どうして薬を飲まないと聞けば、男は唇を尖らせ、まるで子供のような事を言ってのけた。
「だって、苦いもん」
そういえば昔から、沖田は苦いものが苦手だったと思い出して、は思いきり肩を落とした。
京の冬は、非常に寒い。
江戸育ちの彼らは、その寒さに慣れるのに少しばかり時間が掛かったものだ。
しかも、その年の冬は例年にない寒さだったらしく‥‥
いかに身体を鍛えている新選組といえど、風邪をひく隊士が続出した。
沖田総司もその一人だった。
年の暮れ頃から咳を出し始め、それでも大丈夫だと医者を突っぱねて無理をした結果、高熱を出し三日ほど寝込む
羽目になった。
しかも、薬を飲まないせいで、一向に回復もせず、寝るのは飽きたからと赤い顔でふらふらと外へ出ようとする。
悪化の一途を辿る彼の監視役として幹部が代わる代わる見舞いに行く事となった。
そして大晦日。
みながわいわいと広間に集まる中、沖田は一人、自室に閉じこめられていた。
今宵の監視役は彼の悪友、である。
「‥‥いいなぁ。」
そう広くもない屯所の中。
聞こえる宴会の楽しげな声に、沖田は恨めしそうな声を上げた。
「僕も一緒になって盛り上がりたいなあ」
「なーに、馬鹿な事言ってんだ。
熱もまだ下がってないくせに。」
は呆れたような顔でその言葉を突っぱねる。
布団の上、上体を起こした彼は、熱っぽく潤んだ瞳をこちらに向けていた。
まだだいぶ熱が高いのだろう。
寝乱れた着物の袷から覗く肌は赤い。
汗で張り付いた前髪をがしがしと掻き乱しながら、沖田は唇を尖らせる。
「だって、近藤さんとお酒飲みたいくせにー」
「そりゃ飲みたいよ。」
でもねとは言って、傍らに置いてあった白湯の入った湯飲みに手を伸ばす。
「おまえを放って楽しむなんてこと‥‥出来る分けないだろ。」
むぅ、と沖田は眉を寄せた。
この相手が、土方や他の幹部ならば「ほうっておけば」と一蹴する事もできるが、した所でには自分の気持ち
などお見通しだ。
一人で部屋に寝込んでいるのはやはり‥‥寂しいという気持ちなど。
「‥‥ほら、後で少しくらいは年越しそばだって持ってきてあげるから。」
まずは、
「薬飲んで‥‥」
薬包を差し出すと、沖田はふいっとそっぽを向いた。
「やだ。」
「総司、飲まないと治らないだろ。」
「そんなことないよ、薬なんかに頼らなくても治る。」
「そういって、全然治ってないじゃん。」
このやりとりは全員が経験している。
しかし誰一人として沖田に薬を飲ませられた人はいない。
怒鳴りつけても右から左だし、優しく諭せば図に乗り出す。
無理矢理押さえつけようとすれば、布団の中に潜り込んでしまうしで大変だった。
ひとえに、
「苦いから」
という理由で突っぱねられたのだ。
早く治したければ薬を飲むべきなのに。
ははぁ、と溜息を吐き、その薬を湯飲みに落とした。
「溶かしても飲まないよ。」
苦いからねと子供のように駄々を捏ねる。
は答えずに、湯飲みの中で薬を溶かした後‥‥
「?」
唐突に自分で飲んだ。
飲んだ‥‥というよりは、自分の口に放り込んだだけで‥‥
「ちょ、まさか‥‥」
彼女のしようとしている事に気付いた沖田は僅かに狼狽する。
のし、とは沖田の上に強引に乗っかった。
普段であればはね除けられるそれも、熱のせいで力が入らない。
「ま‥‥」
待ってと開いた口に、は迷わず唇を押し当てた。
「んっ」
隙間なく唇を塞がれ、ついでに逃げられないように首の後ろを押さえつけられる。
唇を合わせただけでふわりと苦い香りがして、沖田は顔を顰めた。
それから徐々に開いていく彼女の口から、生ぬるい白湯が流し込まれた。
「ふぅっ」
それはやはり苦い。
薬が混じっているのだから当然だ。
思わず背けようとするのをは遮った。
身を捩れば捩るだけ一層強く唇を塞ぎ、後から後から薬を流し込んでくる。
口腔を苦みが満たす。
それが嫌で、思わずごくりと喉を鳴らせば、薬は喉を滑り落ちていった。
「ん‥‥」
しかし、
滑り落ちた液体は思ったよりも苦くはないと思った。
多分、その理由は――
「‥‥っは‥‥」
注がれた薬を全て飲み干せば、漸くは唇を離した。
「苦い。」
離れた瞬間、彼の口から文句が飛び出す。
はくすくすと笑い、目を眇めて睨み付けてくる悪友に笑い返した。
「良薬、口に苦し‥‥だよ。」
「でもにがい‥‥
、甘いものがほしい。」
文句を言ったかと思うと、今度はお強請りだ。
まったく。
はひょいと肩を竦めて、
「わかったわかった、なんか持ってきてやるから。」
何が良い?
と彼の上から退こうとすれば、
「わっ!?」
ぐいと腕を強い力で引かれて、は元の体勢へと戻る事となる。
そして、
「‥‥総司?」
沖田はの細腰に手を回し膝立ちで立つ彼女を見上げて笑っている。
なんだかその瞳はきらきらと期待に輝いていて、
「甘いの‥‥いらないの?」
訊ねると彼は欲しいよと口を開いた。
しかし、欲しいのは食べ物ではない。
それより、
と彼はちょんと、彼女の薄い唇に触れて、
「これが欲しい。」
そう強請る彼は、子供っぽい無邪気な表情を浮かべていた。
「‥‥私の唇は甘くないよ。」
一瞬呆気に取られたは、すぐに苦笑でそう返す。
「そうかな。
僕はすごく甘く感じたんだけど‥‥」
駄目?
小首を捻られ、は困ったように笑い、その首へと手を回した。
「じゃあ、薬を飲めたご褒美‥‥な。」
「うん。」
優しい囁きと、降ってくる唇。
合わせた瞬間、また、苦い香りが広がるけれど、舌先を絡ませれば途端に広がるのは‥‥蕩けるような甘さだった。
「こうしてもらえるなら次からも薬、飲む。」
少しだけ離れた隙間で沖田は告げる。
熱くなる吐息は、風邪のせいだけじゃない。
欲に濡れる瞳を見下ろし、はくすっと笑った。
「残念。明日は土方さんが見に来るはずだよ。」
彼にお願いするの?と意地悪く問いかければ、冗談、と沖田は顔を顰めた。
再び唇は重なって、
「が来てくれるなら、薬を飲むよ。」
甘えたような言葉に、彼女はやれやれと肩を竦めた。
「私が伝染ったらどうしてくれるのさ。」
「その時は、僕が看病してあげるよ。」
濡れた唇を食みながら、沖田は上目遣いにこちらを見て、
「同じように、薬を飲ませてあげるから。」
と言えば、はくすくすと笑って、
「私は、普通に飲めるよ。」
子供じゃないからねという呟きを、沖田は唇で塞いだ。
良薬口に苦し
総司が苦いのが嫌いと効いた瞬間浮かんだ話。
子供かアイツ(苦笑)
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