数十人の浪士に囲まれたとき。
一人の浪士が近藤に刃を振るったとき。
その刃が、その人の命を奪おうとしたとき。
は失いたくないと思った。
真っ白な何もない世界に、命を吹き込んでくれたその優しい人を。
温もりを。
失いたくないと思った。
その瞬間、迷いなどなかった。
まるで身体が知っているかのように、
近藤の脇差しを抜いていた。
そして、
敵を斬った。
ぐしゅと刃が皮膚を裂いた瞬間、
ごりと骨を抉る感触が伝わった瞬間、
男の目が見開かれ、身体がびくりと痙攣した瞬間、
人を殺したとは知った。
その感覚を、何となく知っている気がした。
でも、それは彼女にとって大した事ではなかった。
人の死も。
自分が、人を殺すことも。
その感覚を知っていることも。
大した事ではなかった。
ただ、失いたくないと思った。
大事な居場所を。
折角手に入れた居場所を、無くしたくないと思った。
そう思ったら、もう、自分がすべき事が分かった。
「土方さん」
彼らの前で初めて刃を振るったとき、彼らの前で初めて言葉を口にした。
半年も共にいて、彼の名を呼ぶのは、その時が初めて。
呼ばれ、土方は一瞬目を丸くした。
「土方さん」
まだあどけなさの残る声で、は土方を呼ぶ。
「‥‥どうした?」
と問いかけると、は真っ直ぐに彼を見つめたまま、こう、口にした。
「私も‥‥戦いたい」
あどけない声が紡ぐのは、子供らしくない言葉だった。
土方の形のよい眉がぴくんと跳ね上がったのをは見た。
「‥‥本気で言ってるのか?」
彼は同じようにこちらを見つめ、真剣なそれで問いかけた。
本気で。
彼らと共に戦うことを望むのかと。
「人を殺める事になるぞ」
一人や二人じゃなく、
沢山の人を殺めることになるかもしれない。
は構わないと言う風にこちらを見つめている。
「人に後ろ指を指されるかもしれねえ」
罪人と、罵られるかも知れない。
そんなこと構うものか、元より自分の素性さえ知れないのだとは思った。
微塵も揺らぐことのない瞳を見て、土方は双眸を細める。
「‥‥死ぬかも知れないぞ」
苦しんで。
辛い、死に方をするかも知れない。
寂しい死に方を、
するかもしれない。
「それでもいいのか?」
真剣な眼差しをは受け止める。
彼は決して脅しているわけではなかった。
それは、もしかしたらおこるかも知れない現実だ。
彼らが進む道は、そういう道なのだ。
それでも‥‥
はしかと、その瞳を見据えて、やはり揺らぐことのない瞳のまま、こう答えた。
「それでも、構わない」
苦しむこととなろうが。
人に後ろ指を指されようが。
血反吐を吐こうが、手足がもがれようが、
自分が、
死ぬことになろうが、
構わない。
ただ、
「近藤さんの為に戦いたい」
澄み切った瞳の奥に、確かに見たのは覚悟だ。
人を殺す覚悟。
人に殺される覚悟。
そして同時に彼女の瞳に見る。
それは、
大切な人を守りたいという‥‥強い想い。
は見たところ10やそこらの子供だ。
その子供が、死ぬ覚悟をするのは‥‥少しばかり早い気がする。
でも、彼女はしてしまったのだ。
大切な人を守るための、覚悟を。
「‥‥」
真剣な眼差しが、少し緩む。
土方は溜息を一つ零し、がしがしと首の後ろを掻いた。
ここはたかだか貧乏道場。
貧乏道場で寝起きする彼らにどれほどの危険があるというのか。
平穏‥‥とは言えないかも知れないが、平凡な毎日だ。
死ぬ覚悟、なんてそんな大それた覚悟をする必要なんぞ、どこにもない。
そう――
「気付いてたんだな‥‥」
今は、まだ――
は静かに頷いた。
知っていたのだ。
土方が今ではなく‥‥もっと先。
これから数年先を見据えていること。
そしてその数年先にあるのは、彼の言う『死ぬかも知れない危険』がたくさん待ちかまえていること。
それが分かって、は彼にそう告げたのだ。
戦わせて欲しいと。
いずれそうなった時に言い出したとしても遅い。
だから、
今、
彼らが動き出す前から、
は言っておくべきだと思った。
共に戦いたいのだと――
「‥‥言うとは思ってたけどな‥‥」
