彼、斎藤一は悩んでいた。
 今度の模試の事でも悩みはあるし、沖田が真面目に部活に顔を出さないのも悩みの種だ。それに土方が頭を悩ませている事もだし、永倉が学校の中で賭け事をしている事も。
 だがそのどれよりも今、真剣に悩んでいる事がある。
 それは彼女、という少女に自分が懐かれていないという事だ。
 決して彼自身子供が好きというわけではなくどちらかというとあまり関わりたくない相手ではあるが、は別である。あの子は子供と思えぬ程に聞き分けが良く、とても素直でよい子だ。子供ながらに自分たちの為に一生懸命になってくれる姿はいじらしい。
 分かりにくいが、懐いた人間にはそっとくっついて甘えてくるというのだから堪らない。
 気を許した相手にしか見せないはにかんだ笑顔などを見たら、色んなものがぶっ飛ぶというくらいだ。
 が、斎藤はまだ彼女には懐いてもらっておらず、笑顔どころかまだ近付いてきてもくれない始末。
 決して彼女が苦手なのではない。出来れば懐いて欲しいのだが……如何せん扱いをどうすればよいのか分からず、出会って半年経った今でもどうすれば彼女が懐いてくれるかと頭を悩ませる毎日だ。
 そんな時に訪れたのが、ハロウィンパーティなるイベント。
 甘い物を苦手とする斎藤としてはあまり嬉しくなく、なおかつ風紀委員としては羽目を外す生徒達の監視・指導に当たらなければならないと言う事で、ただただ頭が痛いだけのイベントであったが……今回は違う。が遊びに来ると言うのだから。
 これは、チャンスだった。


ハッピーハロウィン2012


「よし」
 斎藤は額の汗を拭いながら、今し方作り上げたケーキを見て満足げに頷く。
 完璧だった。
 スポンジはふわふわに出来たし、デコレーションもばっちりだ。特に果物の配置と配色が最高の出来である。
 店に出しても申し分ない出来であった。
 因みに、彼、斎藤一の力作である。
 そして勿論、それは明日、の為に用意したもの。
 最初は彼女が喜ぶお菓子を買ってこようかと思ったのだがどのお菓子にしても糖分が多いし、彩りの為の着色料は身体に毒だ。まず明日は色んな人からお菓子をもらう事だろう。完全に糖分過多である。ということで、斎藤は自分で調節できるようにと手作りのケーキを作ることにしたのだ。
は喜んでくれるだろうか」
 崩れなどはないかを確認し、箱に入れながらぽつりと呟く。
 いや、喜んでくれるに決まっている。だって、という子供は人の気持ちを大切にする子なのだ。斎藤がどれほど想いを込めたか、分からない子供ではない。
 きっと零れんばかりの笑顔を見せてくれるに違いない。
 明日が待ち遠しかった。


