「それじゃ明日。」

うん、じゃあおやすみ、という悪友の声を最後に聞いて、は通話を終えた。
ピ、と言う無機質な電子音を立てて沈黙した自分の携帯電話に、時間が表示される。

時刻は、
23時40分。

の就寝時間20分前、だ。
そして、
彼の就寝時間1時間前、でもある。

「‥‥まだ、起きてるかなぁ?」

ころん、とベッドに転がりながらボタンを弄る。
ボタン操作一つで呼び出されたのは、大切な人の名前‥‥

土方歳三。

尊敬すべき教師でもあり、
彼女の‥‥大切な恋人でもある。

「‥‥‥」

その名前を見るだけできゅうんと胸が切なくなるのは、予想通りに自分が寂しいと思っている証拠だ。
だっていつもは毎日のように学校で顔を合わせていたのに‥‥
もう、
一月も顔を見ていない。

教師にも出張というものがあるというのを初めて知った。
講習会や研究会があったりとで、色々と教師も仕事があるらしい。
一月は長くはないか?と思ったが、彼は古典教諭でありながら、薄桜学園の教頭でもある。
あれこれとやることが多いのは仕方ない事なのかも知れない。

お陰で今の古典の授業は退屈で堪らない。
土方は教えるのが上手だったのだなと今更のように実感した。

と、そんなこんなで、一月、彼の顔を見ていない。
プラス、仕事が忙しいだろうと言うことで電話もしていないので声も聞けていない。
専らメールが主流ではあるが‥‥それでも仕事で忙しいだろうと思って、一週間に一度か二度、メールを送るくらいだ。
そんなことを悪友とその彼女に言ったら、
「遠慮しすぎ」
と呆れられてしまった。
彼女なのだから、そんなに遠慮することはないのだと。

「彼女だからこそ、気を遣わないと駄目じゃない?」

しかし、はこう思うのだ。
相手が大切な人だからこそ‥‥相手のことを思いやる事が必要ではないのかと。
ただでさえ彼が年上という事もあって甘えてしまっている所がある‥‥と当人は思っている‥‥のだ。
せめてこういう時くらいは、甘えずに‥‥

「‥‥そりゃ、寂しいけど‥‥さ。」

甘えずにいられたらいいと思うけれど、事実、寂しい。
一人という事もあって、誰にも見られる心配はない。
情けなく眉根を寄せ、携帯を恨めしげに睨み付けながらぽつっと弱音を零す。

寂しい。
すごく。

一目でいいから顔が見たい。
声が聞きたい。

そんな、我が儘が頭の中に浮かぶくらい‥‥‥

「でも駄目。」

は言って、パタンと携帯を閉じた。
その名前を見ていたら、通話ボタンを押してしまいそうだったから。

枕元に置いて、さて、余計な事を考えずにもう寝てしまおうと布団の中に潜り込んだ瞬間、

聞き覚えのある音楽が、明滅と共に流れてくる。
流れてきたのは優しいオルゴール調の『愛のあいさつ』。
そしてそれは‥‥彼専用の、着信音。

「まさか‥‥」

まさかともう一度口の中で零しながら着信を知らせる携帯をじっと凝視した。

紫のライトがせき立てるように明滅を繰り返している。

はたっぷりと曲を堪能した後、慌てて手を伸ばして通話ボタンを押した。

「も、もしもしっ!」
『‥‥‥‥』

向こうから返ってきたのは、無言だ。
しまった。
驚きのあまりに出るのが遅くなったから、切られてしまっただろうか?

