「なんだか最近、土方さんの様子がおかしいんです」
真剣な面もちでやってきた彼女がぽつりと零した言葉に、思わず原田の身体はびくりと震えてしまった。
数日前、酒に酔ってあの男が零した言葉は覚えている。出来れば忘れたかったのに。だからこそ、身体は勝手に震え、口元が引き攣った。
「ど、どんな風に、おかしいんだ?」
問えばはゆっくりと視線を上げて、こう言い放つ。
「なんか……私に隠し事してるみたい」
そりゃあんな夢を見たなんて言えっこないだろう。
原田は腹の中でとにかく大きな声で叫ぶのだった。
苦悩は続くよどこまでも
土方がひた隠しにしたい気持ちは分かる。
もし原田が同じ立場だとしたら絶対に知られたくない。
恰好がつかない上に、あれだ、彼女にどう思われるのかが正直怖い。
軽蔑なんぞはしないだろうがだからといって良い印象ではないだろう。自分を抱く夢ならばいざしらず、無理矢理奪う……なんて夢なのだ。下手をすれば警戒されかねない。
だから絶対に知られてはならないと気持ちを引き締めるものの、如何せんこの顔は正直すぎて困るというもの。
原田は引き攣ってしまう口元を隠し、顔を逸らした。
馬鹿野郎、そんなあからさまじゃばればれだとここに土方がいたら突っ込まれていただろう。
「ま、まあ誰しも知られたくねえ事の一つや二つは、あると思うぜ」
「そりゃそうですけど……」
「安心しろよ。あの人は、おまえを傷つける嘘は吐かねえ」
それは確かだと未だ少し動揺で揺れる声で告げればそれは理解しているのか、は分かってるけどと言って言葉を切る。
誰にだって言いたくない事はある。隠しておきたい事くらいある。全てを相手に教える必要はないし、また全てを知る権利もない。
でもだけど、
「気になるんだもん」
毎朝こそこそと人に隠れて洗濯物をしているのだって前から気になっていた。多分洗濯をしているのだろうけど、それを隠れて洗う意味が分からない。ずっと聞いてみたかったのだけど、自分に隠れているということは知られたくないと言う事なのだ。それに庭の片隅で隠れて洗濯する彼の背中からなんとなく悲壮感が漂ってきて声を掛けられないまま、もう何日も過ぎた。
かと思えばこないだみたいに自分の着物のにおいを嗅いでいたり。
本人は寝ぼけてたなんて言ったけど多分あれは嘘だ。彼の嘘くらい見抜ける、伊達に長年好きだったわけじゃないのだ。
とりあえず誤魔化される事にしたけど、彼は何らかの意志を持っての着物のにおいを嗅いでいた……それは確かだろう。
何故そんな事をしたのか、は知りたい。そりゃそうだ。自分の着物のにおいを嗅いでいたのだから。
もしや臭かっただろうかとあの後、念入りに洗濯したし身体も洗ったけど、真意はどうなのか分からない。
その他にもまだまだある。
朝起こしに行ったら慌てた声で「入ってくるな」とか言われたり、夜風呂上がりに顔を合わせたときに逃げるように部屋に戻ったりそれに最近はちょっと近付いたらさりげなく逃げるし、彼の方から触ってこなくなったし、等と考えるとただただ自分は避けられているのではないか……そういう結論へとたどり着く。
「嫌われた?」
どこをどう回ってその結論にたどり着いたのか何も聞かされていない原田には分からないが、言ってずどーんと落ち込むにこれだけは断言できると口を開く。
「そんなはずねえから!」
嫌っているならそもそもあんな夢を見ないだろう。
好きで好きで堪らないからこそ、あんな夢を見て彼なりに悩んでいるのだ。
それを分かって……いや、分からなくて良いのでそっとしておいてあげてほしい。
だがそれも言うわけにもいかず原田は「安心しろ」と彼女の頭を撫でてやる事しか出来なかった。
しかし彼にも分からない事がある。
――そもそもなんで手ぇ出さねえんだ?
