「ばっかだなー、玉葱なんかでが泣くかよ。
  普段から切ってるんだからさ。」
  「‥‥いや、って普段勝手場に立たないし‥‥」
  「それでおまえが泣いてちゃ立つ瀬がねえよなー」
  「泣いてねえし!!」
  「いやいや無理すんな。玉葱で涙が出るのは普通のことだ。」
  「じゃあなんであいつは泣かねーんだよ!!」



  
涙 2 〜予想外〜



  には怖い物は、ない。
  いや実際には『蝶々』という歴とした彼女の嫌いなものがあるのだが、この三人は知らない。
  知っているのは土方と沖田だけで、二人は絶対にそれを誰かに漏らすつもりはない。
  何故ならそれを漏らした事で自分以外の他の野郎に頼られては面白くないからだ。親切心とはほど遠い下心である。
  男って‥‥

  そんな彼女を泣かせるならば、やはり『痛み』だろうか。

  人と言うものはとんでもなく痛い時には涙を浮かべるものである。

  まあ、苦痛を与えて人を泣かせるなんて、悪趣味も良いところだ。沖田あたりは喜びそうだが。


  「‥‥って事で、次は左之!おまえだ!」
  「冗談じゃねえ!」
  ばしんと肩を豪快に叩く永倉に、原田は不機嫌そうに首を振った。
  何が哀しくて大事に大事に育ててきた、可愛い妹分を甚振って泣かせなきゃならんというのか。
  そもそも、
  「女を泣かせるなんざ男のすることじゃねえ!」
  流石伊達男。
  女を守る事こそが男の勤めと信じている彼ならばそう考えるのは当然のことだ。
  そんな彼に、
  「いやいや、俺は何も泣かせろなんて言ってねえって。」
  と永倉がにやにやと笑いながら言う。
  「普段頑張ってる可愛い妹を労ってやれって言ってるんだよ。」
  「‥‥だから足を揉んでやれってのか?」
  「そう!」
  勿論、嘘だ。
  いや、労ってあげるという気持ちに嘘偽りはないけれど、そこに若干の下心がある。
  この間色町でとある妓女に足の裏を押してもらったのだが、これがとんでもなく痛かったのである。
  大の男が脂汗を浮かべてのたうち回りそうにあるくらいに、だ。
  どうやら足の裏には様々なつぼというのがあるらしい。
  押すと効くのだけど、それにはとんでもない苦痛を伴う。
  「‥‥けどなぁ‥‥俺は別にどうやりゃいいかなんて知らねえぞ。」
  「そんなもん適当で良いんだって!」
  「新八、おまえただ泣かせたいだけだろ?」
  胡乱な視線を寄越され、永倉は慌てた。
  いや、違う。とぶんぶんと千切れそうになるくらいに頭を振った。
  「足の裏はどこを押しても効くらしいんだよ。
  だから、適当で良いんだって!」
  「‥‥本当かぁ?」
  「本当だって!
  そ、それに放っておくと酷くなるって言ってたぞ!」
  酔っぱらって朧気にしか覚えていない言葉の断片をたぐり寄せて、それらしく言葉にした。
  「は普段身体の事に関しちゃ無頓着だろ。
  だから、いい機会だと思って、悪いもんを全部取り除いてやるためにも、揉んでやった方がいいって!」

  なんか、とんでもなく乗せられている気がする、とは思ったが、あまり深く考えない事にした。
  逆に永倉に任せるよりも自分がする方がましだから、だ。



  はその日の夜、やっぱり遅くに帰ってきた。
  微かに白粉の匂いをさせて‥‥ということは、今日は桔梗と名乗って色町で男の相手をしていたのだろう。
  丁度、夜の巡察から戻ってきた原田は自室の前でそんな彼女と鉢合わせして「お疲れさん」と声を掛けた。
  思ったよりも疲れた顔で「お疲れさまです」と返事があった。

