「ってことで、を泣かせるにはどうしらいいと思う?」
「おいおい、主旨変わってんじゃねえか!なんで泣かせるになってるんだよ。」
「いやだって、泣き顔を見るんだから泣かせるって事になるじゃん。」
「それじゃ無理矢理だろ!なんで俺たちがあいつを泣かせなきゃならねえんだよ!」
藤堂と原田の口論を横目に見ながら、なあ、と永倉は無言で訝しい顔をしている男に声を掛けた。
「斎藤は、どうしたらが泣くと思う?」
「下らん。」
返事があっただけ、まだマシ――
涙 4 〜危険物〜
すたすたと無言で廊下を行く斎藤に、声を掛けられる人はいない。
常に冷静沈着である彼が、今は誰の目から見ても不機嫌そうに見えるのだ。
いや、顔色はいつも通りだ。しかし、纏う空気が重い。黒い。暗い。怖い。
うっかり近寄ったら得意の居合いでまっぷたつにされそうな、そんな空気に誰も近付かない。
彼は不機嫌であった。
その理由は、先ほど聞いた三人組の言葉である。
『を泣かせるにはどうしたらいいか』
原田はやや乗り気ではなかったようだが、他の二人は彼女を泣かせる事に意欲的だった。
どうしたら彼女を泣かせられるか、と真剣に論議している姿に、呆れ以上に怒りを覚えた。
何故ならは女なのである。女を泣かせる、と言うことを真の武士たる者がしていいわけがない。
なにより、彼女は仲間だ。
仲間を傷つけるなど、言語道断、だ。
朝稽古に来ないから一体何事かと思えば‥‥下らない。
下らなすぎて、それ以上言う気にもなれない。
「‥‥‥」
些か乱れがちになっている足音をさせながら、くるりと廊下を曲がった。
すると向こうから全く聞こえなかったというのに、角からにゅっと人が出てきた。
「っ」
「あっ」
気配を完全に消されていて気付かなかった。
が、いくら心が乱れているからといって聡い彼に気配を悟らせない相手など、この屯所には一人か二人しかいない。
思い切りぶつかりそうになって、慌てて身を退くと、そのまま向かってきた人はぼすっと彼に突撃してきた。
勢いがついていても、痛くはない。
だって相手は女だったから。
「‥‥ごめ‥‥」
ふわりと柔らかい、男とは違う感触が自分の身体にぶつかってきて、身体がぎくりと強ばった。
そのせいで、反応に遅れ、先に謝られてしまう。
斎藤はいや、と頭を振りながら気を取り直した。
「こちらこそすまん。
少しばかり考え事をしていた。」
注意力散漫だった、と謝りながら一歩を退く。相手も退いた。
そうすると、琥珀がそっと細められる。
「珍しいね。一が考え事しながら‥‥なんて。」
何かあったの?と心配げなそれに変わるので、斎藤は違うともう一度頭を振った。
「下らん事だ。」
「‥‥‥下らん事?」
それこそは驚きである。
下らない事、で彼が前方不注意でぶつかるほど考え込んでいる、なんて。
一体どんな事なのだろうかと興味が沸いた。
「なになに、何かあったの?」
覗き込む目が爛々と輝いている。
この女が、沖田と同族なのだという事を認識する瞬間だ。
「いや、その‥‥」
「問題?何か問題?」
「別に、問題というほどでは‥‥」
「あ、分かった!あの三人組?」
また何かやった?と問われ、その原因はおまえだがな、と心の中でだけ答えておく。
覗き込んできた為、顔がちょっと近い。
やはり綺麗で整った顔立ちだなと思う。いや、それを今考えることではない。
その顔は、斎藤が知る限り楽しげな表情ばかりが多い。
沖田と悪戯をしている時も、だが、何より敵と対峙する時に見せる顔は楽しげで、ぞっとするほど美しい。
考えてみると呆れたりすることはあっても、怒ったり、悲しんだり、泣いたり、というのは無い。
時々無表情になるときがあるが、それが恐らく彼女の負の感情表現なのだろう。
だから勿論、彼も泣き顔を見た事がない。
「ん?」
どした?と無邪気に問いかけるその表情が。
美しくきらきらと輝く琥珀が、悲しみに翳り、濡れる事はあるのだろうか。
恐らく彼女は泣いたらきっと、綺麗だと思う。
勿論、泣かせたいとは思わないけれど、綺麗なのだろうとは思う。
彼女はどうやって泣くのだろう?
