙。
  おまけに総司とかにも「僕は?」とか言わ
  れてるに違いない。