春は少し苦手だ。
日差しは暖かいくせに、時折、冬の名残とでも言わんばかりに冷たい風が吹くから。
折角芽吹いた花々が冷たい雨で萎れていくから。
なんだか、わけもなく切なくなるから。
それから、それから、

ぴぴぴ、と電子音が聞こえてはパジャマの中からそれを取りだした。
表示されている数字を自分の目で確かめるよりも先に、
「あ‥‥」
奪われた。

それを見た途端、眉間に深い皺が刻まれる。

「‥‥38.7‥‥」

平熱が35度代の彼女にとっては‥‥高温に近い熱である。

3年生へと上がるこの時期、塾やら受験勉強やらと多忙を極める彼女に、ここ数日の春とは思えない寒さは堪えたらしい。
普段風邪なんて滅多に引かない‥‥というか、調子が悪くても隠すような彼女であるが、今回ばかりはそうもいかなかった。
なんせ、ベッドから立ち上がる事も出来ない、というほど調子を崩していたのだから。
朝になって
『身体が動かない』
というメールを貰って、すっ飛んできたのだが‥‥来て正解だ。

「平気‥‥ですよ。」
「嘘吐け。」

真っ赤な顔をしてよく言うものだ。
土方は買ってきた冷却シートを彼女の額に貼り付けながら、はぁ、と溜息を零した。

「まったく、なんだってこんな日に熱を出すんだ。」

言葉に、は申し訳なさそうに瞳を伏せた。

「折角のデートなのに‥‥」

ごめんなさいと、ひどく申し訳なさそうな表情と声とで謝られ、罪悪感が募る。
そうじゃない、と男は顔を顰めながら、

「折角の誕生日‥‥だろ。」

優しい声で言って、安心させるように頬を撫でた。

そう、
三月の終わりに近いある日が‥‥の誕生日。
普段我が儘一つ言わない大事な彼女の為に、久しぶりにどこぞへと連れていってやろうと思っていたが、これでは計画を中止せざるを得ない。
勿論残念‥‥とは思っても、彼女を責めるつもりはない。
デートは別の日にまた行けばいいのだ。
ただ、今日という日を盛大に祝ってやれないのが、心苦しくはあるけれど。

「何も食ってないだろ?
ちょっと粥でも作ってやるから‥‥」
そう言って腰を上げれば、
「‥‥食べたくない。」
布団の中からそんな返事があった。

どうやらウィルスは胃にまで及んでいるらしい。
さっきから胃がムカムカして、とてもじゃないが食べられる気配ではない。

彼女にしては珍しい我が儘だ。

出来れば聞いてやりたい気もするけれど‥‥

「駄目だ。」

土方は軽く頭を振った。

「薬を飲まなきゃいけないだろ?
少しでも良いから何か入れておけ。」
そうではないと更に胃をやられることになる。
熱が出てそれだけでもツライというのに、更に胃痛まで起こさせるわけにはいかない。

「‥‥」

むぅ、と唇を尖らせて涙目で睨み付ける彼女に、土方は苦笑を漏らした。
そんな顔が堪らなく可愛いと言ったら‥‥彼女の悪友達に不謹慎だと怒られた事だろう。

「食べないと、良くならないだろ?」

幼い子供にでも言い聞かせるように言えば、は渋々といった体で漸く頷いてくれた。



喉が痛いと言っていたから大根おろしを入れてみた。
食べやすいように塩加減と水加減を調整した。
身体が暖まるように少し、生姜を磨って入れてみた。
味を見てみたが‥‥まあ、悪くはない。
自分は塩加減がちょっと大ざっぱな所があるから、いつもよりもずっと少な目にしてみたけれど‥‥彼女の口に合うかどうか。


。」

コン、と扉を叩いて開く。
呼びかければもぞっとベッドの中で彼女が動いたのが分かった。
どうやら寝ていなかったらしい。
相変わらずとろんと、熱っぽい目でこちらを見あげてくる。

「出来たぞ。」

ベッドサイドに椅子を持ってきて、腰を下ろした。
よいしょとは身体を起こす。
ふわふわと上がる湯気を見て、心配そうに口を開く。

「‥‥吐いたら‥‥ごめんなさい。」

別に食事がまずいどうこうではなく、今本当に具合が悪い。
胃が食べ物自体を受け付けてくれるかちょっと微妙である。
そう白状すると土方は首を振って、

「いいよ。
無理だったら吐いて良い。」

と言ってくれる。
正直、好きな人の前で嘔吐する‥‥なんて、乙女としては許せない事ではあるのだが‥‥
きっとこの男はそんなこと気にしないのだろう。
具合が悪いのだから仕方がない、とか言うに決まってるんだ。

