、何してんの?」
 誰か通りかかってはくれまいか。そうほんの一秒前まで思っていたけれど、いざ人が通りかかるとは反応に困ってしまった。
 彼はクラス一番の問題児だが、自分にとっては友人だ。見知らぬ人に助けを求めるよりも抵抗はないはず……なのだが、
「あ、ぇえと」
 助けてくれと縋れないのはきっと彼が『男』だからだろう。
「蟻の巣でも埋めてるの?」
「そんなひどい事しない!」
「じゃあ、なんでこんな所にしゃがみ込んでるの?」
 こんな誰もいないような物陰に、と彼は言いながら近付いてくる。
 は自分の膝を抱くように身体を丸めたまま、ええと、と一瞬だけ返答に迷ったが、どちらにせよ彼に助けを求める以外この状況を打破する事は出来ないと悟ったらしい。
 一つ溜息を吐くと、笑わないで聞いてくれよと前置きをした。

「水着、流されちゃった」

 そういえば、解いてやりたいと思っていたオレンジ色の紐が……無かった。



 解けないようにとしっかりと結んだはずなのに、自然の力は偉大だと言う事なのか。
 たっぷり泳いでいざ上がろうとした所でふと違和感に気付いた。水から上がる前で良かったとそれは安堵するべき所か、外れた時に何故気付かなかったと自分の間抜けさを嘆くべきか迷ったものだが、とにもかくにもその時には胸を覆っていたはずの水着が忽然と消え失せていた。
 さすがにもこれには慌てふためき、どうすればいいのかとあたりを見回したが見知った顔がなくて困ってしまう。
 一緒に来た友人でも見つければなんとかしてもらえるだろうが、そうなると人の多い方へと行かなければならない。ゴーグルをつけていれば海の中でも周りは見えるわけで……そうしたら陸に上がるのと同じ状況だ。
 そしてだからといって海の中にずっといるわけにもいかない。
 は仕方なく、人気のない方へと泳いでいって誰にも見られずに陸に上がる事が出来たのだけど、ここで困ってしまった。
 手で隠しているから見えないとしても、その状態で平気な顔して歩けるほどは恥を知らぬ訳ではない。
 これからどうしようか、誰か通りかからないだろうかと物陰に隠れていた思案していると、彼が偶然通りかかったという所である。

「ってわけで、悪いんだけど……総司タオル持ってきてくれない?」
 彼が上着でも着ていれば良かったのだけど、生憎彼も水着一枚だ。
 手間を掛けさせて悪いが取りに戻ってもらえないだろうかと訊ねれば、彼は目をまん丸くした後に意地悪い顔で「そうだな」なんて一人ごちる。
「この貸しは高いよ?」
「うっ! おまえは、人が困ってる時にっ」
 沖田総司に借りなんぞ作ってしまったらそれこそ孫子の代まで奉仕せねばならないのではないだろうか。そんな嫌な予感に一瞬は顔を顰めて呻く。
「あはは、冗談だよ。流石の僕もそんなに鬼じゃないって」
 それはどうだろうか、は笑顔で冗談だと言う彼を心底疑わしい目で見上げる。
「ほんとほんと。タダで助けてあげる」
「タダより怖いものはないって言うけどね」
「それじゃ、助けていらない?」
 僕戻っても良い? なんて意地悪く笑って踵を返そうとする沖田をは慌てて呼び止めた。
「た、助けてください! お願いします!!」
 一生のお願いとまで言って窮屈そうに手を合わせれば彼は苦笑を浮かべて、
「うん、それじゃあ、助けてあげる」
 そう答えながら何故かこちらへとすたすたと近付いてきた。
「え、総司?」
 荷物はこちらにはない。あれば彼に頼むなんて恐ろしい事はしない。
 だというのに何故こちらへ近付いてくるのかときょとんと目を丸くして目の前までやってきた彼を見上げれば、彼はにこにこと笑いながら言った。
「タオルを取りに行ってあげてもいいんだけど」
 けど、恐ろしい言葉だ。
 やはり見返りかと構えれば、
「でも、その間に変な人とかが通りかかったら大変だと僕思うんだよね」
 意外にも彼はの事を心配してくれていたらしい。
 まあ確かにこの状況で変な輩に見つかったら大変だ。というか、出来れば誰にも見つかって欲しくない。恥ずかしい目に遭うのは一度で十分だ。
「うん、だからね」
 と沖田は言って、膝をついたかと思うと、
「なに、う、わっ!?」
 背中に手を回されて引き寄せられつんのめるのを慌てて手で支えようとすれば、そのまま抱き込まれたまま膝裏に手を差し込まれて抱え上げられる。
 ぽかんと驚いた表情を浮かべる彼女の胸元は、本当に無防備だった。
 ああ、彼女はこんなに胸が大きかったのかとそんな事を頭の中で冷静に考えられるほどに。
「荷物を取りに行くよりも、ホテルに戻った方がいいかもしれないね」
 どうせこの後彼女は泳げないだろうし、誰の目にも触れたくないだろう。
 部屋に戻ろうかと言って歩き出すと漸く我に返ったが「ストップ!」と慌てた声で制止をかけてくる。
「そ、総司、やっぱり下ろしてってば」
「なんで? このままじゃ戻れないんでしょ?」
「い、いやだって、この恰好でも、」
 は沖田の腕の中で自分の胸を必死に両手で隠しながら、ごにょごにょと恥ずかしそうに呟いた。
「は、はずかしい」
 どちらにしても彼女が水着を流されたという事実は隠せない。
 ついでに彼に抱き上げられているという構図が恥ずかしさに拍車を掛けて、どうにも居たたまれない。
 これなら危険かも知れないが沖田が戻ってくるまで物陰に隠れている方がマシというもので、

「それじゃあ、僕の首に手を回したらいいんじゃない?」
「え?」
 なんの解決策になると言うのか、沖田の提案には目を丸くする。
 まん丸く見開かれた瞳がどことなく幼くて、つい笑いが込み上げるのを彼は喉の奥に力を入れて堪えると、詰まった息を誤魔化すみたいに言葉を紡いだ。
「だってほら抱きついてたら、顔、隠せるでしょ? そしたら恥ずかしくなくなるよ」
 それはやっぱり解決に繋がらないような気がするのだが、あまりにもはっきりと正々堂々と言われるとそれこそが正解なのではないかと錯覚するから不思議である。

「じゃ、じゃあ、失礼して」
「どうぞ」
 恐る恐ると細い腕を伸ばす彼女に、抱きつきやすいように首を前に倒した。
 見えないようにと腕は一本ずつ。
 首の後ろにしっかり回して、顔を肩に押しつければ……当然胸に触れるのは彼女の感触だった。

 あ。と思わず声が漏れそうになるのも、口元が笑みに歪みそうになるのもとにかく我慢して「行くよ」とだけ断りを入れて歩き出す。
 何もかも我慢は出来たけど、恐らくホテルに着いてからは我慢できないだろうなと沖田は人ごとのように思いながら揺れる飴色を見つめていた。



  ただの君に触れる口実