「トリックオアトリート! 斎藤先輩!」
「すまぬが、俺は風紀委員の仕事がある故、パーティには参加出来ぬ」
 愛らしい黒猫と色っぽいカーミラが揃って斎藤に声を掛けるが、彼はいつもの素っ気ない返事ですり抜けてしまった。
 ハロウィンパーティだというのにその装いはいつもの制服姿である。左の肩には『風紀委員』の腕章。
 全員参加のハロウィンパーティで唯一仮装をしていないのは彼くらいだろう。校長である近藤も彼を説得したが「楽しい祭であればこそ風紀を正す人間が必要」と頑固に言って、首を縦には振らなかった。
 ということで、今日もいつものように風紀委員として活動中である。
「そこの者、菓子を強要するのではない。あくまで相手の気持ちに委ねるべきだ。そこの者、肌の露出が多すぎる。スカートは膝下10センチ」
 毅然とした態度で風紀を乱す学生達に指導していく。
「原田先生。あまりシャツの胸元を開けるのはやめてください。女子生徒の目に毒です」
「あ、ああ。悪い悪い」
「永倉先生は食べ散らかした菓子のゴミを放置しないでください」
「お、おお。悪かった」
 教師まで今日は少し緩んでいる。やはり自分はしっかりしなければ。
「一君。相変わらずだね」
 そんな彼に苦笑で話しかける人物がいた。狼男に扮した沖田である。その手には袋詰めにされた大量の菓子があった。
「今日くらい、羽目外しちゃっても良いのに」
「そういうわけにはゆかぬ。誰か一人は律しなければ間違いが起こる可能性もある」
「それを生徒である一君がする事ないと思うけど……まあそういう所、一君らしいよね」
 やれやれと肩を竦め、そういえばと沖田は想いだしたように声を上げた。
「生徒会室にあったケーキ。あれ一君が用意したの?」
「ああ」
 その通りだと何故か妙に胸を張って答える彼に、一瞬だけ沖田は変な顔をした。
 生徒会室のテーブルの上。どんと鎮座したフルーツをたっぷりと乗せた生クリームのケーキ。因みに生クリームは低脂肪。確かに見事ではあるが、まさかワンホール持ってくるとは。しかもあんなに大きなやつを。
「総司。よもやあんた味見をしてなどは、」
 いないだろうな?
 きらりと眼光鋭く問い掛けるのを横合いから「トリックオアトリート」と声を掛けられる。お菓子を沖田からせがむとどうなるかが皆分かっているので、沖田はスルーで斎藤に、である。
「すまんが、俺はイベントには参加していない」
 断りを入れ、また沖田へと向き直るがその声を聞いていなかったのか、別の方から、
「とりっくおあとりーと」
 と声を掛けられた。斎藤はそれにもう一度「すまんが」とだけ断りを入れた。
「とりっくおあとりーと」
 しかしどういう事だろう。声はしつこく斎藤に掛けられる。聞いていないのか、それとも嫌がらせなのか。
 だから、と彼は少しばかり声を尖らせて、
「俺は参加しておらんと言っているだろうが!」
 振り返りもせずに強く言って、沖田に先程の続きを告げようとする。
 そうすると、沖田は苦笑を浮かべて、
「一君、一君。僕としては別に構わないけど……その断りは一度後ろを見てからした方がいいかと」
 などと言った。
 後ろを振り返れとはどういうことだろう?
 首を捻りつつ言われるままに振り返れば、そこには誰もいない。
「違う、もっと下」
 誰もいないではないかと文句を言うよりも先、沖田が言った。下を見ろと。
 下?
「……なっ!」
 視線を少し、下に。
 そこに小さな魔女の姿があった。
!?」
 魔女は哀しげに眉根を寄せ項垂れていた。斎藤が強く言うから怒られたと思ったのだろう。
 ごめんなさいと謝ってそのままとぼとぼと去ってしまいそうな彼女を、慌てて斎藤は引き留める。
「違う、あれは、あんたに言ったわけでは」
「あーあ、可哀想。何もしてないのに斎藤君に怒られちゃったね」
「総司!」
 こっちおいで、慰めてあげると手招きする沖田に斎藤は慌てて違うと声を上げた。
「あれはあんたに言ったわけでは無く!」
「……」
「と、とにかく、こちらに来てくれ」
 口下手な自分が言っても彼女の沈んだ表情を明るくは出来ないだろう。ここはやはりあのケーキでと斎藤は彼女の小さな手を取り、賑やかな廊下をすり抜けるのだった。