「‥‥って、なに、これ?」

手を伸ばしてトレイを受け取ろうとしたら、代わりにレンゲを差し出された。
勿論その上にはお粥が乗っている。
できたてほやほやと言った感じの湯気までついて。

「‥‥怠いだろうから、食わせてやるよ。」

土方の言葉には耳を疑いたくなった。
食わせてやる?
それはつまり、

「はい、口開けて」
「あーん」

というべたべたなラブラブカップルみたいな事をしようというのだろうか。

「い、いやいや!」
いいです!
は慌てて首を振った。
「自分で食べれるから!」
そこまで怠くないから大丈夫だ、とこう言うけれど、

「病人は大人しくしてろ。」

ぴしゃりと言い切られてしまう。

そうしてずい、と更にレンゲを突きつけられ、は恥ずかしいやら困るやらで、困ったようにレンゲと、それから土方とを見比べる。

「あ、おまえ猫舌だったな。」

躊躇う彼女を見て、そういえばと思い出したように彼は呟いた。
すっとレンゲを引いて貰えてホッとしたのはつかの間、

「今冷ましてやるからな。」

ふうふう、と息を吹きかけて冷ましてくれている。

目眩がしそうだった。
なんだこれは、なんの冗談だ?
もしかしたらぎりぎりまで言わなかった自分に対しての罰か?
無理した自分をこらしめるためなのか、そうじゃないのかどうなんだ!?

「ほら。」

しかし再度差し出した土方の目は‥‥別に意地悪な色なんてしていない。
ただ純粋に自分を案じるような、そんな目をしていて‥‥

はぅ、とは溜息を一つ漏らした。
意を決して、

「‥‥あ‥‥」

恐る恐ると言う風に口を開く。

熱なのか、それとも恥ずかしさからなのか分からないが汗がだらだらと出ている。
顔だって十分熱い。
世の中のラブラブカップルとやらに拍手を送ってやりたい。
食べさせて貰うことがこれほど恥ずかしいとは思わなかった。

「‥‥ん。」

ぱく、と口を閉じれば程良い暖かさのお粥がするりと口の中に入ってくる。

味覚は、風邪のせいで若干頼りない。
けれど、さっきまで絶対胃が受け付けないと思っていたのに、半分液化しているそれはするりと喉を越していった。

「‥‥食べれる‥‥」

驚いたように目を丸くしながら呟かれたの言葉に、土方は面食らった。
それはどういう意味だと些か拗ねたような顔をする彼に、
「いや、その味付け云々じゃなくてっ!」
彼の味付けが大ざっぱすぎるという事は知っているが、今言いたいのは味の問題じゃなくて、
「‥‥胃がむかつかないというか‥‥」
食べやすい、と言えば良かっただろうか。
は一度、視線を落とし、訂正するよりもこちらの方が彼には伝わりやすいかと思って、

「あー‥‥」

今度は自分から口を開いた。

食べさせろ、と言う彼女に土方は僅かに目を見開いて‥‥

「‥‥分かった分かった。」

嬉しそうに目元を綻ばせ、もう一度、レンゲを差し出すのだった。



「暖かくして寝てろ。」
彼女が薬をきちんと飲み終えたのを確認すると、肩まで布団を掛けてやり、今はとにかく眠れと告げた。
結局、少な目に用意したとはいえ、は見事完食した。
回復しなければと言う意地なのか、それとも土方の為を思ってかは分からない。
ただ養分を取れたのだから回復は早いだろう。

「‥‥すぐ横になったら太る。」

ご飯が食べれた安心からなのか、憎まれ口が戻る。
まったくと土方は苦笑し、いいから、と頭を優しく撫でた。
彼女が‥‥そうされると気持ちがいいのだと知っていたから。

「‥‥ん‥‥」

案の定、優しく髪をなで続けていると琥珀の瞳がとろんと‥‥眠たそうなそれに変わってきた。

「寝ろ。」
「‥‥でも‥‥私が寝たら‥‥土方‥‥さん‥‥」

半分眠りの世界に片脚を突っ込んでいるくせに、まだ抗おうというのか。
おかしくて喉が鳴った。

「いいから、寝ろ。」
「‥‥でも‥‥」
「安心しろ、おまえが起きるまでここにいてやるから。」

その言葉が安心したのだろうか。
は五秒も経たない内に、すう、と静かな寝息を立て始めたのだった。


さて。
空になった食器を片手に、男は立ち上がる。
とりあえずこれを片付けて‥‥
そういえば、熱が出たときはスポーツドリンクが良かったんだったか。
先ほど失礼して開けさせてもらった冷蔵庫には入っていなかった。
マンションの傍にコンビニがあった気がするから買ってこないと。
それからそう、冷却シートと、夕飯の‥‥