大声を上げて?いや、それはないな。
きっと声を殺して何かを堪えるようにして泣くのだろう。
その白い頬を涙で濡らして、長い睫を、琥珀を濡らして、美しく泣くのだろう。
「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」
そんな事を考えた自分に、斎藤は驚いた。いやちょっと嫌悪した。
これではあの連中と同じではないか。勿論泣かせたいとは以下略。
こほん、と咳払いをし下らないと先ほど確かに切り捨てたそれを頭の中から払いのける。
「すまないが、先を急ぐ‥‥」
そう言って踏みだした瞬間、
びゅ、
「わっ!?」
強い風によって、思ったよりも大きな一歩が出てしまった。
故に、にどん、とぶつかってしまう。二度目だ。
「す、すまない。」
謝って身体を離すと、どういうわけかは目を押さえていた。
まさか、ぶつかった時に目に当たったのだろうか?いや、どこが?突出した場所なんてないだろうに。それが分かってい
るのに、斎藤は少しばかり慌てた様子で、
「どうした!?」
と訊ねる。
彼も十分、馬鹿、だ。
はんーと小さく呻きながらごしごしと手で目を擦った。
「なんか、目に、入った。」
いててと小さく呻きながら力強く擦るので、斎藤は待て、とその手を掴んで引き離す。
「洗った方が良い。
あまり強く擦ると傷が付く。」
「えぇ‥‥」
面倒くさい、と彼女は言う。
こういう時の彼女の自分の事への無頓着さというのはちょっとばかり問題だ。それを斎藤が言える立場ではないのだけど
とはここに突っ込む立場の人間がいないので誰も突っ込まない。
「平気だって、擦ってればそのうち出て‥‥」
「ならんと言っている。」
「だって、ここから井戸まで遠いもん。
目ぇ閉じて歩けっての?」
「俺がついていく。」
「いやいや、それも申し訳ないって。
てか、おまえ急いでるんだろ?」
「それとこれとは別だ。」
「別じゃないし。
もういいからさ。」
ごし、と強引に手を動かしては目元を擦った。
瞬間、
「いたっ!」
目に入った何かが当たったのだろう。
は小さく呻いて眉根を寄せた。
だから言っているだろう、と彼も顔を顰めて俯いたその顔を覗き込む。
「、見せてみろ。」
「うー‥‥」
ぐいと両腕を掴んで顔を上げさせれば唸りながらが睫を震わせる。
まじまじとよく見てみるとその睫に小さな滴がいくつかついているのが見えた。
涙、だろうか。
そういえば、目に異物が入ると涙となって出てくるのだったかとぼんやりと思いながら彼女をじっと見つめていると、
「‥‥」
緩やかに、その瞼が持ち上がる。
下から現れたのは赤く色づいてしまった瞳だ。
その目は微かに揺れ、
表面を濡らしていた。
睫が濡れていたのだから当然だ。
正式な泣き顔、というにはほど遠いのかも知れない。というか、正式なってなんだろう。
涙を零しているわけではないし、哀しかったわけでもない。
ただ、異物を吐き出すために、身体が生理的に吐き出したものだ。
しかし、
「――っ!」
斎藤は思わずうっと、呻いた。
瞬間、がなに?と視線を上げる。
赤く目元を染め、濡れた視線を、こう、上目に。
ただ見ただけだ。
見ただけなのだが、その表情は彼が想像した以上に頼りなげで、愛らしく、そして何よりも、色っぽくて。
「はじ‥‥ぶっ!」
べしっと電光石火の如く取りだした手拭いで思い切り顔を覆われてしまった。
「こ、これを使え!!」
という声は上擦って震え、なんだかここにはいてはいけない気がして、彼は脱兎の如く逃げ出した。
残されたは呆然とその後ろ姿を見送りながら、ぽつん、と呟く。
「‥‥なに?」
最近、よく分からないことが周りで起こっているなぁとこの時漸く気付いた。
「ねえ、。」
「ん?」
「君の泣き顔は人に見せちゃいけないものだって、一君が言ってたよ。」
「‥‥‥それ、殺人的に不細工ってこと?」
「‥‥もしそういう意味だとしたら僕は一君を斬らなきゃいけないよね?」
「いや、私は別に構わないぞ。殺人的なぶ――」
「僕が良くない。」
「ああそうですかい。
つか、私あいつの前で泣いた覚えなんてないんだけど。」
「うん、そこのところ僕も詳しく聞きたいなぁ?」
の泣き顔は危険物か!?
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