どさ、
  どか、
  と音が聞こえる。

  なんだろう?
  誰か暴れてるのだろうか?

  どか、
  ばたん、

  ぱりんと何かが割れる音がした。

  沖田はそれを怪訝そうな顔で聞きながら廊下を歩く。
  音の出所はどこだろうかと好奇心で近付けば、あまり近寄りたくない所へと続くのが分かった。

  ああ、またあの人か。
  と顔を顰めるものの、

  「ちょ、まっ‥‥」

  続いて聞こえた声に、彼の足は止まった。

  少し焦りの滲む声だ。
  それは沖田も良く知る人の声。
  それがそちらから聞こえてくる。
  そして、

  どか、
  ばたん、

  と何かが暴れる音。

  まさか――

  沖田はやや早足でそちらへと向かった。


  は自分の迂闊さを呪った。
  ああもうどうして自分はこの人に見つかってしまうのだろう。
  どうしてこの人に捕まったのだろう。

  そして、

  「いいにおいだ」
  酔っ払いは自分の首元に顔を埋めている。
  その荒い鼻息が肌を掠めるたびに、鳥肌が立った。
  だれか、この男を殺してくれ。
  は本気で思う。
  巨体に乗っかられているおかげで、刀を抜くことは出来ない。
  「せ、芹沢さん!落ち着いてっ」
  とは言うが、男は全く聞こえていないようだ。
  ただふんふんと首筋に鼻面を近づけて、いいにおいだと連呼する。
  申し訳ないが、自分には酒のにおいと男の汗のにおいしかしない。

  「女みてぇなにおいだ。」

  今日の酔い方はいつもよりひどい。
  はその下で足掻いてみた。
  しかし、この間のように蹴り飛ばすには足の上に身体が乗っていて‥‥

  「いいにおいだ‥‥」

  んーっと、男は鼻面を近づけるどころか、舌を這わせたのでそれこそは悲鳴を上げそうになった。

  だ、
  誰か。

  は思う。
  この男の目を覚まさせてくれっ!!

  ――ごすん!!

  「ぐ‥‥ぉ‥‥」

  突然、鈍い音が響いた。
  そして、どさり、と男は力を失い‥‥動かなくなる。

  あれ?
  はきょとんとした。
  何が起こったのだろうかと目をぱちぱちさせていると、ひょいと不機嫌そうな顔が覗く。

  「なに襲われかけてるの?」
  「そ‥‥総司。」

  ほぅっとは知らずため息を零した。
  助かった‥‥と言えば、彼はひょいと肩を竦めて、持っていた酒瓶をどんと床に置いた。
  まだたっぷり酒の入ったそれで殴ったらしい。

  ええと、

  「死んだ?」
  「生きてるよ、残念だけどね。」
  彼はこともなげに言って、よいしょと芹沢を足蹴にして、
  ごろんと、蹴り転がした。

  はようやく自分の上から重たいものが無くなってほっとため息を零す。
  しかし退かしてみればよく分かった。
  あの男が、自分のにおいを嗅いでいただけではないのだと。

  「うげ‥‥」

  袷は乱され、帯は解かれ、穿き物まで捲り上げられている。
  おまけにまくり上げられた太股には大きな手形が残っている。
  強く掴まれていたらしい。

  「‥‥やっぱこの人、殺しちゃおうか。」
  沖田がちゃきと腰に差した刀を引き抜こうとするので、は首を振って止める。
  「いや、やめとけ。
  こんなんでも一応局長頭だ。」
  認めたくはないが、とは言う。
  自分たちが勝手をして近藤がお咎めを食らうのが一番、つらい。
  はそれ故に手を出さなかった。
  土方に「斬り殺してでも断れ」と言われたのに。
  いや、斬り殺す以前に手も足も出なかったのだけど‥‥色んな意味で。