そんなことをしょんぼりと肩を落としながら後悔していると、ふっと笑いを含んだ声が耳元で聞こえた。

『すげぇ勢い‥‥
走ってきたのか?』
おかしそうに笑うその声は‥‥間違いなく、彼のものだった。
「土方‥‥さん。」
一月ぶりに聞く、大好きな人の声。
嬉しいはずなのにきゅうっと胸が苦しくなって、口から掠れた声が漏れた。
『悪い、こんな時間に。』
「う、ううん、大丈夫です。
私起きてましたから。」
それより、とはベッドの上に座り直しながら訊ねる。
「なにか、あったんですか?」
『うん?いや、別に何もねえんだけど‥‥』
ぎしっと向こうで軋む音が聞こえた。
ベッドにでも腰を下ろしたのだろう。
彼はふ、と溜息を漏らしながら、その、と苦笑を最初に漏らして言った。

『声‥‥聞きたくなって‥‥』

どこか、
切なそうな声が、
携帯を通して聞こえる。

きゅきゅんとは胸を締め付けられると同時に、わけもなく泣きたくなった。
じわっと目頭が熱くなり、熱いものがこみ上げてくる。
そのこみ上げたものを必死で押しとどめながら、はそんなの、と泣きそうな声で告げた。

「私だって‥‥聞きたかった。」

電話の向こうで、小さく息を飲む声が聞こえた。
彼が今どんな顔をしているのかは‥‥分からない。
困った顔をしているのか、それとも、嬉しそうな顔をしているのか。
でも多分、
優しい眼差しをしているのは、分かった。

『‥‥じゃあ、電話、くれりゃよかったのに。』
笑いを含んだ声にはだってと、小さく言い訳めいた言葉を口にする。
「仕事の邪魔になるかと思って‥‥‥」
『ばーか。おまえが俺の邪魔になるはずねえだろ。』
「‥‥‥でも。」
『大事な彼女は別だ。』

むしろ、と彼は言う。

『電話、欲しかった。』

声が聞きたかった‥‥
切望するような響きに、は胸が苦しくなった。

出来ることなら今すぐに、
彼に会いたいと‥‥思った。
会って、
寂しい思いをした分彼に甘えたいと。
彼を、甘やかしてあげたいと。

本気で思った。

「仕事‥‥大変ですか?」

それが出来ないのは分かっている。
だから、その分今は声を聞きたくて、は質問を投げかけた。
『いや、そんなには‥‥』
ふぅ‥‥と息を長く吐く音が聞こえ、は首を捻る。
もしかして、
「今煙草吸ってる?」
『‥‥ああ。』
問いかけに彼は苦笑で答えてくれた。
「ストレス、たまってる?」
喫煙者曰く、煙草を吸うのは『ストレス発散のため』らしい。
土方は普段の前では吸わないが、一人で問題を作っている時や会議の最中なんかはすぱすぱと愛用している煙草をふかしていると聞いた。
おそらく、
今回の出張でもストレスはたまっていることだろう。
『いや、たまってんのはストレスじゃねえな‥‥』
しれっとした返答には拍子抜けした。
じゃあ、なにが溜まってるんですかと訝しげに問いかけると、彼は悪戯っぽい声でこう言った。

『明日になりゃ分かる。』

「‥‥え?」

明日?
なんで?
は首を捻る。

『明日‥‥そっちに帰るんだよ。』
「え!?本当!?」
彼の次いで紡いだ言葉に大きな声が出てしまった。
時間も時間だ。
慌てて口を押さえると、ほんとう?ともう一度小さな声で訊ねる。

『ああ、明日の夜には戻る。』
時間は‥‥と彼はがさごそと向こうで何かを探り、
『9時を過ぎるかな‥‥
おまえ、家にいるだろ?』
問いかけられ、はうんと頷いた。

『じゃあ、明日、9時に行くから。』
「‥‥はい、待ってます。」
『じゃ、切るぞ。
明日寝坊して遅刻すんなよ?』
「しませんよ。
『先生』こそ寝坊したら恥ずかしいですからね。」

