「ほんっとうに、あいつらはどうしようもないガキだな!」
縁側でぽかぽかとした陽気に誘われて一休み。
ここ数日間忙しく走り回っていたにとっては久々の休みで、のんびりと過ごすはずだったのにそんなのお構いなしと
ばかりに隣に腰を下ろした井吹が腹の中に溜まった苛立ちをぶちまけていた。
普段留守がちな接点のあまりないに彼が近付いてくる事自体が珍しい。が、話を聞いてみれば納得だ。
『龍之介の肝試し』
と称して、沖田らの悪戯によって井吹が迷惑を被ったのは記憶に新しい。
幽霊などいないと浪士組の連中を笑い飛ばした彼を懲らしめてやろう‥‥という事だったのだが、あれはやりすぎだ。
も後から聞いてそう思った。
廊下を油まみれ、部屋を水浸しにすればそりゃ土方の雷も落ちるのは当然の事。
時々井吹の言葉には聞き捨てならない所があるけれど、あれはあれで井吹の可愛い所なのだ。暖かい目で見守ってやれば良い だけの事。
「あんたも、幽霊なんていないと思ってるだろ?」
怒り続けていたかと思えば突然、井吹が目はつり上げたまま、だが些か不安げに瞳の奥を揺らしながらこちらを見て訊ね
てきた。
接点のないに話しかけてきた理由は彼女以外の連中に腹を立てていたから‥‥だけではないらしい。
屯所の中では一番無害で、なおかつ理性のある人間と思われている彼女の意見が聞きたかったのだ。
『幽霊などいない』
そう言って貰えれば、彼は安心できる。
これは噂で聞いた話なのだが、井吹は本当の幽霊にあってしまったかもしれないのだ。
幽霊など存在しないという彼の説が、崩れ去ろうとしているのだ。
それを‥‥に正してもらいたいのだろう。
はふっと喉の奥だけで笑いを漏らした。
その笑いは彼に一切悟らせず、そうだな、と湯飲みに口を付けたままで答える。
「私は幽霊なんかいないと思う」
の言葉に井吹の唇から漏れたのは確かに安堵の溜息だろう。
ほっとした‥‥そんな様子を悟られまいと、慌てて唇を惹き結んで険しい顔をしてみせるあたりが、面白い。
井吹は心強い味方を得たと思ったのか、力強く頷いて「そうだよな」と拳を握りしめて息巻く。
「いるはずなんかないんだよな、そんなもの」
やっぱりあれは何かの間違いだ。幽霊などいるはずもない。
そんないないもので大騒ぎをする連中は‥‥
「あいつらは絶対、ガキだ」
「まあ、ガキだなー」
あははと楽しげにが笑えば、井吹の口元にも僅かに笑みが浮かぶ。
そうだよなと同意する声は明るく弾み、怒りも怯えももう何処にも見られない。
すっかり安心した様子だった。
「あ、でもさ」
楽しげに笑いを続けていたが思い出したように声を漏らし、笑みを微かに引っ込める。
「幽霊はいないと思うんだけど。たまに変な事が起きる事はあると思う」
「変な事?」
訝しげに眉根を寄せる彼に、はそう、と応えながら宙を見つめて続けた。
「昨夜もそうだったんだけど‥‥仕事が終わった時にこう、さ」
仕事、という言葉に井吹は思わず顔を顰める。
仕方のない事だ。には仕事が二つあるのだが、色町に潜入する方は基本話題にしない。何故なら誰かに聞かれている
と困る事だからだ。だから彼女が「仕事」というのはもう一つ。人を殺める方の仕事。
特に彼女は沖田のように派手な殺し方はせず、ひっそりと誰にも悟らせずに人を殺めるのを得意としている。
忍び寄ってきた事さえも悟らせずに一瞬で仕留めてみせるというのだから、恐ろしい。
うっかり標的にでもされていたら、気付いたら死んでいました‥‥なんて事になりかねないだろう。
井吹は一つぶるりと身震いした。
それを笑い飛ばしながら、まさか、と彼は言う。
「死んだ奴らがむっくり起きあがった‥‥とか言わないでくれよ」
下手な怪談話だと笑えばはそんなんじゃないよと笑って、更にぞっとするような事を言った。
「起きあがったらもう一度始末するだけだし」
「‥‥」
「まあ、とにかく、その全員始末し終えて、さあ帰ろうかって言う時なんだけどさ」
はこくりと、茶を啜った。
その音が、何故だろう‥‥酷く恐ろしく聞こえるのは。
まるであの赤い瞳をした化け物が、血でも啜ったみたいにおどろおどろしく聞こえるのは‥‥
「後ろから、足音がついてくるんだよ」
彼女の声音はいつもと同じだ。
「ひたひたって、裸足でついてくる音がさ」
沖田のように怖がらせようと声の調子を変える事もなく、いつものように‥‥そう、まるで天気の話でもするみたいな
声で、綴った。
「でも、振り返っても誰もいなくて‥‥また歩き出したらついてきて、今度はさっきよりも大きく聞こえてさ」
「お、おい、」
下手な作り話なんてやめてくれよ、と言いたかった声が喉の奥に張り付く。
やけに喉が渇いていて唾を飲み込むのに全然潤ってくれなくて‥‥
「幽霊なんていないと思うけど、多分、私の肩には殺した奴らの痛みとか苦しみとか、そういうのがついてきてるんだろ
うなぁ」
は言いながら、あ、とまた小さく声を上げた。
「今、また聞こえた」
ひた。
裸足で歩く足音が‥‥何故か井吹の耳にも聞こえた――
「おい」
「うぁあああああああああ!!」
次の瞬間、聞こえた声に井吹の絶叫が上がり、声と同時に飛び上がった男は後ろを確認する事もなく犬のように四つん這
いで、逃げていく。
「な、なんだってんだ? あいつぁ‥‥」
そんな井吹をやはり犬だなと内心で呟きながら見送れば、戸惑ったような声が聞こえては笑いながら視線を戻した。
「絶妙な間合いでした、土方さん」
「はあ?」
「流石鬼の副長、人を怖がらせるのには長けていらっしゃるということで‥‥」
さっぱり状況が飲み込めないが、とりあえずからかわれているのだけは分かる。
土方は顰め面に戻すと、
「馬鹿言ってねえで、とっとと来い」
仕事だと言うとくるりと背を向けてしまう。
ははぁいと間延びした声を上げて軽やかに立ち上がると、一歩を踏み出して‥‥一度だけ振り返った。
井吹に言ったような足音は‥‥‥聞こえない。
ただ、時折目を瞑ると悲鳴と血のにおいが蘇るのは――もしかしたら幽霊の仕業かもしれない。
相談相手はよく考えて
龍之介の肝試しのその後、というお話。
きっと相談をしているに違いない。
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