  「‥‥、ほら。」
  まだ納得していない様子ではあるが、沖田は刃を収めるとへと手を伸ばす。
  ほら、と差し出されは上体を起こして手を掴んだ。
  ぐい、と思ったよりも強い力に引き上げられる。
  「ありが‥‥とぉ!?」
  強い力は引き起こすだけではなく、を腕の中に閉じこめる。
  ぎゅ、
  と強く抱きしめられては困惑した。
  「‥‥総司君?」
  どした?
  と訊ねると、彼はを抱きしめながら呻くように呟いた。

  「うわ、最悪。
  この人のにおい‥‥に移った。」
  言うに事欠いて、局長頭をおっさん呼ばわりだ。
  「まったく‥‥もてない男って嫌だよね。」
  権力を笠に着ないとまともに女を口説くこともできないのかと彼は言った。
  「がこんなおじさん相手にするわけないのに。」
  「いや別に私芹沢さんに口説かれたわけじゃ‥‥」
  「ほんっと、最悪。」
  「人の話を聞け」
  っていうか、離せ。
  とは彼の腕をべしりと叩く。

  そうすると、不服そうに男はこちらを見下ろしてきた。

  「なに、僕に抱きしめられるのは嫌なわけ?」
  「別にそう言うこと言ってるわけじゃなくて‥‥」
  「芹沢さんには抱きしめられてたくせに?」
  「いやだから‥‥」

  別に許した覚えはない。
  そう言えば、沖田はそっと長身を折り曲げて細いの首に顔を寄せた。
  ふ、と吐息と共に唇を押し当てられてぞわりと背中に震えが走った。

  「こういうこと‥‥させてたくせに」

  だから、
  とは呻く。
  させた覚えはない。
  許した覚えはない。
  相手が勝手に‥‥勝手に‥‥

  「‥‥っていうか、おまえ、見てたの?」

  芹沢に、
  首を舐られるのを見ていたのかと呻くように呟く。
  沖田は答えず、ただ唇を押し当てたまま黙った。

  「あのねぇ、それなら止めてくれたっていいじゃん。」

  そんな彼の反応には唇を尖らせた。
  沖田が止めてくれれば、あの男に首筋を舐められることも、彼のにおいとやらもつく事は無かっただろうに。

  「‥‥それとも、私の反応見て楽しんでた?」
  「まさか。」

  その問いには沖田は不機嫌を露わにする。
  誰がそんな事をするものかと言いたげに、きゅと拘束する手に力を込めて、言う。

  「あの人に手をがいいようにされるくらいなら、切腹覚悟であの人を斬り殺すに決まってる。」
  「いいようにって‥‥」

  そんな簡単にさせたりしないよと言いかけるのを、ちぅと首筋に唇を押し当てられ遮られた。
  芹沢が唇をつけたときのような嫌悪感は、ない。
  ただ、ちょっと、痛いとは思った。

  「総司‥‥くすぐったい。」
  ちょっとやめろと言うが、彼は男のつけた痕を全部消すかのように、触れた全てに唇を寄せ、あるいは、歯を立てた。
  ああばか、後で誰かに見とがめられたらどうするんだとは思うが、それで沖田の気が紛れるのならば仕方ない。
  今は我慢しよう。
  「あ、そうだ‥‥」
  ふと、彼はの首筋から顔を上げた。
  ようやく終わったかとため息を吐き、なに?と問えば、男の目がにんまりと猫のように細められる。

  「芹沢さんを斬って‥‥その罪を土方さんになすりつけるとか、どうかな?」

  きらきらと輝く笑顔に、
  そんなの出来るわけがないだろと呟いた。


  その数日後――別件にて芹沢が粛正された時、沖田の清々しい笑みをはなんとも複雑な気持ちで見守った。



懲りない



懲りないのは芹沢さんか、か。
芹沢話パート2。
総司君のターンでした(笑)
彼は平気で殺しそうですよねー局長頭といえど‥‥