「ねえ、男の人の夜事情ってどんな感じなの?」
僕の悪友はいつだって突拍子のない事を言い出す。
会話の流れなんて気にしないのか、突然話題を吹っ飛ばす事なんてざらだ。別に僕は構わないんだけど、他の人たちは彼女の話題変換についていけない事が多い。土方さんなんかは顰め面で「順序立てて話せ」とか言う始末だ。何処に飛ぶのかが楽しいのに勿体ない人だなと思う。
まあそれは良いんだけどね、
「、女の人としてそういう話題を口にするのはどうなんだろう」
出来る事ならば女の人の口から「夜事情」なんて言葉、聞きたくはない。
夜事情っていうのは当然、男女の営みの事だろう。別に夜だけにする事じゃないけど、夜にする事が多いからは夜事情って言ったんだろうね。
勿論、僕もも立派な大人だ。そういう事を知らないわけではないし、寧ろ誰よりもは僕のそういう事情を知ってるし、僕ものを知っている。初めてがお互いだったから。だから恥じらうつもりもないし、知らない顔をするつもりだってない。
だけどほら、女の人にはちょっと恥じらって貰いたい所かなとは思うんだよね。例えばが男装してこの屯所にいるとしてもさ。
「別に恥ずかしい事じゃないだろ。皆やってる事なんだし」
「それは女の子の台詞じゃないよ」
「で、どうなの?」
細かい事はどうでもいい、と豪快に投げ捨てる彼女はそれはそれは男らしいと思う。反面、がさつだとも思う。
とりあえず反論せずにいいから話せと言う事らしいので、僕はやれやれと溜息を零してそうだなぁと空を仰いだ。
「僕は割と淡泊な方だと思うから、聞いても参考にはならないと思うけど」
「良い。統計を取る」
「皆にも聞くつもり? 左之さんとかに呆れられるんじゃないの?」
「分かってる。で、総司はどうなの?」
僕は、そうだな。
「五日か、六日に一度で良いかな」
「……そんなもんなの?」
は驚いたような顔をした。
もしかしたら、もっと頻度が高いとでも思ったのかな。そりゃ若ければそれだけ多いし、僕も充分若い部類に入ると思う。
「僕たちは、そんな頻繁に島原に行くわけにはいかないからね」
でも、もしそう思ったとしても僕たちには夜の巡察があるし、門限だってあるんだ。女の人とそういう事をしようと思ったならそう早く戻っても来られないし、勿論、屯所でなんてあり得ない。そんな所を見付かったら切腹させられかねないからね。
だから必然外でってなると、特定の相手がいない限りは妓女に相手をしてもらわなければならない。となると島原だ。お酒を飲んで帰るくらいならばそんなに掛からないだろうけれど、女の人を抱くとなると別だ。
そういう意味では僕たち新選組は、女に飢えていると言っても良いかも知れない。まあ僕は別だけど。
「……まあ、確かにそうだけど。その事情が無かったとしたら?」
「いつでも抱けるとしたらって事?」
うん、とは真面目な顔で頷いた。僕は思わず笑ってしまった。
こんな事真面目な顔で話す内容じゃなかったから。
「そうだね、それでも僕はそれくらいで良いかな」
もし好きな時に好きな子に触れられるとしても、それくらいで構わない。毎夜、肌を合わせなくても良い。
その代わり、
「僕は毎日触れたい」
そう思う。
好きな人の温もりを、ずっと感じていたいと思うんだ。
口付けられれば良い。抱きしめられれば良い。手を繋いでいられれば、僕にとってそれで相手を感じられるし、相手も僕を感じてくれる。それだけで十分だ。
「……」
そう言うと、は何故か落ち込んでしまった。
自分が思い描いていた何かと、僕の答えは違ったみたいだ。
だから僕のはあてにならないって言ったのに。
あの人みたいに、僕は女遊びなんてしなかったんだから。
「土方さんの夜事情は、激しそうだもんね」
意地悪く呟く。はきっと僕を睨んで、うるさいと怒る。
――かと思ったら、何故か彼女は憂い顔のままはあ、と溜息を零した。それはどういう反応なのか僕には分からない。
「あれ? 違った? 土方さんの事だから、毎晩毎晩求めてくるとかじゃないの?」
色々遊んできたあの人の事だから。きっと濃厚で、激しく求めてくると思っていたんだけど。
僕の言葉には憂い顔のまま、緩く首を振った。そしてまた、溜息一つ。
「……あの人、私に全然手を出してこないんだ」
これは、意外だ。
だってそうじゃない? 土方さんだよ? その昔は行きずりの女性と何人も関係を持つどころか、気のない相手の所にまで夜這いに行った人だよ。そしてまんまとその相手をその気にさせたんだよ。
そんな人がに――好きな女の人に手を出さないのか、不思議というか、冗談としか思えない。
或いは、
「まさか、拒んで、」
「ない」
彼女が拒んでいるのかと思ったけれど、きっぱりとは否定を表した。
一切拒んでいない、と何故か睨み付けられてしまう。僕が悪いわけじゃないんだけど。眉根を寄せると、彼女ははぁっと深いため息を零して膝を抱えてしまった。
「……やっぱ、驚くよな」
「うん、驚いた」
も昔の土方さんの事はよーく知っている。彼が遊んでいたって事も、だ。だから彼女もそれはおかしい事なんだと思うらしい。
「私に魅力がないからか」
まあ確かに、は男の僕に「夜事情」なんかを聞いちゃう女の子だけど、でも魅力がないかと聞かれればそれは違う。彼女は充分魅力的だ。文句なしの美人だし、性格も良いし、馬鹿じゃないし。それに彼女の身体は、多分男なら誰だって欲情する程、見事だ。僕が見たのは数年前だからもう少し子供の頃だったけれど、それでも、充分欲情した。女の人なんてどうでも良いって思ってた僕でさえそう思ったんだ。
だから土方さんがそう思わないはずがない。
「の問題じゃないと、思うけど」
「でもさ、一緒にいても手さえ握って来ないんだよ?」
そう零したは不安そうだった。普段どんな事があっても顔色一つ変えない。平気な顔で何でもさらりとやってのけてしまう優秀な副長助勤殿が、ただ一人の男の事でこんなに不安そうな顔をしているのが不思議で堪らなかった。
まるで普通の女の子みたい。あ、女の子だったっけ?
