今日。10月31日はハロウィンの日である。
 町にはジャックオーランタンがあちこちにディスプレイされ、ハロウィンらしい装飾を施され、クリスマスまでとはいかないがあちらこちらでイベントを開催して盛り上がりを見せていた。
 近藤が校長を務める薄桜学園でも全員強制参加(教師含む)で仮装パーティなるものが催されている。
 去年は大盛況だったらしいと言う事で、今年も開催されるイベントなのだが、彼の養女であるにはそれがどのように楽しかったのかは言葉だけでは分からない。でもきっと近藤が楽しそうに言うのだからそうなのだろう。少し羨ましいなと思っていると養父は笑いながら言った。
「良かったら遊びに来ると良い。きっと皆がお菓子をくれるぞ」
 部外者は立ち入り禁止。
 しかも、まだ若干10歳である彼女を馬鹿騒ぎする高校生の中に放り込むのは如何なものだろう。

 とにもかくにも、小さな魔女に扮装したは玩具のステッキ片手に西洋入り交じったお化けが溢れかえる学園へと足を踏み入れるのだった。


ハッピーハロウィン2012


 剣道部の部室を一人占拠している藤堂は、お菓子の山を見てうんうんと満足げに頷く。
 それは狼男に扮する彼が、此度のパーティで獲得した戦利品ではない。彼はパーティが始まってすぐにこの部室に引っ込んでしまったのだ。誰からもお菓子を貰っては居ない。つまりそれは彼が用意したお菓子ということ。
 そして別に用意したお菓子の量が多すぎて部室から出られないと言うわけでもないのだ。誰にも会わない用にする為にここに引っ込んだ。誰かに会ってこのお菓子を奪われては困るのだ。
 何故なら目の前にあるお菓子は、彼女が好きなものばかりだから。
 そう、藤堂は、彼女――の為に、このお菓子の数々を用意したのだ。
 近藤から彼女が遊びに来ると聞いたその日から、少しずつ買い集めて。
「こんだけありゃ、あいつも喜ぶだろ」
 頭の中でシミュレーションする度に、にやにやと笑いが込み上げてくる。
 さて、彼女は喜んでくれるだろうか?
 いや、喜んでくれるに決まっている。
 あまり笑ってはくれない彼女だが、これだけ好物を用意したらきっととびきりの笑顔を見せてくれるに違いないのだ。
「あいつ、早く来ねえかなぁ」
 そわそわと身体を揺らしながら時計を見上げた。
 パーティが始まって、もうすぐ1時間だ。


「おっせぇな……」
 最初の2時間こそはどうやって驚かしてやろうかとか色々と考えいたのだが、3時間、4時間、と経つ内に待っているのも飽きてきた。朝からずっとここにいるせいで小腹も空いてくる。いつもならばこの時間は購買でパンなんかを買って食べている頃だ。
 彼女がここに来た時に誰もいないのではまずい、ということで朝から気合いを入れて詰めていたのだが……近藤に時間を聞いておくべきだったかと今更のように思う。それとここに閉じこもる前に自分の分の食料を買い込んでおくべきだった。
 へのお菓子の事ばかりを考えていて、自分のお菓子も昼食も何も考えていなかった。
 部室を出たすぐに自販機があるので飲み物に困る事はなかったが、それにしても腹が減った。お菓子の山を見ていると尚更。
 ちょっとくらい食べてやろうか。
 そんな事がちらりと脳裏を過ぎる。が、すぐに慌ててぶんぶんと頭を振る。
 駄目だ。これはの為に用意したもの。彼女に喜んで貰うためのお菓子なのだ。自分が手を着けるわけにはいかない。
 でも、

 ぐぅうううう。

 腹の虫は何か寄越せと先程から喚いている。水分ばかりでは満足できないらしく、そろそろストライキでも起こしてしまいそうな勢いだ。
「は、腹減ったぁ」
 情けなく呟いても誰も慰めてくれないが、視線を山へと向ければ誘惑に駆られる。
 ああほんの少し。ほんの少しで良いから食べたい。
「……ちょっとくらい、いいかな?」
 あまりの空腹に気持ちが揺らいだ。
 きっとだってこの山は全て食えまい。もともと食が細い子なのだ。
 ちょっとくらい食べてもきっと大丈夫。
 これだけあるのだから。
 そう自分に言い訳をしながら、一つ、手にとって口に放り込む。
 甘いお菓子は空腹だった胃を心地よく満たしてくれる。
 人というのはとても欲が深い生き物である。
 ほんの少しでも癒せれば……という気持ちは、満たされる事によってさらなる欲へと変わっていくものなのだ。
「も、もう一つ」
 だって、こんなにたくさんあるのだから。
 藤堂は言ってもう一つ手に取った。が好きだと言っていた饅頭だ。
 確かに美味いが、腹が減っているお陰でいつもよりもずっと美味しく感じる。いつもよりも美味しければ食が進むのは当然の
事。
「もう一個だけ」
 もう一個だけ、あと一個だけ。
 これだけあるのだから大丈夫。
 そう自分に言い聞かせながら、その手は止まる事無く動き続け、そして徐々に満腹になっていくにつれて思考が鈍っていき、言い訳も出来なくなってきて、それから、それから――


