市中にて、不逞浪士数十名を、沖田の両名が殲滅させた事態が起きた‥‥というのは、彼らの記憶に新しい。
あの二人が揃うとろくな事が起きない。
という事で二人は暫く別行動を命じられ、行動を慎むようにと副長・総長からいやという程言い聞かされる事となった。
それは別に構わないとは思うのだけど、
「なんで、監視が」
麗らかな昼下がり。
気分転換という名目で買い出しを頼まれたははぁ、と深い溜息を零してみせる。
ちょっとそこまでという距離であっても彼女らには監視役として一人、幹部隊士が共に付く事になっていて、今日の彼女
の監視役というのが、
「それは、あんたたちが面倒事を起こしてばかりだからだろう」
真面目が着物を着て歩いている‥‥と称される程、生真面目な堅物男。斎藤 一である。
今日も今日とて、素敵に無表情だ。
おまけに息抜きなのにどうにも緊張した空気を纏う彼に、こちらまでぴりぴりしてしまう。
「一‥‥息抜きだって言ってんだろ?」
「無論、承知している」
「だったらもっとこう、楽しそうに‥‥」
「しかし、息抜きとは羽目を外す事ではあるまい」
至極真面目な顔をして言い切られ、別に怠けたいわけではないけれどこれでは息抜きにはなりそうにないなとは溜息
を漏らしながら通りの先へと視線を向けた。
ここ数日は不逞浪士の動きが激しかったが、今は落ち着いているらしい。
癖のあるあの京独特な喋り方さえ、どこか長閑に感じて‥‥和む。
使いを終えたら少し遠回りしていこう。
もうじき桜も咲く頃だろうから、いつもの穴場の廃寺にでも顔を出して、
――ちりり、
と感じる和やかな空気に、無粋な殺気。
隣を行く斎藤ではない。
もっと遠く、別の場所から感じるそれを即座に追いかければ視界の隅でちらりと人影が消えるのを見た。
「一」
「行くぞ」
言うが早いか、同時に二人は駆け出し、怪しげな人影を追いかけた。
三条大橋から少し行った所、大通りからは外れた朽ちかけた邸の裏手で男は足を止めた。
悟られぬように少し離れて止まり、は物陰から男の様子を見る。
男はこちらにはまるっきり気付いていないようで、立ち止まり、おい、と小声で誰かに声を掛けた。
すると朽ちた板塀の向こうからひょこりと男が顔を出す。
男の仲間なのだろう。
厳つい顔つきの男はよく戻ったなと労いの言葉をかけながら、裏より男を招き入れる。
その男の声につられて、ぞろぞろと足音が出てくるのが聞こえた。音から察するに、敵の数は十数‥‥という所だろうか。
聞こえてくる野太い声で彼らが話しているのは当然‥‥物騒な話だ。
どうやら、新選組の屯所を襲う、という企てをしているらしい。
皆が寝静まった頃に火をつけ、夜襲を仕掛けるつもりのようだ。
勿論、そんな事をさせるつもりはない。
十数人ならば、仕留めるのも造作もない事。
そっと、は腰に佩いた久遠の鯉口を微かに切ってみる。いつぞや沖田に糊をつけられて抜けなかった事を思い出した
から‥‥という事でもないが、軽く指で押し上げれば鈍色の刃が微かに現れた。
瞬間、斎藤が険しい表情をしてみせるのは「無用な争いをするべからず」という土方の言葉を思い出したからだろう。
「でも、あいつら屯所に火を掛けるつもりだぞ」
「それは聞いた。だからこそ、あんたは出るな」
「出るなって‥‥まさか、おまえ一人でやっちゃうつもり?」
それは無茶ではないが、危険である。
確かに敵はつけられている事にも気付かない雑魚で、斎藤は無敵の剣と呼ばれる一流の剣士だがそれでも相手は数で勝る。
それに、新選組では決して一人で戦わないという決まりのようなものだってあるのに。
「だが、あんたに手加減は出来ぬだろう」
「‥‥そりゃ‥‥」
とは唸る。
彼女が斬るのは、確実に人を殺す為、だ。
殺さずという事も出来ない事もないけれど‥‥多分、いや、確実に一人二人は殺してしまうだろう。
「ならば、下がっていろ」
「‥‥でも」
じゃりと一歩を踏み出す斎藤にはなおも食い下がる。
彼の腕を信じないのではないけれど、それでもやはり心配なのは心配なもので‥‥
そんな二人のやりとりになど気付かず、邸の中から男の苛立ったような声が聞こえてきた。
「それにしても忌々しい連中だ! 新選組という連中は!」
「ああ、全くだ」
同意を示す男が鼻息荒く言う。
「近藤か言う男は百姓の分際で武士気取りというではないか」
「戦いもなっていないし、あれではただ刀を振り回しているにすぎん」
明らかに馬鹿にしたような言葉にの瞳がすいと細められる。
ゆらりと冷たく空気が張り詰めていくのを感じ、斎藤はもう一度「出るな」と示すように手で彼女の肩を押す。
以前の二の舞となっては困るのだ。