僕はなんだか、そんな彼女が酷く可愛いと思った。
「……きっと土方さんの事だから、私の事を大事にしようとか思ってくれてるんだと思うんだ」
ぽんと小さな頭に手をやる。子供扱いするなと怒られるかと思ったら、は文句を言わずに撫でさせてくれた。
は僕に頭を撫でられながら、ぽつんと呟いた。
うん、そうだろうね。肯定するのは癪だけど、あの人は馬鹿みたいに甘い所があるからきっとそういう事を考えてもおかしくない。
好きだから、大事だから、だから大切に思って手を出せないところがあるんだろうなって。
それをは分かっているから、だからあの人に直接言えないし、聞けないんだろうって事も分かる。
でもね、
はふうと溜息を零した。
その横顔がぞっとするほど、色っぽくて僕は思わず目を奪われた。
「私、土方さんになら滅茶苦茶にされても良いのに」
いつの間に僕の悪友は、こんなに女になってしまったんだろう。
こんなに激しく、一人の男を求めて憂うような女の人に。
ああ、あの人を好きになってから、か――
言うだけ言って、は邪魔をしたなと笑って部屋を出ていった。
ぱたぱたと足音が遠ざかって、完全に聞こえなくなって、僕はそこで漸く重たい腰を上げた。
「まったく、とんでもない発言していったなあ」
やれやれと溜息混じりに呟いた。
『土方さんになら滅茶苦茶にされても良いのに』
だなんて。まさかあのの口から出てくるなんて思わなかった。
彼女こそ僕と同じで、あまりそういった事に興味がないと思っていたから。初めて僕が抱いた時だってそうだった。別に興味はないけれど、僕が相手をして欲しいっていうから乗ってくれただけ。それから一度だって彼女は男の人と関係を持っていないはずだ。
にはそんな欲求なんてないって思ってた。触れられなくても、それこそ自分の事を見てくれなくても、ただ傍にいられればいいって。でも違った。
は土方さんを求めている。あの人の全部を求めている。奪われる事を、求めている。
あんなに激しく、あんなに熱く。
溜息を一つ零し、それで、と僕はふすまの向こうに声を掛けてみた。
「あそこまで求められて、男としてはどうなんですか?」
「っ」
びくっと影が揺れる。
ひょいを覗けば、驚いた。土方さんはそこで、顔を押さえてへたり込んでいた。
見れば顔は真っ赤だ。耳まで。驚きに目を見開いて、彼は「あ」とか「う」とか言葉に詰まっている。珍しいものを見た。
「人の話を盗み聞きして、照れてる場合じゃないでしょ」
しかも、女の子にあんな事まで言わせて。
「う、うるせぇ!!」
土方さんは慌てて怒鳴りつけたけど、その顔じゃ全然怖くない。むしろ可笑しくて笑っちゃう。散々馬鹿にして笑ってやりたいけれど、僕はそれよりもしなきゃいけない事があるんだ。
ここでへたり込んでいる情けない男を、蹴り飛ばしてやる事。
「土方さんって案外駄目男だったんですね」
「な、なんだとてめえ!」
「だってそうでしょ? 好きな女の子一人にも手を出せない」
彼女が望んでいるのに。あんなにも望んでいるのに。
そう僕に言われて土方さんはうぐぐと悔しげに唸った。
ここで唸らないで欲しい。うるせえって怒鳴り散らして、を追いかければ良いのに。それなのに、なんで唸って、頭を抱えて蹲るんだか。
「土方さん……男として情けないと思わないんですか」
「うる、せえ」
返す言葉にも覇気はない。
駄目だ。この人、本格的に駄目だ。その根性、道場で鍛え直してやりたいくらい。
僕が盛大な溜息を零すと、土方さんは顔を腕で隠したまま、うるせえともう一度呟いた。そうして、情けない声で言った。
「だってあいつ、あんなに柔らかいんだぞ」
「は? そりゃ女の子なんだから当たり前じゃないですか」
「そうじゃねえよ。てめえはなんにも分かってねえ!」
ぴしゃりと言い切る土方さんに僕は眉を寄せる。
いや、分かってないのは土方さんの方ですよ。
はあなたが言う柔らかい女の子なんだって。その女の子が、あなたの事をあれだけ想ってるんだって。それなのに――
呆れて溜息を吐く僕の瞳に、その人の横顔が映る。
酷く余裕のない、だけど男の顔をしたその人の横顔が。
「あんな柔らかくて気持ちがいいものに触れちまったら、俺は――ぶっ壊れるまで酷え事をしちまうに決まってんだろ」
そんな顔、僕は見た事がないよ。
いつだってむかつくくらいに余裕顔の、厳しい鬼副長の顔しか僕は知らない。
これが、人を好きになるって事かと僕は今更のように気付いた。
恋とはどんなものかしら
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