ぴちゃん。
  ぽちゃん。

  空に上がる白い湯気が天井で溜まりに溜まって、滴となり落ちてくる。
  それは不思議と冷たく、暖かいお湯から上がったのにどうしてそれは冷たいんだろうと、暢気なことを風呂の中でのんび
  りと浸かりながらは思った。

  久方ぶりにゆっくりと風呂に入った。

  ここ数日、忙しくてろくに屯所にも帰れず、帰ったら帰ったで仕事に追われて走り回って、
  血を浴びて全身血だらけになり、無理矢理鬼の形相の副長に「風呂で流してこい」と怒鳴られなければ今日も風呂に入れ
  なかったんじゃないか‥‥ってくらいに忙しかった。
  ざっと五日ぶりの風呂。
  五日ぶりの休息、だ。

 「ふぁあ‥‥」

  普段は烏の行水という風に身体さえ清められればそれでいいといったであるが、今日ばかりはゆっくりと身体を休め
  たい。
  土方の計らいによって深夜だというのに張られた湯に、ただの一人で浸かりながら、はしばし目を閉じてのんびりと
  流れる時間を満喫することにした。

  目を閉じ、縁に背を預けて深く沈む。

  眠ってしまいたいほど気持ちがいい。
  恐らく、自分は思った以上に疲れているんだろう。
  風呂で眠るなんて、そんな危ないことをしてしまう‥‥なんて。
  勿論、土左衛門になるような無様な事にはならなかったが、その代わり、

  から、

  「‥‥ん?」

  心地よいと感じていた暖かな空気が、突如乱入してきた冷たいそれによって追いやられる。
  は不満げに目を開け、くるりと首だけを振り返った。
  戸が開いていたのだ。
  そこから冷たい風が吹き込んでくるのだ。

  「なんなのさー」

  折角いい気持ちだったのに。
  はぶつくさと言いながらざばっと湯から身体を上げ、風呂から出た。

  あれ?そういえば‥‥

  ぺたぺたとは簀の子の上を裸足で歩きながら首を捻る。

  風呂場の戸って、こんなに簡単に空いたっけ?

  何かの拍子で勝手に空いてしまうほど甘かっただろうかとそんな事を今さらのように考えた彼女は、疲れていたのだろう。
  いや、ものすごく疲れていた。
  だから、その戸の向こうの部屋にある、気配に気付かなかったのだ。

  から、

  と再び戸が動いた。
  かと思えば、ぬっと大きな影がその戸の向こうから飛び出して、

  「え‥‥‥」
  「‥‥あ‥‥」

  互いの口から小さな声が上がった。

  琥珀に映り込んだのは、赤い髪の長身の男だ。
  がっしりとした引き締まった体躯が思わず、の目に飛び込んできた。

  彼が原田左之助だという事に気付くのに少し時間が掛かったのは、やっぱり彼女が疲れていた証拠、で。

  「‥‥‥‥‥おお‥‥」

  その彼の口から感心、いや、感嘆?
  驚きと言うよりも喜びの方が勝っている声が上がる。
  何事かと思わずは彼を見ればどうやら視線が咬み合っておらず、目を見開いて凝視‥‥というのに相応しいその視線
  の先を追えば、たどり着くのは自分の‥‥

  「‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥‥」

  は己の身体を見下ろし、
  たっぷり、
  一呼吸、

  そして、頭の中がきちんと整理されるよりも前に、


  
「ぎゃぁああああああ――ふぐっ!?」


  それはないだろうという女の声が、静かな夜を劈き、語尾は変な音となって変わった。
  原田が、その大きな手で彼女の口を押さえたからだ。

  彼は慌てた様子で、何故か小声で言った。
  「しーっ!!大声上げるんじゃねえよ!」
  事情を知らない隊士にでも見つかれば大事だ‥‥と彼は言うが、が女である事が露見するよりもなによりも、裸の男
  が裸の女を羽交い締めにして口を塞いでいる‥‥という事の方が問題では無かろうか。
  その構図は誰がどう見ても、原田がを襲っているようにしか見えない。

  しかし、そんな事実よりもを混乱させるのは、

  ぴと、と太股にくっついた何か、である。

  それは筋肉質な男の身体の一部とは思えないほど柔らかく‥‥そんなに柔らかい身体の一部なんてあっただろうかと一瞬
  考えて、は思いっきり後悔した。
  悲鳴を上げる前にばっちり見てしまった、男の下半身を思い出したのだ。

  思わず、身体が硬直した。
  ついでに口からもう一度、

  「ぎゃっ」

  という声が漏れてしまった。
  すかさず、原田に押さえられ、ついでに身体を抱き込まれては更に強く押し当てられたその柔らかい物に心の中で、
  ひいいと情けない声を上げるしかない。

  「ささささ、左之さんいいから離してぇっ!」
  「ば、ばか暴れるな!!」
  「ぎゃぁ!当たってる!!当たってるーー!!」
  「はぁ?何が当たってるってんだよ!ってか、いてぇ、引っ掻くな!」
  「いーやー!!左之さんお願いやめてやめてやめてぇえええ!!」

  は半泣きで頼むから離れてくれと懇願した。

  こんなことで動揺しないという自信はあったが、いかんせん色々と唐突すぎる。
  つか、あんなでかいの見たことないよ!とか動揺するがあまり変な事を考えていたその時だった。

  ばたばたと複数の足音が、それこそ瞬間移動したかのように近くで聞こえ、

  ――がらら!!

  「どうした!?」
  「っ!?」
  「敵襲か!!」

  浴室に飛び込んできたのは、新選組幹部が五人。
  土方・沖田・斎藤・藤堂・永倉の姿である。

  「あ‥‥」

  飛び込んできた彼らはしかし、目の前に繰り広げられている光景に目を見開き、一瞬、言葉を無くし‥‥

  「左之さん、死ぬ覚悟は出来てるんだよね?」

  にこりと笑顔で抜刀する沖田を筆頭に、他の四人が殺気を漲らせて問答無用とばかりに飛びかかろうとした‥‥というの
  は、言うまでもないことだ。


  
風呂場でばったり



  その後左之さんがどうなったかは、謎!!