がいない間、千鶴が頑張ってくれたぜ。」

  確かに、彼女は普段屯所を空ける事が多い。
  間者としてどこぞに潜り込んで情報収集‥‥となれば、敵方が尻尾を出すまで根気よく粘る必要があるわけで‥‥そうす
  ると必然、何日も屯所を空ける事になる。
  新選組には人手が足りない。
  自分が屯所を空ければその分、他の人間に負担が掛かる。
  こと、彼女の上司に至っては倒れる寸前まで仕事を背負い込む事になるのだろう。

  それを、は憂っていた。

  「あれ?おまえもう帰ってきたの?」

  寝る間も惜しんで屯所に戻ってくると、驚いたような藤堂にそう訊ねられた。
  なんだかその台詞だと戻ってきてはいけなかったみたいじゃないかとは思いつつ、まあ、相手は彼だから仕方ないか
  と苦笑で流して、何かやる事、ある?と訊ねた。
  自分がいない間、洗濯物も溜まっただろうし、掃除だってろくに出来ていないだろう。
  料理に関してはあまり役には立たないが、それでももし腹が減っている‥‥というのならば何か作るぞと意気込んで言う
  と、彼は邪気のない笑顔を浮かべて、

  「ああ、大丈夫。
  千鶴が全部やってくれたから。」

  そう、言った。

  何故だろう。
  その言葉に、はずきりと胸が痛んだ気がした。


  実に二十日ぶりの屯所では、会う人会う人が口々に彼女の名を口にした。

  千鶴ちゃんの料理が美味かった、
  とか、
  おまえは疲れてるんだから千鶴に任せろ、
  とか、
  果ては戻ってきたばかりの彼女に、
  千鶴ちゃんはどこに行ったんだ?
  とか聞く人間もいる。
  そんなのが知るわけもない。
  今戻ってきたばかりなのだから。

  とにもかくにも、千鶴千鶴、と彼女の名前を何度も聞かされて、は少しばかり複雑な気分だった。
  それだけ彼女が新選組に馴染んでいる‥‥という事なのだろうが‥‥それにしたって‥‥

  「‥‥なんか、私、必要ないみたい‥‥」

  ぺたぺたと廊下を力無く歩きながら、ふと、彼女は思い出す。
  久方ぶりに顔を合わせる幹部たちの中に、彼の姿がなかった事。
  彼、即ちの上司である土方だ。
  忙しい彼の事だ。
  きっと部屋で仕事をしているに違いない。
  そこではくぅ、と腹の虫が空腹を訴えた事にも気付いた。
  そういえば昼飯を食べていなかったのだった。

  「きっと土方さんも食べてないだろうな。」
  自分の忙しさと等しく、彼は忙しい。
  文机に齧り付いて今頃書類と睨めっこだとは内心で呟きながらくるりと踵を返すと本当に久しく入っていない勝手場
  へと足を踏み入れたのだった。


  残っていた飯と井上から梅干しをもらって握り飯にしてみた。
  残念ながら三角にも俵にもならず、歪な形をした握り飯が出来上がった。
  それを皿の上に乗せ、彼が好きな沢庵を添え、お茶も淹れた。

  忙しかろうと握り飯ならば手軽に食べられるだろう。

  いつもより、上手くできた握り飯になんだか嬉しい気分になった。


  「土方さん、いますか?」

  障子戸の外から声を掛ける。
  中から「なんだ?」という声が返ってきて、は失礼します、と断りを入れて戸を開いた。

  「お昼、食べてませんよね?
  ちょっと休憩、しませんか?」

  そうして笑顔でそう訊ねようとして、

  「‥‥‥‥‥あ‥‥‥」

  は、言葉を飲み込んでしまった。

  彼は、一人ではなかった。
  傍らには、彼女――千鶴の姿があったのである。
  恐らく、彼女が持ってきたんだろう。
  机の上には握り飯と香の物、それからお茶が乗った盆があった。

  「お疲れさまです、さん。」
  千鶴がにこりと笑った。
  「あ‥‥う、うん。ただいま‥‥」
  なんとなく変な返事になってしまって、は手に持っていたそれを後ろ手に隠した。
  あんなに綺麗な形の握り飯を見たら‥‥とてもじゃないが自分の物を出せなくなってしまったのだ。
  ボロボロの、歪な握り飯など。

  「どうした、随分と早かったんだな。」
  明日まで掛かるんじゃなかったのか?と土方に言われ、はええとと視線を逸らす。
  その台詞も、帰ってきてはいけなかったと言われたようで、自分はどこまで捻くれてしまったのかと思う。