「‥‥んん‥‥」

小さなうめき声と共にが寝返りを打った。
土方の方に身体ごと向けるような体勢になる。
よく眠っているようで、すうすうと規則正しい寝息が聞こえてきた。

「‥‥」

無防備で、いつもより頼りなげに見えるのは‥‥きっと熱のせい。
そのせいで白い肌は赤みを増している。
時折大きく吐き出す吐息は‥‥いつもよりも熱かった。

「参ったな‥‥」

それを見つめていると、ふいに、唇からそんな言葉が漏れた。

土方は彼女の寝顔を見つめながら顔を歪めていた。
呆れとも、笑みとも取れない、それに。

心底、自分はやられていると思った。

「‥‥」

やがて、奥歯を静かに噛みしめると、振り切るように‥‥視線を背けて部屋を後にした。



風邪をひくと、心細くなると誰かが言っていた。
あれは千鶴だったか‥‥それとも、薫だったか。
とにかく二人のどちらかが、風邪をひいて寝込んでいた時のことだ。
リビングで時間を持てあましていると、熱があるっていうのにパジャマ姿で、泣きながらやってきたんだっけ?
そして人の顔を見て、
「寂しい」
と置いて行かれた子供みたいな顔をして言っていたっけ。

どうしてだろう。
熱が出ると、人が恋しくなる。
どうしてなんだろう。
熱が出ると‥‥心まで弱ってしまうものなんだろうか?

「‥‥」

ぼやんと、世界がぼやけていた。
それが涙の膜なんだと気付いて、ぱちりと瞬きを一つする。
そうすると世界がクリアになって‥‥薄暗い見慣れた天井が映り込んだ。

「‥‥」

見慣れたはずの天井なのに、
なんでか今日は、
その天井がもの悲しく見えた。

どうしてだろう?

ああそうか。

「‥‥私、風邪を引いてるから。」

だから寂しく見えるんだと、いつかの二人を思いだして、呟いた。

一人には慣れている。
高校に上がると同時にずっと一人暮らしだった。
この二年間一度たりとも風邪を引かなかった‥‥というほど健康優良児じゃない。
だから風邪をひいた日、こうして一人でベッドの上で寝起きをしていた事は何度かある。
別にその時は寂しくなんかなかったのに‥‥
今日は、
なんだか、

寂しかった。

「‥‥どうして‥‥」

なんで寂しいと思ったんだろう。
なんで、一人が嫌だと思ったんだろう。
なんで、
なんで‥‥

涙が出そうになるんだろう。

一人になんて、慣れてるのに――


かたん、

と小さな物音が聞こえた。
はっとそれに気付いて上体を起こす。
薬が効いたらしい。
まだ怠さは残るものの、起きあがれないという程ではなかった。

物音は外から聞こえた。
かたんかたんと、何かを動かしている音。

はて、おかしいな。
自分は一人暮らしだったはずなのに。

そう思った次の瞬間、自分が深い眠りにつく前にその人がいたことを思い出した。

粥の味や、その人の手の優しさを。
思い出した瞬間、

「っ」

は転げ落ちるようにベッドから飛び起き、部屋を飛び出していた。



「あちっ」
鍋から跳ねた湯が指にかかる。
男は小さく呻いて、熱湯をかけられた指を舐めながら、湯の中身を睨み付けた。
そんな事をしたって相手には通じないというのに‥‥だ。
沸騰している湯の中では白い麺が踊っていた。
その横では、出汁を煮ている。
そろそろ頃合いかと、火を止めると、さて彼女の様子でも見に行くかと振り返り、

「土方‥‥さん‥‥」
「っ!?」

キッチンの入り口、
そこに立っている少女の姿に思わず驚いて言葉を失った。
まさか、そんな所に立っていると思わなかったからだ。
というか、起きあがっているとは‥‥

「おまえ、何そんな薄着で‥‥」
熱があったというのにパジャマ一枚で飛び出してくるとはどういうことか。
せめて上着でも羽織ってこいと窘めようとしたが、

「‥‥っ」

その表情に気付いて、止める。

その顔は‥‥とても心細そうな‥‥

まるで、
置いて行かれた子供のような、顔。

「どうした?なにか‥‥」
怖い夢でも見たかと訊ねながら近付くと、引き寄せられるみたいには男の胸に飛び込んでいった。
まるでしがみつくように広い胸に抱きつくと、
途端に広がる彼の香りに‥‥温もりに‥‥

