「ごめん、昨夜はちょっと月が見たくて出掛けてた。」

  あの手この手を使ってどうにか口説き落としてやっと婚儀までこぎ着けた相手、
  東の鬼の頭領、雪村は婚儀が執り行われた翌日にそんな事を言った。

  月が見たくて出掛けたと。

  彼女は元々ふらりと出掛ける事があったが、まさかその日にまで、ふらりと出て行ってしまうとは思わない。

  婚儀の執り行われたその日の夜に、
  ふらりと。
  つまり、
  本来ならば初夜であったその日に、
  はふらりと出て行ってしまったのである。

  「月があんまり綺麗だったからさぁ‥‥」

  一睡もせずに彼女を待っていたらしい健気な風間の姿に、天霧は涙しそうになったのを覚えている。



  あれほど待ちわびた夫婦の契りを交わす事が出来なかった。
  彼には西の鬼の頭領として、鬼の血を絶やさない、という責任があった。
  しかしそれ以上に東の鬼の頭領、に惚れており‥‥それが故に、彼はその日を楽しみにしていたのだ。

  だというのに‥‥彼女は‥‥

  月が綺麗だったから出掛けていた、というのだ。

  神聖な儀式をすっぽかして。

  一人、彼を惨めにも置き去りにして。

  これには流石に、風間も納得できなかった。


  「だから、悪かったってば。」
  矜持の高い男である、風間という男は。
  だから蔑ろにされれば激怒して文句でも言われるか、手を挙げられるか‥‥と思ったものだが、よほど腹に据えかねた
  のか、彼は背を向けたまま黙り込んでしまったのである。
  こちらは一切、見ない。
  反応にも勿論応えず、ただごろんと横になったままだ。
  顔を覗き込もうとすると逆に寝返りを打ってしまうのだから、思わず「子供か」と突っ込んでやりたくもない。
  しかしながら悪いのはこちらなので文句を言えた義理ではないのだけど‥‥

  「本当に、昨夜は悪かったって。
  この通り、謝るから許してってば‥‥」
  勝手に風間が怒っているだけならば放置も考えるけれど、これが自分の責任となると放っておけるほど彼女は鬼ではない。
  鬼だけど。
  それに彼がそんな風にふて寝をしていては彼の部下である天霧にまでしわ寄せが行く事になる。
  それはあまりに申し訳ない。
  こんな事を言えば「貴様はこの俺よりも天霧が大事なのか」とか言われかねないので黙っておく事にした。
  それよりなにより、彼の機嫌をどうにかしなければ‥‥

  「なあなあ、風間ってばー」
  「‥‥‥」
  「黙ってないで、答えてよー」
  「‥‥‥」

  普段とはまるで逆の立場だ。
  とは言っても、風間がそんな構い方をするわけはない。
  やはり傲岸不遜な彼らしく、
  「話を聞け」だの「手を止めて俺の相手をしろ」だのと命令してくるのだ。
  そしてその命令に「はいはい」とおざなりな反応をするのがの日常。

  それが今は反対、である。

  「‥‥うー‥‥」
  ぐいぐい肩を揺すっていたその手を止め、は眉根を寄せる。
  彼の部屋に訪れてから一刻以上こうして宥め賺しているのだが、一向に彼は機嫌を直してくれない。

  「‥‥本当に、ごめんってば‥‥」
  「‥‥‥」

  答えはやっぱりなかった。
  なんだか自分という存在を無視されているようで、気に入らない。
  はとんと彼の背に自分の背を預けると、もうこうなったら言ってしまうしかないと腹を括った。
  「その‥‥理由があったんだって。」
  昨夜、彼との初夜をすっぽかした理由。
  こんな事を言えば下らない、と言われるかも知れないが、にとっては大問題である事だった。

  「怖いんだよ‥‥」

  月は綺麗でもなんでもなかった。
  昨夜の月は、綺麗でもなんでもなかった。
  ただひたすら、は青白い月を恐ろしいと思っていた。

  「‥‥おまえと夫婦になるのが‥‥怖いんだ。」

  吐露してしまって、なんて情けない声が出たものかとは自己嫌悪に陥る。

  だけど、怖い、それが、彼女の逃げ出した理由だ。

  「‥‥俺が怖いからか?」

  その呟きに、小さな問いかけが掛けられる。
  背中を向けたままの風間だった。
  答えがあったことに嬉しくも思ったが、それよりもその言葉に彼が傷ついた事を感じては罪悪感に胸が痛む。

  「ちがう。
  おまえが、悪いんじゃない。」
  確かに西の鬼の頭領は、優しいとはほど遠い男だ。
  俺様で自分勝手で、我が儘だが‥‥でも、彼を怖いと思った事は一度たりともない。
  「ならば‥‥男に抱かれるのが怖いのか?」
  未知なる体験が恐ろしいのは当然の事。
  彼女は鬼の頭領として話には聞いてはいても身体を許した事はない。
  生まれた時から『西の鬼の頭領』を初めての男として決められていた。それに対しては不満に思った事はない。
  そして他の男に恋をしたこともなかった。
  つまり彼女は生娘である。
  初めてならば、それが恐ろしいと思うのは当然の事かも知れない。
  でも、

