「近い内に、俺は殺されるらしいな」

  その言葉はあまりに他人事のようで、実感がない。
  だけどそれを信じていないというのではなく、男はきちんと受け入れていた。
  いや実際は大人しく殺されてやるつもりはない。だから受け入れるという言葉は正しくはない。
  ただ‥‥自分の出番はもう、ないのだという事には気付いていた。
  自分はもう、不要な存在なのだと。

  「‥‥」
  芹沢の言葉に、は静かに目を細めてみせる。
  訝るようなそれは、彼の真意を確かめるものだった。
  副長助勤であり、土方の懐刀である彼女がその企てを知らないわけはない。勿論も知っていた。それには一切関わる
  なという土方の命令に未だ納得できていないが、異を唱えたところで彼が譲ってくれるわけもなく、当日は、色町にいろ
  との命が下っていた。
  そしてそれを知っているにも関わらず、の前でそんな事を言ってのける芹沢に、は怪訝な眼差しを向ける。
  まさか脅しているつもりなのだろうか?
  露見しているのだから無駄だと。
  いや、ちがう。
  そのどこか妙にすっきりとした、だけど少し寂しそうな顔を見ては悟った。
  彼は、受け入れているのだと。
  では何故?
  「それを私に聞いて、どうするおつもりで?」
  は静かに口を開いた。
  鉄扇を閉じたり開いたりを繰り返していた芹沢は、誤魔化しもしなければ否定もしない彼女の肝っ玉の太さに笑いが込み
  上げてくる。
  下手をすればここで斬り殺されるかもしれないのに、彼女は臆しも、媚びもしない。
  だからこそ、芹沢はこのという人間を自分のものにしてやりたいと思ったものだった。
  自分の思うようにならないから‥‥なのだろう。
  一種の憧憬すら、覚える。
  「‥‥さてな」
  芹沢はくつくつと笑った後、ぱちんと鉄扇を閉じて言葉を止めた。
  そうして静かに、本当に静かに、庭へと視線を向けた。
  も何も言わず、空へと視線を向けた。
  灰色に染まる空からは今にも雨が降り出しそうだ。
  嫌な天気だな、と睨み付けていると、芹沢が小さな声で、告げる。

  「よ。一つ、頼みがある」

  これは意外な、とは内心で呟いた。
  新選組局長頭である彼がに頼み事などをするとは思わなかったから。
  近藤派である、自分に。
  自分を殺そうとしている一派に属する、に。
  だが、意外だと思ったのはその頼み事そのもので、

  「井吹を、頼む」

  彼は、言った。
  犬ではなく、井吹と。
  戯れに拾い、暇つぶしに傍に置いておいただけの、男の事を。
  いつ死んでも構わないと言っていた、彼の事を。
  まるで、
  我が子を思う父のように、優しく、そして誇らしい眼差しをして。

  「奴を、頼む」

  と、芹沢はに言った。
  に、託した。

  井吹は芹沢亡き後、恐らく殺される運命にあるだろう。
  彼自身は所属していなかったとはいえ、芹沢の傍にいた芹沢派と思われている。
  それに‥‥井吹は知りすぎてしまった。新選組の内情を。
  だから、生かしておくわけにはいかない。
  今でこそ、山崎や藤堂らが必死にそれを押しとどめているものの‥‥時間の問題だ。
  彼もいずれ、殺される。
  芹沢のように。
  それを、見越して、彼はに頼むと言うのだ。
  井吹が、殺されずに済むように。
  「‥‥私が、誰の命で動いているかご存じで?」
  ついとは双眸を細めて、芹沢に問いかけた。
  その眼差しには温もりを感じない。
  凍えてしまいそうな程冷たく、無感情な眼差しだった。
  は土方に命じられれば試衛館の人間でさえ殺せる人間なのだ。それが彼女にとっての絶対で、そこに感情など存在し
  ない。
  だから、局長頭の命とは言えども、は従わず、必要に迫られれば井吹を殺すのだ。

  「ああ、分かっている」
  芹沢は小さな笑みを漏らして告げた。
  彼女がどれほどに冷酷で、自分の信じたものに対して真摯であるか、知っている。
  だからこそ、
  「あいつを‥‥おまえは見殺しには出来ぬだろう?」
  芹沢は挑発するような笑みを浮かべ、真っ直ぐに、を見て言った。

  やはり、敵わない、とは思う。
  なんだかんだ言って、この男は浪士組をここまで大きくした、局長筆頭なのだと。
  彼がいたからこそ浪士組は大きくなり、新選組という名を戴き、そして、認められるようになったのだと。
  そう、土方に言えばきっと面白くないという顔をするのだろう。
  それでも、
  芹沢がいなければ‥‥彼らはきっとここまでのし上がれなかった。

  「‥‥」
  は芹沢の真っ直ぐな眼差しを受け、やがてはあと一つ溜息を吐く。
  それからくしゃくしゃと髪を掻き上げながら、
  「分かりました」
  苦笑混じりに答える。
  「一応、努力はしてみます」
  快諾、とまではいかない頼りない返答ではあったが、それに芹沢は満足げに笑ってみせた。
  「ああ、それで構わん。あとは、奴次第だ」
  「‥‥」
  芹沢安堵の溜息を漏らした。
  もうこれで、思い残す事は何もないと言いたげに。

  ぽつ、とおかしくなりはじめた空から雨粒が落ちてきた。
  かと思っているとざあっと一気に激しくなり、むわりと雨の湿った香りがあたりを覆い尽くす。
  最早激しい雨で庭の木々さえも見えない状態で、しかし、芹沢はじっとそれを見つめたままこう告げた。

  「最後に、貴様を抱いておくんだったな」
  「その時は殺してでも逃げてこいって、副長から言われてますから」
  「はっ、貴様に斬り殺されるのも悪くない」

  芹沢は、豪快な笑い声を上げた。
  まるで、今宵、死にゆくとは思えぬほど、楽しげに。


 それがその男の在り方



  リクエスト『芹沢さんがいた頃のお話』

  以前何度か書かせていただきましたが、黎明録前だったの
  で、今回は黎明録の芹沢さんで書かせて戴きました。
  三剣は彼は最期にとこんな話をしていたら面白いなと
  思っていまして‥‥
  彼は最初からが女だと気付いていて、それでも誤魔化
  されてあげていて、こういうなんというか飄々とした会話
  を繰り広げていればいいんじゃないかなと。
  なんだかんだ言っては芹沢さんの事が嫌いじゃありま
  せん。
  ある意味誰より退いた場所にいたからこそ、彼女は芹沢の
  言うべき事に気付いていて、それでも土方らについていく
  んです。
  だからこそ、芹沢さんはを気に入っていた、みたいな。

  そんな感じで書かせていただきました♪
  リクエストありがとうございました!

  2011.6.26 三剣 蛍