「とりっくおあとりーと」
 がちゃりと扉を開けると共に、は持っていたステッキをつきだした。
 その一撃で狼男藤堂をやっつけるつもりだったのだ、が、
「……あれ?」
 予想していたノリの良いうぎゃあという声も無ければ、そもそも出迎えすらない。
 部屋を間違えただろうかと一度部室のプレートを確かめたが、ここは剣道部の部室で間違ってはいないようで、だが、藤堂は出てこない。
「平助?」
 いないのか、と声を掛けながらひょいと部屋の中を覗き込む。
 ずらりと立ち並ぶロッカーの向こうを覗けば、長椅子の上で手足を放り投げている誰かの姿を見付けた。
 毛むくじゃらの衣裳に身を包んでいるがあれは、
「平助」
 彼だ。
 やっぱりいた。
 どうやら待ちくたびれて眠ってしまったらしい。
「へいす……」
 扉を静かに閉めててけてけと近付いて、は言葉に詰まる。
 長いすの周りには、お菓子のゴミが散乱していたのだ。
 それはもう山のようにわんさかと。まるでゴミの中で寝ているかのように。
「……」
 随分と戦利品を貰ったのだなと感心というか呆れと言うか、とにかく困ったような顔で視線を長机に向ければ、そこにはお菓子の一つも残っていない。多分全部、彼が食べてしまったのだ。
 やれやれ、は溜息を吐く。
 この様子ではお菓子を貰う事は出来そうにないな。
 仕方ない。
 は辺りを見回し、部屋の隅っこに落ちている油性ペンに気付いて拾い上げる。
 黒の油性ペンだ。
 悪戯の定番としては……やはり顔に落書きだろう。
 お菓子を用意していなかった彼が悪いのだ。
 さて、何と書こうかな?
 は首を捻り、そうだと思いついて無防備な寝顔を曝すそのほっぺたにペン先を近付けた。
 その時だった。
……」
 突然名を呼ばれ、はびっくりして飛び上がりそうになった。
 まずい目を覚ましてしまったかと慌てて顔を見たが、その目は閉じられたままで……どうやら寝言だったらしい。
 驚かせるなと睨み付けながらもう一度ペン先を近付ければ、彼はへらっとだらしなく口元を緩めて、寝言でこんな事を呟いた。
「どうだぁ……おまえの好きなのばっかり集めたんだぜ……」
「……」
「これなら、おまえも……喜んで……」
 むにゃむにゃ、と最後はよく分からない声になって、またくうくうと幸せそうな寝息を立て始める。
 はその言葉にちらりと辺りに散乱したゴミの山を見遣った。
 そういえば、ビニールの包装紙には見覚えがある。それは、が好きなお菓子のそれだ。一つだけじゃない、彼の周りに散乱するのは全て、だ。
 ああ。そういうことか、とは気付いた。
 この山は……本当は自分の為に用意されたものなのだ。今ではゴミの山とはなっているけれど。でも、もう少し早くここにたどり着いていればきっと、藤堂は自分が好きなお菓子を用意して待ってくれていたのだ。
 を喜ばせようとして。
 その気持ちは、ただ素直に、嬉しい。
 お菓子が食べたいとかそういう事ではなく、彼の優しさが。
 はふわりとその目元を細めて、笑った。
 惜しい事に彼が見たいと思った、その柔らかい笑顔を浮かべ、

「これで、許してあげる」

 その頬に優しく口付けて、小さな魔女は静かに走り去ったのだ。


 しかし、彼女は気付かない。
 魔女に扮する為につけていた色つきリップでキスをしたが為に、彼の頬には小さなキスマークが残ってしまって、
 それを知らずに歩いていた彼が後で散々からかわれた事に。




 出オチ担当ですが、今回はちょっと
 甘い感じにしてみました。でも本人
 気付いてねえという。

 2012.10.27 蛍