  「‥‥疲れてるみてえだな?」
  「いや、うん、まあちょっと‥‥今日のお客がしつこくて。」
  嫌そうに顔を顰める彼女にまさか、と彼は声を潜めて訊ねる。
  「変な事とか、されたりしてねえだろうな?されたんなら俺が‥‥」
  「大丈夫。」
  名前を教えたら今すぐにでも飛んで行って、相手をぼこぼこにしかねない彼に、は苦笑で頭を振る。
  「ちょっと絡み酒だっただけ。
  何もされてません。
  いやらしい事をしようもんなら、ぶん殴って逃げてくるから安心して。」
  「‥‥そう、だな。」
  そう言えば彼女は副長助勤である。
  因みに特技は暗殺。ちょっと、いやかなり物騒な特技だ。
  刀こそは持ち込んではいないが、その真っ白くて柔らかい腿には匕首という武器を仕込んでいる。見たことはないが。
  不埒な輩が彼女のそこへと手を差し込んだら、恐らく、一溜まりもない。勿論手を差し込んだことはない。
  「ああでも、今日は大勢相手にしたから疲れたかな‥‥」
  は言ってうーんと背伸びをする。
  背伸びをしても全然原田よりも小さい。やっぱり女なんだなと思いながら見ていると、ふいに昼間の永倉の言葉が蘇った。

  『頑張ってる妹分を労ってやれって言ってるんだよ』

  確かに頑張っている。
  こんなに小さくて華奢なのに、自分たちよりもずっと働いて、危険な事もやってのけている。
  おまけに泣き言一つ言わない。
  少々頑張りすぎだ。

  「‥‥なあ、。」
  「はい?」

  呼びかけると彼女はなんでしょうと視線を上げて笑った。
  その顔には疲労の色が見える。
  ああやっぱり無理してる、と思ったら原田は放っておけなくて、

  「ちょっと、来い。」

  細い腕を掴んで、部屋へと連れ込んだ。
  近藤に見つかったらこんな時間に‥‥と怒られるだろうかと思いながら。


  「足を出せ。」

  突然部屋に招き入れられ、突然座らされ、突然足を出せ、と言われては目を瞬かせる。
  唐突すぎてどうすればいいのか分からないという感じだ。

  「え、えと、なんで?」
  「疲れてるんだろ?」
  「‥‥や、まあ‥‥でも左之さんも‥‥」
  「だから、足を揉んでやる。」
  「はい?」

  だからの意味が分からずには首を捻った。
  すると短気な男は焦れたのか、いいから、と言って女らしくなく胡座を掻いている彼女の足首を掴むのである。
  これが普通の女ならば悲鳴を上げて平手の一発もお見舞いしたところだろうが、相手はだ。
  「おわっ」
  と女らしくない声を上げて、されるがままに足を差し出した。
  相手が沖田だったら恐らく身の危険を感じて蹴り飛ばしたりするのだろう、勿論沖田も蹴り飛ばされるようなへまはしな
  いが。だが、相手が原田と言うことで全幅の信頼というのを寄せているのだろう。彼には抵抗一つしない。これも人徳と
  いうやつか。

  原田は自分の手に巻いている晒を解いて掌を剥き出しにする。
  摩擦で彼女の肌を傷つけてもまずいと思ったからだ。

  「くすぐったかったら蹴り飛ばしちゃうかもしんないですよ?」
  「分かった分かった。そん時は我慢して蹴られてやるよ。」

  足の裏をそっと掌で包む。
  思ったよりも細くて、小さくて、それから冷たい。
  女は男よりも体温が低いのだというのを思い出した。
  しっかりと暖めるように両手で包んで、それから足の指を一本一本解すように摘む。

  「勝手が分からねえから、痛かったら言えよ。」
  「はーい、お、そこ結構気持ちいい。」

  親指の付け根をぐいぐいと揉むとはそう言った。
  気持ちがいいというのは効いているのか効いていないのか。ちゃんと永倉に聞いておくんだったと後悔しても遅い。
  とりあえず気持ちいい所がいいんだろう。
  あれ?でも、悪い物を取り除くって事は痛がる所の方がいいのか?

