ばたばたばたばたばた。
慌ただしい足音が聞こえる。
なんだ不逞浪士かと非番ではあったが原田は些か瞳に殺気を込めて振り返れば、
走ってくるのは一人の女。
しかも、どういう事か見知った人間で、
「っ!?」
新選組では副長助勤を勤める彼女の姿。
常は男の姿で行動をしているが、今は何故だか娘の姿だ。
綺麗に化粧までしている所を見ると、あれだろう、多分どこぞに情報を探りに行っていた所なのだろう。
「さ、左之さん!」
彼女はばたばたとこちらへと駆けてくるが、ぶつ、と運悪く鼻緒が切れてつんのめる。
慌てて手を伸ばして彼女を支えると、常とは違う甘い女の香りがした。
「ちょっと‥‥助けて‥‥」
驚くことに彼女がそう告げる。
助勤としてこれまで数々の任務をこなしてきた彼女ではあるが、いかな危険な任務につこうとも誰かに助力を乞うこと
などなかった。
自ら助けて、など。
これは一大事かと原田は何事だと訊ねた。
「じ、実は‥‥」
「待ってくださいっ!!」
口を開く彼女の後ろから、大きな声が聞こえてきた。
聞こえた男の声にぎくりとは肩を震わせる。
見れば通りの向こう、砂埃を上げて駆けてくる男の姿がある。
こちらは見知らぬ顔だ。
小柄ではあるが、身なりはいい。
名のある家の人間という所か。
「待ってください!」
男はばたばたと迷わずこちらへと駆けてくると、肩で大きく息をした。
ぜえはあと荒い息を落ち着かせるように何度か呼吸を繰り返すと、すっと顔を上げる。
「私と、夫婦になってください!!」
「め、夫婦ぉ!?」
突然の求婚の言葉に、原田は驚きに声を大きくするしかない。
「ど、どういうことだ!?」
「そ、それが‥‥今日、扇屋の帰りにちょっとぶつかっちゃって‥‥」
はこそこそと彼に説明をする。
出会い頭にぶつかり、その瞬間男は恋に落ち、唐突に求婚を申し込んできたのだと彼女は言った。
「無理だって何度言っても聞かないんですよ。」
人の話を全く聞かず、名前や住んでいる所を聞いてきて、挙げ句逃げ出したらついてきたのだという。
はほとほと困り切った顔だった。
大抵、助平爺共を相手にする時はさらりと笑みでかわせば事が収まる。
年を取った分だけがっつく事もなく、また下手をして嫌われでもしたらと思うのか、彼らはすんなりと引いて、それな
らばとあの手この手と様々な手を打って攻めてくる。
しかし、若いのはどうにもいけない。
直情的だ。
が逃げなければ、手を取って引きずってでも邸に招かれたかもしれない。
もしくはあれだ、連れ込み宿にでも連れ込まれたかもしれないだろう。
しかもあれだ、この手の人間はその場限りで流しても諦めない質だろう。
こうなんか決定的な事がなければ。
それが若さというものだ。
「‥‥その人は?」
漸く原田に気付いたらしい男が怪訝そうな声で問うた。
その視線には明らかな敵意が込められている。
問われてはそうだと思いついたように口を開いた。
「私の‥‥恋人です。」
「な!?」
「恋人ぉ!?」
驚きに声を上げたのは男だけではなかった。
嘘を吐くのが大の苦手という原田は、思わず声に出していまい、男から怪訝な眼差しを向けられる。
ああもう、とは唇を噛んだ。
これが土方や斎藤ならば機転を利かせて合わせてくれるのに、この男ではそれもいかない。
人選を間違えたか‥‥しかしもうこの人以外に助けてくれる人はいない。
「お、おい。」
もごもごと原田が何かを言いたそうにしている。
それならば、
は唇を噛みしめ、きっと視線を上げた。
「後で苦情なら受け付けます!」
そう小声で言うと、ぐっと原田の頬を掴んで力一杯引き寄せた。
ぐきりと首の筋だか骨だかが鳴った気がして、原田は一度いてと小さく呻くが、その言葉は見事に、
「っ」
紅を差した赤い唇に吸い込まれた。
「っな!!」
驚きの声が、男から上がった。
驚くほど近い場所で見た彼女の顔は、
やっぱり綺麗なのだと、
原田は改めて思った。
「‥‥行ったか。」
ふぅ、とは汗を拭うように額を手の甲で拭う。
なんだか、今回の任務よりも大変だった気がする。
ある意味‥‥あの男は大物だ。
はとぼとぼと肩を落とし、小さくなる背中を見つめてそんなことを思った。
「‥‥いやぁ、一時はどうなることかと。」
ため息を漏らすの隣で、原田は苦い顔をした。
「あのなぁ。」
物言いたげな彼の視線に、はなに?と小首を捻ってみせる。
いや、確かに。
自分が上手く彼女の嘘に乗ってやれなかったのが原因だ。
もう少し上手く誤魔化してやれればと思うが、
だからって、
「普通‥‥するか‥‥」
接吻なんて。
まだ、唇には柔らかな感触が残っている気がする。
柔らかくて、甘い、彼女の唇の感触。
それが一瞬だったのか、それとも長い間だったのか分からない。
男に求婚を諦めさせるほどの打撃を与えたそれは、しかし、原田にも衝撃的すぎた。
確かに色町に行けば、見ず知らずの女達は何人もの男と口づけるものだ。
もしかしたら、口づけごとき大した問題ではないのかもしれない。
でもだけど‥‥
「女ならもっと‥‥」
恥じらってくれ。
普段はそんなこと思わないくせに。
やけに柔らかな唇の感触が、彼女の女を彼に思い知らせて、
「‥‥っ」
彼は赤い顔を隠すように、大きな手で顔を覆うのだった。
意識
左之さんは昔からお兄ちゃんって感じで接してた
んですが、ちょいと意識の瞬間なんぞを書きたく
て‥‥書いてみた(笑)
|