その日、
初めては紅を差した。
彼らと共に生きることを決めてから、女として生きたいと思ったことは、一度も、ない。
年頃の若い娘達のように、綺麗な着物を着て、好きな男の事と一緒になって、ささやかな幸せを求めたいなどと思った
ことは、一度もない。
それでも自分が女のには変わりなく、また、女の身が役に立つという事を知っていた。
その日、初めて紅を差した。
だが、自分が好いた男のために着飾るのではない。
綺麗だと褒め称えられたいわけでも、誰かに喜んでもらいたいわけでもなかった。
「残念ね。」
折角綺麗なのに‥‥と呟いた沖田の姉みつに、は微笑を浮かべてみせただけだ。
「が女装?」
藤堂の素っ頓狂な声に沖田は苦笑した。
「女装‥‥って言っても、は元々女の子じゃない。」
その表現は間違ってるよ、と指摘され、藤堂は顔をくしゃと歪めた。
言われてみればその通りだ。
だが、生憎とを女だと思ったことはない。
彼女が女であることは勿論知っているし、事故とはいえ彼女の肌も見てしまった藤堂は、ちゃんと彼女を女だと知っていた。
しかし、女らしさの欠片もない女で、男よりも男らしい所があるの事を、女だと思った事はやっぱりない。
自分よりも背の高いことを差し引いても、ちょっと、認めたくない所が藤堂にはあった。
いや、彼の事はおいておこう。
「‥‥しかしなんだって今更女の格好を?」
と原田が首を捻ると、隣で斎藤が口を開いた。
「間者として潜り込むのに丁度いいからだろう。」
綺麗な女ほど危険なものはないが、綺麗な女に言い寄られるとつい口を滑らせてしまうのが男の性‥‥というものだ。
酒の席であればなお口の滑りも良くなる。
「とりあえず、呼ばれてるから俺は行ってくる。」
土方は腰をゆっくりと上げた。
先ほど用意が出来たから見に来て欲しい、とみつに呼ばれたのだ。
部屋を出ていこうとすると、
「僕も行きます。」
沖田が預けていた壁から背を離した。
にやりと楽しそうに笑って、
「がどれだけ化けるか、見てみたいし。」
と呟く。
それに他の男共が「俺も」と声を上げる。
喧しいったら、ない。
「あー、わかった。
わかったから喚くな。」
土方は煩そうに耳を塞ぎながら廊下を先に行く。
結局その場の全員が後ろをぞろぞろと続くことになった。
がやってきてから数年が経つが、その間に彼女が女物の着物を着たことなど一度も無かった。
いつも男物の着物を着て、それがひどく似合っていたので正直想像が出来ない。
似合う似合わないという問題もそうだが、彼女は着物を着て歩くことが出来るのだろうか?
「きっと、裾を踏んづけてすっころぶのが関の山だぜ。」
くくくと笑う永倉に、違いないと藤堂が答えるのを聞きながら、土方は襖を「開けるぞ」と言って、開けた。
開けるぞと言ってから、少し待つべきじゃと沖田はその背を見ながら思う。
す。
襖を開けた瞬間、
鮮やかな色が飛び込んできて、
「‥‥っ!?」
その光景に、一同が固まった。
目玉が落ちそうなくらいに目を見開いている藤堂。
まるで顎が外れたかのように口をあんぐり開けている永倉。
口元だけを引きつっただけの笑みを失敗させた原田。
斎藤は無表情ながらに珍しく目を見開いているし。
動じない沖田だって口をぽかんと開けている。
そして、先頭に立つ鬼の副長は、
眉間の皺を解いて、いつもはつり上がったそれを大きく開いていた。
おまけに口も開いていて‥‥少し、幼く見える。
なんて間抜けな顔を、とはそれを見て笑った。
その瞬間、
青い目元が細くなり、
赤い口元が引き上げられる。
艶めいたその微笑に、知らず、男達は息を飲んだ。
『綺麗』
という言葉さえ陳腐な感じがする。
まるで芸術品のようだと誰かが思った。
生きた作品だ。
美しい瑠璃紺の着物はその白さを際立たせる。
柔らかな飴色は常とは違うように、緩めに纏められていた。
目尻に僅かに入れた青は一層その瞳を際立たせ、赤の唇は言いしれぬ色香を醸し出す。
いつもの意地の悪い笑みも、その格好で浮かべられるとなんとも誘われている気分になってくる。
とは思えなかった。
あの女らしさの欠片もない女だとは思えない。
むしろここに立たされているのは別の人じゃないのだろうかと、誰かがぼんやりと思った。
「ちょいと、旦那達。
掛けてやる言葉があるでしょう?」
着飾った女を前にして無言になるなんて失礼だよ、とみつに言われ、彼らは漸く我に返った。
「本当に、か?」
我に返ったとはいえ、動揺は消えない。
最初に掛けられた言葉が本人かどうか確かめるというもので、みつは盛大な溜息を付き、は苦笑を漏らした。
「そうですよ。」