くすくすとお互いに笑いを漏らし、名残惜しい気持ちを無理矢理押さえつけながらそれじゃあ、と口にした。

『おやすみ。』
「おやすみなさい。
あ、土方さん。」

通話が切れてしまう前に伝えたいことがあった。
なんだ?と優しく訊ねるその声に、精一杯の気持ちを‥‥

「大好きです。」
『っ!?』
「それじゃ、おやすみなさい。」

照れくさくて、早口で言って、向こうの反応が返ってくる前に切った。
きっと向こうではしてやられたという顔で携帯を睨み付けているんだろうな、などとくすくす笑いながらもう一度布団に入り直すと、短いコール音と、ピンクのライトが明滅。
メールだ。

「ん?」

ぱかっと開けると、発信者の名前はさっきまで電話をしていた大切な人のそれで‥‥

メールの内容は、たった、一言。

『俺も』

短い言葉に告げられた彼の気持ちに、は何とも言えない恥ずかしさを幸せを感じながらベッドの上でしばしごろごろと転がるのだった。



「おはよう、
朝から死相が出てるよ?」
翌朝、出会い頭の悪友の言葉にはおう、と片手を上げてなんとか挨拶を返す。
「ぐ、具合が悪いんですか!?」
その横では千鶴が心配そうに顔を覗き込んでくる。
いや、具合が悪いというか‥‥
「生理痛。」
「‥‥あ‥‥」
ぽんっと真っ赤になる千鶴の横であははと沖田は笑う。
、一応そこは隠そうよ、女の子なんだから。」
「うっさい、恥じらっても痛いもんは痛い。」
「意味が分かんないよ。」
「じゃあ、おまえ生理痛を味わってみるか?」
「ますます意味が分かんないよ。
じゃあ、逆にも急所蹴られたあの痛み味わってみる?」
死んじゃうよと言う言葉に千鶴はますます顔を真っ赤にして、
「二人とも往来でそんなことを言うのはやめてください!!」
と叫ぶのだった。



ちょっとだけ周期がずれてる。
多分、ストレスのせいだな‥‥とはカレンダーを見て、思った。
初日に痛むのもきっとそのせい。
あとあれだ、
「寝不足。」
昨夜、楽しみすぎて眠れなかった。

今日、
彼が、
帰ってくる。

はガラにもなく浮き足立ってるのが分かった。
帰宅してからもそわそわして落ち着かなくて、何度も何度も時計を確認してはまだこんな時間かと溜息を零した。
夕食は食べてくるだろうか?
それとも用意して置いた方が良いのだろうか?
とりあえず、少しばかり多めに夕食を用意して、は時間がくるのを待った。

ただひたすら、一分一秒が‥‥長かった。


ピンポーンとチャイムが鳴った瞬間、飛び出してしまうくらいに。



「おかえりなさい!」
「っと‥‥」
扉を開けるなり飛びついてきた少女を抱き留め、男はくつくつと苦笑を漏らした。
「熱烈な出迎えだな。」
そんなに待ち遠しかったのか?などと言いながらも男は嬉しそうに目を細め、飛びついてきた華奢な身体をしっかりと確かめるように抱きしめる。
ふわりと微かに残る煙草の香りを吸い込みながら、はやっぱり「土方さんだ」とふにゃっと口元をだらしなく歪めて笑う。
そうして、いっぱいに彼のにおいを吸い込んだ後、
「あ、ごめんなさい。
疲れてますよね?」
はぱっと身体を離して、扉を大きく開けた。
ちょっと残念そうな顔の彼に「入って」と促すと、
「邪魔する。」
と言いながら彼は戸を潜った。
その彼には「違う」と頭を振る。
「おかえりなさい、の対は?」
土方は一瞬目を丸くして少女を見て、
それから、
「ただいま。」
照れたように、そう紡いだ。


「ご飯食べました?」
「いや、まだだ。」
「じゃあ、すぐ暖めますね。」

上着をハンガーに掛けながらはぱぁっと明るい声で言ってキッチンへと駆け込む。
ほどなくしていい香りが漂ってきて、土方はすいっと目を眇める。
どうやら今日の夕食はシチューのようである。

