「そういや、が泣いてる顔って見た事ある?」
  「いや、ねえな。」
  「っつーか、あいつって泣くのか?」

  いや、泣くだろ――普通。



  
涙 1 〜計画失敗〜



  という女が彼らの元にやって来てから、早八年。
  小さかった彼女はあっという間に大きく、そして不貞不貞しくなりました‥‥と藤堂は心の中で締めくくる。というか、
  彼はあまり小さい頃のを知らないけれど。
  どうやら彼女は昔、とんでもなく可愛かったようである。
  まあ、顔は確かに綺麗だ。悔しいかな自分よりも女にうける顔立ちをしている。女なのに!
  その彼女をそのまま小さくすると、そりゃまあ可愛いだろう。近藤あたりが溺愛してそうだと言うと、それが彼だけでは
  なく皆が彼女を猫っ可愛がりしていたらしい。
  今とは違って素直で、それはそれは無口な感情の分かりにくい子だったらしい。いや、感情が分かりにくいのは今もだ。
  ってか無口で可愛いって一体?
  まあ、そのがいつの間にか沖田に似てあんな、可愛げもくそもない大人になってしまったというわけだ。

  彼女が可愛くなくなってしまったのは今更なので嘆いても仕方ない。当人が聞いたら笑顔で「へえ」とか言われそうだ。
  それがちょっと怖い。笑顔が怖いって一体。

  ‥‥まあ、それは置いておいて、とにかく、八年も一緒にいるというのに、永倉や原田たちは彼女が泣いた顔を見たこと
  がないと言うのである。
  何故彼女の泣き顔の話になったか‥‥というのは所詮、酔っ払いの戯れ言だ。脈絡もあったもんではない。
  言うなればただ思いついたというのが正しい。
  一度気にし始めたら酒の酔いも一気に冷めてしまうほどに気になって仕方なかった。

  「でもほら、小さい頃とかは怪我とかして、泣いたりしなかったの?」
  藤堂の質問に、あー、と永倉と原田が微妙な反応をした。
  まさかあれか、怪我をさせまいと箱入り娘よろしく大事に育てたって事か?それがどう間違ったら野獣になるんだ。
  あ、いやこれは心の中でだけ留めておく。絶対に当人には聞かせられない。明日の自分の命が危ない。

  「いや、あいつ、怪我はしょっちゅうだったぞ?」
  微妙な顔でこちらを見る藤堂に、原田が察したらしくそう答えた。
  「そうそう。外に出たら必ず、青あざやら擦り傷とか作って帰ってきたよな。」
  意外にお転婆だったのかと小さく呟くと、いや、と否定された。
  「俺たちに恨みのある連中の仕業だよ。」
  恨み?
  こりゃまた一気に変な空気になって藤堂は眉根を寄せた。
  「あいつら、俺たち相手じゃ敵わねえからってを狙って来たんだよな。」
  思い出したらしい。
  二人の目が剣呑とした色を帯びる。
  「そいや、背中にでっかい痣作って帰って来たときは、あれか?木刀で殴られて川に落とされたって言ってたっけか?
  誰だっけ?その卑怯者。」
  「武田んとこの、ほら、あの馬鹿ぼんだよ。」
  「あー‥‥思い出したらなんかむかついてきた。
  ねえとは思うが、見かけたらぶっ殺してやる。」

  取り残されている。

  藤堂はずずっと殺気丸出しでそのまま今にも刀を持って飛び出しかねない二人を見て、いやいやと口を挟んだ。
  とりあえず彼女が傷をこさえて帰ってくることが多かったというのはよく分かった。
  でも、

  「、泣かなかったの?」

  彼女は泣かなかったのだろうか?
  今では鬼の副長相手に馬鹿が出来るほど肝が据わってしまっているとは言っても、の頃は十かそこらの子供だったはず。
  怖かったはずだ。
  見知らぬ大人の男から木刀で殴りつけられても、彼女は泣かなかったのだろうかと問えば、二人はなんだか寂しそうな顔
  で呟いた。