くすくす笑いながら漏れた声は、やはり彼女のものだ。
ああ、やはり本人、らしい。
「いや、ほんと、驚いた。」
一番に我に返ったのは沖田だった。
「これはまた、綺麗に化けたね。」
「総司、化けた‥‥とは失礼でしょうに。」
みつが窘めると彼は「褒めてるのに」と苦笑を浮かべて呟いた。
彼に次いで我に返ったのは斎藤と原田だ。
「や‥‥なんつーか‥‥」
無遠慮に上から下まで見て、
「綺麗‥‥だ。」
それ以外の言葉が思いつかず、
「あー、クソ、綺麗以外に言葉がうかばねえな‥‥」
「いや、だが‥‥」
原田が自分の頭の悪さを呪った瞬間、斎藤が隣に立って首を振った。
「それ以外の言葉は、俺も知らない。」
綺麗だ、と彼は僅かに目を細めて告げる。
綺麗綺麗、と三人から言われてはくすぐったくて仕方がない。
「お世辞でも嬉しいです。」
苦笑で答える彼女に、三人はお世辞じゃないと異口同音の言葉を口にした。
本当には綺麗だった。
元々顔立ちが綺麗なのだから着飾れば綺麗になるだろうことは知っていた。
だが、意外だったのは綺麗さと‥‥それよりも漂う女の色気だ。
確かまだ、13かそこらだと思うけれど‥‥どうだろう。
まるきり子供とは思えない大人びた印象を受ける。
化粧のせいなのだろうか、視線をすいと横に流すだけでなんとも悩ましげな表情に見えるし、悪戯っぽく口元を引き上げ
れば色っぽさとあどけなさが混ざり合ってなんとも男心を擽った。
「‥‥変な男が手を出さないといいんだけど。」
後れ毛のかかるほっそりとした白い項から甘い香りがしそうだ。
男はきっと、放っておかない。
「う、嘘だぁああ!?」
ここにきて漸く、藤堂が我に返った。
驚きのあまりに上がった大声に隣にいた永倉が大きな体に見合わずびくりと肩を震わせた。
それで彼も我に返る。
そしてこちらを見ると、見る見るうちに顔が真っ赤になっていった。
「あ、お、うあ」
と意味を成さない言葉を口にしながら、後ずさった。
ああそういえば、美人に弱いんだっけ?
などと冷静な三人組は彼を見て心の中で呟く。
永倉は女性を前にすると緊張して、言葉もまともに告げない人間だ。
これが色町のお姉さん達ならば別らしい。
しかも、相手が素人で、相当の美人となると彼の緊張は最高潮にまで達してしまったらしい。
顔を真っ赤にしたまま、何を思ったのか、
「逃げた」
脱兎の如く逃げ出した。
「情けないなぁ‥‥」
沖田が盛大な溜息を漏らした。
藤堂はといえば段々冷静になってきたのか、恐る恐るといった風に近付いてきた。
「本当に、本当に?」
何故かおっかなびっくりという風に問われはいつもの笑みを浮かべる。
「もしかして怖がってんの?
誰も取って食べたりなんかしないよ。」
「べ!別に怖がってねぇし!!」
からかわれて藤堂は背をしゃんと伸ばした。
僅かに顔を赤くしたまま、オレは別に‥‥と口の中でごにょごにょと言う。
反論しようとしたが勢いが無くなってしまったらしい。
「平助君、顔真っ赤。」
「うう、うるせー!」
今度は沖田にからかわれ、今度こそ藤堂は反論した。
「。」
呼ばれては振り返る。
「土方さん?」
いつの間に隣に来ていたのだろう、彼はこちらをじっと見下ろしていた。
相変わらず不機嫌そうな顔だ。
眉間の皺はいつもよりも、濃い。
彼は不機嫌そうな顔で唐突に、
「‥‥あ‥‥」
の顎を指先で押し上げた。
それはさながらもっと顔を見せろ、という風に。
「‥‥ふぅん‥‥」
土方は人の顔を睨め回すようにじっと見ている。
難しい顔のままで、は見つめられているのかそれとも睨まれているのか分からなくなった。
「えっと‥‥」
どうですか?
と訊ねたい心境ではあったが、聞いたら他の人間とは違って貶されそうで口を噤む。
じっくりと品定めするように彼女の顔を見つめて、
「悪くねぇ。」
男は唐突に言った。
「え?」
小さく声を上げる。
今聞こえた言葉は「悪くない」だっただろうか。
それは褒め言葉としてはどうだろう。
みつは眉根を寄せる。
その隣で沖田は意地悪い笑みを浮かべて、
「あれだけ長いこと見とれてたくせに良く言うよ。」
と小さく呟くが、それは土方の耳には届かない。
「悪くねぇ。」
もう一度土方は言って眉間の皺を解き、代わりににやりと挑発的な笑みを浮かべて、こう言った。
「俺好みの顔だ。」
素直に「綺麗」と認めればいいものを、と誰もが心の中で突っ込んだ。
華、開き
副長さりげなく口説く(笑)
初、の女装←
このときの年齢は14かそこらです。
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