「さん、その手‥‥どうされたんですか?」

  白い手の甲に、僅かに残るのは赤い痕。
  それは切り傷、というにはあまりに不自然な痕だ。
  何かで切った‥‥というよりは、
  あまり鋭くないものを強く押しつけたような痕。

  なんだろうと思って訊ねると、はそれを見て、

  「あれ?なんだろ?」

  と首を捻った。

  でこぼことした途切れた線。
  それがいくつか、離れ、あるいは二重に重なって白い肌に刻まれている。
  そんなものを押しつけた覚えはないし、押しつけられた覚えもない。
  ましてやこんな武器などありえないだろう。


  「ああ‥‥」
  そのやりとりを見ていた土方は、何かを思いだしたように納得したような声を上げた。
  あの痕。
  あれは歯形だ。
  しかし土方がつけたものではない。
  あれをつけたのは‥‥
  彼女自身。

  やはり痕が残ったらしい。

  だからあれほど強く噛むなと言ったのに。

  と苦笑を一つ浮かべると、
  あれ?
  不意に声が上がる。

  「って、まだあの癖直ってないんだ?」

  なんとも可笑しげに呟く声に、土方は一瞬、眉を顰め、そちらを向いた。

  ――沖田だ。

  猫のように目を細めた男もまた、二人を見つめていた。

  「‥‥あの癖?」
  思わず怪訝そうな声が漏れた。
  何のことかと問いかけると、沖田はおやとわざとらしく声を上げる。
  「知らなかったんですか?」
  の癖。
  と沖田は言った。

  「手の甲を噛む癖があるんですよ。」

  彼女にはそんな癖があるのだと。

  それは普段の生活の中での癖ではない。
  そう、
  それは、
  褥の中でだけ見せる彼女の癖だ。

  「声を上げるのを嫌がってか‥‥よく手の甲を噛んで声を押し殺すんですよ。」

  沖田は楽しげに言った。

  「それが善ければ善いほど‥‥」

  強く。
  噛むのだと。

  確かに。
  は声を上げるのを極端に嫌う。
  周りに人がいないと分かっていても無意識に。
  手の甲を噛んで、声を殺そうとするのだ。

  そういえば、昨夜。
  土方が抱いた時もそうして手の甲を噛んでいた。
  強く揺すられるたびに涙を零し、手の甲を噛んで声を押し殺した。
  あまりに強く噛んでいたせいだろう、彼が止めさせた時には手の甲にはうっすらと血が滲んでいたのを覚えている。
  その後は手を噛めないように土方がしっかりと掴んでいたのだけど。


  しかし――


  土方は涼しげな顔でそちらを見ている沖田の横顔を睨み付けた。

  「おまえ‥‥なんでそれを知ってやがる‥‥」

  何故、
  沖田はそれを知っているのだろう?
  彼女が情事の最中。
  声を殺すために手の甲を噛む癖があるだなんて。

  思わず口から漏れた問いかけに、男はにこりといつもの笑みを浮かべ、

  「だって‥‥僕、と寝たことありますから。」

  悪びれる事もなく、彼は答えた。

  あまりに愚かな問いだと思った。
  何故彼女のその癖を知っているか‥‥なんて、
  そんなもの聞かなくても少し考えれば分かった。

  彼が。
  と。
  関係を持っていたのだと。
  だから知っているのだと。

  それはなんとなく分かっていた事だ。

  沖田とは仲がいい。
  当人は悪友と言うが、それだけではない空気を感じる事が以前はあった。
  いつだっただろうか‥‥
  ある日を堺に、の雰囲気が変わった。
  それまでは幼い幼いと思っていた彼女が‥‥どこか大人っぽい空気を纏うようになったのだ。
  その時何かがあったのだと思ったが、確か‥‥その隣には沖田がいた。
  いつも通りの二人ではあったけれど、その前後は、二人の纏う空気が違っていたのを覚えている。