分かっている、分かってはいるけれど、近藤を馬鹿にされて黙ってはいられない。
確かに彼は武士の生まれではないが今では立派な武士だ。誰がなんと言おうと。
斎藤はそう訴えるの瞳に一つ確かに頷く。
分かっている。少なくとも、彼は近藤を立派な武士だと分かっている。
分からない愚か者どもには好きに言わせておけばいいのだ。
しかし、
「近藤という男もだが、あれの下についている土方という男はもっと酷いぞ!」
「ああ、あれはただの優男だ! 顔が良いのだけが取り柄のな」
男達の声が近藤を貶した時以上に高まっていく。
きっと女を取られたのだろう。それは決して彼の責任ではないと言うのに。
「あの男、副長という事らしいが、きっと見せ物として誂えたのだろうな。綺麗な男の方が映える」
「ああ、確か女のように綺麗な顔をしていたか?」
あの美貌ならば女でも男でもさぞ喜ぶだろうな‥‥などという下卑た言葉に、は目眩がしそうだった。
そんな事をその男の前で言ってみろ。
綺麗な顔をした彼が、何故副長などという立場にいるかということを、嫌でも分かる事になるだろう。
彼の仲間がいる事になど気付かず、男達は聞くに耐えない勝手な悪口を口から垂れ流している。
土方を散々扱き下ろしたかと思えば、次は一人一人幹部隊士の悪口を並べていき、最後に行き着いたのは、
「奴らは武士などではない。武士気取りの田舎者だ」
という結論で、
男が最後まで言って、どっと笑いが起きた次の瞬間、
――ざん――
「ぎゃあああ!!」
悲鳴が一つ、空に上がり、
落ちる。
ばたりと倒れ込めばその後ろからゆらりと立ち上がったのは黒い影。
「き、貴様は、新選組三番組組長、斎藤はじ‥‥がっ!」
その横から飛び出した小さな影に男は皆まで言葉を紡げず、喉仏を押し込む形で喉を貫かれて絶命する。
は死した男になど目もくれず、新たな敵へと視線を向けつつ、ねえ、と長閑に声を掛けた。
「やっぱり殺すな‥‥って言う?」
自分が先に殺したくせに、そんな無茶を言うだろうかと意地悪く言えば、斎藤はすいと口元を歪めて、一言だけ告げた。
「手加減は、無用だ」
「‥‥そう言うと思ったよ」
にやりと楽しげに笑う獣と、静かに佇む獣。
血に飢えた二匹の獣を前に、浪士はあっという間に殲滅させられたというのは言うまでもない。
「斎藤!!」
「面目ありません!」
怒声を受けて、斎藤はがばりと頭を下げた。
彼女に人を斬らせるなという言いつけを守れなかったどころか、彼女よりも自分が率先して斬りまくったのでは彼に顔向
けも出来ない。
いくら馬鹿にされて腹を立てたからと言っても、やりすぎだ。自分でも分かっている。だから言い訳はしない。
そんな彼に追い打ちをかけるように「あーあ」と沖田が責め立てるように声を上げた。
「人には散々文句言っておいて、自分が熱くなって斬っちゃうんだもんね。狡いなー」
「狡い狡くないの問題じゃねえだろ。総司いいから黙ってろよ」
原田に窘められ、沖田はでも、と不満げに口を尖らせる。
そんな彼以上に不満げな顔をしているのはだ。
自分が何故怒られなければならないのかといった面もちで、怒り狂った彼を睨み付けている。彼女にしては珍しい。
「、てめえ自分が叱られてるってのに良い度胸だな」
そしてそんな反応をされればこの男の怒りが更に増すのも当然の事。
とて言いつけを守らなかった事に関しては悪いと思っている。そこは素直に謝ろう。
だが、到底彼女には納得できない理由があるのだ。
彼に叱りつけられるのが我慢ならない理由。
「私は悪くない」
ひきっと土方の口元が盛大に引き攣り、拳がぎゅっと握りしめられる。
それは振り上げられ、瞬く間に分からず屋の脳天に落とされる事だろう。
しかし、は怯まず、真っ直ぐに彼を見据えて言い放った。
「あいつらは私が誰より尊敬する人の事を貶したんです」
何より尊敬し、何より気高いと思った彼者を彼らは貶めた。
何も知りもしない癖に、汚い言葉で汚したのだ。
到底許せるわけもなく、我慢も出来るはずもない。
もし、助勤失格というのならばは甘んじてその責を受けよう。
だけど、誰がなんと言おうと、彼を武士として認めない事は許さない。
彼は武士だ。
誰よりも立派で勇猛な武士だ。
だから、は許せない。
それがの本心なのか、はたまたやり過ごす為の嘘なのか。
それは土方には分からない。
ただ、振り上げた拳を振り落とす事は出来ずただ呆気に取られたような顔をするばかりで、
その間抜けな面は見物だったと後々他の皆に沖田が言いふらしたそうな。
獣ふたり 其の弐
今度は一君と一緒に大暴れ☆
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