彼女が敵を斬った時から、いつかはそう言い出すだろうとは思っていた。
あの時、
人を殺した瞬間、
確かに彼女が何かを決意したのを知った。
琥珀の瞳が、その時、色を変えたのを彼は見た。
瞳に、消えない炎が灯った瞬間だった。
あの時からは決めていたのだろう。
彼らと共に、茨の道を行くことを。
本当は。
「子供が何を生意気な事を言ってやがる」とか、そんな言葉を口にしてはぐらかすことも出来た。
いや、はぐらかすつもりだった。
実際、は子供で、しかも女で。
いずれは惚れた男と所帯を持って幸せに暮らすのが、彼女の生き方だと思ったから。
無骨な自分たちがそんな当たり前の幸せを彼女にやれるとは思わなかったが、それでも、そんな未来があってもいいはず
だと思った。
だから、早すぎると思った。
自分の生き方を決めるのは‥‥
自分の死に場所を決めてしまうのは、早すぎると思ったから。
でも、
の本気を笑うことは出来なかった。
「‥‥土方さん。私は、まだ子供だけど、あなた達の足手まといにはならない」
ならないだけの自信がある。
ならないために努力する。
彼らの足枷にはならない。
「枷になるようなら斬り捨ててほしい」
その覚悟だってある。
そんな――の本気を笑うことは出来なかった。
「とめねえよ」
嘆息するみたいに、彼の口から言葉が零れた。
認めざるを得なかった。
もう、死ぬ覚悟まで出来ている人間を‥‥
彼らのために戦う覚悟をしている人間を、突き放すことなど出来ない。
土方はゆっくりとへと視線を戻し、きっぱりと言った。
「一緒に戦うことは認めてやる」
戦力としては申し分ない。
幼いながらも恐ろしく腕の立つ剣士だ。
そして何より頭が良い。
ただ着飾らせておくには惜しいほどの聡明さと洞察力を持ち合わせている。
そして何より、
彼女は、
絶対に裏切らない。
まだ出会って半年ほどしか経たないというのに土方にはそれが分かった。
彼女は――何があっても裏切らないと。
「だが、約束しろ」
と彼は言った。
怖いくらいに真剣な眼差しで、
「簡単に、死ぬな――」
そう言った。
がどれほどに近藤を慕っているかよくわかる。
絶対に裏切らないけれど‥‥必要とあらば彼女は近藤のために命を捨てるだろう。
それはもう、簡単に。
元よりなかったはずの命だと。
そう言って捨てるに違いない。
だから土方はそんな言葉を口にした。
簡単に命を捨てるなと。
「いつでも最善の道を考えろ」
「‥‥」
「簡単に命をくれてやるな」
「‥‥」
「最後まで生き抜く覚悟を持て」
そうじゃなければ、
「戦わせねえ」
「‥‥」
「その覚悟はあるか?」
生き抜く覚悟は‥‥
死なないために生きる覚悟は、あるか――?
男の言葉を受け止めて、飲み込んで、ややあって、一つ、頷く。
「首だけになろうが、ついていく」
告げる彼女の瞳に、また激しい炎が灯る。
それは無理だろうと心の中で呟きつつも、土方は目をゆったりと細めて、言った。
「連れていってやるよ」
馬鹿げた夢を、おまえにも見せてやる。
そんな言葉に、はにやりと挑発的な笑みを浮かべた。
表情の乏しい少女の瞳がぎらりと光った。
琥珀の瞳は、
はじめに見たときと同じ、いや、それよりも強く輝いて。
やはり、
――綺麗だ、と土方は思った。

「おまえは俺の下につけ。俺の命令には絶対に従え」
「土方さんの下に?」
の問いに土方はああと頷いた。
恐らく、自分の下につく事は誰の傍にいるよりも危険で、汚い仕事をこなさなければならなくなるかは分かっていた。
出来れば彼女には手を汚して欲しくないと思わない事も無い。それでも、土方は彼女には自分の下に手足となれと言った。
それが、
「おまえの罪は俺の罪だ」
部下である彼女が背負う咎は、命じた自分も背負おうと男は決めた。
それが、
彼女を地獄へと道連れにする自分が出来る唯一の餞だ。
が戦う事を決めたその時の話。
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