向こう側が透けて見えるほど薄く削れた鰹節がざらりと鍋へと吸い込まれていく。
香りが立つくらいしっかりと出汁を取ると、綺麗に切られた野菜を煮立っただし汁の中に頃合いを見て放り込む。
勿論それらは食べやすい大きさに、そして味の凍みやすい大きさに切られていた。
具材にしっかりと熱が加わった所を見計らって適量の味噌を入れて溶かし、
ふわりと香る香ばしいそれに、少しだけ口元を緩めた彼、斎藤一は鍋の中の汁を少しだけ掬って‥‥一口、味見をした。
「美味しそうだね。」
お世辞ではなく、本心からそう告げた瞬間、
一はどこか落胆したようにこう、告げた。
「これでは駄目だ。」
すなわちその関係は‥‥
一体何が気に入らないんだろう?
みんな、美味い美味いって言いながら味噌汁を飲んでくれているのに、一は一人、納得がいかない様子で一口一口を確か
めながら咀嚼している。
時折むっとしたように眉間に皺を寄せるもんだから、みんな触れちゃいけないのかと思って、その内味噌汁の事は何も言
わなくなった。
お世辞じゃなく、美味しいのに。
何が気に入らないんだろう?
私はこく、と深い味のする味噌汁を飲みながらやっぱり美味しいと呟いたのだった。
その日の昼、本当は平助と総司が食事当番だったんだけど、先日池田屋で負ったという怪我のせいで、土方さんから自室
で休んでいろと言い渡されてしまい、その為に巡察当番ではない一と、その時丁度暇だった私が本日二度目の食事当番と
あいなったのだ。
さて昼ご飯は何を作ろうか。
「‥‥主食は野菜と豆腐を炒めたものでいいかな?」
味付けは味噌か醤油で、と言うと、一は襷がけをしながら構わぬと答えてくれた。
あとは蕪の酢の物と、それから味噌汁を適当に作るとして‥‥
「味噌汁の具材は、大根と芋にけってーい。」
「ああ。」
「ってことで、一。」
はい、と私は大根と芋を手渡した。
なんだ?と怪訝そうな顔をする彼に、にこやかに笑いながら、
「切って?」
とお願いする。
朝も味噌汁当番だったのに申し訳ないけれど、きっと私がやるよりずっと良い。
特に芋は、私が切ってしまうと本当に残念な事になってしまう。
丸い形があっという間に四角に‥‥なんて、勿体なくて怒られちゃうよ。
「‥‥」
一は暫くじっとそれを見ていたが、やがて無言のままそっと私に押し返してきた。
おや?拒否?
珍しいと思って目を丸くすると、彼はこう言った。
「味噌汁は‥‥あんたが作ってくれ。」
「‥‥え?なんで?」
「‥‥‥」
無言で視線を逸らされる。
髪の毛のせいで表情が見えない。
私はむぅと唇を尖らせた。
「‥‥いい、けど‥‥」
と芋と大根をじっと見つめて、呟く。
「皮の方に身をたっぷり持っていかれても、いい?」
「具材だけは俺が切ろう。」
奪うように私の手から二つの野菜を取り上げる一君は少し酷いと、私は思った。
いや、私が不器用なのは事実なんだけどね!
とんとん、と小気味のいい音が背後で聞こえる。
私は背を向けて玉葱の皮を剥いて、ついでに葱や白菜なんかを水で洗って、終了。
どう考えても私の方が仕事が少なくて速く終わってしまって、手持ちぶさただったから彼の状況を伺うべく背後からそろ
っと手元を覗き込んだ。
「相変わらず綺麗に切りますなぁ。」
「普通だろう。」
「いや、私が切るとほら、あれだし。」
「あんたが普通じゃないだけだ。」
「まあ、ひどい。」
「あれほど見事に人を斬るというのに、何故野菜などに手こずるのか分からぬ。」
誉めてくれてるんだろうけど、比較対象が微妙すぎる。
人と野菜、いっしょくたにするのはよろしくないと思うぞ。これ他の人が聞いたら食べる気失せるだろ。
「人は、的として大きいからね。」
不謹慎な一言を零すと、一はそうか、とだけ呟いた。
そう口にしてから思う、私って、細かい事が苦手なんだな、と。
大ざっぱなんだよね。女の子なのに残念な感じだ。
「‥‥」
それに引き替え、一は女の私も驚く程、野菜を細かく丁寧に切っている。
彼の性格‥‥なんだろうけど、ちょっと羨ましいぞ。
あんまり羨ましいので思わず意地悪が口をついて出た。
「一ぇ。」
「なんだ?」
「‥‥おまえ、良い奥さんになりそうだな。」
「っ!?」
がつん、と嫌な音を立てて包丁がまな板を叩く。
その向こうで芋が歪な形となって、現れた。
