「なあ、虫をの部屋にいっぱい放り込んだら泣くんじゃねえか?」
「誰がその虫集めてくるんだよ!気持ち悪いって!」
「じゃあ、誰かが夜中にの部屋に幽霊の格好をして。」
「いやいや、返り討ちにあうって!」
「‥‥それじゃあ、や、やっぱり総司の言うとおりに‥‥‥」
「新八っつぁん、ちょっと本気で言ってんのかよ!?
総司の言うとおりって事はあれだぜ?を無理矢理‥‥」
「無理矢理、あいつに何をするつもりなんだ?」
ふいに飛び込んでくるのはここにいないはずの、一番こわーい人の声。
「ぎゃああああああ!鬼が出たぁああ!!」
涙 5 〜泣き虫〜
最近、三人組を筆頭にこそこそとしている姿を見かけた。
彼らが馬鹿な事をするのはいつもの事だが、それに沖田が加わると質が悪くなる。
ついでに斎藤までもが巻き込まれており、これはいよいよ大事だと土方は重たい腰を上げたのだが、その中身を知って、
本気で、
『いっぺん、地獄を見てみるか?』
と愛刀兼定を引き抜いて、永倉・藤堂両名を涙目にさせた。
何度も言うが馬鹿な事をするのはいつものことだが、よりにもよって、
『を泣かせる』
なんて企てているとは思わなかった。
どうにも原田が気乗りしない顔をしているわけだ。というか、乗り気じゃないなら止めろ。
女を、仲間を、というか、なによりを泣かせるなんてとんでもない。
いくら好奇心の方が勝ったとしても、そんな事をすべきではない。
彼女は‥‥あんなにも必死に自分たちの為に働いてくれているというのに。
「‥‥というわけで、私、明日からまた置屋に詰めてみますね。」
一通りの報告を終えると、はそう言って話を終わらせた。
色町での情報収集は、自分たち男ではどうにも出来ない。彼女がいてこそ、だ。
「悪いな。」
眉を下げてそう告げると、はにこりと笑って頭を振った。
「私の仕事です。」
「‥‥そうか。無理はするんじゃねえぞ。」
「分かってます。」
その分かってますという返事が分かっていないと言うことは分かっているのだが、とりあえずその言葉に少しだけ安心し
ながら、ふ、と彼はあの馬鹿共の言葉を思い出した。
『だって土方さん!俺たち長いこと一緒にいるのにが泣いた所見たことないんだぜ!』
長い間彼女とは一緒に過ごしてきた。
恐らく一番長い時間、共にいるのは間違いなく彼、土方だろう。
彼女が、彼らのために戦うと決めたときから‥‥は彼の傍に在ることが多くなった。
彼の傍にいることが、ひいては彼らを守ることに繋がると分かっていたから。
そんな彼でさえ、が泣いた所は見たことがない。
苦手な蝶々を前に動けなくなっていた時だって、誰にも内緒で大怪我をして帰って来たときだって、彼女は涙を見せなか
った。
「なあ。」
「はい?」
呼びかけると彼女は首を少し傾げた。
さらりと柔らかい飴色が流れ落ち、綺麗な琥珀が彼をじっと見つめる。
「おまえ‥‥泣いたことはあるか?」
唐突な問いかけに、はきょとんとした。
文字通り目をまん丸く見開いて、まじまじとこちらを見つめてくる。
「‥‥突然、なに?」
彼女がそう問うのは当然の事だ。
土方とて、唐突なのは理解している。
ただ、なんとなく気になったから口にしてみたのだ。
「泣いたことは‥‥ないですね。」
は記憶をたぐるように視線をそっと虚空へと向けて、頭を振った。
「記憶を無くす前、はどうか分からないけれど、少なくとも近藤さんと出会ってからはないです。」
「だよな。」
彼女が泣いたのならば自分が知っているはずだ、というのは自惚れもいいところだろうか。でも、その通りだと思う。
「悪かったな、突然変な事聞いて。」
土方は苦笑を漏らしながら視線を文机へと戻した。
はそんな彼の横顔を見ながら、ぽつっと訊ねてみる。
「泣いた方が、いいですか?」
「‥‥‥‥」
問いに、無言で土方は視線を戻した。
じっとこちらを見つめる琥珀とぶつかる。それは純粋に彼の答えを聞きたいというそんな目で、
「‥‥土方、さん?」
さっきの質問と同じようにだけど、それよりも緩く突然伸びた手がの頬を撫でた。
は先ほどよりも驚いていた。
当然だ。
そんな大きく見開かれた目元をちょいちょい、と撫でてみた。