今度はひどく安心して、
泣きたくなった。



「風邪をひくと心細くなるとは言うけどな‥‥」
土方は苦笑で呟きながら体温計を受け取る。
確かに彼もいい大人ではあるが、風邪をひいたときは誰かに傍にいてほしいと思うことがあった。
「まさか‥‥おまえもそうなるとは思わなかった。」
言いながらベッドに下ろすとは唇を尖らせた。
先ほどよりも幾分顔色がいい。
薬を飲んで汗をかいたおかげだろう。
熱が下がると調子も戻ってくる。
「どうせかわいげのない女ですよ。」
普通の彼女ならばここで「寂しい」と縋ったのだろうか。
可愛くなくて申し訳ない。
そう思うとちょっとだけ心が痛んだ。
すると、
悪かった、
という声と共にキスを一つされた。

伝染る。

そう思ったから慌てて押しのけようとしたら先に彼の方が離れた。

「心細いに決まってはいるとおもったが‥‥」
彼は苦笑をしている。
「まさか、あんな‥‥可愛い顔をされるとは思わなかった。」
今まで見たことがない。

とっても心細そうで、今にも泣き出してしまいそうな顔。

きっと土方の姿がなければ涙を零してくれたんじゃないかと思った。
それくらい、
彼女は心細いと思ってくれた。
そして‥‥土方を見た瞬間、必死の顔で飛び込んできた。
抱きしめれば、心底安心したように笑ってくれた。

可愛くて堪らない反応だった。

「‥‥このまま押し倒してやろうかと思ったくらいにな。」
「悪化するっつーの‥‥」
このエロオヤジとは唇を尖らせる。
そう言うな、と土方は苦笑し、これでも今まで我慢し続けたんだぞと内心で呟いた。

そう‥‥弱っている彼女は思ったよりも男の性欲を煽ったのだった。

熱で潤み、頬は上気し、吐息は熱く、また声はいつもよりも低く、気怠げで。
肌に張り付く髪も、肌を伝い落ちる汗も、その香りも、色っぽくて。
どこかとろんと蕩けたような表情は‥‥まさに男に抱かれている時と同じくらいに扇情的で色っぽかった。

レンゲを差し出して、無防備にぱくりと食べてくれた時が一番ピークだったかも知れない。
そんな様子で、上目遣いに次を寄越せという風に口を開かれ催促される‥‥
これは男にとっては拷問だった。

かといってまさか病人相手にそんな事をするわけにはいかない。
いい、大人が、だ。

「あ、少し下がった。」
ぴぴ、という電子音に気付いてが体温計の表示を見てほっとしたような声を上げる。
37℃ジャスト。
でもまだ微熱は微熱。
「夜になったらまだ上がるから寝とけ。」
「‥‥えー‥‥」
「えーじゃない。」
ぐしゃ、と髪の毛を掻き混ぜ、ふと掌がしっとりと濡れた事に気付いて、そうだなと彼は呟いた。
「その前に着替えた方が良い。」
そういえば汗を大量に出したのだからパジャマは濡れている。
汗が引けばまた体温が奪われて風邪をぶりかえしてしまう恐れがあった。

「‥‥着替えはどこだ?」

それなら早速と土方が訊ねる。
「ええと‥‥右の‥‥」
オフホワイトのタンスを指さし、
「上から三番目。」
と教える。
普通女の子は彼氏といえども異性にタンスの中を覗かれるのは嫌がるだろうに‥‥これは信頼されているのか‥‥それとも彼女にはその恥じらいがないのか‥‥まあ、前者ということにしておこう。
「開けるぞ。」
と一言だけ断りを入れて引き出しを引いた。
言われたとおり、三段目には右側にパジャマが綺麗に並んで入れられていた。
だが、その横には‥‥
「あっ」
が思い出したらしい。
慌てて声を上げて立ち上がろうとした。
真ん中に仕切りをして、左側には下着を仕舞っていたのだ。
そのタンスは新調したばかりのお気に入りで‥‥そこにはお気に入りのパジャマやら下着やらを入れていたのである。
つまり入っていた下着は、
「‥‥」
ちょっと大人っぽいものや、エッチなものだったりする。