「な、なっ」
何を、と言いたいんだろう。
一は私を振り返って、わなわなと震えている。
因みに顔は仄かに赤い。
予想だにしなかった事を言われて動揺しているのか。
そりゃそうだ、どこからどう見ても「男」としか見えない彼に「良い奥さんになる」なんて言ったら、そりゃ驚く。驚く
上に怒るよな。普通の男は。
「失敬『良い旦那様』でした。」
その怒りの声が発せられる前に私はにこりと笑って言って、彼の手元から包丁と綺麗に切られた具をまな板ごとかっ攫った。
それを煮立った鍋の中にだばだばと入れる。
取り残された一はしばらくの間何か言い足そうに「あ」だの「う」だの言ってたけど、結局私が無視を決め込んだものだ
から、黙り込む事にしたらしい。
揃って無言になると、ただ鍋の中の湯がくつくつと煮立つ音だけが響いた。
「さてと‥‥」
くるりと中身を掻き回しながら、杓子にあたる芋の感触を確かめる。
柔らかくなった所で味噌を溶こうと手を伸ばすと、肩越しにぬっと黒い影が出てきて、思わず驚いて振り返ってしまった。
一だ。
振り返った私が驚いていた事に気付いて、あ、と彼は小さく呟き、
「そ、その、すまない。」
驚かせるつもりは、と、謝罪されて私は慌てて首を振った。
「あ、いや、別に、大丈夫。」
ちょっと驚いただけだ、謝られることじゃない。
気を取り直して味噌を掬い取り、少しずつ溶かしながら馴染ませる。
それを一は、じっと、真剣な面持ちで見つめていた。
もうなんていうの?食い入るように見るっていうのかな。
私の一挙手一投足を目に焼き付けるみたいな‥‥
「‥‥」
なんだかあんまり真剣に見るもので、私はやりにくくて仕方ない。
ええと、と私は味噌を溶く手を止めて振り返った。
「一さん?」
「‥‥な、んだ?」
無意識だったらしい。
私の呼びかけにはっと我に返ったかのように肩を震わせて私を見て、今更のように平然を装おうとする所がおかしかった。
「えっと、凝視しすぎじゃないかと。」
「‥‥」
指摘に彼は音にならず「あ」と漏らした気がする。
口を微かに開けて、しまったという顔になって、それからぶるっと勢いよく頭を振った。
「い、いや、これは決してあんたの技を盗むつもりではなく、だな!」
「技を盗む?」
「盗んで等いない!ただ、参考にさせてもらえればとっ」
技を盗む、参考にする。
彼が見ていたのは私が味噌を溶くところ。
盗むものも参考にするものも何もないわけで‥‥
怪訝そうに眉を寄せれば彼は、その、と観念したように呻いて、申し訳なさそうに眉を寄せて視線を落とした。
「‥‥あんたの味噌汁は、俺が作るものよりも美味い、から。」
だから、とその後は窄んで消えてしまう言葉に、私は「あ」と今朝、彼が零した言葉を思い出した。
彼は言った。
『これでは駄目だ』
と。
味も見た目も完璧だと思ったのに、彼は駄目だと言った。
どうして駄目なのか分からなかった。
まさか私のものと比べて、劣っているから駄目だ、などと思っているとは露にも思わない。
というか、
「‥‥私の、あれ、だけど?」
自分でも不器用なのは分かっている。
今日だって恐らく一に助けて貰わなければこりゃふざけてんのか?って味噌汁が出来たと思う。特に具材の大きさが。
ただ味付けに関しては皆から太鼓判を貰えてるんだけど‥‥そこがちょっと不思議で仕方ない所で‥‥
だが、
と続ける私の言葉を遮り、一は悔しそうに言葉にする。
「あんたの味噌汁は、本当に、美味い。」
「‥‥」
素直に心の底から美味いと賛辞の言葉を贈られて、私はなんとも気恥ずかしくなってしまった。
「あ、ありがとう?」
「何故疑問系なんだ?」
「いや、なんとなく‥‥」
恥ずかしさを紛らわせるために笑ってくるっと彼に背を向けた。
残りの味噌を手早く溶かすのを、一は今度は真横にやって来て、見た。
今度は堂々と技を盗むらしい。
くすっと小さく笑って、味噌が完全に溶けきった所を確認してから、一口分汁を皿によそって彼の目前に差し出した。
「味見。」
「‥‥ああ。」
一は面食らった様子で受け取り、真面目な顔で皿に口を付ける。
こく、と喉の隆起が上下するのを見守ると、彼は顰め面で皿を口から離したのだった。
「‥‥不味い?」
途中で味噌を溶くのを止めて放置したから辛くなっただろうか?