  「ちょっと‥‥早く、終わったから。」
  「そっか。」
  土方は言い、ひょいと握り飯に手を伸ばしながら言った。
  綺麗な握り飯は掴まれても歪まなかった。
  「少し、休んでろ。
  おまえ疲れてるだろ?」
  「あ‥‥いえ。大丈夫です。」
  大丈夫と引きつった顔で笑う彼女に馬鹿野郎と彼は苦笑を漏らす。
  「んな疲れた顔してる奴が何言ってやがる。
  いいから休んでろ。」
  「でも‥‥」

  私にはやるべき事があるんじゃないか。

  そう続ける彼女に、土方は言い放った。

  「おまえの代わりにこいつに働いて貰ってるから、大丈夫だ。」

  苦笑交じりに、でも、僅かにでも信頼の瞳を向けられるのは傍らに腰を下ろしている千鶴。
  それを受けて困ったような、照れたような顔で笑う彼女は、寄せられる信頼に拳を握りしめながら宣言する。

  「さんの分まで、頑張ります!」

  それはきっと、
  土方なりの、
  千鶴なりの、
  優しさなのだ。
  それは分かっている。
  分かっている。
  彼らがどれだけ優しい人なのかというのを。
  でも、
  なんだか、


  ――千鶴が頑張ってくれたから大丈夫だぜ――


  自分が必要のない人間になってしまった気がして、辛かった。


  「‥‥?」
  微かに、の瞳が揺れた。
  それに気付いて、声を掛ければ、彼女はにこりと笑って、

  「それじゃ、私、休んできますね。」

  それ以上、何も追求させまいとして襖を閉めて行ってしまう。
  いつの間にか‥‥お茶は随分と冷めてしまっていた。



  途中でばったりと出会った永倉に「これあげる」と握り飯を押しつけて、はとぼとぼと頼りない足取りで廊下を進む。
  休めと言われたけれど、正直、今は寝る気にはなれなかった。
  否、そればかりか、屯所にさえいる気にもなれなかった。
  なんだか、今のあの場所には自分の居場所がないような気がしたのだ。
  自分がいなくても、彼女が、穴を埋めてくれる。
  有り難い事のはずだった。
  なのに、は苦しかった。
  辛かった。

  彼女は自分の居場所を奪ったりなんかしない。
  そんなこと、百も承知なのに――
  分かっているのに、
  気持ちが沈んでいくのを止められなかった。


  「ん?」
  不意に沈んだ気持ちを浮上させたのはばたばたという乱暴な足音だ。
  何かと思って振り返るよりも先に、
  「わっ!?」
  ぐいと肩を掴まれて引き寄せられる。
  咄嗟の事に反応できず、どんと壁に背中をぶつけては小さく呻いた。
  「い‥‥つっ!?」
  何事かと目を開けば目の前に見慣れた紫の着物が。
  それが誰のものかというのは視線を上げずとも分かる。
  それじゃなくてもふわりと香る梅のそれが、その人なのだと知らしめるのだ。

  「‥‥ひ、土方さん?」

  どうしてここにと最後に顔を上げた所で彼が酷く不機嫌な顔をしているのに気付いた。

  「何度も、呼んだ。」
  呻くように言われ、は思わずすいませんと謝った。
  もう条件反射だった。
  「‥‥それで、何の用ですか?」
  訊ねると彼は掴んでいた肩から手を離し、その、とくしゃりと前髪を掻き上げる。
  視線を少しだけ逸らして、
  「俺の気のせいだったら‥‥良いんだが‥‥」
  「‥‥‥はい?」
  ちろりと視線を戻しながら、言った。

  「おまえ、なんかあっただろ?」

  その言葉には一瞬、反応が出来なかった。
  違う。
  と言えなかった。
  ただ、息を飲んで目を丸くした。
  瞳が迷いに揺れれば彼にはそれが肯定だと教えてしまうようなものなのに。
  気付いて欲しくなかった。
  そんな、馬鹿げた思い。
  気付いて欲しくなかったはずだ。
  なのに‥‥どうして、
  違うという言葉が出ないのか。

