まずいと思って飛び起きた時には遅かった。
久しい解放感と同時に広がる不快感に顔を顰め、のそのそと身体を起こして布団を捲り、一つ盛大な溜息を零す。
まさかこの年になって……と自分を罵ってみたところで事態は変わらない。
それよりもまずこの状況をどう打破すべきか、彼は頭を一度抱えるのだった。
その昔、色男として名を馳せた彼――土方歳三は女遊びが激しかった方である。
特に近藤と出会う前はそれが酷くて、毎日のように女の元に通ったものだ。
とは言ってもその女を好いているというのではなく性欲の捌け口を探してのこと。人でなしと言われても構わない。そういう時期もあったのだ。
近藤と出会ってからは女よりも剣の方にその鬱憤をぶつけるようになってはいたが、彼も歴とした男。上洛した後も時々女を買って、その欲を吐き出していた事がある。
そんな彼が禁欲生活を強いられて……何日になるだろう?
若い頃とは違って少し落ち着いた、とは言っても枯れているわけではない。性欲は旺盛な方だと言っても過言ではないだろう。
おまけに好いた女がすぐ傍にいるというのに手も出せない状況で、質が悪い事にその女は酷く魅力的な容姿をしていて、且つ非常に無防備な女であった。
こちらは必死に彼女が心を決めるまで己を律している、というのに彼女は無邪気に近付いてきて……男を無意識に誘惑する。
何度箍が外れてしまいそうになったか、分からない。
それなのに彼女は……というのはまた別の時に話すとして、とにかく、禁欲を強いられ続けたせいで彼はすっかり欲求不満という有様だった。
そこに拍車を掛けるように、先日の一件だ。
腿に触れた彼女の女の部分に男の一部が反応するのも無理はない事。
あの後、非常に不本意ながら堪りに堪ったものを自ら処理したのだが……事態はあまり変わっていないようだ。
それにしても、
「ガキじゃ在るまいし……」
夢精なんてと彼は言葉にして、一人落ち込む。
更に庭の片隅で隠れるように自分の下帯を自分で洗っているという姿に、情けなさで溜息が零れた。
汚れ物はいつもが洗ってくれるのだが、まさかこれを彼女に洗ってもらうわけにもいかない。情けないし、恥ずかしい。
出来れば彼女には知られたくなくてこっそりと桶を拝借して洗い物をしているというわけだ。手早く済ませて干してしまわなければ。
いや、それよりも問題はあちらの方か。
「……これで、五日、か?」
彼はこの五日間、立て続けに夢を見ていた。
それは今の彼の状況をありありと表す夢だ。
目も覆いたくなるほど、厭らしい欲望だらけの夢。
勿論夢に出てくるのは自分と、彼女。
誰にも咎められる事もない夢の中では禁欲など知った事かと自分は好き勝手に暴れ回っている。
恐らく彼女が知れば顔を真っ赤にして「最低」と自分を罵るに違いない。そういう夢を、彼は見続けていた。
しかも日に日に過激な内容へと変わっていって、昨夜などはとうとう彼女を無理矢理犯すというものだった。
泣き叫びながらも快楽に堕ちていく彼女はそれはそれは美しく、艶めかしく、男の征服欲と加虐心を心地よく満たして……と思い出し、下半身がどうにもそれを思いだして熱を持ちかけたので慌てて頭を振って追い払う。
この調子では明日も夢に見てしまいそうだ。
しかも、今日よりも激しいものを。それは困る。
何が困ると聞かれれば後処理だ。
いつもいつもこうして隠れて洗い物をするというのは難しい。
なんせという人は、
「あ、こんな所にいた」
土方を捜すのが上手いのだから。
「!?」
びくっと驚いてしまった瞬間に、水を跳ね上げてしまう。