「‥‥土方さん、サラダとかも食べれますー?」
「いや、そんなに用意しなくていい。」
「じゃあ、シチューだけになりますけど‥‥」

くつくつと沸騰した所で、火を消してはお皿を引っ張り出してくる。
それにシチューをよそおうとして、

ふ、わ、

「わっ!?」

背後から伸びてきた手に抱きしめられては驚きのあまりにお皿を落としそうになった。
慌てて両手で握り直し、ほっと溜息を漏らすと、肩口に男の鼻先が埋められ、どきっと鼓動が高鳴った。
甘えるようにぐりぐりと押しつけたかと思うと、吐息が肌を滑る。
ちょっとぞくっとした。

「‥‥土方さん、シチューがよそえません。」
「分かってる。」

言外に離して、と言っているのに、男は手を緩めるどころか拘束を強くして、更には首筋に唇を寄せてくる。

「ンっ」

ちりと痛みにも似たそれが走り、は小さく声を漏らした。
痕を、つけられてしまった。

「土方さん‥‥シチュー‥‥」
「そいつも食いたいけど、それ以上に欲しいもんがあるんだよ。」
「それ、なに‥‥」
「昨夜も言っただろ?」
「昨夜‥‥って‥‥わっ!?」

突然、抱き上げられは驚きの声を上げる。
お皿を抱いたままの彼女を抱き上げた男は、にやっと艶っぽく笑い、

「ベッド、行くぞ。」

と宣告してすたすたとキッチンを出て行ってしまった。

呆気に取られること‥‥数秒。
その間に寝室に到着し、ベッドに下ろされ、

「わっ!?だ、だめ土方さんっ!!」

覆い被さられては我に返った。
駄目、と言ってお皿で押しのけようとするが、敵わず、
「んんっ」
熱烈なキスで喚く唇を塞がれ、ついでにお皿という凶器を奪われる。
男はそれをベッドサイドのテーブルに置いて、きつく舌を吸い上げながらその胸元に手を伸ばした。
一月ぶりに触れるその身体は彼が想像していたよりも柔らかくて、熱い。
服の上からむにゅっと強く揉んだだけで、びくんっと身体を震わせる敏感な身体にどうしようもないくらいに劣情を煽られる。
やっぱり想像だけじゃ足りないなと内心で呟きながら稜線をなぞり、の服の中へと手を侵入させた。

彼が自分を抱くつもりなのが分かった。

夕食よりも自分の事が欲しいのだと言うことは。

いつもよりも余裕のないキスや、焦ったような手つきから、彼がどれほど自分を欲しいと思っているか‥‥

それが嬉しいと思いながらは深くなるキスに必死に応える。

触れてくれる指や、唇に、素直に反応を返した。

だけど、するりと滑った大きな手が太股を撫でてその中心へとずらされた瞬間、
思い出した。

「‥‥あ、駄目!!」

慌ててキスから逃れ、とろんと半分溶けてしまった思考で、彼女は駄目だと告げる。
それを男はいつもの「恥ずかしがってあげる声」だと思ったらしく、

「駄目‥‥じゃねえだろ。
いいくせに。」

と熱に浮かされたような声で言い、もう一度唇を塞ごうとした。

「ち、違う!そうじゃなくて!!」
違うんだとは男の胸を押し返す。
いつもとは反応違うそれに土方は怪訝そうな顔で僅かに身体を離し、
「なんだよ‥‥」
行為を中断された為か、少しばかり不機嫌そうな声で問われた。
その様子に少しばかり恐縮しながら、はその、と言葉を紡いだ。

「‥‥きょ、今日は‥‥駄目、なんです。」
「だめ‥‥って、そりゃ俺を焦らして楽しんでるつもりか?」

ひょいと柳眉が跳ね上がり、紫紺に獰猛な色が浮かぶ。

「悪いが、焦らされたら今日はどうなるか分かんねぇぞ。」

ひょいと大きな手がショーツの上から秘所を撫で上げて、脅しめいた事を言う。

「いいから、今日は黙って抱かれろ。」

色っぽい紫紺の瞳に一瞬、このまま流されてもいいかなぁとか思ってしまったのは確か。
でも、そうそうに下着を脱がそうとする不躾な手に、は「駄目」ともう一度強く言って、その手を両足で挟んだ。
むにゅ、と柔らかい太股に手を挟まれ、これはこれで‥‥激しく興奮した。

