
「おはようございます!!
さて、今日は『寝どき』最終回でございます!」
「‥‥と、とうとうこの日が来てしまったんですね。」
「最後に相応しく、今日は鬼の副長‥‥土方歳三の寝起きに突撃したいと思います!」
「ほ、本当に大丈夫でしょうか?」
「うん、一応私遺書残してきた。」
「い、遺書!?」
遠い目をして言うに、千鶴は驚きの声を上げる。
遺書を書かないといけない場所なのか?
それならやっぱり、
「中止にした方が‥‥」
「駄目だ!
これは使命なんだ!!」
なんのだ。
激しく突っ込んでやりたい。
「とにかく、行くぞ!」
「‥‥は、はい‥‥」
とぼとぼと。
千鶴は重たい足取りで彼女の後に続いた。
「‥‥襖見て怖いって思ったのこれが初めてだぞ‥‥襖に呪いでも施されてんのかなあ?」
どんと目の前にある襖を見て、は呟く。
「呪いなんて施されてませんよ。」
「‥‥じゃあ、あれか?家主に似る。」
「このお屋敷の主人は八木さんです。
っていうか、襖に人格なんてありません。」
「千鶴ちゃん、今日は冴えてるね?」
「さん‥‥やっぱり‥‥」
「行く。」
ふいっとは頭を振って、襖の前で‥‥一度覚悟を決めるみたいに、息を吸う。
「‥‥斬られたら後よろしく。」
「縁起でもない事言わないでくださいっ。」
「いざ。」
両手で、襖に手を掛けて‥‥
す――
「なんだ、。」
不機嫌な声がすぐに返ってきた。
しばし、は襖を開けた姿勢で止まり‥‥
すすすすすす。
無言で閉じる。
「‥‥寝てすらいないし。」
がくし。
はうなだれる。
寝起き‥‥のはずなのに、彼は起きて机に向かっている。
確かに。
確かに。
鬼の副長の仕事は忙しい。
忙しいが‥‥これはないだろう!!
「さん‥‥」
千鶴が不安げに呼んだ。
これはもう怒られる覚悟をしておいた方がいい。
はちょいちょいと千鶴に向こうに行くように手を振った。
「部屋、戻ってな。」
「え!でも!」
それじゃ一人が怒られる事になる。
元凶は彼女かも知れないが、自分も共犯者だ。
自分だけ逃れるわけにはいかない。
そう言えば、は苦笑を浮かべて、
「土方さんの相手は私一人の方がいい。
その方が、土方さんの負担も私一人で済むから。」
と答えた。
でも。
「いいから‥‥ほら。」
戻りな。
とは優しく言う。
千鶴は暫く迷った後、一つ吐息を漏らした。
「‥‥わかり、ました。
でも、無理はしないで下さいね。」
と言って引いてくれた。
「ありがと。
骨は拾ってね。」
「縁起でもないです!」
「冗談だよ。
ほら、早く行った行った。」
ひらひら。
と手を振る。
千鶴は重たい腰を上げ、ちらちらと振り返りながらも戻っていった。
完全に彼女の姿が見えなくなったのを見ると、は腹に力を入れ、もう一度襖を開いた。
土方は先ほどと同じ状態で。
机に向かったまま仕事をしている。
「千鶴は?」
「帰しました。
説教なら私一人で受けます。」
「殊勝な心がけだな‥‥」
く。
と低く笑い、土方は入れと、促す。
は襖を後ろ手で閉めると、その場に正座した。
「で‥‥」
くるり、
と身体事、こちらに向き直る。
「また馬鹿げた事やってやがったのか?」
言葉に、は「はい」と小さく答える。
これはまたまたご立腹なご様子で‥‥
仕事が忙しくて苛々しているのも上乗せされているのか、声には早速苛立ちの色が混じる。
「なんで、俺が怒ったか‥‥分かってねえようだな?」
「いや、分かってます。」
不機嫌さ全開の部屋で数刻‥‥拷問のような時間を過ごしたのだ。
分かっている。
彼が何故怒っているか、なんて。
ようはあれだ。
「馬鹿な事をするなって事でしょ?」
副長助勤が。
朝っぱらから馬鹿げた真似をするなと言いたいのだろう。
助勤としての立場を弁えろということじゃないか。
答えに、はぁっと土方はため息を零した。
「違う。」
そうじゃねえ。
土方は眉間に皺を寄せ、不機嫌な声のままで言い放った。
「いくら仲間とはいえ、男の寝てる部屋にずかずか上がり込むなって言ってるんだ。」
「‥‥‥」
言葉に。
はきょとんとしている。
しばし黙り込んだ後、
「‥‥他の幹部連中の事を考えてやれって事?」
「そりゃ、わざとか?」
それこそ地を這うような声を漏らす。
なんでこんな時だけ察しが悪いんだ‥‥
いつもは何を言わなくてもすぐに察するのに。
わざとか、そうじゃなければ嫌がらせだ。
だけど、そうだった。
は自分の事に関しては、酷く鈍い。
他人に気を遣うあまりに、己に寄せられる感情に気付かない。
そうだ。
そういう女だった。
きちんと言葉にしないと、伝わらない。
「‥‥」
土方はもう一度、真っ直ぐ瞳を見つめた。
そして、
「俺以外の男の部屋に、行くなって事だ。」
僅かに熱を帯びた言葉に、の目が見開かれた。
『俺以外の男の部屋に、行くな』
土方は確かにそう言った。
その言葉が分からないほど‥‥は馬鹿でも、子供でもない。
そして、
彼の、
気持ちを、
知らないわけでもなくて‥‥
「‥‥」
は一度視線を伏せる。
正直、
滅茶苦茶嬉しかったし、照れた。
らしくもないが‥‥今多分、顔は真っ赤だ。
千鶴の事を初心だ初心だと言うけれど‥‥自分だってそうだ。