  「‥‥やっぱりな。」

  はふと溜息交じりに呟かれ、は俯く。
  唇を噛みしめて、
  「そんなことないです」
  と言ったところでもう遅い。
  彼には見抜かれてしまっている。

  「なんだ?なにがあった?」

  何もと頭を振ると、僅かに土方の双眸が細められた。

  「
  隠すな。なんかあったんだろ?」
  どこか子供でも叱りつけるような声音に、は更に頭を振る。
  こんな事を口にしたら彼はきっと呆れるに決まっている。
  馬鹿かおまえは、そんなはずねえだろうが、とか言われる。
  逆に肯定されたらと思うと、怖くては唇をきつく噛んだ。
  「話せ。」
  「や。」
  子供か、と突っ込んでやりたくなるような拒絶の言葉が彼女の口から漏れる。
  一瞬呆気に取られた男は、すぐにあのなと唸るように声を漏らした。が、
  「やだ、話さない。」
  頑なに拒もうとする彼女の言葉が、微かに震えているのに気付いた。
  土方はこれはどうしたことかと、眉根を寄せてしばし黙り込み‥‥やがて一つの方法を思いついて、そっと溜息を漏らし
  ながら再び口を開いた。

  「。」

  声音がぐんと穏やかで、緩やかなものにかわる。
  先ほどの叱りつける、というよりは宥めるようなそれには「ずるい」と内心で呟いた。
  そんな優しい声で言われたら‥‥吐き出してしまいたくなる。
  その、嫌なものを、全て。
  言ってもどうにもならない「仕方のない事」を。
  ぶちまけて楽になってしまいたく、なる。

  「‥‥。」

  それでも迷っているを、トドメをさすかのように優しい声で呼んだ。

  その瞬間、
  するんと、
  胸の奥につかえていた何かが、滑り落ちた。
  言葉となって。

  「‥‥私の居場所が、無くなった気がして‥‥」

  音にした瞬間に、こみ上げるのは罪悪感と‥‥それから、妙な恥ずかしさであった。
  吐き出したのに、ちっとも胸が軽くならない。やはり言うんじゃなかったと思った。

  「居場所が‥‥ねえだと?」
  どういう事だ?と訊ねる声はもういつもの土方のものに戻っている。
  してやられたと今更のように思いながらははふと溜息をもう一度吐いた。
  「千鶴ちゃん、ですよ。」
  「千鶴が、どうしたってんだ?」
  「私の代わりを十分してくれてるでしょ?」
  「‥‥まあ、頑張ってはいるみてえだな。」
  かといっての代わりを、というのは難しい。
  なんせ千鶴にはのように戦う力がないのだから。
  それでも彼女なりに自分の出来る事をしてはくれている。それは確かだ。

  「屯所に帰ってきたら、みんな、口を揃えて言うんだもん。」
  「なんて?」
  「‥‥千鶴ちゃんがみんなやってくれた‥‥って。」
  「‥‥」
  「千鶴ちゃんがいるから大丈夫だ‥‥って‥‥」

  だから、と告げる言葉が寂しげに揺れる。

  「私。
  いらないんじゃないかなぁって‥‥思ったら‥‥」

  思ったら、

  「‥‥苦しくなって‥‥」

  俯くの瞳が揺れた。
  ゆらゆらと、力無く、揺れた。

  俯いていて良かったと思う。
  言葉以上に情けない、こんな顔を見せなくて良かったと。

  馬鹿だなおまえは、と呆れてくれればいい。
  何ガキみてえなこと言ってんだと叱りつけてくれればいい。

  だけど、一つの溜息の後、降ってきたのはそのどちらでもなくて、

  「‥‥馬鹿が。」
  そっと、伸びた手が優しく髪を撫でた。
  そうして逆の手が伸びて、背中に回されて、軽く引かれる。
  腕の中に閉じこめるようなそれにが驚いて目を見開いた時にはすっぽりと男の腕に抱きしめられていた。
  馬鹿が、と彼はもう一度言った。
  そして馬鹿と罵る言葉には似つかわしくない優しく、慈しむような声で、言った。

  「おまえが‥‥必要ないなんてこと‥‥あるはずねえだろ。」

  ぱちくりと。
  は腕の中で瞬きを一つ、した。

  確かに。
  千鶴はよく働いてくれている。
  少しでも役に立とうと、頑張ってくれている。
  それを他のみんなも、勿論土方も評価をしている。
  彼女は、最早新選組になくてはならない存在だと。
  でも、

  「千鶴がいっくら頑張ってくれてるからって‥‥おまえの居場所がなくなるわけがねえだろうが。」

  そう。
  彼女の居場所が無くなる事は決してないのだ。

  例えばもし、あり得ない事だが、千鶴がの居場所を奪おうとしても。
  他の誰かが奪おうとしても。
  奪えるものではない。
  誰も彼女の代わりになれるはずがない。