「‥‥
おまえ、俺に滅茶苦茶にされてえのか?」
半眼で睨まれてもは退くわけにはいかない。
「きょ、今日は駄目なんです!」
もう一度同じ事を繰り返すと彼は、だから、と呆れたような溜息を漏らした。
「なんでだよ?」
「‥‥察してくださいよ。」
恥ずかしそうに視線を落とされても、土方には分からない。
だから、なんだよ?
ともう一度訊ねると、彼女は消え入りそうな声で言った。

「私‥‥今日から‥‥アレになったんです。」

「‥‥‥アレ?」

アレって‥‥‥‥

「あ。」

彼女が嫌がる原因と「アレ」の言葉が繋がった。

その瞬間、男の口から間の抜けた声が上がり、嫌な沈黙が落ちる。

「‥‥‥‥」
「‥‥‥」

は視線を落としたまま、その彼女を土方は見つめたまま、ただただ重たい沈黙を続け、

「‥‥あー」

ぼふっと、土方がまるで糸が切れた操り人形のようにどさっと彼女の傍らに倒れ込んだ。
瞬間、きしっとベッドのスプリングが軋み、の身体もそれに釣られて揺れる。

「‥‥‥ひ、土方さん?」

そのまま突っ伏して動かない彼に、は恐る恐る声を掛けた。
返事はない。
その無言がなんだか彼を怒らせてしまったようで、その、と申し訳なさそうに眉を寄せた所で、くそっという悪態と共に黒髪が揺れた。

「楽しみにしてたんだがな‥‥」

顔を上げて心底悔しがる彼は、しかし、困ったように眉を寄せる彼女を見て、苦笑を漏らした。

「んな顔すんな。
おまえを責めてるわけじゃねえよ。」
仕方ないだろ?と言いながらくしゃっと頭を撫でられ、はごめんなさいと小さく謝る。
「怒ってねぇよ‥‥」
しゅんと落ち込んでしまう彼女にもう一度キスを贈って、ぎしっとスプリングを軋ませて上体を起こす。
「まあ、ただ‥‥ちょっと残念だとは思うけどな。」
戻ったら、
ああしてやろう、こうしてやろう‥‥といかがわしい事を想像していたというのは内緒にしておこう。
恥ずかしがり屋の彼女はそれを聞いたらきっと機嫌を損ねてしまうだろうから。

「さて、そんじゃ、シチューを戴くとするか。」
ベッドに寝転がったままのの手を引いて起こしてやり、暗い顔を続ける恋人に優しい笑みを向けた。

「おまえの料理は絶品だからな。」

楽しみだと声を明るくして言う彼に、はどうしようもなく申し訳ない気分でいっぱいだった。



時計の針が22時を指した頃、そろそろ、と彼は立ち上がった。

「え?帰るの?」
「ああ。」

上着をハンガーから外しながら、彼はこくっと頷く。

「あまり長居するわけにもいかねえだろ?」
「でも、明日、休みだし‥‥」
ぱたぱたと玄関へと向かうその背中を追いかけながらは言う。
「泊まってってくれればいいのに。」
その言葉に、土方は瞠目し、喉をひくっと震わせた。
恐らく、背中を向けている彼女にはその時の彼の葛藤など分からない。
抱かないと決めておきながら、その言葉で、揺れた。
我ながら本能に忠実で‥‥笑える。

「‥‥馬鹿、そう言うことを軽々しく言うな。」
振り返り苦笑でこつんとその頭を叩く。
叩かれたはどうしてと言いたげだ。
「男を軽々しく泊めてやるな。」
「‥‥逆は、いいんですか?」
「ああ。」
しれっと答える彼にはなんでさと心底分からないという風に顔を顰めた。
今までが土方の部屋に泊まりに来たことは何度もあるが‥‥最初の一度を抜かせば、彼女の部屋で寝起きをした事は一度としてなかった。
いくら恋人同士と言えども、年下の彼女の部屋で泊まるというのは気が引けるのである。
同じ事だと思うのだが、男は違うらしい。

