まさかそんなところで鬼の副長と出会うとは思っていなかった。
こんな、人の通らないような裏路地で、しかも、ここ、色町で。
「おやおや、鬼の副長ともあろうお方が覗きですか?」
連れ込み宿の裏手。
そこは何故か格子窓が開いていて中を覗けるようになっていて、たまに金のない男がそこで男女が媾う姿を見て楽しんで
いるという話も聞いた事がある。
まさか、鬼の副長が‥‥と笑いを含ませて言えば、男は不機嫌そうに違うと反論した。
「んなもん見てても面白くもなんともねえだろうが」
「それはつまり、見てるよりもする方が良いって事?」
「‥‥桔梗‥‥」
とんだ女たらしだよ、とからかう言葉を土方は鋭い眼光で咎める。
桔梗、と呼ばれた花魁は極悪人さえも裸足で逃げ出しそうな凶悪な面を向けられてもくつくつと笑うばかりで臆した素振
りはない。それもそのはず、そんな顔を向けられるのはしょっちゅうだったからなのだ。
彼には睨み付けられるだけではなく、殴られた事だって刀を向けられた事だってある。
色町一番の売れっ子花魁にそんなことが出来るのは、彼が、桔梗‥‥つまりの上司だからなのだ。
「‥‥高峯‥‥ですか?」
は桔梗の仮面をふいと捨て去り、彼女もまた鋭く通りの向こうを睨み付けた。
突然切り替わられて少し面食らうが土方もそうだと頷き、通りの向こう、一軒の見世を顎で指す。
「へえ、扇屋に入るなんて‥‥相当あの男も金回りがいいみたいですね」
ついこの間までは取り壊し寸前の廃れた店の主人だったはずなのに。
「大方‥‥長州の連中に金でももらって場所の提供でもしてんだろ」
の呟きに土方は腕を組みながら不満げに答える。
まあ、そうだろうな。
突然金回りが良くなったのは、裏から金を回しているからだ。
裏から金を回す連中なんてこの京では限られている。
後ろ暗い事がある連中。
つまりは、御上に徒なす存在‥‥
「‥‥どうします?」
はちろっと、土方へと視線を向けた。
「なんなら、私ちょっと行って斬ってきましょうか?」
「斬るって‥‥おまえ刀は持ってねえだろうが」
そういえばは一人でここにふらりとやって来た。
また大方屋形の人間に無理を言って一人で出歩いているのだろう。
あの梓という禿すら連れていないのだ。
到底武器を持っているとは思えないと土方が言えば、はにこりと笑い、通りに背を向けて自分の裾をぺろりと捲って
みせる。
淡い月明かりとそれから宿から漏れる灯りでぼんやりと映し出されるのは白く柔らかな太股。
緋襦袢から覗くほどよく肉のついた女らしいそれに思わず土方もぎょっとした。
そこに、皮で縫い止められている白銀の輝きがある。
およそ艶めかしさとは似つかわしくない、物騒な輝きが。
匕首と呼ばれる短刀であった。
刀のように仰々しくはないが、それでも急所をつけば一息で相手を殺せる物騒なもの‥‥
「なんて物騒なもんを仕込んでんだてめえは」
土方は呻きながら視線をさりげなく横へと逃がした。
自分から見せた、とはいえそこはきちんと相手が女である事を慮ってくれる上司に苦笑で応えながら、はだって、と
言う。
「何かあった時にすぐに対処しないと」
「‥‥ったく、おまえの客にだけはなりたくねえな。んな物騒なもん仕込んでる花魁なんてごめんだ」
「誰にでもこんなもの使いませんよ?」
はくすくすと笑い、ついと琥珀を細める。
「オイタをする悪い子にだけです」
ぞろりと背筋が震えそうになるほど、は残酷に、そして妖艶に笑う。
一回りほど年下な子供だと思っていたのに‥‥女というものは恐ろしい物だ、と土方は思い知った。
「だから、ここに手を差し込んじゃ駄目ですよ?」
思わず無言になる土方に、最後はおどけるように笑い、は言う。
「土方さんなら指先をちょん切る程度で済ませてあげますけど、変な事をしたら手首からおさらばですから」
「誰が突っ込むか」
「あらいやだ。こんな良い女が誘ってやってるってのに」
嘘吐け、それは誘うんじゃなく脅してるんじゃないか。
土方は内心で呟き、視線を再び通りへと向けた瞬間、
「っ!」
その瞳が見開かれる。
彼らが監視していた宿の前に、いかにもガラの悪そうな連中が数名、あたりを見回していた。
それが運悪く、こちらに気付いたのだ。
まず大抵、裏路地などに目をやる人間などいないだろうが、見てしまうとその二人の取り合わせというのは妙に映る。