足音がしなかったし気配もしなかったが、そういえば彼女は土方の隠し刀としてその昔暗躍していたのである。彼に悟らせずに近付く事など造作もない事。それでも黙って覗き込むような真似はしない。背を向けている意味をきちんと理解しているのだ。
「……よぅ、」
ぎぎぎと鈍い動きで首だけを振り返る。
口元が不自然に引き攣ったが、なんとか平静を装った。
「何してるんですか?」
「ん? いや、ちょっとな」
「洗い物?」
「ま、まあ、な」
「良かったら私、洗いましょうか?」
「んん?!」
の言葉に声がひっくり返った。
彼女に悪気はない。むしろ彼女の善意だ。
何も知らないからこそそんな無邪気に自分がやろうと言ってくれているのだが、だからこそ彼は返答に困ってしまう。
彼女の気持ちは嬉しい、でも、今回は少しだけ……その気持ちが辛い。
「いや、たまには自分で洗い物くらいしようかと思ってな。それに、おまえにばかり家事をやらせるのもなんだし」
「そんな事、」
ないとが言うよりも前に土方はすっくと立ち上がり、振り返りながら言葉を紡いだ。
「俺も、おまえの助けになりてえんだよ」
「……」
「おまえが、俺を助けてくれている分だけ……俺もおまえの役に立ちたい」
そんな事を真っ直ぐに見つめられて言われては、はそれ以上何も言えない。
彼の想いが嬉しくて、だけど同時にそう言われる自分が不甲斐なくて……一度だけ困った顔で視線を落とし、すぐに笑みへと変えて顔を上げた。
「わかりました」
彼女にそれじゃあお願いしますねと笑って頭を下げられると、何とも罪悪感に苛まれる。
確かに彼女の手を煩わせたくない。彼女にばかり押しつけたくないという気持ちに嘘はないが、今回のはただ知られたくなくて彼女に我が儘を貫き通したのだ。そんな事を微塵も疑いもせず、はそれが土方の優しさなのだと思ってくれている。恐らく、自分を恥ながら。それなのに頭を下げられると、少し、いや、だいぶ、彼女に悪い気がしてきた。
土方は苦笑で濡れた手を拭いすたすたとへと近付くと、ぽんとその小さな頭に手を乗せた。
そうしてわしゃわしゃと優しく撫でながら、
「悪いな」
と一つ謝る。
はふるりと頭を振った。
その謝罪の意味はきっと彼女には伝わらない。でも、言わなかった。
ただ何度か頭を撫でて、それから手を離すととっとと終わらせてしまうかと背を向ける。
手早く洗い物を済ませ桶に溜めた水を流し、それを物干し竿に……という所で、とんと肩に何かがぶつかった。
見ればだ。
戻ったのかと思えば彼女はずっとそこにいたらしい。
「どうした?」
問い掛けるとは肩をとん、とん、と何度かぶつけてくる。
「なんだよ」
まるでじゃれついてくるみたいで思わずと笑みを漏らせば、は最後にもう一度とんと身体をぶつけて、それから、そっと身体を預けてきた。
着物越しに感じる温もりと感触にぎくりと身体が硬直する。
脳裏に、昨夜見た夢が蘇った。
でも、それよりもずっと彼女の温もりは暖かく、彼女の感触は柔らかく、
「ひじかたさん」
自分を呼ぶ声は、甘い。
背筋をぞっと震えが走るほどに。
「もし私に出来る事があったら何でも言ってくださいね?」
細い指をそっと腕に絡ませ、
「あなたが望むなら何だってする」
言ってすぐにううんと頭を振り、はそっと視線を上げた。
少し恥ずかしそうに、でも、その瞳に惜しみない情愛を込めて、
「わたしが、あなたになんでもしたいの」
そんな破壊力抜群の告白と、愛らしい笑みに、土方は明日もまたこっそりと桶を拝借する事になるだろうと溜息を零すのだった。
祝言を挙げるまで後十七日。
苦悩は続くよどこまでも
情けない副長、大好きです☆
|