「小鈴、俺が持ってやる」
  「結構です。私一人で十分です」
  「何ムキになってるんだよ」
  「ムキになんてなってません!」
  「なってるだろ! ってああもう、いいから寄越せ」
  「あ! ちょっと、勝手に持っていかないでください! ちょっと、井吹さん!?」
  聞いてるんですかー? って言葉が尾を引きながら廊下へと消えていく。
  それを黙って、俺たちは見送り、足音が聞こえなくなったところで、
  「ねえ、左之」
  椅子をが引いた。かららと車輪が回転し、滑らかに後ろへとスライドする。
  がつん、と背凭れ同士が激突した。
  いつも言ってることだが、少しは力加減を覚えて欲しいもんだ‥‥と俺は内心で呟きながら手を止めて肩越しに振り返った。
  「あれ‥‥どう思う?」
  内緒話でもするようにが身を寄せると、肩が必然触れ合う。
  シャツ一枚越しにの体温。
  ちっとばかし、低い。
  「龍之介と、小鈴嬢ちゃんか?」
  あれってのは、それか? と訊ねるとは視線を廊下へと向けたままこくりと頷く。
  どう思うっていうのはきっと、
  「‥‥いい感じ、じゃねえの?」
  そういうことだろう。
  俺の言葉にはだよねぇ、と口元をにやりと吊り上げて笑った。
  悪戯っぽい笑み、だが、その目は優しい。
  龍之介をからかってやろうという気持ちと同時にあいつらを祝福してやろうって気持ちが伝わってくる。
  「少し前からいい感じだとは思ってたけど‥‥ゴールは近いかな?」
  「いやどうだろうなぁ。‥‥龍之介がああ、だし」
  「だよねぇ。まったく女心を微塵も理解できないとは情けない」
  「まあ、まだ慣れてねえんだし‥‥」
  「慣れてないにしても失礼すぎるでしょ」
  「同感。今頃喧嘩でもしてなきゃいいんだが‥‥」
  「まあ、それは龍之介次第、かな」
  「だな」
  俺たちは揃って苦笑を漏らし、そこで話題は途切れる。
  いつもならお互いに「じゃあ」とも言わずに離れて、仕事に戻った。
  でも、今日は何故か、が動かず、そのままじっと廊下へと視線を向けたままそうしていて‥‥
  「?」
  「‥‥いいなぁ‥‥」
  その唇からそんな言葉が漏れた。
  俺はなんのことか分からず、一瞬怪訝そうな顔になって、
  「なにが、いいんだ?」
  と訊ねる。
  はだって、と少し首を倒して、俺の頭に自分の頭を預けるようにして言った。
  「ああいう微笑ましいのって‥‥羨ましい」
  「‥‥‥‥それって、どういう意味だ?」
  思わず声が不機嫌になるのが止まらない。
  そんな俺に、は聞こえよがしに大きな声で言う。
  「どっかの誰かさんは龍之介みたく初々しくないしー?」
  「‥‥どっかの誰かさん‥‥ってもしかして俺か?」
  「だってそうでしょ? やたら手慣れてるみたいだし?」
  ちろ、とは流し目を向ける。
  それは咎めるような眼差しだった。
  「何しても何を言っても驚かないしからかっても無駄。まあ、色んな人とおつきあいしてりゃ、そりゃ慣れてても当然か
  と思いますけどそれじゃまったく面白くないし? たまには私だって相手をからかってやりたいって思うわけですよ。
  まあ土台今のままじゃ無理なんだけどね? 相手がどっかの誰かさんと付き合ってるままじゃ、一生」
  そこまで一息に言って、ところで、とは視線を廊下へと戻しながら爆弾発言。

  「龍之介って私と浮気してくれるかな?」


  がちゃん、と、椅子が転がる。
  俺たちも無様に床に尻餅をついて、落ちた。
  からからとキャスターがころころと余韻のように回って、暫くすると、止まる。
  「さ、のっ」
  やめてという苦しげな声が聞こえた。
  誰が止めてやるものかと唇を更に押しつけ、逃げようとする顔を押さえて、角度を変えて口づけを深める。
  文句も吐息も全て吸い込んだ。
  きつく吸い上げて噛みつくと、シャツ越しの身体が熱を持っていくのが分かる。
  抵抗は徐々に弱く。そして、いつの間にか縋り付くようなものになって、
  「ん、ん」
  と唾液を飲み込む音が微かに聞こえ始めた。降参の、合図。
  「‥‥誰が、誰と浮気するって?」
  微かに唇を離して覗き込む。
  琥珀はすっかり濡れて、色っぽく揺れている。
  ここが会社じゃなければ今すぐに‥‥ってくらい艶めかしいそれに、俺の喉が自然とぐるると鳴った。
  ――誰が余裕だって? 動じてねえって?
  こんだけこいつに溺れて、みっともなくしがみついて、足掻いてる俺のどこが?
  どこが手慣れてるってんだよ、なあ、言ってみろよ?

  「そういうところが慣れてるって言ってるんでしょうが!!」

  曰く。
  ――こういう状態でキスをする時点で女ったらし決定――らしい。

  「だからって、叩く事ぁねえだろうが‥‥」

  俺は一人残された寂しいオフィスで一人、呟いた。


  慣れキモチ




  左之さんは色々慣れていそうで、こういう風
  に失敗こくといいなぁという願望で書いてみ
  ました。
  こういう残念なのは土方さんが主なんですが
  (コラ)たまには左之さんも残念な感じにな
  ればいいんだよ。
  因みにこれ、本編(年齢差有り)ではありえ
  ないでしょうね。