  「あいつは‥‥泣かなかったな。」
  「一度も、泣いた顔を見たことはねえよ。」

  思うように泣かせてあげられなかった自分たちが、なんとも不甲斐ないと二人は今更のように思った。



  別に、日頃からからかわれてばかりの相手を泣かせてやりたいと思ったわけではない。そこまで根性は曲がっていないし
  悪趣味でもない。
  純粋に彼女が泣いた顔がどんななのかという興味はあったが‥‥だが、彼女が泣くという姿は想像できなかった。
  まず第一に、彼女が怖がる物が思いつかない。
  お化け、とか、虫、とか、世の女性が怖がる物をあれこれ思い浮かべてみたが、どれも笑ってはね除けそうだ。
  なんせ厳つい破落戸十数名に囲まれても嬉々として切り抜けてくるような女なのである。
  だからといって、近藤のように哀しい話などで涙を見せると言うほどの感動屋でもない。
  むしろ書物を読んでいて泣いていたらこっちが驚いてしまう。そんな可愛らしい性格じゃないだろうに‥‥これは失言。

  彼女は一体何で泣くのだろう?

  そんなことをぼんやりと思いながら藤堂はてくてくと廊下を歩いた。
  そんな下らない事を考えている暇があったら、私から一本でも取れるように鍛錬したら?とかいう言葉が脳裏に浮かんで
  ちょっとむっとしながら。


  「あれ?」

  ふと勝手場の前を通ると、そこでは見慣れない後ろ姿を見つけた。

  「?」

  彼女だ。
  呼びかけると、くるりとは振り返って、おお、と彼を見て声を上げる。
  いやだから女の子なんだからもっと可愛らしい反応にしろよと思ったが、突っ込んだら十くらい返ってきそうだから、
  止めた。
  「何してんの?こんなところで。」
  「何‥‥って、勝手場ですることといえば?」
  「盗み食い。」
  「‥‥ほうほう。
  って事は毎度おかずが無くなるのは平助君のせいということだね?」
  失言にう、と呻くと、は意地悪くこちらを見た。
  違う、別にいつもしているわけじゃない。たまに‥‥そう、三日に三度くらい、とか永倉みたいな言い訳が浮かんだ。
  まずい、ちょっと動揺しているらしい。

  慌ててぶんっと頭を振って、いや、そうじゃなくて、と藤堂は口を開いた。

  「おまえが勝手場に来ることって珍しいじゃん!」
  「‥‥まあ、ね。」

  は元々多忙極まりないという理由から食事当番を免除されている所があった。が、しかし、以前作った料理を折角作
  った相手にケチをつけられて以来、一層縁遠いものとなってしまったのである。
  その理由が彼にもあるのだけど、は言わずに曖昧に肩を竦めてみせた。

  「総司の代わりに鍋の見張り。」

  言われれば今日の昼飯当番の沖田はここにいない。
  押しつけて逃げたか?

  「ご名答。
  んで、今一が総司を探しに行ってるところ。」
  くるくるとしゃもじで鍋の中身を掻き混ぜながらはのんびりと言う。

  「結局押しつけられてんじゃ‥‥」

  と呆れて言うけれど、は気にした風もなく、むしろ嬉しそうですらある。
  普段は要領よくそつなくこなすくせに、こういう所だけはお人好しなのだ。
  押しつけられても嫌とは言わずに、むしろ誰かの役に立てるという事で喜ぶような人間だ。
  昔からそうだ。
  嫌な仕事でも彼女は喜んで引き受けてくれる。
  まあ、それも彼女が大事な人たち、新選組の連中に関してだけ‥‥なのだけど。

  そう思ったらなんだか押しつけられた彼女が不憫に思えた。

  「オレも手伝う。」
  元来のお節介な性格のせいか、藤堂は言ってぐいと袖まくりをしながらの横をすり抜けた。
  「え?いや、いいよ?
  盗み食いしに来ただけだしょ?」
  「盗み食いは、よ・け・い・だ!
  で、何すればいいの?」
  手伝う気満々の藤堂に、は困ったような顔で笑った。
  「ごめん。」
  「こういう時はありがと、だろ。」
  「そだね。ありがと。
  じゃあ、そこの具を切って鍋に入れてくれる?」
  私ちょっと目を離せないからと言われ、藤堂は任せておけ、とばかりに拳を握りしめてくるりとまだ切られていない野菜
  へと目を向けた。
  人参に玉葱、それから芋。
  煮付けか、炒め物か、まあどちらでも良い。
  とにかく芋の皮を剥いて、ざくざくと大まかに切り、人参も少し小さめに切った。
  それから玉葱の皮を剥いて、向きにくくてがりとそれの丸みを帯びた表面に爪を立てた瞬間にあの何とも言えない刺激臭
  がした。
  う、と小さく呻く。
  玉葱を切るのはあまり得意ではない。
  だってこいつは何故か切っているだけで目が痛くなるのだ。
  痛くなると言うか、泣けてくる。
  泣けて、泣け‥‥泣く?

