今日はエイプリルフール。
世間では嘘を吐いても平気な‥‥それってどうよ‥‥一日だ。
色んな人が色んな嘘を吐いてるよ。
私の周りだって。
それに対して怒ってる人はいないよ。だってエイプリルフールなんだもん。
みんな馬鹿馬鹿しい嘘を吐いて笑ってるよ。さすが四月馬鹿な一日!
でもさ、
いくら嘘が許される日だからって、
扉を開けた瞬間、自分の恋人が他の女の子とキスしてるって状況は、
正直、笑えない――
「雪村‥‥昨日の書類だが‥‥」
「その書類は総務の方で確認が取れ次第、営業に持っていきます。
山下部長が今日の午後に出社されるそうなので、いらっしゃったら判子をいただいてきます」
「そうか、それじゃあ今日の会議で使う書類は?」
「そちらは、今コピーをしてますので少々お待ちください。
午後一までには部長にお渡しできると思います」
「‥‥さっきの事、だが‥‥」
まるで仕事の延長のように紡がれたのは触れられたくない話題。
「少し、いいか?」
「いえ、忙しいので」
自分でもかわいげのない言葉でぴしゃんと切り捨て、私はそれ以上何も言わせまいと頭を下げて背を向けた。
企画部のみんながぽかんと私を見ている。
それを気にせずにすたすたと部屋の外へと出た。
彼は‥‥追いかけてこなかった。
追いかけて来れなかった、の間違い。
だって彼は、私の上司で、私はその部下。
会社では‥‥それを崩さないのが私たちのルールだった。
それを今だけ、ちょっと有り難いと思い、
ちょっとだけ、息苦しい‥‥と思う。
私の彼‥‥土方歳三は社内でも社外でもモッテモテのモテ男だった。
バレンタインにはチョコをアイドル並にもらっちゃうような人だったが、その人と私が恋人同士になれたのは一ヶ月ほど
前の事。
恋人同士とはいっても、その関係は誰にも内緒だ。
迂闊にばらせば嫉妬に狂った先輩方に何をされるかわかったもんじゃない‥‥って事で、私たちは人に隠れてこっそりと
付き合ってる。
付き合ってる、っていっても、最初の一日。バレンタインのあの夜に突然抱かれてからは一切恋人らしい事はしていなか
った。
私たちは企画部という社内でも死ぬほど忙しい部署に所属している。
その長である土方さんはこの一月、ろくに家にも帰れないというほどの多忙っぷりを発揮していた。
勿論私も、彼ほど、ではないけれど、忙しくて‥‥とてもそれどころじゃなかった。
そんなこんなで、私たちは付き合って一月の記念日も過ごせず、ホワイトデーも一緒に徹夜をして、
これって本当に付き合ってるの? どうなの? って状況の時に、
さっきの、あれ。
他の女の人とのキスシーン見ちゃいましたよ!
あの後、私はなぜか
「すいません!」
って謝って扉を閉めちゃったんだけど‥‥あれって実は相当の修羅場だったんじゃないのかな、と今なら思う。
多分、
私は余裕がなかったんだ。
あの時も、
いまも。
だから、怖いんだ。
彼の口からその話を聞くのが‥‥怖いんだ。
だって、
私は彼の恋人だという明白な証明が出来ないから。
一人ひたすらコピーをし終えてオフィスに戻ると昼間使った会議室を片付けておいてくれ、と先輩から言われた。
早速会議室に行くと室内にはもわと煙草のにおいが立ちこめていて、私は扉を開けて煙を外へと逃がすと山盛りになった
灰皿を片付け始める。
灰皿を片付けて湯飲みをトレイに乗せて、机を拭いて、椅子を戻す。
さて綺麗になったぞという所で突然扉が開いた。
「お疲れさまでー‥‥すっ!?」
振り返っていつものように言いかけ、私は言葉を飲み込んだ。
扉を開けて入ってきたのは彼、
「ひ、土方さんっ」
土方さんで。
「‥‥」
彼は私の姿を確かめると、ばたんとこれまた乱暴に戸を閉めてしまった。
そうして何故か、
がちゃりと、
後ろ手に扉を閉めてしまう。
閉じこめられた。
「‥‥もう、我慢ならねえ」
彼の目は何故か、殺気立ちながらずかずかと私の方へと歩み寄ってきた。
「わ、ちょっ、ひぇっ!?」
ぽかん、と間抜けな顔で立ちつくしていた私は大股で近付いてくる彼にいとも簡単に捕らえられる。
ひょいと軽々と掴み上げ、
「ちょこまかと逃げ回りやがって」
彼は私を座り心地に良い椅子へと座らせる。
逃げられないように椅子の肘当てに両手をつき、右へも左へも勿論前にも後ろにも行けないようにして。
「弁解くらいさせろ」
彼は低く呻くように言う。
私は目を見開いたまま頭を緩く振る。
いやだ、と意思表示。
そうすると彼の目が一層細められ、酷薄な表情が浮かんだ。
「上司の命令を拒むってのか?」
「しょ、職権濫用!!」
「使えるもんはなんでも使うんだよ」
「そ‥‥それでもいやですっ」
私は頑なに拒んだ。
ち、と一つ舌打ちする音が聞こえ、彼はその眼光に一層激しい色を湛えて死刑宣告でもするかのように私に突きつけた。
「おまえの言い分なんか、聞いてやらねえよ」
なんだ、その、身勝手な言葉。
私はそう言い返してやりたいのに上手く出来ない。
そりゃそうだ。
