それは変わらぬ日常の事だった。

  いつものように質素だけど、夕飯にありつこうとしていた時のことだ。
  卓の上におかずを並べていたが、突然、

  「っ――

  口を押さえて駆け出した。

  「!?」
  突然の妻の行動に土方はその後を追いかける。
  彼女は厨へと引き返し、流しの傍に膝を着いて嘔吐していた。
  とは言っても何も口にしていないので口から出たのは胃液だけだったが。
  「おい、大丈夫か?」
  その傍に膝を着き彼は丸めた背中を撫でる。
  げほげほと何度か噎せる度に喉の奥から苦い味が広がった。

  「具合でも悪いのか?」
  彼女の具合が落ち着いてきたのを見計らい、訊ねる。
  手拭いで口元を押さえる彼女は首を緩く振った。
  「それじゃどうした?」
  訊ねるが彼女は答えず、ただじっと地面を見つめる。
  その時に、土方は見た。
  の手が、無意識に腹に当てられるのを。

  そしてその瞬間、

  「子が‥‥出来たのか?」

  自然とその言葉が口をついて出た。

  おかしい話ではなかった。
  戦が終わって、共に暮らすようになってから、彼女を何度も抱いた。
  その身体に精を注いだ事もあるのだから、勿論、子が出来てもおかしくない。
  おかしくはないが、

  「ちがい、ますから。」

  は口元を押さえて首を振った。
  生理的な涙を眦に浮かべ、彼女は苦しげな顔だ。

  「ちがう?」
  なにが?と土方は問うた。

  それは悪阻ではないのか?
  つまり子供ができたのではないのか?

  問いに、は何故か視線を落とした。

  「土方さんには‥‥関係、ないです。」
  「関係ねえわけがないだろうが。」
  土方は言っての背を支える。
  瞬間、びくりと妻は小さく震えた。

  「なんだ、腹の中のガキは俺の子じゃねえって言いたいのか?」
  それは問題だ。
  愛した妻に手を出した男を嬲り殺してやらなければいけない。
  しかし、彼女がそんなふしだらな女ではないと知っている。
  は初めて土方に抱かれた時に、二度と、他の男には身体を開かないと誓った。
  それを貫くはずだ。
  それに――彼には思い当たることがある。

  つい、三月ほど前、彼女を抱いた。
  その時中で放ったし、翌月からは月の障りがないと不安がっていた。
  出来たとしたらそれがきっかけだろう。

  「土方さんの、子です。」
  は認めた。
  やはり自分の子だ。
  ならば、
  「なんで俺が関係ねえってんだ?」
  大いに関係あるじゃないか。

  「‥‥」
  は俯いた。
  俯いて、一度だけ、震えた唇を噛みしめた。

  だって――
  「鬼、かも、しれないから。」
  鬼かもしれないから。
  「女の子だったら‥‥鬼の血を濃く継いでる‥‥」
  女であれば、同様、鬼としての力を持っている可能性が高い。

  彼女の言いたいことが分かった。
  鬼の子が生まれれば‥‥また、狙われる。
  そう彼女は言いたいのだ。
  雪村の血を継ぐ鬼が誕生すれば、それが女の子で在れば、
  風間のように、いや、それだけじゃなく、またどこぞの権力者がその力を欲するかもしれない。
  また争いに巻き込まれるかも知れない。
  子供も、
  そして、
  土方も。
  それを危惧していた。

  「‥‥じゃあ」
  土方は愛しい妻に残酷だと分かっていながら訊ねた。
  「女だったら下ろすか?」
  「っそれは!」
  は弾かれたように顔を上げた。
  常の冷静な口調で問われ、彼女の瞳には非難の色と、悲しみの色が浮かぶ。
  しかし、男の顔を見てそれが本心ではないのだと分かった瞬間、彼女の瞳はまた潤んだ。
  「そんなの駄目、出来ない。」
  「‥‥」
  出来ない、したくない。
  ――だって、
  「土方さんの‥‥子供なのに」
  は唇を噛みしめる。
  薄らと色づくそれに女の色香を感じ、こんな時だというのに唇を奪いたくなる。
  まったく男というのは単純で困る。
  土方は苦笑を漏らし、分かってると告げてしっかりと抱きしめる。
  「俺だって同じ気持ちだ。」
  彼女との間に出来た命を‥‥失いたくない。
  例え、
  争い事に巻き込まれる事になっても、
  失いたくは、なかった。

  「‥‥土方さん‥‥」
  が声を震わせ、その背に手を回してきた。
  まだ土方と呼ぶか‥‥と彼は苦笑した。

  「それに、争いに巻き込まれると決まったわけじゃねえ。」

  言って土方は一度身体を離す。
  の顔をしっかりと覗き込むと、涙に濡れた瞳がこちらを見上げていた。
  そういえば、彼女は一緒になってから良く泣くようになった。
  幸せじゃないのだろうかと不安になるが、きっとこれは‥‥幸せだからこその不安。