  そして、
  を初めて抱いたとき‥‥土方は知った。
  彼女が、
  生娘ではないと。

  だから、自分よりも先に誰かと肌を合わせていたのは知っていた。
  もしかしたらそれは、
  沖田かもしれないと思っていたが、

  「僕、と寝たことありますから」

  その言葉が決定的なものを与える。
  そう。
  自分の愛した女の、初めてを奪ったのは、この男。

  「‥‥‥」

  別に咎め立てるつもりはない。
  が生娘であろうがなかろうか、過去にどのような男と関係を持っていようが、それを責め立てるつもりはない。
  自分だって数々の女性と肌を合わせてきた。
  咎めるのはお門違いだと思っていたからだ。
  しかし‥‥
  しかし、

  初めて心の底から愛したと思っている女の、
  初めての男となりたいと思っていたのは確かだ。

  自分よりも先に彼女の温もりを、柔らかさを、熱さを、感じた男がいると思うと腹立たしい。

  しかも、
  相手は、
  目の前のそいつ、だ。

  正直、

  「‥‥」

  それは素直に顔に出た。
  眉間に深い皺を刻んだまま、ふいとそっぽを向く。
  明らかに、

  ――面白くないといった顔。

  それを見た瞬間、沖田は何とも言えない優越感を覚えた。
  思わず、にんまりと口元に笑みが浮かんだ。

  「土方さん‥‥今、面白くないって思ったでしょ?」
  「‥‥思ってねぇ‥‥」
  楽しげな声に、土方は極力平静を装って答える。
  しかし、眉間の皺は濃くなるばかりだ。
  沖田は楽しくて仕方ない。

  「まあ、一番とか二番とか、関係ないじゃないですか。」
  関係ないと言いながら、その顔はやけに勝ち誇ったようなもので、
  「てめぇ‥‥」
  土方は低く唸るような声を漏らす。
  ぎらりと殺気立つ男の瞳に沖田はくすくすと楽しげに笑った。
  「あれ?どうしたんですか?そんな怖い顔して‥‥」
  僕別に悪いことしてないのに。
  それはそうだが、どうにも腹の虫が治まらない。
  怒りはただの嫉妬心から来るものだと分かっていても、止まらないものは止まらない。

  落ち着け、落ち着けと自分に言い聞かせていると、沖田がそういえばと思い出したように声を上げた。

  「あ、でも。
  可愛かったですよ。」

  何が‥‥

  不機嫌なままに彼を見ると、沖田は目をすいと細めて、それはそれは嫌な笑みを浮かべて続けた。

  「初めて‥‥僕に抱かれた時の。」

  幼いながらも、
  女らしく、
  艶やかに、
  美しく、
  花開いていく彼女の姿は。

  「‥‥一生懸命って感じで‥‥可愛かったです。」

  何も知らず、
  男の手に暴かれていく少女はひどく愛らしかったと沖田は言った。

  その時、
  土方は自分がものすごく間抜けな顔をしている自覚はあった。
  ぽかんと口を開け、目を丸く見開いて‥‥
  ただ、男の言葉を聞くばかりで。

  「土方さんにも見せてあげたかったです。」

  にこりと、
  沖田が意地の悪い笑みを浮かべた瞬間、

  ぶつんと何かが切れたのが分かった。

  「総司ぃ!!
  今日という今日は我慢ならねぇ!!表出ろ!」
  と怒りを露わに言う副長に、沖田はやれやれとこれまた大仰に肩を竦めて、
  「親切心で教えてあげただけなのに‥‥」
  疲れたように呟き、更に土方の怒りを煽るのだった。


  「‥‥あれ、なに?」
  「さ、さあ。」
  一方全く状況を掴めないと千鶴は二人のやりとりを見て首を捻るほか、なかった。



昔の



某方に捧げます(笑)
総司との関係を知ったら土方さんは、どうなるだろう?
というコメントをいただき‥‥
三剣も思わず妄想してしまって‥‥出来ました!!

むくれる土方さんと、勝ち誇った総司。
うっわぁ‥‥三剣ここに混ざって土方さん弄りたい!!

ありがとうございます!!

ちなみに読み方は「昔のひと」です(笑)