土方の、そんな言葉を聞くとコレ‥‥だ。
嬉しくて舞い上がりそうになる。
「わかってんのか?」
土方が訊ねる。
はい、分かってます。
と答えるみたいにこくこくと頷いた。
いつも飄々としている彼女らしからぬ反応。
こうなると、強いのは土方の方だ。
にやりと笑みをはくと、そっと畳に手をついて顔を覗き込もうとする。
「どうした?耳が赤いぞ?」
「な、なんでもないですよ!」
「熱でもあるのか、そりゃ大変だ。」
「な、ないです!ないですって‥‥っていうか、近寄らないでください!」
は顔を見られないように背ける。
が、彼が距離を詰めればそれは無駄な事で、
「。」
ぐ。
と顎に手を掛けて上を向かされる。
う、と口を噤むのは真っ赤な顔。
彼女にしては珍しい、狼狽え、困ったような顔だ。
千鶴を苛める総司を悪趣味だと思った。
だけど、
好いた女のそんな顔は‥‥
酷く加虐心を煽るらしい。
く、と彼は顔を歪めた。
「なんて顔‥‥してんだ。」
苦しげな吐息と共に、言葉は紡がれる。
「副長助勤ともあろう者が‥‥女みてえな顔しやがって‥‥」
「女‥‥ですから。」
の声も僅かに掠れる。
違いねえ。
低く笑いながら、でも手は離れない。
暖かな手の温もりを感じ、先に欲望をにじませたのは、だ。
多分、無意識だろう。
無意識に、男を捕らえる瞳が、こちらをじっと見つめていた。
「どうしてえんだ‥‥おまえは。」
そっと、指先がの唇に触れる。
そっと慈しむようになぞられ、ぞくりと震えた。
あからさまなそれは、何かを期待する証だ。
ぐる。
と喉が鳴る。
獣のような息だと自分でも思った。
男の欲が音を立ててわき上がる。
どうしたいと聞きながら、自分の答えは決まっている。
それでも、
どうしたいと訊ねてしまう。
「どう‥‥したいですか?」
訊ねながら、は挑発するようにその指先を食んだ。
馬鹿が――
心の中で一つ、告げる。
それは己に対してか、に対してかは分からない。
ただ、土方はその手を滑らせていた。
大きな掌が袷に掛かる。
乱すつもりだ。
「局中法度違反ですよ。」
「てめえで誘っておいて、何を言う。」
「誘って、ません。」
「そうだとしても、好いた女を抱くのに問題なんかねえだろう?」
笑い飛ばすその顔は、酷く色っぽい。
こちらを見つめる愛おしげな瞳に、抗う術を持たない。
もう、雪崩れるだけ。
「私はただ‥‥」
呻くように呟いた。
「土方さんの寝顔が見たかっただけなんです。」
馬鹿げた事をした理由は。
本当に馬鹿げたもので。
でも、土方は阿呆がと言って一蹴するのではなく、ただ、優しく笑って、
「後で、存分に見せてやる‥‥」
華奢な身体を畳の上に沈める。
さらりと零れる飴色のそれに、混じるは漆黒の髪。
後って‥‥
は不服そうに眉を寄せた。
「絶対起きて、らん‥なっ‥‥」
言葉尻が上がる。
ひくっと喉を震わせると、土方は楽しげに笑った。
「少しくらいは手加減してやる‥‥」
つもりだ。
と心の中で続けた。
は睨む。
その眼光も、すぐに緩んだ。
ぅあ‥‥と上がる甘い声に、土方は満足げに笑って‥‥
「いいから、おまえは大人しく感じてりゃいい――」
どんな理屈だと思いながらも、は降ってくる温もりに静かに目を閉じた。
すぱーん――
小気味のいい音を立て、襖が全開になる。
それは、見計らったとしか思えない。
いや、見計らったのだろう。
「何、襲ってるんですか?」
それはもう楽しげな声が降ってきて、は、ああ、やっぱりと心の中で呟いた。
こんな天才的に嫌がらせをする人間はこの世に一人しかいない。
「総司‥‥」
酷く不機嫌そうな声で、土方はその人の名を呼ぶ。
にこにこと、彼は開けた襖の傍に佇んでこちらを見下ろしてる。
「局中法度違反ですよ?土方副長。」
切腹してください。
と馬鹿にしたような響きさえ含ませて言えば、ゆらりと土方が立ち上がった。
その手にはもう刀が握られている。
先ほどの甘い雰囲気はどこへやら、彼は全身から殺意をほとばしらせていて‥‥
「てめえの性根の悪さは分かっちゃいたが、ここまでとはな?」
「あっはっは、それじゃまるで僕が二人の邪魔をしたみたいじゃないですか。
違うでしょう?僕はを助けに来たんです。」
「そう見えたなら、てめえの目は節穴だな、総司。」
じゃき‥‥
互いに抜刀するのを見ながら、はため息を零した。
「す、すいません、さん!」
ぱたぱたと駆け寄ってきたのは千鶴だ。
ばっちり見てしまったらしく、顔を真っ赤に染めている。
「あの、沖田さんに相談しにいったら‥‥あの‥‥こんな。」
「あー、うん。そりゃしょうがないよ。」
千鶴の事だ。
多分心配して相談したんだろう、が、相手が悪かった。
これが斎藤や、左之助ならばまだどうにかなっただろうが‥‥
総司なら絶対、ぶちこわしにくるに決まっている。
「まあ、なんていうか‥‥」
は目を細めて、笑った。
「平和だねぇ。」
どう見ても平和とはかけ離れた殺気丸出しの二人に、千鶴はあわあわと慌て続けるの
だった。
土方さんの邪魔を総司がするといい!
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