黒のフレームがいつもよりも更に、神経質そうな印象を際立たせる。
  私はええとと首を捻った。

  「‥‥どうした?」

  視線を上げられ、ぶつかるのは薄い、レンズ越しのそれ。
  いつもと違う彼の様子に戸惑いながら、私は口を開いた。

  「ろ、老眼鏡?」

  戸惑うあまりに零れた言葉に、眼鏡を掛けた男は嫌そうに顔を歪めた。





  いつものように資料室にやってきた私が違和感のあまりに眉間に皺を寄せたのは言うまでもない。
  じーっとそれこそ穴が空くまで見てしまったのも仕方のない事。
  そんでもって、
  「老眼鏡?」
  なんてふざけた事を言ってしまったのも‥‥まあ仕方ない事だと思うんだ。

  だってさ。
  いつものように来たのに、
  そこにいたのはいつものその人じゃなかったんだもん。

  「おまえ、俺の事をいくつだと思ってんだ?」

  案の定、そんな事を言われた彼は顔を顰め、不機嫌そうに呟く。

  「二十八。」

  土方歳三、二十八。

  そんな事は分かってる。
  分かってるけど、

  「でも二十代でも老眼鏡を掛ける人はいるかと。」
  「いるかボケ。」

  土方さんは取り合うのも馬鹿馬鹿しいと言いたげに、視線を背けてしまう。
  いやだってさぁ。

  「眼鏡なんて掛けてるから‥‥つい。」

  いつもは掛けてない黒のフレームの眼鏡に、私はつい戸惑ってしまったのだと言うと、彼はひょいとそのフレームを押し
  上げて仕方ないだろうと言った。

  「目の調子が悪いんだ。」
  「‥‥コンタクトだったんだ?」
  「おいこら、それさえ知らなかったのか?」
  「‥‥ええと‥‥」

  ごめんなさい。
  知りませんでした。

  私は心の中で謝ると、土方さんはもういいよと何だか拗ねたような顔で言って、そっぽを向いてしまった。

  でもさ、コンタクトかそうじゃないか‥‥なんてそんなマジマジ目を見つめないわけで‥‥
  あ、いや嘘。
  見つめる事は多かった。

  キスの前、最中、その後も、見つめ合う事は多い。
  それもすごい至近距離。
  でも、気付かなかった私って‥‥相当。

  あれだ。
  きっとそれどころじゃないんだ。
  そういうことにしといて。

  「おまえには俺がコンタクトだろうがなんだろうが関係ねえってこったな‥‥」

  本気でむくれた声が上がり、私はそんなことはと呟いた。
  時々無性に子供っぽいところがあるんだから‥‥

  でも、
  言われてみれば、コンタクトの事にしても何にしても、
  私はあまり彼の事を知らない。
  あまりっていうか‥‥そういえば私、彼の趣味さえ知らないんじゃないか?
  それって彼女としてどうよ。

  「‥‥」

  背中を向けてしまった彼に、私はそっと近付く。
  それから、ぺとっと背中にくっつくと、あのーと声を掛けた。

  「土方さんの趣味ってなに?」
  「‥‥今更かよ。」

  はあと彼は溜息を吐く。

  「おまえ、俺の事本当は好きじゃねえだろ?」

  それから疑いの眼差しでこっちを見てそんな事を言った。

  「や、ひどい!私の気持ちを疑うんですか!?」
  「じゃあなんで彼氏の趣味も知らねえんだよ。」
  「だ、だって土方さんが言ってくれなかった。」
  「普通はそっちが聞いてくる事だろ‥‥」