  「‥‥ちがう」

  はそれも違うと頭を振った。
  もうほとんど泣き出すような声で、風間はとうとう身体を起こし、彼女の事を振り返る。
  は振り返らなかった。
  ただ、背中を丸めて自分の膝を抱えるようにしていた。
  まるで、自分を守みたいに。

  「子供が出来るのが‥‥こわいんだ。」

  彼女は言った。
  子が出来るのが、こわいと。

  それはどういうことなのだろう?
  強い血の子が出来たら嬉しいと思うものではないのだろうか?
  まさか彼女は鬼の血が流れていないとでも言うのだろうか?
  そんな馬鹿な‥‥これほどに心惹かれて止まないと言うのに‥‥

  「強い血の子供は、できるよ。」
  確実に、とは絶対の自信をこめて言う。

  ならばなにに、彼女は怖がっているというのか‥‥

  そっと、の瞳が哀しげに伏せられた。

  「‥‥その子が‥‥私たちと同じ道を辿るのかと思うと‥‥怖くて堪らない。」

  それこそが、彼女が鬼の姫として今まで抱えていた不安であった。
  そしてそれは、風間も同じ事であった。

  生まれたときから二人は強い鬼の血を引く子として育てられた。
  親と引き離され、ただ一族を率いるに恥じないように教育をされた。
  自分を持て囃す大人たちは‥‥や風間、当人の事などなんとも思っちゃいない。
  ただ、彼らの『強い鬼の血』だけが全てだった。
  それだけを愛した。
  いや‥‥正確には、誰も愛情など注いではくれなかった。

  いつも孤独だった。
  甘えたいときに周りには誰もいなかった。

  『鬼の頭領』
  として、甘えを許されなかった。

  風間はそれだけではなかった。
  彼は鬼の頭領として狙われ続けた。
  欲深い大人たちから何度も。
  食事に毒を盛られる‥‥なんてことはザラだった。
  外を一人で歩けば刺客に襲われた。
  死にかけた事もある。
  だが、死ねば彼らを喜ばせるだけだと分かった。
  だから、襲ってきた奴らを全員殺してやった。
  何がなんでも生き抜いて、頂点にたってやった。

  鬼の頭領としての二人の生い立ちは、決して楽なものではない。
  辛い事ばかりだった。
  哀しい事ばかりだった。
  だからこそ‥‥
  は恐れた。

  自分と同じ道を、我が子が辿る事を。

  「‥‥私は、自分の子供にあんな目に遭わせるのは‥‥いやだ。」

  だから、彼女は思った。
  子供は欲しくないと。
  いなければ、腐ったこの連鎖を断ち切る事が出来る。
  自分たちで終わらせる事が出来る。

  そんなこと、きっと大人たちは許してはくれないだろうことも分かっていたけれど‥‥それでも‥‥

  

  と、名前を呼ばれた。

  本当の名は雪村静香という。
  でも、父がつけてくれた名を好んでいた彼女は、自らをと名乗った。
  強い鬼には『千』の文字が与えられる。
  だから、は『静香』の名が相応しいのだ。
  それでも、
  風間は静香と呼ばなかった。
  「」と名乗ったあの日から、一度も、以外の名では呼ばなかった。

  だから‥‥はこの男と一緒になる事を決めたのだ。


  「んっ」
  ごとりと、畳の上に押し倒され、唇を塞がれる。
  噛みつくようなそれは彼女の恐怖を根こそぎ奪い取るような激しさだった。
  息が、できなくて、苦しかった。
  でも押しのけようとは思わない。
  彼なりに労ってくれていると分かったから。

  「あ、や‥‥っ‥‥」

  やがて男の手が衿を割り、忍び込んでくる。
  自分を抱くつもりなのだと分かるとは抵抗した。
  いやだと身を捩ったが、男の力には叶わない。
  あっという間に帯を解かれて胸元を暴かれる。
  初めて目にする彼女の肌の白さに、溜息が漏れた。ひどく綺麗で‥‥艶めかしかった。
  風間は迷うことなくふくよかな乳房を手で揉み、その片方に唇を寄せる。
  あ、とか細い声が上がり背が撓る。
  刺激に勃ちあがった先を歯で緩く噛み、もう片方を指でぴんと弾いた。
  毛穴から汗が拭きだした。
  子を成すのはいやだと思っても、彼に触れられるのは嫌ではない。
  感じるのは必然だ。
  「や、かざ、まっ‥‥」
  「黙っていろ。
  酷くされたいか?」
  酷い言葉を浴びせながら、その手つきは優しい。
  いっそ酷くしてくれればいいのに‥‥そうすれば、彼を恨むことが出来たのに。
  絶対に嫌だと、彼に抱かれるのなんてごめんだと、逃げ出すことだって出来たのに。
  鬼の力で言うのならばの方が上。
  力を解放すれば彼を斬ることだって出来るのに‥‥そんな、優しくされたら‥‥