「‥‥私、今まで総司とか一とか泊めたりしたんだけど‥‥」
それも駄目なんですか?と訊ねると、年上の恋人は不機嫌そうな顔で当たり前だろうがと答えた。
「二度と泊めるな。」
「‥‥なんで。」
「万が一があったら困る。」
「万が一って‥‥友達なのに。」
「友達でも駄目だ。」
土方は言い、背中を向けた。

「おまえ、男の理性の脆さ馬鹿にすんなよ。」
「それ‥‥自慢になってない。」

のツッコミに確かに、と土方は唸る。
気がつくともう玄関口だ。
土方は名残惜しいなと思いながら、靴に爪先を突っ込んだ。

「シチューご馳走さん。
美味かった。」
「うん‥‥」
「また、食わせてくれ。」
「‥‥いつでも‥‥」

へら、と笑った彼女は少し寂しそうだった。
そんな顔するな、と伸びた長い指が目元を擽るように撫でる。

「また、月曜日に会える。」
「‥‥うん。」

分かってる、とは言った。
だけど、
たった二日会えないのも寂しい。
一月も、離れたままだったから。

「‥‥じゃあ、な。」

困ったように男は笑い、その手がするりと離れていく。
ドアノブに手が掛けられ、そして、

「――!!」

がちゃんと、
僅かに開いただけで扉が閉まった。

外に出たのは、
室内の空気だけ。

「‥‥。」

出迎えた時と同じように、
いや、あの時よりも強く、
が抱きついてくる。
逞しい胸元に顔を埋め、ぎゅっと、背中にしっかり手を回して、まるで離さないとでも言うみたいに。

「‥‥やっぱり、泊まってって‥‥」

甘えるように顔をすり寄せる彼女に男は駄目だと掠れた声で言った。
そうすると更に拘束はきつくなり、ぎくりと強ばる身体に柔らかい胸が触れた。
ああくそ、そういう使い方は卑怯だ‥‥と土方は内心で呟いた。
それを自覚してしまったら、身体が勝手に反応してしまうじゃないか。

「だから‥‥男の理性の脆さ馬鹿にすんなって‥‥」
「わかってる‥‥」
身体を密着させれば彼の下半身の状態がどうなっているのか、なんてよく分かってる。
熱くて固いのが、布越しに触れてるんだから。
「‥‥俺、こんな状態じゃ帰れねえぞ。」
確かにそんな状態で帰られても困る。

躊躇うような手が背中を抱いた。
抱きしめてと求めるみたいに擦り寄ると、頭上でひくっと喉が震える音が聞こえた。
そして、次に長い、溜息と共に、声が降ってくる。

「なあ、風呂場なら‥‥いいだろ?」

問いかけに驚いて視線を上げると、さっき見せたそれよりも、ずっと濡れて切なそうな紫紺が自分を見下ろしていた。

彼は言った。

「どうしても、おまえが欲しい。」

教師の顔も、大人の顔も、そこには、ない。


 聞き分けの悪い子供



  リクエスト『パラレルで甘々』

  奇しくも甘さがテーマのものが続きました!!
  そしてこちらが長くなったのはリベンジのつもり
  でした。
  つもりが長さだけで甘さはそうでもないとかいう
  そこはスルーでお願いします。
  以前「アレ」でお預けくっちゃった話を書いたの
  で、今回はそこをどうしてもと頼み込む土方さん
  を書いてみたくなって‥‥こんな事に(大惨事)
  私が書くと土方先生はただのエロオヤジになって
  しまうorz

  そんな感じで書かせていただきました♪
  リクエストありがとうございました!

  2011.3.5 三剣 蛍