  などと考えながら手を下へとずらしていくと、

  「っ!」

  びくんっと彼の手の中で彼女の足が跳ねた。
  ちょうどこう、足の中心。土踏まずのすぐ横だ。
  そこが指先で触るとよく分かるのだが、ごりごりと凝っているのが分かる。
  骨、ではない。

  「‥‥くすぐったいか?」
  「‥‥いえ‥‥」

  問いかけには頭を振った。
  心なしか、その表情が硬い。
  指先でもう一度その硬い所を揉んだ。

  「っ」

  もう一度、の足が跳ねる。
  それだけではなく、その指先が丸まったのが分かった。
  どうやらそこは、痛い所、らしい。

  「悪い、痛かったか?」
  訊ねれば彼女はふるっと首を振った。
  「痛くない。」
  あくまで、彼女は痛くないと主張するのである。
  そういえば肩が凝っている人間の凝っている場所、というのは今触れているのと同じように硬く凝った部分があったのを
  思い出した。
  これを揉んでやると痛いけれど、効くのだと。
  そうか、これか。

  「‥‥‥」

  原田は片手で足の甲を掴み、そしてもう片方の手、指を鈎状にして、その尖った部分で彼女の足の裏の硬い部分をぐりっ
  と些か強く擦った。こうすればその凝りが解消できそうな気がしたのだ。

  「っ!!」

  はびくんっとまた大きく震える。
  けど、声一つ漏らさない。
  大丈夫なようなので、強く押し当てたまま押し流すように動かした。
  しかし凝った部分はその手から逃れて元の所に戻ってしまうので、彼は何度も何度もその凝った部分に指の山を押し当て
  てぐりぐりと擦った。
  その度にびく、びく、との身体は小さく跳ねる。
  彼は、少しばかり熱中してしまったいたようだ。その凝りを取ることに。
  だから、気付かなかった。


  「‥‥くっそ、簡単に凝りってのは無くならないもんだな‥‥」
  世の按摩屋というのはすごいもんだなぁと感心しながら、白熱するあまりに浮かんだ汗を拭う。
  そうして、

  「どうだ?少しは楽に‥‥」

  なっただろうかと訊ねかけて、

  「っ‥‥っー」

  が思い切り眉を寄せ、きつく目を閉じて震えている事に気付いた。
  噛みしめすぎたせいだろう、唇は真っ赤に染まっていて‥‥それはどう考えても、痛みを必死で堪えていたという表情で、

  「お、おい、!?」
  原田は慌てて手を離した。
  小刻みに震えている彼女の背を抱いて、顔を覗き込んだ。
  「っ‥‥っ‥‥」
  声を出すことさえも辛いのか、く、く、と息を詰めるような音だけがその口から漏れる。
  背中がしっとりと濡れているのにこの時になって気付いた。多分、冷や汗だ。
  「痛かったら言えって言っただろ!なんで我慢なんて‥‥」
  いや、違う。痛がっていたのに気付かなかったのは自分だ。
  自分が悪い。
  声を荒げてしまってから、自己嫌悪に唇を噛みしめる。
  「悪い、。おまえをこんな目に遭わせるつもりは‥‥」
  すまなさそうに眉を寄せて言うと、は睫を震わせてゆっくりと瞼を開いた。
  その下に隠れていた琥珀は、微かに濡れている。
  相当痛かったんだろう。
  彼女は、その顔で言った。

  「‥‥痛く、ないです‥‥」

  誰がなんと言おうが痛くないのだと必死で主張され‥‥
  正直、泣き顔をしっかりと観察する余裕はなく、ただひたすらに原田は頭を下げ続けるしかなかった。





  左之さん予想外な事に平謝り(そして自己嫌悪)