  何故なら、

  「‥‥おまえはおまえだから。」

  が、という人だから。
  奪えるはずがない。

  それはよく分からない言葉だった。
  理解に苦しむ言葉だった。
  だけど、でも、
  彼が、

  ここにの居場所があるのだとはっきりと断言してくれているのだけは分かった。
  自分は必要なのだと、言ってくれているのは分かった。
  それが分かった瞬間、はわけもなく泣きたくなった。
  泣き喚いて、男に縋り付いてやりたくなった。

  「だ、だって‥‥そんな事言って、土方さん、千鶴ちゃんの作ったおにぎり、美味しそうに食べてたじゃないですかぁっ」

  その代わりに八つ当たりでもするように咎めると、彼は「は?」と間の抜けた声を上げる。
  突然そんな事を言われたのでは当然だ。
  の中では繋がっている話題だが、土方の中では何がどうなっているのか分からない。

  「私、食べてないと思ったから‥‥作ったのに‥‥」
  「はぁ?‥‥んなの知らねえよ。
  つか、作ったんならなんで持ってこねえんだよ。」
  「そんなの、千鶴ちゃんの綺麗なおにぎりを見たら出せるわけないじゃないですかぁっ」
  「だから、なんでてめえは‥‥」

  言いかけ、土方は止め、それよりとすぐに口を開いた。

  「作った握り飯、出せ。」
  「‥‥‥‥‥新八さんにあげちゃいました。」
  「なんだと、てめえ新八にくれてやったってのか!?」
  「‥‥‥千鶴ちゃんに貰ったから‥‥いいでしょ‥‥」
  「良くねえ‥‥今すぐ作れ。」
  「いや。」
  「いやじゃねえ。副長命令だ。」
  「‥‥やだ。」

  はやだと言って、ぐりと額を押しつけてきた。
  どこか甘えたような仕草に男がついどきりとしてしまい、言葉に詰まるとその隙に、こんな事を言われてしまった。

  「私の、千鶴ちゃんのみたいに美味しく無さそうだもん。」

  だから、いや。

  拗ねたような響きを持つ言葉に、土方は無言になった。


  「もしかして、おまえ‥‥千鶴に嫉妬してたのか?」
  「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥ちがいます。」

  消え入りそうな小さな声に、土方の笑みが深くなる。
  当然だ。
  普段は色町に行こうと、妓女に絡まれていようと、顔色一つ変えず「色男は辛いですねぇ」なんて笑っている彼女が、ど
  う見ても子供としか思えない千鶴相手に嫉妬している、と思うと、思わず笑みもこぼれると言うものだ。
  普段は土方ばかりが嫉妬しているから余計に。

  「いや‥‥たまにゃおまえに嫉妬してもらいたいと思ってはいたが‥‥まさか千鶴相手に嫉妬とはな‥‥」
  にやにやと意地の悪い笑みを浮かべながら言う土方に、は違います!と慌てて言葉を返す。
  「わ、私は嫉妬なんてしてない!!」
  必死に否定すればするほど、どつぼにはまっていくようだ。
  土方はくつくつととうとう堪えきれずに笑い出した。
  「わかったわかった。
  安心しろ。俺はガキにゃ興味ねえよ。」
  千鶴に靡くなんて事あり得ないと言ってあげれば、はだから、と顔を赤くして否定する。

  「違います!私は本当にっ‥‥」
  「なるほどなぁ‥‥しかし、千鶴とは意外だな‥‥」
  「ひ、土方さん!人の話聞いてないでしょ!?」
  「聞いてる聞いてる。今度から千鶴とは二人きりにならねえようにするから。」
  「だ、だから違うってば!!」

  もう、お願いだから聞いてくださいよ。と真っ赤な顔で追いかけ回すと、くつくつと笑いながらその背中を叩かれる
  土方。
  なんとも平和そうな、不思議な光景に、皆が何事かと首を捻った。
  今日も屯所は平和なようである。


 君の代わりは誰もいない



  リクエスト『土方さんを好きながやきもち』

  土方さんと恋人同士でが誰かに嫉妬。
  なんですが‥‥これが非常に難しかったです。
  何故ならは基本嫉妬をしない子でして、というか嫉妬
  をする前に土方さんを「自分のもの」と認識していない
  ので嫉妬をする事さえも恐れ多い、と思っています。
  だから嫉妬というより、拗ねるという方が正しいかな?
  自己嫌悪に陥って、何事も無かったかのように戻ってく
  る‥‥みたいな。
  それでも気付くのが副長なんですよね、きっと。

  そんな感じで書かせていただきました♪
  リクエストありがとうございました!

  2011.4.30 三剣 蛍