柔らかいそこには、涙で濡れた痕はない。勿論泣いていないのだから当然。
土方はそれを確かめて、満足げに言った。
「おまえは、泣くよりも笑ってる方がいい。」
なんだその口説き文句はと言いたくなるような言葉を吐いたのはとんでもなく甘ったるい表情で、はそうですかとさ
え言えずに黙り込んだ。
耳まで真っ赤になったのは初めてだった。
はら。
桜の花びらが緩やかに流れる。
はらはら、と穏やかな風に吹かれていくつも。
それを見上げて、土方はあの時よりもずっとずっと穏やかになった表情で笑った。
翳した手には盃。はらりと花弁が一枚、水面に落ちた。
「懐かしいな。」
あの頃が、と彼は優しく告げる。
そんなに遠い昔の事ではない。
まだ、たったの数年だ。
だというのに、彼にとってはとんでもなく昔の記憶のように感じた。
だけど思い出は決して色あせず、今でも美しく、彼の中に残っている。
どれも、
今となっては良い思い出だ。
その思い出を語る友が、いないのは哀しいことだけど。
「懐かしいな。」
呟きにさらりと、短くなった黒髪が揺れる。
「幹部が揃いも揃って、泣き顔がどうだこうだと騒いで‥‥」
くつ、と肩を震わせて笑いながら彼は盃を口元へと運んだ。
あの時と同じくらい、彼はまだ酒に弱い。
一口二口、嚥下した所で強い酒の香りにほんのりと目元が赤くなった。
「おまけに泣かせるためにあれこれ画策する、なんて、新選組にも平和な時があったもんだな。」
結局の所、誰一人として彼女の泣き顔を見れた人間はいない。
その内、それどころじゃなくなって、いつの間にかその話は忘れ去られるようになった。
それからも、
は泣かなかった。
笑い続けた。
彼の言うとおりに、笑い続けた。
苦しい戦いを前にしても、
哀しい別れを前にしても、
彼女は笑い続けた。
「あいつらは‥‥」
ぽつん、と視線を落としながら言葉も落とす。
桜の花びらが浮かんだ酒をくるりと手の中で回しながら、彼は瞳を細めて笑った。
「とんだ大馬鹿野郎で、とんでもねえ侍だったよな。」
どうしようもない馬鹿野郎ばかりだったけれど、
その心にはしっかりと武士の魂を持っていた。
武士の誇りを持って、彼らは死んでいった。
生まれは関係ない。
彼らは、
真の侍。
ぱた。
ぱた。
微かに聞こえた小さな音。
ぱた。
ぱた。
薄桃色の着物を、滴が濡らした。
それに気付いて土方はゆっくりと顔を上げ、そちらを見て困ったように笑った。
「‥‥まったくおまえは。」
溜息を零して、すごく優しい声で彼は囁いた。
そっと手を伸ばして、細い手首を引き寄せる。
とさりと傾いた瞬間に柔らかい飴色が宙を舞って、やがて男の腕の中に囚われた。
「泣き虫‥‥」
笑いを含んだその声に、はひく、と喉を震わせた。
瞳を閉ざした瞬間にそこから滴がこぼれ落ち、彼女が纏う女物の薄桃色の着物が濡れる。抱きしめる彼の着物も。
『の泣き顔なんて見たことねえよ!』
誰かの声が蘇った。
土方は悪いな、と小さく心の中で呟きながら、震える背を撫で、やがて手を差し込んで顎を押し上げる。
琥珀は涙できらきらと輝き、噛みしめた唇は赤く染まっていた。
彼女の泣き顔は‥‥そう、綺麗だ。
仲間の誰も見たことがない、その泣き顔は、驚くくらいに綺麗だ。
「俺だけが‥‥知ってるんだな。」
この泣き顔を。
そっと指の腹で優しく涙を拭うと、苦しげに「ひじかたさん」と、求めるように名を呼ばれた。
狂おしい程の愛おしさに、男はそっと眦を下げて、濡れる目元へと口づけを落とした。
そうして、真っ直ぐに瞳を覗き込むと、彼は言った。
「泣いても、いい。」
自分の前でだけは、我慢などせずに泣けばいい。
大声を上げて泣けばいい。
何も堪える事はない。
だけど、
と彼は震える唇にそっと己のそれを重ねて、こうも囁いた。
「おまえは、笑ってる方がいい。」
悪戯っぽく覗き込めば、濡れた瞳をきらきらと輝かせて、
彼女はとびきりの笑顔を向けてくれた。
笑いからシリアスオチに
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