  ――拒めない――

  何より彼の孤独を知るからこそ、彼女は拒むことが出来ない。
  自分と同じ苦しみや孤独を知る彼だからこそ‥‥

  「ひ、ぁっ」

  くちゃと水音が跳ねる。
  いつの間にか下帯を解かれて、彼に弄られていた。
  男を知らない女の中は、ひどく、狭い。
  力を抜けと彼は言い、指を一本忍ばせた。
  「ひ」
  との口から悲鳴にも似た声が漏れ、見開いた瞳から一滴、涙が落ちる。
  宥めるように眦に口づけを落とし、彼女が慣れるまでは指を動かさなかった。
  少しずつ、彼にしては焦れったいような速度で、中まで忍ばせた。
  指を二本受け入れるまでには相当時間を要した。
  その最中、ずっとはやめてと訴え続けた。

  「おまえを抱く。」

  散々指でかき回して蜜をしっかりと纏わせた後、彼は宣言した。
  押し当てられた熱に、はそれが嘘ではないのだと悟る。
  だから、いやだと懇願するように頭を振って訴えた。
  しかし、

  ぬじゅと嫌な音を立てて蜜口を太いそれが突き破り、

  「っ――!?」

  痛みに世界が一瞬赤く染まる。
  身体の奥を引き裂かれるような痛みが走った。

  血のにおいがする。
  彼女の初めてを奪ったようだ。

  痛みには呻く。だけど、止めない。
  絶望に涙を零す。だけど、止めない。
  風間は最奥まで突き立てると、休む間も与えずに揺すりはじめた。

  「う、っぐ、んっ」
  の口から痛みを訴える声が零れる。
  構わずに風間は根本まで引き抜いて、再び奥を穿つ。
  何度か単調にそれを繰り返し、男の太さを覚え込ませた後、緩やかに彼女を昇らせるための動きと変えた。
  「あっ、や、そこっ」
  恥骨の裏を何度も何度も擦ってやるとは漸く感じた声を上げた。
  きゅうと内部が締まり、胎内からとろりと熱い何かが溢れてくる。
  「だ、め、かざまぁっ‥‥ぬ、ぬいてっ」
  そのまま更に強く揺さぶられ、身体ががくがくと震えた。
  抜いてと願うのに彼は訴えれば訴えるだけ結合を深めていく。
  奥深い所を先端で押し上げられ、は堪らず悲鳴を上げて藻掻いた。
  逃れようとしたらそのまま腰をぐるりと捏ねるように回されて瞼の裏が明滅する。
  そしてその瞬間、まるで離したくないというふうに華奢な脚が腰に絡みついてきた。
  風間は揶揄しなかった。
  ただ嬉しそうに目元を細めて、笑った。
  嬉しそうに笑って、更にを求めるように腰を何度も揺すった。

  「あっ、はっ、か、ざまぁっ」
  いや、と掠れる声に男は薄らと笑った。
  「たっぷりと‥‥おまえの胎に注いでやる。」
  男の、鬼の精を彼女の中に注ぐ。
  彼女が望まぬ鬼の子を‥‥宿らせるために――

  「や、だ、めっ‥‥やぁっ」
  は頭を振った。その瞬間、涙が弾けて美しく輝く。
  絶望に彩られ、悲しみに顔が歪んだ。

  悲しませたくない。
  苦しませたくない。
  大切な我が子にだけは同じ道を‥‥

  「安心しろ――」
  お願いと懇願するに、男は言った。
  そっと汗で張り付いた前髪をかき上げる仕草は‥‥慈しむかのように、優しい。

  初めて彼の瞳を見た時、
  なんて寂しい色をした瞳だろうと思った。
  寂しくて、冷たい色だと。
  それが今はどうだろう。
  とても暖かくて‥‥優しい色だった。
  まるで、血の色とは思えない。
  優しい色。

  風間はそっと、まるで怯える我が子にでも囁くように言った。

  「おまえと、俺の子だ‥‥」
  二人の鬼の血を継いだ子供だ。

  「おまえ同様‥‥この俺が死ぬまで愛してやる。」


  どうしてだろう。
  そんなのただの言葉のはずなのに。

  どんなものよりも心強く感じた。

  きっと、
  それは違うことなどないのだと――


 その中にある限り



  リクエスト『もし鬼としてと風間が婚約したら?』

  東の鬼の一族が残っていたとしたらのif話。
  恐らくは彼との子を望みません。
  自分と同じ道を辿ることを恐れているからです。
  彼女は良くも悪くも責任感が強い人間ですので‥‥
  そしてそれを知るのも同じ思いをしていた風間だけ
  だと思います。
  だからこそ彼は全力で彼女を守ろうとするんです。
  その中にある限り、つまり彼の傍にいる限りは絶対
  大丈夫なのだというお話。
  案外、風間はとっても良い旦那様になりそうな!

  そんな感じで書かせていただきました♪
  リクエストありがとうございました!

  2011.1.23 三剣 蛍