その私の問いに、彼はゆっくりと頭を振って否定を表し、
「美味い。」
悔しそうに告げる。
良かった。
私はほっと息を吐きつつ、くるりと一度掻き回して火を消す。
それを手早く碗に盛りつけようとすると、一は心底不思議そうに聞いてきた。
「一体、俺との何が違うと言うのだろうか?」
聞く、というよりは独り言に近い。
具材の切り方は勿論私の惨敗として、手順も、味噌の量も、それからだしに使うものも、ほぼ変わらない。
それなのにどうして私の味噌汁の方が美味いのか‥‥一は分からないらしい。
そりゃ私だって同じだ。
というか、彼の味噌汁と私の味噌汁とで、私のものが美味しい、と思った事はない。
ただ一の味が完璧だとして私の味は‥‥
「あ」
私は思い当たった。
一つ。
もし、私と一の味に違いがあるとしたらそれではないだろうかと思った。
「一。
実は私、隠し味をちょっと入れてるんだよ。」
なおも真剣な顔でぶつぶつと呟く彼を、悪戯っぽく覗き込みながら私は言った。
彼は驚いたように目を開き、だがすぐに訝るようなそれに変わる。
彼は私が具を入れて味噌を溶くまでをじっと見ていた。
その間、隠し味を入れたようには見えなかっただろう。
当たり前だ。
それは、
「愛情です。」
見えないものだから。
「あい、じょう?」
何を馬鹿な事をと言いたげな表情に私はにこっと笑って肯定する。
「いつも頑張ってる皆に少しでも美味しいものを食べて、ほんの一瞬だけでも幸せな気持ちになって欲しい。
って、愛情を込めるんだよ。」
「‥‥それが、味噌汁の味を変えるというのか?」
「もしかしたら、ね。」
意地悪く笑って返すと、一は呆気に取られたかのように目と口とを開けて、言葉を無くした。
まあ、実際気持ちが味を変えるかと聞かれたらそんな事はないんだろうと思う。
ただ、なんていうか、その人が持っている感情一つで、味付けっていうのは全く違うものになる気がするんだ。
例えばちょっと怒ってる時は味は辛くなったり、哀しい気持ちの時は薄くなったり、とかさ。
いつも通りにやってるつもりでも気持ちと味付けは左右されるんじゃないかなと思う。
一は言った。
「私の味噌汁は自分のよりも美味しい」
と。
それならきっと、私は、
「一に喜んで貰いたいって気持ちを、いっつも込めて作ってるから、その気持ちが美味しくするんだよ。」
「っ!?」
見上げてにこりと微笑むと、彼はびくりと、らしくもなく肩を震わせた。
深い青が、こぼれ落ちそうなくらい見開かれて、驚きと戸惑いの混ざった色で私を見つめている。
「‥‥‥‥」
それが徐々に色を、嬉しさとも愛しさとも取れるそれに変わっていくのを見て、私は自分でも意地が悪いなぁと思いなが
らこう、続けた。
「みんなにも、だけどね。」
「‥‥」
案の定。
喜びから一変、複雑な面持ちになった彼に、私はふっと噴き出してしまう。
なんだかんだ言って、一は分かりやすい性格をしてると思うんだ。勿論、親しくなれば、だけどね。
「さて、膳も盛りつけた事だし。」
そろそろ運びますか、とまだ不服そうな顔をしている一に声を掛ける。
彼は答えもせずに膳を持ち上げて私の横をすっと通り過ぎてしまう。
怒ったような、拗ねたような後ろ姿を見ていると募るのはどうしようもない愛おしさだ。
「ね。一。」
このまま怒らせたまま、というのはちょっと可哀想と言うもの。
折角食事の準備を手伝って貰えたんだから、何かお礼の言葉の一つでも言わなければと、思う私の口から言葉がこぼれ落
ちた。
「私天才的に不器用だから駄目な奥さんになりそうなんだけど、それでも良かったら私の旦那様になってくれない?」
そしたらずっと私美味しいお味噌汁を作れると思うんだけど?
たった一人の為だけに。
――がしゃんと嫌な音が、長閑な空に響き渡った。
「膳を落としかけるくらい、衝撃的?」
「あ、あん、たは、一体何を唐突にっ!」
「前もって言えば良かった?」
「そういう問題ではない!!」
「あーもー、どっちにしろ怒るんじゃん。」
「お、俺は怒ってなど‥‥」
「で?返事はどうよ?」
【Oil】酉加羅揚子様へ
相互記念に、ということで書かせていただきました♪
リクエストいただいたのが斎藤さんと二人で料理、なのに
彼の良さが半分も描けなかったよ!!もっとああしたい!
こうしたいってあったのに、力不足で申し訳無いですっ
多分、斎藤さんの料理は美味しいけど無機質‥‥って感じ
がするので、そこに不満があって精進する彼を描いてみた
という形です☆
しかしながら、うちの問題児。
そういう事は男に言わせてやれよ☆
こんなんでよろしければもらってやってください〜〜っ
2010.11.7 三剣 蛍
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