  わざわざこちらから言うものじゃないと彼は吐き捨てる。
  まずい、更に不機嫌になった。

  「お、怒んないでくださいよ。
  今から親睦深めていけばいいんだし!」
  「‥‥」
  今更と言いたげな瞳を向けられた。
  いや、確かに今更だけどさ。

  キスもその先もしてるのに、彼が目が悪かったとか、趣味とか、根本的な事を知らないなんて‥‥

  「おまえ、俺の事知りたいとか思った事ないだろ?」
  「いやいやいやいや、知りたいし!!
  ずっと知りたかったと思ってたし!」
  「嘘吐け。」

  土方さんはひょいと私の手から逃れるように立ち上がる。
  本棚の所まで行ってしまうとそこで資料を漁り始めた。
  眼鏡を掛けているいつもと違う横顔は‥‥ああ、ほんとに怒ってる。

  私は、はうと溜息を零した。

  確かに彼の言うとおり。
  好きな人ならば知りたいと思う‥‥よな。
  その人の好きな物を、好きな事を知りたいと思う、よな。
  それを、彼が煩わしいだろうから聞かなかった‥‥っていうのも、言葉にしなければ、
  『自分には興味がないんじゃないか』
  彼が思った通り、そういう事になる。

  「‥‥」

  私はそっと立ち上がった。
  それから土方さんの傍に立って、ちょいちょいと服の裾を掴んで引っ張る。

  こっちを見て。

  って言うみたいに。

  「‥‥」

  そうしたら、土方さんの怒っていたその表情が少しだけ和らいだ。
  ただ、こっちはまだ見てくれない。

  「ごめんなさい」

  謝ると、今度は眉間の皺が濃くなった。

  「謝るような事をした自覚はあるのか?」
  「あい」

  こくりと一つ頷く。
  そうするとふっと溜息が彼の口から零れた。
  でもまだ、視線は前。

  「私の勝手な思い違い‥‥」

  だから気持ちを素直に言葉にしてみる。
  あまり得意じゃないんだけどね。

  「いちいち聞いたら、煩わしいと思われるかも知れないって‥‥」

  そう言うと、彼はくしゃっと顔を歪めた。

  「ンなこと、誰が思うかよ‥‥」
  「分かってます。土方さんは優しいから。」

  そんな事思わないって。
  でも、煩わしい女にはなりたくない。
  せめて自分が子供な分、彼とは対等にはなれない分。
  彼に嫌がられる事は避けたい。

  「‥‥」

  そう告げれば彼は困ったような顔になった。
  棚に収まっていた資料を撫でていた指が、するりと力無く落ちた。

  「それに、ですね。」

  ちょっとコレは恥ずかしすぎると思いながら視線を落とす。

  「私が好きなのは、目の前にいるあなた自身なので‥‥」
  「‥‥」
  「目の前に土方さんがいてくれれば他にもう必要ないかなぁと‥‥」

  そう思ったり、しちゃったりなんだりして‥‥
  とあまりの自分の発言の恥ずかしさを茶化そうとした。
  すると、

  すと、伸びてきた指が顎を押し上げた。
  導かれるままに視線を上げれば、漸くこちらを見てくれる彼の瞳とぶつかる。
  やっぱり、レンズ越しのそれ。

  「んな事言われたら怒れねえよな‥‥」

  仕方ないなぁって顔をしている彼は、でも、瞳に甘さを滲ませていた。
  レンズ越しの世界はちょっとだけ、遠く感じる。

  「‥‥土方さんって、眼鏡も似合いますね。」
  機嫌が直った彼にそう言って笑うと、彼はそうかと首を捻った。
  「老眼鏡みたいに見えるんじゃねえの?」
  「それは照れ隠し‥‥格好いいですよ。」
  「惚れ直したか?」
  にやりとその向こうで笑う彼に、私はくすくすと笑いながら答えた。

  「そりゃもう、嫌ってくらいに‥‥」

  私の言葉に彼は楽しげに笑って、
  静かに私を引き寄せた。



  「土方さん、老眼鏡ってのは撤回しますけど‥‥」
  「うん?なんだ?」
  「土方さんって眼鏡掛けてると」
  「掛けてると?」
  「すごくエロク見えます。」
  「否定はしないな――」
  「してくださいよ!!」





  土方さんは眼鏡(もしくはコンタクトだといい)
  と思って書いた作品(笑)
  すっげーエロく見えますよね、ね?