花魁と男が裏でこそこそと何をしているのか‥‥と。
場所柄ゆえ、花魁が間者として潜り込むのは珍しくもない。
長州の連中も金を掴ませて敵方の内情を探っているし、かつての芹沢もそうして情報を掴んでいたものだ。
その一人が険しい顔のままこちらへと近づいてくる。
土方はちっと舌打ちをした。
見世の状況を知りたいが為に顔を出しすぎたのだ‥‥と後悔をしても既に遅し。
その事態にはも気付いたらしいが、動かない。ここからすぐに逃げ出すと逆に怪しまれる。
それには花魁の着物を着ている。一人で逃げおおせるなどまずは無理だ。
ここはどうやって乗り切るべきか‥‥
「――」
とそう考え、自分たちの格好を今更のように思い出す。
そうだ、ここは色町。
そして彼女は売れっ子の花魁。
自分は男。
おまけにここで夜な夜な男達は楽しんでいると言うじゃないか。
「桔梗」
危うく、別の名で呼びかけ、土方は慌ててその名を口から吐き出す。
なんですか? と応える声には緊迫した色が窺えた。
どう切り抜けると問うような琥珀に、しかし男は応えずそっと手を伸ばして、
「――」
口づける。
優しく。
「っ!?」
口付けながら裾の合間から手を差し込み、彼女が触れるなと言っていた太股をゆったりと撫でた。
思わず、と言う風にの口から吐息が漏れ、その音に近づいてきた男の足がぴたりと止まった。
すぐさま好色に彩られていくその瞳に、土方はついと双眸を細めて睨み付け、
「何見てやがる」
唇を微かに離してその隙間で問うた。
色っぽく低くなる声音に凄みを滲ませればその男は「いや」とよく分からない声を漏らして慌てて視線を外した。
そうしてばたばたと駆け戻る様を見送り、彼らが見世の中に入るのを確かめてから、土方はふっとため息を零して顔を離す。
「‥‥やりすごしたか‥‥」
危ない所だったな、と彼は零した。
桔梗が間者だと露見してしまうと大きく組に響く。
彼女のここでの役割と言うのは本当に重要なものなのだ。
「しっかし、外で女と‥‥なんて酔狂な連中がいてくれて助かったぜ」
でなければきっと彼らは騙されてくれなかっただろうから。
「ええ、まったくですね」
と、いつもとなんら変わらず返ってきた言葉に土方は思わず口を噤む。
見ればは言葉と同じくなんら変わらぬ表情で通りを睨み付けていた。
さきほど口づけたというのに照れた素振りもない。
口づけた‥‥とは言っても芝居で、実際は唇の横に唇で触れたに過ぎないのだが‥‥それにしても、普通男に口づけられ
て少しも動揺もしないというのはいかがなものだろう。
一応、自分は色男という事で通っているというのに。
それとも何か。自分は男とさえ見てもらえていないということか。それはそれでちょっと傷付く。
「‥‥おまえ、可愛くねえ女だな」
「よく言われます。あ、そうだ土方さん。さっきちょっと唇の端に触れたんで、後で紅がついてないか確認した方がいい
ですよ」
「‥‥ほんっと、可愛くねえ女」
土方は忌々しげに呟き、だが、ある事に気付いてにやりと意地悪く笑った。
「そういや‥‥落とされなかったな」
「なにが?」
はひょいと首を傾げた。
なにが、落とされなかったというのだろう。
そう訊ねると、彼は手をゆっくりと掲げて見せ‥‥
「オイタをする手は、ちょん切っちまうんだろう?」
手首から先は、未だ男のもの。
意地悪く、だけどどこか楽しげに笑って言う彼に、は双眸を細めて睨み付け、
「一回くらいは見逃してあげますよ」
これが他の男ならばきっと迷わずそうしていただろうにと言う言葉を、忌々しげに心の中で吐き捨てた。
未満の関係
リクエスト『土方さんとが信愛し合うお話』
ほのぼの‥‥なはずだったのですが、すいません!
なんだか気付くとこんな、話に‥‥
何も言わなくてもお互いに察する事が出来る、って
言うか、そういうお話を書きたかったんですよね。
しかしまあ、この二人ってこういうやりとりをする
と妙にさばさばしちゃって‥‥色気が全くないです
よねぇ(苦笑)
どっちかが意識しない限り、この二人って男女では
なく上司部下、なんだろうな。
そんな感じで書かせていただきました♪
リクエストありがとうございました!
2011.6.5 三剣 蛍
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