  「もし巻き込まれたとしても‥‥」

  泣くな、と言う変わりに眦に口づけを落とす。
  小さくひじかたさんと彼女が呼んだ。

  「俺が――守る。」

  守ってみせる。
  を。
  お腹の子供を。
  そして、
  彼女たちの幸せを。
  この手で守ってみせる。

  「だから、安心しろ。」
  ことさら優しい声で言われ、はくしゃりと顔を歪めた。
  ああ、また泣く‥‥
  土方は苦笑で妻の涙を拭った。

  「おまえ、俺に隠れて産むつもりだったのか?」
  はらはらと零れる涙を拭いながら訊ねれば、彼女は泣き顔のまま困ったように視線を背けた。
  「できる、なら。」
  は一人で産むつもりだったと答える。
  なんだそりゃ、折角一緒になったというのにどこぞに身を隠して、ひっそりと一人で子供を育てるつもりだったというのか。
  そんな事はさせるかと土方は、ぎゅっと彼女を抱きしめる。
  逃がさないと言いたげなそれには戸惑った。
  「あ、あの土方さん。」
  「馬鹿が。
  一緒になった時に言っただろうが。」
  「え?」
  は小さく声を上げた。

  一緒になったときに、彼は彼女に言った。

  「俺と一緒になったら、二度と離してやらねえって‥‥」

  死が二人を分かつまで。
  何があろうと離れてやらない。
  ずっと傍で、何があっても共に在ると。
  そう、言った。

  「‥‥離さねえぞ。」
  きゅと、もう一度強く抱きしめられる。
  香る白梅の優しい香りに、はそっと目を細めた。
  「うん。」
  そうだった。
  離さないでと彼女も願った。

  死が分かつまで‥‥ううん、死ぬときも一緒だと。
  連れていってとあの時自分は泣いて頼んだ。
  それを、自分から離れようなんて‥‥

  ――できっこない。
  は心の中で呟いて、広い背中に手を伸ばす。

  苦しかった抱擁は、やがて優しくなり、甘えるようにすり寄ればこめかみに口づけられた。
  くすぐったさに身を捩りながらは幸せを噛みしめる。

  「産んで、いいですか?」
  問えば夫は笑った。
  「いいに決まってる。」
  聞くなと言いたげに彼は答えた。
  声が、どことなく弾んでいる。
  「私‥‥たくさん子が欲しいです。」
  彼は、もしかしたら賑やかなのは好きじゃないかもしれないけど‥‥
  あの時みたいに、
  昔、仲間が一緒にいたときみたいに、
  楽しくて幸せなのがいい。

  とそう告げれば、土方は苦笑を漏らしてこういった。
  「そいつは‥‥俺に強請ってんのか?」
  「え‥‥?」
  強請る、何を?
  視線を上げれば夫はすいと細めた目に、欲の色を灯している。
  そればかりか優しい抱擁が、いやらしいそれへと変わっていくのだ。
  「ちょ、ちょっと土方さん!?」
  「なんだ?沢山子が欲しいんだろう?」
  慌てる彼女に土方はいけしゃあしゃあと言い放つ。
  沢山子が欲しいって事は、
  「沢山、俺に抱いて欲しいって事じゃねえのか?」
  とこう、男は自分の都合のいいように捉えてみせる。

  違う。
  断じて違う。

  どうしてこうも男と女では思考回路が違うのだろう。
  ここはそうじゃなくて、微笑ましい時間が流れる所じゃないのだろうか?
  等と考えているうちに手癖の悪い男の手が帯に掛かる。
  「だ、駄目ですよ!」
  は慌てた。
  お腹に子供がいるのにそんなこと出来ないと言う彼女に、土方はすいと目を眇め意地悪い笑みを浮かべた。
  「何言ってんだ?
  腹に子供がいようが、やろうと思えばできるもんだ。」
  要は、
  「深く入れなきゃいい」
  と涼しい顔で言われ、はあんぐりと口を開く。

  どこでそんな知識を入れてきたのだろう。
  身ごもった女との行為はどうすべきか、なんて。
  あんたこそ他に子が出来る相手でもいるんじゃないだろうか、とか、そんな事がぐるぐる回る。

  その間にも乱された裾から男の手が侵入し、柔肌を確かめるようになで始めた。

  「嫌か?」
  無言になる彼女に、土方は訊ねる。
  嫌か?と聞きながら止まる様子はない。
  まったくもう。
  は諦めの溜息を漏らして、
  「仕方のない旦那様ですね。」
  首へと手を回す。
  それは合意の合図だ。

  途端、喜色の表情を浮かべる夫に、妻は甘く強請る。

  「優しくしてくださいね。」

  私のためにも、
  そして、

  「子供のためにも――



未来への希望



子供の話。
最近土方さんがエロスになってきて困る←