だって言いたかった唇は彼のそれに押さえつけられてて、声どころか、呼吸も、それから舌だって彼に奪われているんだ
から。
「んっ、ふっ‥‥」
唐突な、場違いなキス。
触れるだけじゃなく奪うような深いキスはあの夜の出来事を私に思い返させるだけの強さと甘さを秘めていた。
絶対に職場ではあり得ないような、
深く、
やらしい、
キスだった。
「っぁ‥‥」
は、と唇を離されて甘えるような声が漏れる。
始まりと同じで終わりも唐突だった。
でも、近くにある瞳がそれで終わらないのを物語っていた。
彼の瞳はあの夜と同じ、いや、それ以上に濡れて、熱い。
ちょっと待って、と私は慌てて彼の胸を押し返す。
「べ、弁解したかったんじゃないんですか!?」
するとその手を絡め取られてちゅっとキスをされて私はひぃと情けなく声を上げてしまった。
「するつもりだったんだが‥‥やめた」
「や、やめたって‥‥」
「それよりこっちの方が、おまえには効果的かと思ってな」
こっち、という言葉に含みを持たせ、人の指を妖しく、噛む。
ぞっと背筋に震えが走った。
冗談じゃない、と思った。
こんなところで、こんなこと。
私、まだ何も納得してないのに。
なのに、彼は私の事などお構いなしとばかりに人のスーツを脱がしに掛かる。
「や、やだ、絶対やっ‥‥」
スーツのボタンを外されてブラウスを引きずり出されて、スラックスのボタンにまで手が掛かる。
やだと抵抗するのに彼は聞いてくれない。
涙目でいやだと訴えれば彼は自分のネクタイを緩めながら、にやりと、鳥肌が立つほど艶っぽく笑った。
「諦めろ」
彼は言う。
「俺は、逃げられると追いつめたくなるタイプなんだ」
それがどんな言い訳になるって言うんだろう。
「さっきのは、事故だ。
突然やってきて、突然キスされた。
あの女とは別になんともねえし、面識だって、ない」
どこの誰かも分かっていない女だったと彼は言う。
そしてあれは、事故だったと。
こちらにはそのつもりはなかったのだと。
彼女の事など好きではないのだと。
「だけど‥‥おまえには悪い事をしたと思ってる」
彼は素直に謝意を見せてくれた。
「悪かった」
私はそんな彼を見下ろしながら反論した。
「あ、謝るなら、別の事を謝ってくださっ‥‥」
詰るような言葉は最後まで紡がせてもらえず、下から強く突き上げるように腰を揺すられて私は悲鳴みたいな声を上げた。
その途端、耳を覆いたくなるような濡れた音が響いて、それが自分と彼との繋がっている場所から聞こえるのかと思うと
恥ずかしくて堪らない。
「あ、そこ、や、ぁあっ」
いやだと胸を押し返せばさせまいとしてお尻を掴まれて引き寄せられる。
一番奥まで押し込まれてぐりぐりと腰を捏ねるようにされると目の前に星が飛んだ。
やばい、これ、すごく、いい。
良すぎて声、おさえらんない。
「誰かに、聞かれても知らねえぞ?」
「だ、だって‥‥ん、あっ、ぁっ」
「それとも‥‥見られたい、とか?」
「ば、ばかぁっ」
「っと、すげぇ、締まったな」
はは、と掠れて笑いを含んだ声が私の肌を滑る。
それがまた、私の欲を煽り、引きつった声が漏れそうで必死に噛みしめた。
「こんなところ‥‥見られたらおおごとだな」
なんでそんな他人事みたいに言うんだろう。
人の服を強引に脱がして、こんなところで人にえっちなコトしてるのは自分のくせして。
涙目で睨み付けると彼はにっと意地悪く笑った。
「嫌いじゃねえだろ?
こういういけないことすんの」
「だ、誰が‥‥ぁっ」
「素直になれば、もっとヨくしてやるぜ」
もう、いい。
いらない。
もう充分です。
結構です。
「あ、や、だめっ、いやっ」
絶え間なく続く責め苦が激しさを増す。
お互いに露わになった胸を押し付け合いながら私たちは高みに昇る。
「いやだ、じゃなくて、いい‥‥だろ?」
ぎ、ぎ、と椅子が悲鳴を上げる音が濡れた声と音に混じって聞こえた。
土方さんは私の胸元に赤い華を刻みながら、
「それとも‥‥今日がエイプリルフールだから‥‥か?」
嘘を吐いているのか?と彼は訊ねる。
ああそういえばそうでしたね。
今日は4月1日でしたね。
嘘を吐いて良い日、でしたよね。
別にだからって「だめ」って言ってるわけじゃないんですからね!
「、いい、か?」
うっとりと、恍惚とした表情で彼は訊ねてくる。
誰が、と私は内心で吐き捨てた。
いいよ。
とってもいいよ。悔しいけどいいよ。
でも、こんな無茶苦茶な男にぜったい、ぜーったい、いい、なんて言ってやるもんか。
私はぎっと彼を見下ろした。
力一杯睨み付けて、せめてもの意趣返しに、噛みつくようにキスをしながら、吐いた。
「だいっきらい」
「‥‥っこの!」
嘘を吐いても良い日だって言ったのに、彼は怒った。
今日はエイプリルフールって言ったじゃないか
土方部長再び。
四月一日になにやってんですか、部長、な話。
あの人はエイプリルフールであろうと「きらい」
って言葉は許せないはず。
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