明治三年、十月。
  秋を思わせる涼しげな風が今朝から感じるようになっていた。
  もうじき、冬。
  何度経験しても未だになれることのない蝦夷の寒さに、今年こそは早めに冬支度を終えなければと働き者の妻は決意を固
  め、まずは朝餉の準備をすべく身体を起こした――

  はずだった。

  「わ、ちょ、まって‥‥」

  まだ朝靄が残る早朝に確かに目を覚ましたはずなのに、陽が昇り雀たちが囀りはじめてもは未だに床から抜け出せず
  にいる。
  確かに自分は少しばかり朝に弱い所がある。朝は辛い。それでも自分を奮い立たせて朝餉には間に合うように起床していた。
  いや、実際彼女は起きていたのだ。
  それを邪魔したのは勿論、彼女の横に眠っていたもう一人。
  「待たねえ」
  寝起きだからなのか、若干低く艶のある声で囁く夫‥‥土方歳三。
  いつものように床から抜け出そうとする妻に気付き、まだ早いとばかりに彼女を引きずり込んでしまったのだ。
  それが引きずり込むだけならば良かったのだが、
  「ん、だ、だめっ」
  その手が妖しく身体をなで回すものだから堪らない。
  最初こそは抱きしめていただけの手はどういう意図なのか、徐々に大胆に、何かを思わせるものへと変わっていってしま
  った。
  的確に弱い部分を追い詰めようとする夫に、妻は腕の中、僅かに残る理性を動かしてなんとか藻掻いている。
  「だめ、土方さん、今日はっ‥‥買い物にっ」
  色々切らしているものがあるのだから陽のあるうちに買い物にいかなければ、と昨日確かに言ったのにとが言えば、
  分かってると答える声があって、
  「昼から付き合ってやるって」
  勝手な事を言うその唇は背けた妻の耳にぱくりと噛みついた。
  ひ、と小さな悲鳴が紅く色づいた唇から零れ、次の瞬間とろりと琥珀が溶けてしまったような色に変わる。
  だがそのままなし崩しに流されてしまうわけにはいかない。
  はふるふると頭を振り、拳を握りしめて抵抗を試みた。
  「だめ、昼からは‥‥着物の整理を‥‥」
  それに繕い物だって、洗濯だって、色々。
  「だから‥‥っつ‥‥」
  「そんなもん、今日じゃなくたっていいだろ」
  「だ、だめ、今日じゃないと! っ!?」
  自分の言い分を事も無げにそう言ってみせる彼には些か憤慨しつつ反論しようとした。
  その時、手が一層奥まった場所に触れてきて、思わず悲鳴が喉で弾ける。
  「だ、めっ」
  駄目だ。
  そこに触れられたらもう抵抗など出来ない。
  彼に流されてどこまでも彼に溺れてしまいたいと思ってしまう。
  駄目、と拳を握りしめ、這い出るべく身体を捩ると背後でくつりと意地の悪い笑みが聞こえた。

  「じゃあ、俺を名前で、さんづけ無しで呼べたらやめてやるよ」
  それは些か意地悪な提案だ。
  この恥ずかしがり屋な妻が夫を満足に名で呼べない事をしっていての‥‥自分の勝ちを確信した勝負。
  しかも年上の彼を呼び捨てで、など、に出来るわけもない。
  この男はどこまでも酷い男だとは内心で詰った。
  「出来なければそれはそれで一向に構わねえけどな‥‥」
  「っ、だめ、だめだめっ!!」
  勝手に彼女の負けだと決めつけた男の手が更に侵入。
  はぴったりと腿を閉じて、拒絶を表す。
  「じゃあ、呼べよ」
  ほら、と促しながらその手は閉じた腿の柔らかな肉を爪の先で嬲った。じりじりと疼くような快感が身体を冒していき、
  戒めが徐々に緩んでいく。
  「っ、や、やだ。手‥‥」
  「いやだ、じゃねえだろ。緩めてんのはおまえ。俺は無理矢理やっちゃあいねえよ」
  「っや、や‥‥指っ、ン‥‥」
  指先が目的の場所に到達し、ゆったりと入り口をなぞる。
  それだけでは色っぽく喉を逸らして喘ぎ、その色香に男は腰の奥からぞくりと震えが這い上がってくるのが分かった。
  もう、止めてやれない。
  そう男が獲物の息の根を止めるべく瞳に残酷な色を浮かべた瞬間、

  「と、としぞう‥‥」

  の唇から彼の名が零れた。
  土壇場で勝負に勝ったのはの方である。
  まさに、首の皮一枚繋がった状況‥‥とはこのことで、理性は米粒程度しか残っていない。後少しでも彼に触れられてい
  たらもう終わりだった。
  本来ならば夫の負け。
  ここは潔く身を退くのが道理というものなのに、
  それがあまりに色っぽくて、
  自分の名を呼ぶ彼女があまりに艶めかしくて、
  「ひゃぁ!?」
  理性の糸がぶちりと切れたのは夫の方であった。
  彼は妻の首に鼻先を埋めると、ごそごそと慌ただしく自身の着物を寛げようとする。
  止めるどころか、それはもっと先へと進む行為だと気づき、は慌てて抗議の声を上げた。
  「ちょ、ちょっと、約束が!」
  「知るか、煽った、てめえが悪いっ」
  「あ、煽ってなんか‥‥っちょ、土方さん!?」
  「元に戻してんじゃねえ、よ」
  「――っ」
  甲高い悲鳴がの口から迸る。
  痛みと衝撃と、それから悔しさから涙が出てきて夫を睨めば余裕を無くした彼が口元に情けない笑みを浮かべた。
  「文句なら後でたっぷり聞いてやっから」
  だから、今は、と掠れた声で囁く夫を内心で罵りながら、はその背をしかと抱きしめたのだった。


  「ご飯が出来ましたよ、土方副長」
  「‥‥おい、誰が副長だ」
  「ああ。失礼しました。土方『元』副長」
  「てめえ‥‥」
  「どうされましたか? 土方元副長?」
  「‥‥だから、俺が悪かったって‥‥」


  君が呼ぶだけでそれは特別な音となる



  ただのエロオヤジな話になってしまった。
  名前を呼ぶのって特別な気がするんですよね。
  特に、年上の男性を呼び捨てにするのって、さ。