  「ああぁ―――!!」

  突然藤堂が大きな声を出すものだから、はびくんっと肩を震わせて振り返った。

  「なに!?どした!?」
  切ったか?指でも落としたか?!
  と血相を変えてすっ飛んでくる彼女に、あ、いや、と彼は笑いで誤魔化した。

  そして再度が鍋に向かったのを確認すると彼もまた、目の前のそれへと目を向けて、これだ、と心の中で叫んだ。
  目の前にころんと鎮座する、まっ白い物体。
  玉葱。
  そう、これを前にして涙を流さない人間はいない。
  純粋に泣く、というのでは無いが、これでも一応涙を流したことにはなる‥‥はずだ。
  これで念願の「が泣いた所」というのが見られるのではないか。ちっぽけな野望である。
  ちっぽけと言うなかれ、男の夢はいつだってちっぽけで大きいのだ。

  「なあ!!」

  そうと決まれば善は急げ。
  くるりと振り返り、

  「オレ、さっき指先を切ったみたいでさ‥‥悪いんだけど、切るの代わってくれない?」

  嘘を並べて吐いた。
  指を確かめられれば嘘だと見抜かれるのだが、がそんな疑り深い人間だとは思わない。上に、彼女は一応身内には
  甘い人間だ。とか言いながら自分には厳しかったらどうしよう。

  「あ、うん。分かった。」

  はあっさりと快諾してくれた。
  やった、とこっそり拳を握りしめる彼に、はそれじゃあと鍋の前からまな板の前へと移動してくる。

  「大丈夫?」
  「え?」
  「‥‥指。」
  「あ、ああ!うん。全然っ」
  「後でちゃんと手当しといてね?」
  「あ‥‥う、うん。」

  ただ指先を切ったというにはあまりに真剣に心配をする彼女に、なんとなく罪悪感が生まれて、視線が泳いだ。
  ごめん、ほんとごめん、と内心で謝りながら藤堂は一歩、後ろに下がって、お手並み拝見とばかりにを見守った。
  彼女は迷わず、向かれた玉葱へと手を伸ばす。

  こくりと喉を鳴らして息を飲めば、彼女の持っている包丁の先が、その白い物体に食い込んで。

  さく。

  第一刀が差し込まれる。
  半分に切って、それから上下を切り落とす。
  あの嫌な匂いがした。
  つんと鼻の奥が痛くなって、離れているのに藤堂の方が涙が出そうだった。

  オレがこんなになってるんだからだって‥‥

  ぐ、と奥歯を噛みしめて涙を堪えながら、小さく‥‥とはお世辞にも言えないが‥‥一応小さく刻まれていく玉葱では
  なく、彼女の横顔を見つめた。
  見つめ続けた。

  今か?
  もうすぐか?
  もうちょっとか?


  「‥‥はい、終了。」
  「‥‥‥‥‥え?」

  期待に胸を膨らませてじっと見つめていると、その声と共にが手を止めた。
  終了‥‥って、

  「ええ!?」

  見れば彼女の手元には、ばらばらに刻まれた玉葱の姿がある。
  相変わらずつんと鼻につくにおいが充満するというのに、の目は涙が浮かぶどころか、赤くさえなっていない。

  「え!?な、なんでっ!?」
  「なんで、ってなんで?」

  訝しがるに、どうして、なんで?と問う彼の目が赤くなっていた。
  我慢しすぎたせいで、鼻の奥がつんと、痛い。
  僅かに歪む視界に映った綺麗な顔は‥‥泣き顔とはほど遠い不審げな顔が映っていた。





  平助が結局泣くことになるという