好き合っているのならば別に構わないだろうに、そんな疑問が今更のように浮かんだ。
「とにかく土方さんを信じてやれ」
原田にそう諭されて、は家路に着く。
大好きな人が待っているのに足取りは重い。
今日も変な態度を取られたらどうしようか。余所余所しい態度を取られたり、拒絶されたりしたら……そんな事を考えると気持ちが落ち込む。
彼は優しい人だから言い出せないだけかも知れない。
こうなったら一度腹を割って話をしてみた方が良いのだろうか。
そんな事を考えながら「ただいま」と小さく声を掛けて家の門をくぐる。
「あれ?」
出迎えが無かったのでどこかへ出掛けたのかと思ったがそうではない。
広間を覗くと横になっている彼の姿が見えた。
待っている内に眠ってしまったのだろう。すぅすぅと静かな寝息を立てている。
丸まった背中を見てはふっと小さく笑みを浮かべると足音を立てずに部屋に滑り込む。
そうして傍らに放り投げられた彼の羽織を静かに広げると、その身体にゆっくりと、
「あ」
ふわりと衣を広げた瞬間香ったのは彼のにおいだった。
好んで着ける白梅の控えめな甘さがまず広がり、それから、彼の、におい。
男はもっときついにおいをさせているのかと思っていたが彼は違う。爽やかで良い香りがする。それに、香りを優しいと表するのは正しいか分からないが、彼のにおいは優しい。
ああ、彼のにおいだ。好きな人の香りだ。
そう思うとなんだか着物に顔を寄せたくなるのだろうか?
彼が前にやったようにも思わず着物に顔を寄せて、すぅっと香りを吸い込む。
深く息を吸い込むと、甘く優しい香りにほんのりと違う香りが混ざるのを感じた。
彼の汗のにおい、だろうか。
それは特有の癖のあるにおいだった。
妙に気になるにおいだ。
心がざわざわと騒ぐにおい。とは言っても嫌いなのではない。
ただ落ち着かないというか、血が騒ぐというか。
頭は分からないけれど身体はそれが何なのか知っているのだろう。だから、こんなに心が騒ぐ。
何か心の中に眠ったものを揺さぶり起こすようなそれは一体……
すう、ともう一度吸い込んだ瞬間、ぱちりと何かが頭の中で嵌った気がした。
――雄のにおい――
本能的にそれだと感じた瞬間、どきんと胸が震えた。
と、同時にきゅうっと腹の奥が切なくなった気がした。
そうして、
「え、あ、あ?」
は己の身体の変化に気付く。
じわりと身の内からにじみ出るような感覚。
毎月のように来ているそれと似ているが、まだ予定では先のはず。
いや、これは月の障りとは違う。
馴染みはないが……知らぬ訳ではない。子供ではないのだから。
だからこそ、は驚きそして気のせいであると願いたかった。
「う、嘘……」
だってそんなのあり得ない。
何もしていないのにとは己の身体を信じられないという風に見下ろした。
「……ん、」
不意に聞こえたうめき声と、身じろぐ音。
どきりと身体を大きく震わせて見下ろせば、目の前の大きな山がむくりと緩慢な動きで起きあがって、
「ん? ……?」
寝ぼけ眼がこちらを見る。
寝起きのその瞳はいつもの強さはなく、どこか幼くも見えた。
そんな瞳に見つめられて酷く……自分が悪い事をしている気がして、いや決しては何もしてないのだけどそれでも酷い罪悪感に苛まれ、
「どうし、」
「あああああああああの、すみません!!」
わけもなく謝って慌てて立ち上がると飛び出すように部屋を出ていった。
背後で「おい」と声が聞こえたけれど振り返らない。振り返れない。
は自室に飛び込むと襖をぴしりと閉めて、その前にべしゃっと座り込んだ。
「っ!?」
尻を下ろした瞬間、ぺとりと肌に触れる濡れた感触と温もりにぎょっとする。
目をひん剥いて見下ろし、だが確認する勇気がなくてただただ両手を覆って突っ伏した。
「ど、どうしよう。私の身体……おかしくなった……」
祝言を挙げるまで、後八日。
二人のすれ違いの日々はまだまだ続く?
似たもの同士だったりする(笑)
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