「‥‥」

それをじっと、彼は凝視してしまった。
いやつい、頭の中でそれを着た彼女の姿を想像なんぞしてしまったが、慌ててこほんと咳払いをして視線を逸らすとパジャマを取って引き出しを閉めた。
「‥‥ほら‥‥」
パジャマを差し出されたは、恥ずかしそうに視線を落としている。
何か言われるのは恥ずかしいが、言われないのはもっと恥ずかしいというものだ。
それとも、興味などなかったのだろうか‥‥

少し落ち込んだ。

するとその耳に、

「‥‥今度身につけるときは、手前の赤いやつな。」

そんな呟きが聞こえる。

「!?」
驚いて顔を上げればにやりと意地の悪い笑みとぶつかって、
「俺の好みを言わせれば、もっと大胆なやつで‥‥」
などと言われ、は顔を真っ赤にしながら口をぱくぱくとするしかなかった。



お湯で濡らしたタオルで軽く身体を吹き、パジャマを着替える。
本当はお風呂に入りたいところだがそれで悪化したら意味がない。
は渋々といった感じで着替えると、今し方自分が着ていたそれを丁寧に畳んでベッドサイドの籠にすとんと放り込んだ。
そうして着替えた所で土方が戻ってきた。
手に湯気の上がるタオルを持っている。
「‥‥え?身体は拭きましたよ?」
そう言うと違うと、彼は言って笑った。
そうしてすたすたと近付いてくると、ベッドの端に腰を下ろして濡れたタオルをの頭に押し当てた。
じわ、
と頭皮が温もっていくのが分かった。
「濡れたまま‥‥ってのは気持ちいいもんじゃねえだろ?」
なるほど、髪の毛を洗う代わりに濡れたタオルで拭ってくれるらしい。
頭を覆ってそれから長い髪を一纏めにして項を暖めた。
それから髪の中央部から毛先まで、汗をしっかりとすいとるようにタオルを押し当てる。
ふわりとなんだかいい香りがしたのは多分、トリートメントでも染みこませてくれているんだろう。
は自分でも汗のにおいがして嫌だと思っていただけに‥‥ありがたい。

「‥‥至れり尽くせり、ですね。」

タオルでしっかりと暖めた後は乾いたタオルで水気を取るように軽く拭いてくれた。

「実は世話好き?」

聞けば土方は苦笑した。

「んな面倒な事してやるのはおまえだけだけどな。」

そうして、髪の先にちぅっとキスをされて‥‥は照れたように目元を細めた。



「眠れそうか?」
着替えもすまして、髪の毛も乾かして、ご飯も食べて薬も飲んで、しっかりと水分補給をして、
はベッドに入る。
眠れそうかと訊ねたのは彼女がこっちをじっと見ていたからだ。
「‥‥わかんないですけど‥‥多分薬が効いたら‥‥」
眠たくはなるのだろう。
それがちょっと勿体ないとは思うのだ。
傍らに腰掛ける彼の手をそっと握って、

「‥‥折角の誕生日なのに‥‥」

朝方、同じような言葉を口にした。
そうだ。
折角の誕生日だったのに。

ろくに話も出来ず、どこにも行けず、彼には迷惑をかけてしまった。
ずっと一緒にいられたのは嬉しいけど、半分は夢の中。
そしてこれからまた夢の中。

「‥‥良くなったら、またすればいい。」

残念そうな彼女の呟きに土方は応える。
でも、とは首を振った。

の誕生日は今日、
明日でも明後日でもない。
今日なのだ。

そう言うと彼はそうだなぁと思案して、

「じゃあこうすりゃどうだ?」

枕元のデジタル時計を突然弄りだした。
時計には時間だけではなく、何年の、何月、何日、まで表示されている優れものであった。
そのボタンを押して何やら操作をすると、よしと満足げに頷いてこちらにそれを見せる。

時計の日付は‥‥一昨日になっていた。

つまり、

「おまえの誕生日は明後日‥‥だ。」

彼は優しくそう言って‥‥笑った。

そんな馬鹿な事があるものかと思うけれど、はふっと笑ってしまった。
時計を弄くっただけで日付が変わる物か。
今日は今日で、一昨日は一昨日。
でも‥‥

「‥‥明後日‥‥祝ってくれますか?」

明後日が自分の誕生日でもいい。
ううん、

――彼が祝ってくれるならその日が自分の生まれた日。

は、そう思うのだった。


  それがすべて。




  土方さんがいてくれる。
  それが彼女のすべて。