 の笑顔が見られる。
 今日こそきっと。
 そう思って扉を開いた男は、その瞬間に「え」と間抜けな声を上げたのだった。
「……ない」
 今朝、確かにそこに用意していたケーキが忽然と消えていたからだ。
「一?」
「ない! ケーキがない!!」
 一瞬呆けた斎藤はすぐに我に返ると、ないと声を上げながら部屋の中へとばたばたと駆けていく。テーブルの上には箱だけが残っていた。上に乗っていたケーキはどこにも見当たらない。フルーツのカケラさえ見つからない。斎藤は慌てるしかなかった。
「確かに俺は今朝」
 ここに置いた。持ち歩いているとぐしゃぐしゃになる可能性があるし、教室では誰かに食べられる可能性がある。だから誰もいないここに置いた。知っているのは自分と、
「まさか、総司……」
 偶然生徒会室の前を通りかかった彼だけ。
 怒りの形相で振り返ると、
「違うよ。僕は食べてない」
 両手を挙げて彼は無実だと訴えた。
「確かに僕はここにケーキがあるのは知ってたけど、さすがの僕でもあのホールケーキを完食するのは無理」
 彼の言うとおりだ。甘いものが好きとは言っても沖田の食は細いのだから。
 では誰が? と考え込んでしまうと、そういえばと呑気に沖田が口を開く。
「さっき、新八さんが生徒会室から出てくるのを見たけど」
「っ!?」
「なんか、顔中クリームくっつけてたからまさかなーと思って」
 だからさっき聞こうと思ったんだけどね、と言う沖田の言葉に斎藤は目をまん丸く開いて固まって、
「……不覚!」
 崩れ落ちた。
 沖田に釘を刺しておけば充分かと思っていたがまだもう一人、誰よりも危険視すべき相手が残っていた。それを失念していた。あの男こそが一番危険だったのに。
 ああこれでは全てが台無しだ。この日のためにレシピを考え、よりよい食材を求めて方々へ赴き、何度も練習をしてやっと納得が出来るものを作り上げたというのに。
「名前でも書いておけば良かったね。これは自分のだって」
「いや、永倉先生にはそんなもの通用せぬだろう」
 あの人がそれに気付けるようならば、今頃このテーブルにはひとかけらくらいケーキが残っていたはずだ。
「……一、用意してないの?」
 打ち拉がれる斎藤にの幼い声が掛かる。
 はっと顔を上げ、違う用意はしていたのだと彼は口を開いた。が、用意してあったとしても無いのでは同じ事。彼はがくりと項垂れた。
「すまない」
 力なく謝れば、はそっかと小さく呟いた。
 その顔は少しだけ残念そうだ。やはり今日も、彼女の満面の笑顔は見られそうに無い。いや、多分この様子では永久的に無理だろう。
「じゃあ、悪戯、だね」
 残念そうな顔をした魔女は、仕方ないと言ってポケットを探る。
 ポケットから油性ペンが出てきた。
「僕が渡したんだよ」
 なんでそんなものを持っているのかと目を見張ると、沖田が悪戯っぽく答える。彼の者は鬼である。斎藤が悪戯を受けねばならぬと知っていた彼女にそんなものを渡したのだ。
、そのっ」
「じっとしててね」
 は言ってペン先をこちらに近づけてきた。彼女は本気だ。しかも、顔に落書きするらしい。
 斎藤の顔に落書きが出来るのなんて彼女くらいだろう。沖田はちょっと羨ましいな、なんて思いつつ小さな魔女がなんと悪戯書きをするのかにやにやと笑いながら見守り、

 きゅ、きゅ、

 その頬に、黒いペンが走る。
 白い頬にそれはそれは無遠慮に。

「これで、一は私の」

 満足げに言う少女の手が白い頬に刻んだ文字は、



 そう、彼女の名前。
 自分の名前を、彼の頬に書いた。
 だからつまり、彼はのもの。
「え?」
 それは一体どういう、と驚いた顔で斎藤がの方へと向き直る。
 するとこちらを見ていた愛らしい魔女はふわりと口元を緩めて子供とは思えぬ色っぽい笑みを浮かべ、

 ちゅ、

 最後におまけの悪戯、とばかりに顔を寄せて、唇を奪い………逃げた。



「近藤さんに言いつけてやろうっと」
「そ、総司! これは!!」




 懐いてくれていないと思っていたけど案外、
 好きレベルまで懐いていたという話。
 斎藤さんは鈍いので、多分気付かない(笑)
 後で、みんなにからかわれて真っ赤になって
 いたはず。

 2012.10.27 蛍